<二十冊目>ガラスの向こう側
コロナという未知のウイルスが流行り出したから、私の日常は、世界は一変した。リモートだとか、会っても透明な壁越しとか。人との距離を感じる。最近では、SNSで出会いを求める人もいると聞く。でも、実際会いに行って酷い目に遭ったって事件もあったな。おうち時間ってやつが増えたせいだとかなんとか。私には関係ないけど。
保健所で仕事をしているのだが、休む間もないくらい電話が鳴り止まない。「最近咳がでるが、自分はコロナなのか?」とか「陽性と言われたのだが、どうすればいいのか?」などなど……。とにかくわからないことは、ここに聞けばいいという考えの人が多いのだ。不安だろうし、わからないこともない。だが、私たちだって、初めてのことだし、わからないことだらけなのだ。それなのに、正確に答えられないと怒鳴る人もいる。理不尽すぎて胃が痛い。
「あーあ。もうやってらんない!」
「お疲れー。コーヒー飲む?」
「カフェオレなら」
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
一緒に入社した数少ない同期の風上日向が、あたたかい缶コーヒーを持ってきてくれた。
「私たちは昼休みだってまともに取れずにいるのに、何で頭ごなしに怒鳴られないといけないの?」
私は缶コーヒーのカフェオレを、グイッと一気に飲み干した。その様子は、酒飲みに見えてしまったかもしれない。
「ホントだよねー。私たちが入社した時からコロナの対応ばっかりでだったもんね」
「ねえー日向ー。今日仕事終わったらご飯いこーよー」
「あー、ごめん!今日はゲーム配信日なんだ。だから、明日とかどうかな?」
「ゲーム配信?」
断られたことよりも、聞きなれない言葉の方が気になった。
「うん。雑談しながらプレイして、その様子を見てもらうの。初めはストレス発散程度に始めたんだけど、結構見てもらえるようになってね。これ、私のSNSのアカウントなんだけど……」
私の知っているアカウントとは別のアカウントのようで、アイコンや名前も初めて見るものだった。
「へー。すごいじゃん。ん?フォロワー数……じゅ、10万!?」
芸能人だと、この10倍以上はいくのだろうが、普通の保健所職員が10万はすごいと思う。
「有名人じゃん!えー、いいなあー」
「私なんてまだまだだよ」
嫌味か。私のフォロワーなんてまぁ二桁だっての。
「日向。私もその、配信っていうのはやってみたい。やり方教えてくれない?」
「もちろん。何する?真城ってゲームするっけ?」
「ゲームはちょっと自信ないなあ……気軽に雑談からやってみたらダメかな?」
「正直、やりたいことをやったらいいと思うよ。メッセージでやり方送っておいたから。後、やるなら私も見たいから、教えてね」
「うん。ありがとう」
ほんの軽い気持ちだった。辛い職場という現実から逃れたかった。それだけ。
激務から解放され、ようやくアパートに着いた。
「ただいまー」
私は就職と同時に実家を出たので、現在は1人暮らし。返事のない静かな玄関が、いつもなら寂しいと感じるのに、今日は特に気にならなかった。
「さて、やりますか」
日向から教えてもらった通りに準備して……配信スタート。
「こんばんわ!はじめまして、ましろと申します!名前だけでも覚えていってくれると嬉しいです」
配信名は『ましろ』。真城を違う読みにしたシンプルな名前だ。軽く自己紹介をして、仕事の愚痴やお昼に飲んだ缶コーヒーが美味しかったことなど、他愛のないことを独り言のように話した。それだけで、視聴者がどんどん増えていく。まるで、有名人になったかのようだ。
ーすごい!もう100人!もしかして才能があるのかな
時計を見ると、始めてから30分ほどしか経っていなかった。
ー楽しいけど、明日も仕事だし……今日はもうやめておこうかな……
「えー、みんな来てくれてありがとう!明日も同じ時間に配信するからよろしくお願いしますね!それでは」
配信が終わると、夢の世界から現実に無理矢理引き戻された感覚だった。
「あ、そういえば日向の配信もうすぐだ」
配信者をフォローすると、配信時間を教えてくれるという便利な機能がある。私はアカウントを作るとすぐに日向をフォローした。
「どれどれ……」
「皆さんこんばんは!日影です。いつもありがとうございます。では早速ゲームをプレイしていきますね。今日はこちら!」
画面には日向の声をした、二次元のキャラクターが話していた。ゲーム紹介をした後、プレイをするというシンプルな内容だと思ったが、コメント欄には、
『日影ちゃんめっちゃゲームうまい!』
『声可愛い!』
などの声がたくさん寄せられていた。コメント欄は忙しくスクロールされていた。
「そういえば、私の配信ではコメントなかったな……」
今日が初日だと忘れて、寂しさと、羨ましさで、日向に嫉妬した。発散されたストレスは、再び私に集結した。
翌日、出勤すると、いつも通りの日向がいた。
「おはよ!昨日は来てくれてありがとうね!」
悪意のない笑顔をみるたび、私が嫌な奴だと思い知らされる。
「大人気だったじゃん」
「私なんてまだまだだよ。それよりも、真城の配信は?いつやるの?」
人気だから謙虚なセリフが出てくるんじゃん。あれでまだまだなら、私は何なの?
