106 緑の庭
79話を二つに分けました。後半は次話に移します。
「タラゼド。お前なんでまたミーティングに参加してんだ?」
夜のリーダーミーティングに不満を隠せないのはチコ。
「え。だって、復帰しろって言ったのはチコさんじゃないですか?」
「河漢に入れとは言ったが、ここに来いとは言っていない!」
「…何すか?全体把握していないと、何を教えるべきか分かんないじゃないですか…?せっかく会社切り上げて来てるのに。」
「お前の顔見てるだけでムカつくんだよっ!MCに言い寄られてるのに響にも手を出すなっ。」
「は?言い寄られていませんし、何もしてません。」
キスしたくせにと言いたいが、ここでは言えない。
「………。」
あれだけアーツ手伝えと言ってきたのに、チコのこの手のひら返し。理由を知っているタラゼドよりも周りが呆れている。
「チコ。ただ格闘術の指導するだけなら別に南海のおじさんたちでもいいんだ。ある程度全体を見ていく人間じゃないと困るだろ?邪魔をするなら部屋から出てくれる?」
アセンブルスより辛辣なサルガス。
「そうですよ。顧問が迷惑かけてどうするんですか。」
シグマも言ってしまう。
河漢出身のイユーニたちや第4弾が、ユラス議長夫人にそんなことを言っていいのかと恐ろし気に見ている。
そこに現るいつもの人。
「あっれ~。タラゼド君。最近よく見るねー!!運命?」
婚活おじさんである。
「皆さんお邪魔します。」
「あの、カーティンさんも邪魔なので出て行ってください。」
義息子に冷たく一蹴される。
「ひどい!今は仕事で来ているのに!!お邪魔するって言ってるじゃないか!」
「社長。ウチは基本6時で終業です。」
部下もうるさい。
「バーチ。ウチはフレックスだろ?」
基本6時終業である。
「どちらにしても邪魔です。」
サルガスがそういうも、また部下がたくさんのカフェドリンクを持って来る。
「サンドイッチもたくさん買ってきました。差し入れです!雑穀パンに、生ハムやフレッシュチーズ。有機野菜がたっぷりです。ヌンパン・パテも。」
「わー!」
女子が喜ぶ。ヌンパンは南方のバケットサンドイッチで、B級料理なのに挟んである肉の味付けが絶妙で激うまである。それだけで世界にマウントが取れる。
頭を抱えるも、夜7時。
「もういい。20分休憩しよう…。」
と、休憩に入ることにした。
「チコ先生。先生もどうぞ…。」
ブスッと膨れて動かないチコ。
「ならグリフォさん食べます?アセンブルス君は?」
勤務中ですと断るグリフォに、少し離れた場にいるアセンブルス。
「じゃあ、一袋お土産で。チコ先生、どうぞ。」
とおじさんは差し出す。
「えーと、ライブラ君とゼオナス君はお見合いまだいい?」
「いいです。」
即答である。
「……えっと君は?」
「いいです。」
本人たちが答える前に、サルガスが河漢出身のイユーニやサクシーノを匿う。河漢の優等生たちだ。
「…サルガス君怖い…。」
義息子の仕打ちにおじさんはショックを受けている。
が、直ぐに気を取り戻す。
「タラゼド君はあのMCじゃなくて響さんなんだよね?いい加減おじさんが仲介してあげるよ。タラゼド君にその気がなくても、響さんにその気がありそうだから大丈夫!お互いなくても、大丈夫!おじさんが上手くいくようにおまじないしておくから!」
そのおじさんのセリフにブチっとチコが切れる。
「あの、カーティスおじ様?アーツにセクハラはやめてくださいますか?」
「え?どうせチコ先生も、パワハラしてたでしょ?」
何ならセクハラ発言も含んでいることを自覚しているが、おじさんにだけは入ってほしくない。
「皆さん、愛の障害物を乗り越えるんです!ライミーちゃんでもいいですし。それともナシュパー君行っときます?」
また障害物扱いされるチコ。
「タラゼド。お前が今すぐ娶れ!誰でもいい!!私が仲人になる!」
さらに手のひら返しである。
「無理です。したいときに自分でします。」
「お前がフラフラしてるからいつまでもおじ様がうるさいんだろ??」
「だから私が仲人でも何でもします。ねえタラゼド君。」
「はあ~~っ!!」
なぜかチコが机に伏してしまう。
「チコさん、大丈夫です?」
ミューティアが心配して慰める。
「…うううぅぅ…。」
数年前はこんなことになるとは思ってもいなかったので呻いている。ファクトもムギもカーフも言うことをきかないし、自分の結婚も継続。マイラとも接近禁止。サルガスもパイラルもおじさん傘下に。なぜか響は大房。
「はあ…もう訳が分からない…。」
初めてムギと会った頃を思い出す。
商業機に紛れ込んでヴェネレ経由で蛍惑に来た、スッキリとでも素朴な顔立ちの同世代より小さな女の子。幼いのに凛とした背筋。
その子はまだ9歳なのに、世の中知り尽くしてしまったような顔をしていた。
絶望したようにも、ギラギラと研ぎ澄まされたようにも見える目。
一方、そんなギラギラした目で生き抜いてここまで来たムギを包んであげたのが響だった。
「ここでは違うことを学びましょう」と。「一緒にアンタレスに行くから」と。
