三冊目<音のならないオルゴール>
単刀直入に言おう。
僕の母親はある日を境におかしくなってしまったのだと。
これは僕、小鳥遊琥珀が体験した奇妙な話だ。
事の始まりは1年前。祖母が急な病に倒れ亡くなってしまったときのこと。僕は母と共に祖母の遺品整理をしていた。すると、押し入れの奥に、綺麗な箱を見つけた。奥に片付けてあったというのに新品のように綺麗な箱だった。
「なんだろう?」
箱の蓋を開けてみると、中には外の箱とは大違いの薄汚れた箱が入っていた。箱から出して持ちあげてみると、オルゴールのような形をしていた。
「ねえ母さん、ばあちゃんってオルゴールとか好きだったの?」
「オルゴール?うーん……そんな話は聞いたことないし、その箱も見たことないわ。」
「ふーん。」
ほんの少しの好奇心だった。僕はその箱を開けてしまった。
「何これ……」
中にはオルゴールに必要な部品はおろか、何も入っていなかった。しかしよく見ると、花びらのような形に似たようなものが複数入っていた。だがそれもかなり汚れていて、何かは分からなかった。
「オルゴールじゃなかったみたい……って母さん?」
僕は何も入っていなかったと母に伝えようと母の方を振り返った。そうだねという返事が返ってくるものだと思っていた僕の予想は裏切られた。母は、うっとりとした表情を浮かべ、よだれを垂らしていた。
「綺麗な音……」
「か、母さん……?」
怖くなった僕は箱の蓋を閉め、母に駆け寄った。
「母さん!どうしたの?!」
体を少し揺さぶると、どこかへ出かけていた魂が呼び戻されたかのように体をビクつかせ、驚いた顔で僕を見た。
「あら?私どうしたのかしら?琥珀?どうしたの?汗びっしょりじゃない。」
母にさっきの記憶はないようだった。
「え、えっと、ちょっと頑張りすぎたみたい!汗かくほど動いていたなんて気がつかなかったよ!あはは。」
「そうなの?でもそのままじゃ風邪をひいてしまうから着替えていらっしゃい。」
「うん。わかったよ。」
僕は足早にその場を去った。脱いだ服は、冷や汗で重くなっていた。
着替えて戻って来ると、母はまたあの表情に戻っていた。
―また……!でもどうして……!
慌てて母の元へ行くと、母は蓋の開いたままの箱を大事そうに持っていた。
―さっき僕は蓋を閉めたはず……!
「母さん!しっかり!」
「綺麗な音ね……ふふふ……」
「音?音なんて聞こえないよ!?」
僕は急いで箱の蓋を閉めた。すると、母の表情は元に戻った。
―この箱の蓋を開けると母さんがおかしくなってしまうんだ!
僕は不気味なこの箱を元の綺麗な箱の中に戻し、再び押し入れの奥に仕舞った。
押し入れの奥にあの箱仕舞ってからは普通の日常生活に戻っていた。
「行ってきまーす。」
「行ってらっしゃい。気をつけてね。あ、あとお使いも頼むわね。」
「最近珍しいね。仕事忙しいの?」
「まあね。だからお願いね。」
「わかったよ。」
母は僕を見送り、僕は普通通りに学校に通う。なんてことない日常の1ページ。しかし僕は知らなかった。最近になって僕にお使いを頼むようになった理由を。
学校が終わると、僕は母のお使いを済ませるためスーパーへ向かった。だがその途中、急に周りの景色が消え、真っ白な霧の中に迷いこんでしまった。
「あれ?道は間違っていないはずなのに……」
すると、霧が少しずつ晴れていき、やがて大きな古い洋館が現れた。
「他に建物もないし、とりあえず、あそこで道を聞こう。」
僕は洋館の扉を開けた。
扉を開けると、そこは天井まである本棚に囲まれた図書館のような場所だった。
「うわあ……すごいな……」
感心して見渡していると、
「ようこそ。伝承者の館へ。」
と、本を貸し出すカウンターのような場所から声がした。声の主はカウンターに座る綺麗な女の子だった。僕は道を聞くため、彼女の元に向かった。
「あのすみません。迷ってしまったみたいで、ここはどこなんですか?」
「君は迷ってなどいないよ。小鳥遊琥珀。君は選ばれし者。故にこの伝承者の館へ呼ばれたのさ。」
「えっと、言っている意味がよくわからないですし、それに僕の名前をどうして……」
「私は伝承者。名を葉月史乃という。」
「は、はあ……」
僕の話に耳を傾ける様子のない彼女は、葉月史乃と名乗った。
「あの……葉月さん。僕スーパーに寄って帰らないといけないのですが……」
