102 兄弟喧嘩
「なんでそれをお兄様が言うの?」
「…私だって真剣に悩んだんだ!」
「選ぶってひどい!」
唖然としてしまうタラゼド。選ぶ?……男を?
「でも、私たちの問題です!お兄様が口出しすることじゃありません!!」
「あ、ごめん。響さん。俺が珀さんに話したから…。」
「でも、だからって……。それはこんな風に話すことじゃないでしょ?」
「こんな風ってなんだ?」
「私は私なりに、気持ちの準備をしていたのに!」
響は家族のことになると、感情のセーブが利かない。それはタラゼドも知っている。そして、お兄様も家族の事情には冷静になれないのだろう。どんくさい響を冷遇した祖母ときつく当たったその家族。その家族に嫌われて取り戻せない愛情を響にだけ注いでしまった祖父。
大房で何度も見てきたので分かる。ある一点だけ、もしくはそれを原因に、怒りや怯えのセーブが利かない人がそれなりにいるからだ。
ファイやキファもそうだ。自我を固めるべき、憩いを育んでいくべき家庭の中で起こった燻りは根が深い。
「は?何をだ?」
「……何って…。」
「私なりに私の事情で、タラゼド君を待たせろと?」
「………」
「だったら響は何をしているんだ!きちんと事情があるならそれを話せ!」
「私の勝手でしょ?」
仕事のことは話せない。
「あの……珀さん、響さんが……」
響が怒りと悲しみをにじませた顔で兄を睨んでいる。
「昔は逃げてきたのに、今は逆らうんだな。」
「逃げる……?逆らう?」
「家が大変なら近所に逃げて……学校からも逃げて……」
「…学校?」
響は学校から逃げたことなどない。きちんと通っていた。
けれど、兄や姉たちから言わせれば、中高校は医師ではなく看護や介護科に行き、蛍惑大学時代は西アジアを放浪し、お見合いも含めて家族の付き合いにもまともに向き合わず、ベガスで大学講師をしていた響ははっきり言って好き勝手してきたようにしか見えない。
自由になって、祖父にたくさんの支援も貰い……お金ではない、祖父が響のしたいことを全部後押ししてくれたのだ。両親が行けと言った道に進まず、自分が親の準備した進路を進まされる分の自由を、全部響が持って行ってしまった。
自分は祖父母にも親にも厳しくしつけられたのに。
「……だから?」
「………」
「だから?」
「何だその言い方は。」
「……お兄様こそその言い方、お母様にそっくり。」
「は?」
そこは触れてはいけない弦だ。親の受け入れがたい部分に似ている。
「だから今、医者の免許を取ろうとしているでしょ?文句ある?!」
「それであれにもこれにも手を付けて、結局なにをする気なんだ?倉鍵の病院も自分からやめたんだってな。」
アジアトップクラスの病院だ。
「そんな事私の勝手です!
あんなに医者になれなれって言って、なったらなったでまた文句を言うの?入る病院までお兄様が決めるの?」
「お前のことだから、どうせ小さな町医者でもしてそこに収まるんだろ?」
売り言葉に買い言葉なのだろうが、ひとまずタラゼドは様子を見る。
「それの何がダメなの??
看護師もだめで、薬剤師もダメで、大学講師もだめで、何だったら満足するの?!」
その決めつけも響は許せない。職種や規模に対する差別も、家族だからと人の位置を勝手に決める高慢さも。響は教授職でなくてもいい、どんな形でも講師がしたかったのだ。
ただタラゼドは思う。おそらくお兄様はその主義や全てを、誰にでも押し付けているわけではない。自分の「兄妹」という、響にコンプレックスを向けているのだ。そして、厳しく育ててきた家族たちに。無意識に。
だからきっと、響がミツファ家の全ての経歴を越えて、自分が口出しできない位置に行くまで言い続けるのであろう。自分たちがそう追いやられたように。それでも胸に疼くわだかまり消えず、気持ちは満足できないのかもしれない。
このままの心を抱えて響が思い通りにしてくれたとしても、今度訪れるのは自分への虚無感だ。
お兄様は知らないが、響は既に世界の誰もたどり着けない地位を得て、世界に認められている。
家系が数代続けば、順調に今の家門を二世に継げられる世代もあればそうでない世代もある。
家系の仕事に興味を示せない世代もある。それが拍たち兄弟だった。それでも、ミツファ家の香道は叔母親族に譲ったのでそれでいいはずだ。なのに、お兄様も過去に勉学に家業にと自分が受けたプレッシャーから逃れられないのか。堅苦しい家も出た。
それともその時の苛立ちだけが残ってしまったのか。
「……何にも満足しないくせに………」
「……っ」
目を逸らさないで響が言ったセリフに、お兄様は動揺する。
「私は私なりに頑張ってきた。もしかして、おじい様と仲良くなれなかったことを言ってるの?私が自由?お兄様やお姉様だってそうすればいいだけだったのに!」
「…っ」
「お兄様たちの幼少期は知らないけれど、おじい様が気持ちを変えた時点で甘えればよかっただけなのに!自分はあれがしたい。これはイヤだって!気が付いた時に言えなくても、その後いつでも機会ががあったでしょ?」
すればいいだけのことなのに、怒りが消化できず、これまでと同じように祖父や親の目も気にして、今更自分を変えることもできず、何もできなくなってしまったのだ。自分を変えることが正しいことのなのかも分からない。
自分の中の燻りに気が付いた時には、既に自分すらなかった。自分のやりたいことも。
一方、タラゼド家は気ままであった。何せ大房。