他の子には「アンタレスではちゃんと食も安全も守られるよ。自由にしていいんだよ」と言ったが、ムギだけは別だった。
この子から、その強く揺れる瞳をなくすことはできないと悟った響はそう言ったのだ。東アジアで何かを変えようと。
アジアラインの森の中に置いて来てしまった子供時代。
そして思い出す。
祖父に連れてこられ、経済人の集まりに参加していたきつい目の長い黒髪の女性。
その女性が振り向いた時、何てきれいな子だろうと思ったのを思い出す。持っていた雰囲気がきれいだったのだ。真っ直ぐな霊線で。笑った顔がとてもやさしくて。
軍とラボ以外で初めてできた友人。
一緒にベガスに来てくれると言った二人を、一生守ってあげようと思った。
***
パァン!と空間が弾ける。
自分が子供の頃預けられていた寺の本堂で、座禅を組んていたファクトはゆっくり目を開く。
そして、膝を付いて立ち上がった。
気持ちを落ち着けるために袴を着込んでいるが、これは習っていた流気道の物ではない。ファクトはきちんと級を取らなかったので袴はない。
同じく幼少期からゲームばかりしないように、落ち着くようにと茶道をさせられた時の物だ。洋服だとあっという間に逃げるので袴を着させられたのである。お茶は中学まで通わされたため、着方まで覚えさせられて今でも着られる。
ただもう、裾は短い。
アンタレス郊外の山裾の寺。
広縁に出て、整えられた緑の庭を眺めた。
その広い縁側の上を見ると、美しい繁垂木が軒下の天井を飾り、シェダルを思い出した。都会の砂利だらけの寺院にしか行ったことがないので、今度こういう山や森の中の寺に連れてきてあげたいと思う。
「あらあらファクト。来てたってのは本当だったのね。」
「あ!おばさん。お久しぶりです!」
住まいである庫裡から現れたのは、師匠ジュニアの母、お庫裡さんである。師匠はお寺を次男に譲ったが、そのお母さんは今でも同じ敷地でお茶やお花を教えながら過ごしていた。ファクトの師匠である元住職は、引退したわりに元気過ぎて今もアクティブに活動し昼間は家にいないらしい。師匠のご両親もまだまだ元気だ。
「…本当に大きくなったんだね…。びっくりしちゃった。みんな会いたいと思うよ。」
「おばさんは全然変わってないですね!キレイですよ。」
「お世辞まで言えるようになったの?」
でも、本当にファクトの面倒を見ていた頃からそんなに変わっていないのだ。ジュニアに子供ができたのでもうお祖母さんである。
「お茶でもどうぞ。」
「ありがとうございます。」
少し昔話や近況の話をする。
「あの頃、ファクトが落ち着くことなんてないと思っていたのに変わるものねえ…。どうせ、茶道の手順も何も覚えてないでしょ。」
高級な茶菓子を目の前にして、チーズかバター鯛焼きの方がいいと言ってのけた男である。子供ながら横にいる幼馴染リゲルの方が気を使ってハラハラしていた。
「濃茶の味は覚えています!」
元気に答える。苦い物は嫌いではない。
「はは。……その袴は仕立て直すか……もう買い直した方がいいね。」
ファクトが好きだったので、抹茶入りの玄米茶を淹れる。よく玄米だけかじって叱られていた。
「リゲルやラスは元気?」
ラスは塾のない時に泊りで遊びに来ていたのだ。
幼馴染三人。世の中に深い疑問なんてたいしてなくて、本当に楽しかった頃。
「リゲルは一緒にベガス構築に関わってるけど……
ラスはちょっと……。」
ファクトは少し力なく言う。
「………そっか。大丈夫。人生長いから、いろいろな時があるよ。」
おばさんは優しく笑う。
「今日はどうしてこんな寂れた所に来たの?」
「全然寂れてないですよ?苔も綺麗だし。」
手入れされているので庭がきれいだ。
「まだ苔が好きなの?」
なぜか苔を見るのが好きなファクトである。響も苔が好きで、二人は苔仲間でもあった。眺めるだけだが。
「……ラス君の事?」
「…それは今、全然繋がりがないのでまたの課題にして……、今はどうしたら精神の奥に行けるのか知りたいんです。」
「精神の?」
「はい。」
「……それは難儀な課題だね…。うちみたいな寺より上座部の方がいいと思うけれど。」
この時代は宗教の垣根が崩れ仏者でもみな聖典を学び上座部でも結婚をするが、一定の修業期間はどの仏教も欲を断つ。
「でも、日常の中で知りたいんです。特別な世界とかでなく。今、長く修行とかできないし。」
今度ベガスで式典もある。
「それこそ集中的に『道』に入るといいんだけどね。でも、『神』は日常の中でも見いだせるでしょ?」
仏教は形ある「神」の存在にたどり着けなかったが、今はそれを見出している。大陸の西端から東端の全てが融合して中心を作るのだと気が付いたからだ。端と端だけでは、大陸を包括できない。
宗教経典は宇宙も描いているが、同時に地球も描いているからだ。
永遠の世界や宇宙ばかり見て、灯台下暗しとはこのことである。読んでいる人間が気が付かなかっただけかもしれないが、自己と世界は広大過ぎず、極小過ぎない自分の腕に抱ける場所にもあるのだ。
「でも、いつもすり抜けていくんです。触れたいのに…。」
どこかの世界で見るあの女性たちを思い出す。