「君、随分と悠長だな。あの箱が見つかったというのに」
「ど、どうして箱のことを……?」
「小鳥遊琥珀よ。スーパーになど寄らず、すぐに家に帰りたまえ。母親を失いたくなければな。」
「?!」
彼女が何者なのかはわからない。でも、今すぐに帰らないと後悔すると直感的に思った。
「帰ります!すぐに!」
「ああそれと。あの箱を回収し、私の元に届けてくれ。家に帰り、箱を持った状態で玄関の扉を開ければここに繋がるようにしておく。」
「はい。では。」
僕は走って館の扉に向かい、乱暴に扉を開けた。
「え……?」
扉を開けるとそこは自宅だった。迷った地点からだとまだ距離があったように思うが。
「それよりも母さんだ!」
気になることは後回しにして僕は家の中に駆け込んだ。
「母さん!いる?母さん!」
家の中から返事はない。
「ばあちゃんの部屋か……?」
箱が原因で母さんが危ないのなら、母のいる場所はそこしかないだろう。
「母さん!」
祖母の部屋に入ると、そこには横たわる母の姿があった。
「母さん!どうしたの?ねえ!」
母の顔は生きた人間の色を失っていた。だが口角は上がりまるでいい夢でも見ているかのようだった。
「何で……」
コツンと僕の手が何かに触れた。
「っ!?」
あの蓋の開いた箱だった。
「まさか……。」
この箱は開けたら最後、誰かが蓋を閉めないと元には戻れないのだと思っていた。だがそうではなかった。母が最近僕にお使いを頼むようになった理由。それはきっと、この箱の奏でる綺麗な音を聞くためだったのだろう。僕が居ればすぐに蓋を閉められ片付けられてしまうから。
「母さん……。」
僕が箱を見つけ、開けてしまった時から、母はもうおかしくなってしまっていたのだ。
「き……れい……おと……。」
「ひっ!」
色の失われた母は、憑りつかれたように音を求める。
「ご、ごめん!」
僕は恐怖でまともに動かない足腰を無理矢理動かし、箱を持ったまま外に出た。
扉を開けると、葉月史乃の言った通り、迷い込んだ館に行くことができた。
「やあ。思っていたより早い戻りだったね。」
「はあはあ……助けてください!母が……母が……!」
「落ち着きたまえ。」
「落ち着けるわけない!母は僕にとって最後の家族なんです!そんな母があんな……。」
僕は泣き崩れた。わかっている。彼女に救いを求めたって、もう手遅れなことくらい。だけど、この不思議な空間に居る彼女なら救えるかもしれないと、ほんの一握りの希望を持ってしまったのだ。
「小鳥遊琥珀。君もわかっているのだろう?君の母親は手遅れだ。もう元には戻れない。音色だけを求める生きた屍になり果ててしまった。」
「そんな……。」
「とりあえず、床に座り込んでないで椅子に座りたまえ。少し話をしよう。」
わずかな希望も潰えた。僕は絶望した。
「話す事なんてありません。帰ります。」
「なぜ母親が死んだのか。その箱は一体何なのか。気にならないのかい?」
僕は握りしめていたあの箱を見る。気にならないわけはない。だがそれよりも、これからのことの方が大切だった。
「気にはなります。でも、今は真実よりも、これからのことを考えないといけませんので。」
「それを考えるのは真実を知ってからでも遅くはないだろう。それに、その箱は私に届けるように言ったはずだぞ?なぜ渡さない?」
「この箱は僕が処分します。母を殺した敵ですから。」
「はあ。君、その箱は君の祖母が作ったものだぞ?」
「え……?」
思わず僕は振り返った。
「気になるだろう?」
にやりと葉月史乃は笑った。
「少しなら話を聞きます。」
「そうこなくてはな。椅子に座ってしばし待つがよい。お茶を淹れてくるからな。」
葉月史乃はカウンターの奥に姿を消した。
間もなくして、葉月史乃が戻ってくると、手には2つのティーカップが載ったトレーを持っていた。
「待たせたね。」
「いえ……それであの、祖母が作ったというのは……?」
「君、コトリバコというのは聞いたことがあるかい?」
「いえ……。」
「コトリバコというのは、女子供を呪い殺すための呪具のことだよ。そしてその作り方は諸説あるが、水子の死体の一部を動物の血液で満たした箱の中に入れ、開けられないように蓋したら完成だ。それを呪いたい相手に送れば、相手の女子供は次々に死んでいくというわけさ。」