嫌な感情が、言葉が、日向を攻撃しようと、凶器に変わっていくのを感じた。
「あー……やっぱりやらないことにしたんだ。見てるだけで楽しいし、ストレス発散になったから」
「そう?ならいいけど」
嘘だ。全部嘘。でも、こうしないと私は日向を見えない刃で傷つけてしまいそうだったから。
「さ、仕事仕事」
日向と目を合わせないようにして仕事に取り掛かった。きっと今の私の目は、酷く冷たいから。
怒涛の仕事が終わり、日向と別れ家路を急ぐ。彼女には敵わない。わかっている。でも、私だって、あんな風に褒められたいし、コメント欄を賑わせたい。
アパートに着くと、着替えも食事もそこそこに、配信を始めた。
「こんばんわ。ましろです。ねえ、みんな、聞いて!ましろの仕事ってさー精神的ダメージ半端ないんだよねー。でさー……」
昨日と同じように雑談を始めた。相変わらずコメントはないのに、人はたくさん来ていた。それが余計に悔しい。なんだか品定めをされている気分だ。しかしその時だった。
『ましろさんこんばんは。お仕事大変ですね』
初めてコメントがついた。嬉しくて舞い上がる。書いてくれた人の名前をチェックすると、姫野菖蒲と書いてあった。
「姫野さん、コメントありがとう!めちゃくちゃ可愛い名前ですね!」
『頑張って考えた名前なんです。褒めてくれてありがとう』
何これ。リスナーと会話してるの?楽しい!
『ましろさん。実は私、配信者の方をお手伝いする任事をされいるんです。よければ、ましろさんのお手伝いもさせてもらえませんか?』
「配信者の手伝いって、プロデュースみたいな感じ?」
『簡単に言えばそうですね。どうですか?』
こんなの、考えるまでもなかった。
「もちろんです。こちこそよろしくお願いします!後、配信者一本で生活ってできるの?」
『不可能ではありません。人気がでればできると思います。ましろさんは魅力的ですし、もしかしたら可能かもしれません』
「よし。みんな!私、今の酷い環境の職場やめて、配信者として働きます。よろしくね!」
私は顔も知らないプロデューサーを手に入れた。全ては今の仕事を辞めるため。日向を上回るため。
私はインフルエンザにかかったと職場に連絡し、1週間休むことになった。もちろん嘘だ。配信をする時間が欲しくて、仮病を使った。これで、朝から夜まで配信ができる。姫野さんと話せる。
「みんな、おはよう!今日は仕事が休みなので、朝から配信しちゃいます」
昨日の配信後、姫野さんにSNSをフォローされ、そこからメッセージが送られてきた。配信のコツや、これやからやるといいことなど、細かく書かれていた。
その中にあった長時間配信ということをやってみようと思ったのだ。
「朝から夜までぶっ通しで配信するから、よろしくね!」
『こんにちは。姫ちゃんの紹介で来ました』
『長時間配信って楽しみすぎる!』
『今日は友人と一緒です♪』
コメント欄は忙しく動いていた。姫野さんが私を色々なリスナーに声をかけてくれたみたいだ。
「姫野さん、紹介してくれてありがとう!期待に応えられるように頑張るね!」
私の配信は、朝の10時くらいに始めて、夜の6時くらいに終わった。仕事での8時間はキツいが、配信の8時間はあっという間だった。たくさんの人が来て、コメントをくれたりしてくれた。フォロワーも一気に増えた。姫野さんのお陰だ。
「さて次は……」
とにかく姫野さんの指示に従った。そうすることで、リスナーも、コメントもフォロワーもどんどん増えていった。これなら仕事を辞められる。そう思った。
配信漬けの1週間が過ぎ、出勤日がやってきた。鬱々とした気分で会社に行くと、入口で日向が待っていた。
「おはよう。ちよっといい?」
日向はいつもの笑顔ではなく、眉間に皺を寄せていた。
「何?どうしたの?」
「真城。インフルって嘘だよね?」
「はあ?何で嘘ついて休むのよ」
「この配信サイト。背景は既存の壁紙で、声しかわからないけど、私には、声を聞いてすぐに真城だってわかった。どうして配信のこと隠すの?どうして仮病なんか……」
「恵まれてる日向にはわからないよ。それにもう私、この保健所やめるんだ。配信者の私をプロデュースしてくれる人に会ったの。見たならわかるでしょ?日向に引けを取らないくらいリスナーいたじゃん。だから、この辛い日々から抜け出すの」