口の悪い大房なので、そんなこともできないの?とうるさく言われる反面、少し上手に歌が歌えただけで歌手だともてはやされる。食事もままならない時期もあったので、バイトができてピザでも食べられれば満足。家族兄弟が多すぎて唯一の愛情に関しては不足であったが、その分誰かがいつも補ってくれた。それは家族内だけでなく叔父叔母従兄妹もみんなそうであった。
誰一人、正規の勉強塾には行っていないし、大人は仕事が忙しくて子供の相手をできない代わりに、叶うか分からない夢でも、自分の好きなことに子供が没頭してくれることは非常に助かるというスタンスだ。教会のゴスペルチームや兄弟同様の信徒が通うダンスチームがあったおかげで、変な不良の集団に行ってしまうこともなかった。
習ったことは精神面や基礎運動能力、体力においても、将来何かしらの糧にはなるだろう。というくらいで十分な考え方。
ミツファ家は、家庭内でも髪や服装を整えるのは当たり前。率直な気持ちや言葉のぶつけ合いは浅ましいと考える一方、その吐き出せない分を言葉の裏に沁み込ませるような家であった。
蛍惑がそういう文化なわけではない。響の家に関しては、嫁に来た祖母の家がそういう上流階級だったのだ。それが多少男尊文化が残る蛍惑で歪んで出てしまったのかもしれない。蛍惑はかつて兵士が多く、全体的に男性的な土地柄である。響の母も同じように、嫁として個を閉じ込めてきたのかもしれなかった。
今、片方の肩を持ってもうまくいかない気がするタラゼド。宥める人間が二人いれば、一人がどちらかをどうにかするのに。それとも、今は二人に好きなだけ言わせた方がよいのか。
お兄様がソファーに座って考え込んでしまい、変な沈黙が続く。
「……。」
その時、バリン!とキッチンカウンターに置いてあったコップが弾けて2、3センチ動いた。
「っ?!」
タラゼドが気が付き、お兄様も何かあったか?と顔をあげた。実体の音なのか、霊性の音なのかは分からないが、お兄様も霊性は非常に高い。けれど、不満を溜めて怒っているのは響。
響さん?
響が電気系のサイコスを使えると聞いたことはない。ただ、元々能力が潜在していると誘発されることもあり、あまり良くない状況だと感知したタラゼドは響に近寄る。DPサイコスがタブーと心身で分かっている分、違う部分で力を放出してしまったのか。
「響さん。今はここまでにしよう。珀さん、送ります。」
響が、ハッとタラゼドを見た。しかし苛立ちが収まらないのはお兄様。
「話を詰めにここまで来たんだ。何を言っている!」
「あの、一度落ち着いてからにしましょう。このまま話すのはよくありません。」
「は?タラゼド君。君のことだってあるんだ。」
「?」
「君だって響を選んだなら周りに来る女性をはっきり断ればいい!」
「…………?」
「あ、あの、そのことですが誰のことで?」
「今更何を。
あのMCとか……
会社にわざわざ差し入れを持って来る女性とか……
エキスポで会社にまで紹介する美女とか……
ステキですとかいう惚れている同僚とか、
何のつもりなんだ!!」
「…??」
響もタラゼドもMCが誰かは分かる。以前お兄様とも話したし、コパーであろう。
でもタラゼドは思う。周りで騒がれているので確かにコパーにははっきり意思を確認すべきだが、付き合ってと言われていないのに敢えて言うのも変ではないか。また黒歴史か。
そして会社の女性?もしかして壱季さん?先一緒だったのは壱季。
エキスポ?これもコパーか?それともあの日いた別の女性?………その他のイベント説明員?でも会社に紹介したのは響だ。
差し入れ?…これも響しかない。
「仕事をしていれば、出会いがいろいろあるのは分かる!だからと言って、そんないい加減な付き合い方をするとは思っていなかった!響、そんな人間と敢えて結婚することもないだろ?」
お兄様は怒るが、タラゼドには分からない。ただの客なのに博覧会に出会いなどあるだろうか。相当モテる男か、レアケースであろう。
「………それ。
私じゃない?」
ボソッと響がつぶやく。
「博覧会に行ったのも………会社に差し入れをしたのも…………」
「…え?」
お兄様は嫌な予感がして言葉を待つ。
「…………。」
「私です……。多分…。」
「…は?」
お兄様の世界が止まる。
美女なんて付けられるので私ですと言い出しにくいし、もし自分以外に博覧会で紹介し合った人がいたら恥ずかしくてまたこちらも黒歴史更新だが、あの日リグァンと挨拶をしたのは自分だ。
差し入れをした日は、かなりスタイルが違うので間違えているのかもしれない。
「………私です!」
「え?」
お兄様は戸惑う。
「多分私です!!」
「………。」
そこで急に2人に目を向けられて固まるタラゼド。
「……え?あ、メカ博に一緒に行ったし………母の差し入れ?持ってきたのは響さんだけど…。」
「え?なら、なんで社員が揃って間違えるんだ?」
「響さんが髪を切った前後だし……みんな両方会ったとかでもないし…。話を聞いただけの人もいるし…」
この説明でいいのか迷いながらタラゼドが言う。
エキスポで会ったのは重役と一部の同僚だけ。風変りしてしまった女性が同一人物だと確認したのは上司の松田だけだ。
「惚てれいる女性って……今日のうちの女性社員のことですか?」
「じゃないのか?」
「……そうだとしたら…今知りました……。」
「………。」
暫く停止して行きどころのない顔をするお兄様。
そして………
「申し訳ない!」
と、お兄様は床に伏してタラゼドに頭を下げた。