「そ、そんな恐ろしいこと……」
正直グロテスクすぎて吐き気がした。
「コトリバコは水子の死体を何人入れたかで呼び名が変わるんだ。もちろん、入れた人数が多いほど呪いは強力なものになる。存在している最も強力なコトリバコはハッカイ。だがハッカイは呪った本人も無事では済まないと言われるほど強力なものとされている。」
「あの、コトリバコと僕の祖母が作った箱とどう関係があるんですか?」
僕はグロテスクな話は苦手だ。吐き気がする度、出された紅茶で押し戻していたが、意味もないのに延々と聞かされるのはごめんだ。
「関係大ありだよ。何せ、君の祖母が作ったその箱はハッカイを解体して作られたものだからね。」
「なっ……!?」
一気に血の気が引いた。祖母はあんな恐ろしい箱をこじ開けたというのか?全身から冷や汗が噴き出す。
「か、解体って……そんな……」
「君の祖母は、ハッカイを解体し、オルゴールを作った。形はできているから、後は見た目を綺麗にしたら完成だったのだろう。」
「祖母はどうしてこんなこと……」
「君の母親は、浮気されて離婚したのだろう?」
「どうしてそれを……?」
「私は伝承者。選ばれし者のことならなんだって。で、話を続けるが、浮気されたことにより、君の母親は独り身になってしまった。そうなれば子供が産めなくなってしまう。子孫が絶たれたと君の祖母は思ったのだろう。それで、君の祖母はハッカイを盗み出して解体しオルゴール作って浮気相手に送るつもりだったのだろう。」
「あの、オルゴールといいますが、僕には何も聞こえなかったのですが……?」
「オルゴールの音色は女性と小さな子供にしか聞こえないんだよ。音色を聞いたら最期。君の母親のようになり、やがて死んでしまうんだ。君は男で、もうずいぶんと大きいからね。音色が聞こえなかったのだろう。」
「じゃあ祖母は、箱のせいで死んでしまったということですか?」
「そうだね。ハッカイは呪う側にもリスクを要する。せめて、オルゴールを届けてから死にたかっただろうにね。」
僕は父が許せない。母を家族を捨てた父を、僕は永遠に許さないだろう。だからといって、呪うなど、僕には考えつかないし、考えついたとしても恐ろしくて実行になんて移せない。祖母は家族のために復讐しようとしてくれたのだ。
「ばあちゃん……」
結果的には復讐は果たされず、呪い殺したのは自身の娘だなんて、皮肉なものだ。
「さっきは敵なんて言ったけど、これはばあちゃんの形見だ。だから、持って帰ってもいいですか?処分はしません。だから……!」
「駄目だ。それはとても危険なものだ。君の手元に置いておいていいものではない。」
「そんな……」
「君には、その箱をとある神社に届けてもらいたい。」
「え?葉月さんに届けるんじゃ……?」
「届けてもらっても私はここから動けないからな。代わりに行ってきてくれ。ただし、途中で神社にいかず、箱を家に持ち帰った場合、私が君を呪い殺すぞ。」
「ひっ!わ、わかりました。」
綺麗な顔をして恐ろしいことを平然と言う女の子だ。
「箱と一緒にこの花を持っていってくれ。」
そう言って葉月史乃は、ガラスケースに入った白い一輪の花を渡してきた。
「これは……?」
「鎮魂花という。その名の通り、魂を鎮める力を持った花だ。無事に魂を鎮めることができれば、花は枯れるだろう。」
「なるほど……わかりました。必ず神社に届けてきます。」
「任せたぞ。」
そう言って僕は、オルゴールと鎮魂花を持って館を後にした。
葉月史乃から貰った地図通りに進むと、大きな鳥居のある神社にたどり着いた。
『子取神社』と記された神社だった。僕は社務所に向かい、
「すみません。」
と声を掛けた。
「はい。どうされましたか?」
社務所の中から若い巫女さんが姿を現した。
「あ、あの、このオルゴールと花を受け取ってもらえませんか?」
「えっと……」
この光景だけをみれば、僕が巫女さんを口説くためにプレゼントを渡しているようにしか見えないだろう。しかし、僕の差し出した物を見て、巫女さんは青ざめた。
「こ、これをどこで……」
「あの、これは祖母の遺品でして。えっと、あれ?なんでここに来たんだっけ?」
ああそうだ。僕がここに来た目的は祖母の盗み姿を変えたコトリバコをこの神社に、お詫びに花を添えて返す事だ。忘れる所だった。でもなぜ忘れかけたのだろう?