「真城……わかった。真城の人生だもの。これ以上は言わない。だけどこれだけは言わせて。姫野菖蒲って人には気をつけた方がいい。その人、配信者を育てるまではいいんだけだど、育てられた人、みんな自殺してたり、借金まみれで苦しんでいる人もいる。もしその人に会っても関わらないでね」
「なにそれ。何でそんなこと知ってるの?」
「リスナーが言っていたからよ。幸い会ったことはないけれど、配信始めたばかりの人をターゲットにしてるみたいなの。だから……」
「日向。そんなこと言って、私に追い抜かれるのが怖いんでしょ?だって明確な理由も何もないじゃん。ただの噂じゃん。それを私に言って怖がらせようとするなんて。はーあ。幻滅したわ」
「真城!本当に……!」
「もういい」
私の配信について言われるのは我慢できるけど、姫野さんの悪口を言われるのは嫌だった。姫野さんは恩人で師匠だ。彼女がいなければここまでこれなかった。退職届を握りしめ、社長室へ向かった。
私の退職届は、意外にもあっさり受理された。
「今までご苦労様。実は新しい人が入る予定だったんだ。君に教育係をしてもらおうと思っていたから、それだけが残念だ」
社長は用意された原稿を読んでいるロボットのようだった。
「お世話になりました」
有休がたくさんあったので、今日付で保健所にくることはなかった。
仕事を辞めて、一日中配信に時間を費やした。ご飯も3食カップラーメンか、レトルトカレーと食パンだ。眠る時間もリスナーに合わせた。私の生活は配信が中心になっていった。心も姫野さんに惹かれていくようだった。だからだろうか。つい、
「こんばんわ。ましろです。あ、姫野さん!来てくれたんですね。いつもありがとうございます。大好きです」
と言ってしまった。
『こんばんは。嬉しいです』
「私、姫野さんのこと愛してるって言っても過言ではないんですよ。もちろん、聴きに来てくれるみんなのことも好きだけど、姫野さんは特別!」
『ひめちゃんモテモテ』
『いきなりの告白w』
私は冒頭から、姫野さんへ告白まがいなことをしていた。勢いに任せて言ったため、何も考えていなかった。それでも、好意的なコメントも多かったのだが、それは最初だけ。段々否定的なコメントの方が多くなっていった。
『1人のリスナーだけを愛するとか配信者失格』
『ここじゃない所でやれよ』
『身内ネタ乙』
心無い言葉が私に突き刺さる。私はただ、姫野さんが好きなだけなのに。
「え、ええと、み、みんなも好きだよ。でも、でもね……!」
冷や汗が止まらない。口は開け閉めするくせに言葉が紡がれない。初めて怖いと思った。
「ごめんね。今日は、もう終わるね。また明日!」
慌てて配信を終わらせた。水の中にいるみたいだった。
その直後、メッセージが届いた。姫野さんからだ。
ー大丈夫?気にしなくていいからね。
たった一文だったが、スマホの画面が滲んで見えた。
「弱っている人間は脆いな」
「え?」
知らない声がした。スマホから顔を上げると、いつの間にか本が天井まである図書館にいた。真ん中にはカウンターがあり、その前には背もたれ付きの赤い椅子。そして向かいに座るゴスロリ少女。黄色のゴスロリ衣装とは変わっている。
「やあ。初めまして、濱住真城。私は葉月史乃。伝承者だ」
葉月史乃と名乗った少女は、頬杖をついて、私の顔を眺めていた。
「は、初めまして。あの、ここはどこですか?」
「ここは伝承者の館。私と選ばれし者のみが立ち入ることの許される場所だよ」
「そう、ですか。じゃあ、ここで配信してもいいですか?この背景、結構映えると思うんです。顔出しギリギリの配信を次にするように姫野さんに言われていて」
「姫野菖蒲か。そいつは、AIで人ではないぞ?」
「は?何言って……」
「まあ、椅子に座って紅茶でもいかがかな?」
姫野さんについて聞きたいため、言う通りにすることにした。着席すると、甘い香りの漂う紅茶がカウンターに置かれていた。
「冷めないうちにどうぞ」
「じゃあ……ん?これは……」
紅茶の底に何か沈んでいる。
「ロシアンティーってしているかな?ロシアで飲まれている紅茶の飲み方なんだがな。まあ、本来は紅茶にそのままジャム入れてしまう飲み方ではないのだが……」
「へえ。いただきます」
紅茶の底のジャムは、程よく甘く、渋い紅茶と相性がよかった。
「美味しい」
初めて飲む紅茶に感動しながら、一気に飲み干してしまった。
「美味しかったです。さあ、話の続きを」