「あの!この箱、この神社から祖母が盗んだものなんですよね?!えっと、祖母に代わってお詫びいたします!申し訳ありませんでした!」
「……」
巫女さんは黙ったままこちらを見ている。かなり怒っているのだろうか。
「あ、あの、祖母もきっと反省していると思います。ですから……」
「あなたのお婆様はもうお亡くなりになられたということですか?」
「え?ああ、えっと、はい……」
「でしたら、あなたが謝ることではありません。全ては我々の責任です。」
「でも……」
「我々小鳥家は、作られてしまったコトリバコを厳重に保管し、二度と町に最悪が訪れないようにすることが役割です。それなのに盗まれてしまうなど……我々の不徳の致すところです。」
巫女さんは怒るどころか、僕に謝ってきた。悪いのはこちらだというのに。
「ところで、コトリバコと一緒に持ってきてくださったその花は一体?」
巫女さんはガラスケースに入った花を不思議そうに見ていた。
「これは、鎮魂花というらしいです。祖母が大切に育てていたんですけど、一輪しか咲かなかったんです。貴重な花なのかなって思ったんですけど、お詫びに行くならこれくらいの品を持っていかないといけないと思いまして……」
「鎮魂花……本当に存在したのですね。」
「え?どういうことですか?」
「鎮魂花は、我々がコトリバコの呪いを祓うために作ろうとしていた花です。ですが、咲いたことは一度もありません。そのため、鎮魂花は存在しないおとぎ話とし、コトリバコは祓うのではなく、保管ということになったのです。」
「そうだったんですね。」
「もし本物なら、コトリバコの呪いを完全に祓うことができます。そうなれば、あなたのお婆様には感謝しかありませんね。」
「そんな……」
盗んでおいて感謝されるのは何だか複雑な気分だった。
「では確かに受け取りました。届けてくださり、ありがとうございます。」
「あの、祓う様子ってみてもいいですか?」
ダメもとでそんなことを頼んでしまった。なぜか、あの花の効果をこの目で見たいと思ってしまったのだ。祖母が作った花だからだろうか?
「構いません。どうぞこちらへ。」
巫女さんに案内され、社務所の奥へと進むと、地下へつながる階段が現れた。階段を降りると広い空間に出た。巫女さんが灯りをつけると、不気味な箱がいくつも並んでいた。だが、どの箱もそれなりに大きく、祖母が持っていたオルゴールがとても可愛いサイズに思えた。それと同時にこのサイズまであの箱を解体したと思うと、我が祖母ながら恐ろしくなった。
「ここにあるのが小鳥家が集めたこの世に存在する全てのコトリバコです。」
「こんなに……」
この数だけ呪いたいと思う人がいるのだと実感させられる。呪いの威力も怖いが、何より怖いのがこれを作れる人間の方がよっぽど怖かった。
「では始めます。」
巫女さんは鎮魂花をケースから出し、床に置いた。すると、鎮魂花が光り輝き目を開けているのが困難になった。しばらくして、光が止むと、
「え……」
目の前からコトリバコがすべて消えていた。
「これほどとは……」
巫女さんも驚きを隠せないようだった。白く美しかった鎮魂花は、赤黒く染まり、枯れていた。
巫女さんからお礼にとお守りをもらい家に帰った。
「ただいま。」
誰の返事もない。あるわけもないのだが。僕はお守りを持って母と祖母の仏壇に向かった。
「母さん、ばあちゃん。今帰ったよ。」
僕は手を合わせ、母と祖母の仏壇にこのお守りを供えた。