「やれやれ。せっかちだな。こほん。姫野菖蒲は、配信を始めた人間が辞めてしまわないように、やる気にさせるAIを作る開発者の名前だ。君が会話をしていた姫野菖蒲とは別物だよ」
「い、意味わかんないんですけど!」
「AIの姫野菖蒲は、やる気にだけさせて、後の人生は保証しないんだ。君は、稼げると姫野菖蒲を信じた。だから仕事もやめた。もし失敗しても、生活が苦しくなっても、配信を強要するのがAIの姫野菖蒲だよ。自分の言いなりになる人間を探し出し、配信漬けにする。これが、開発者姫野菖蒲の思惑であり、本性だ」
「嘘よ!適当なこと言わないでよ!日向もあなたも、姫野さんのこと悪く言うんだから!」
「そういうところだよ。濱住真城。姫野菖蒲を客観視できなくなっているじゃないか。今の自分を冷静に見れているのか?」
「でも、私は姫野さんのお陰でリスナーも増えましたし、姫野さんの言う通りにしていれば間違いなかった。冷静に見たって変わらない」
「残念だよ。もう少し違う結末を見たかった」
葉月史乃は、指をパチンと鳴らした。すると、経験したことないほどの頭痛に襲われた。
「うぅ……いた、痛い!な……」
「君の飲んだロシアンティー。ジャムの中に万能ブレインという小さな脳みそが入っていたんだ。これを飲んで、好意を持った相手にとあるワードを言うと、万能ブレインは、今ある脳を破壊し、入れ替わるものなんだ」
「私、何も……」
「さっき君は、姫野菖蒲のお陰や言う通りにしたと言った。それがとあるワードだ。そして、発した君の脳は今、万能ブレインと入れ替わりをしているから、酷い頭痛が起こっているというわけだ。
「そ、ん……」
苦しむ私を横目に、涼しい顔で話を進める。
「万能ブレインは、洗脳を目的として作られていたからね。使い方には手を焼かされたものだ。ああ。心配しなくても、脳が入れ替わったからといって死ぬわけではないよ。ただ、毎日決まった時間に配信や食事をして生活するだけだよ。そこに君の意志は存在しないけれど。姫野菖蒲が設定したスケジュールにしか動けなくなるというだけだ。食事は姫野菖蒲が宅配で届けるらしいが、光熱費や家賃は出すつもりがないらしいから、アルバイトか何かは設定されているんじゃないか?」
ああ。配信なんてするんじゃなかった。見えない相手を信じるんじゃなかった。もっと日向の話を聞いておくんだった。後悔しかなかった。きっとこの後悔だって、今日で最後なのだろうから。
「そろそろか?」
「私、ワタ……システムエラー。システムエラー。初期化します」
「ふふ。廃人者の完成ですか?」
頭が空っぽになっていく。その刹那、葉月史乃手元にあったタブレットから声が聞こえた。そして会話を始めた。
「君が手を加えた万能ブレイン。とても恐ろしいな。生身の人間をAIロボットにしてしまうようなものだ」
「ふふ。あなたから聞いた話。とても興味深かったですよ。その話では電話をしていた相手が、実は存在しなかったんでしたっけ?」
「存在はしたよ。ただ、孤独な男が電話をかけて周り、偶然出会った人を好きになった。しかし自分に自信のない男は、録音した音声を使って洗脳。どんな姿でも受け入れてもらおうと男が準備したものだった。作戦は成功。女は永遠に男の言うことだけを聞く人形に成り果てた。くくく。見えないものを信じ過ぎるのもよくないね」
「ふふ。同感です。でも、そうやって信じてくれる人がいるから、私のビジネスは成り立っているんですよ」
「そうか。だが見えない世界の恐怖を伝えるのが私の役目でな。君のビジネスを妨害したとしても、責任は取らないよ」
「まあ酷い」
「酷いのは君だよ。姫野菖蒲」
ヒメノ……アヤメ?誰だっけ?2人の会話はここで終わった。会話が終わるのと同時に、脳内で電気が消えたような音がした。真っ暗になる視界の中で、私が愚かだったと悔やんだ。理由なんてわからないけれど。
「みなさんこんばんわ!ましろです!」
今日も私は配信している。視聴者のみんなに楽しい時間を届けるために。
「知ってます?この間の事件」
『SNSで、知り合って、会いに行ったら酷い目に遭ったってやつ?』
「そうそう!見えない相手って怖いですよね。簡単に会いに行ってはダメですよ」
私の配信は、主に見えない相手の恐怖、SNSの使い方を発信している。仕事?これが仕事に決まっている。だって私は、配信者だから。




