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見えざる館の伝承者    作者: 花咲マーチ
33/56

<十六冊目>精草

 外はまだ明るいというのに、私の部屋は薄暗い。なぜなら、窓に段ボールを貼り付け、カーテンを締め切っているからだ。ピンク色のカーテンも絨毯もベッドも、茶色い勉強机も全て黒く塗りつぶされてしまったかのようだった。

阿佐美(あざみ)。その、昨日はごめんなさい。辛い思いをしたのに、お母さんったら無責任なこと言ったわよね。本当に悪いと思っているわ。あ、そうだ!朝ご飯を持ってきたわ!ごはんと味噌汁と目玉焼きと、阿佐美の好きなごぼうサラダも作ったの。だから、一緒に食べましょう?」

「うるさい!私の気持ちなんてわからないくせに!ご飯ならそこに置いておいてよ!」

 私は怒りに任せて近くにあった低反発の枕を、部屋の扉に向かって思い切り投げた。ドンと鈍い音が響いた。

「ご、ごめんなさい。じゃ、じゃあ、ご飯はここに置いておくから、食べたい時に食べてね。お母さんキッチンにいるから、何かあったら声をかけてね」

 部屋の前から足音が遠ざかっていくのを確認すると、朝食を素早く部屋の中に入れた。こんな状態でもお腹は空くらしい。

 私がこうなってしまったのは昨日の悪夢のような出来事が原因だ。


 昨日の昼過ぎ。季節は夏、気温は35℃という例年になく暑い日だった。私は、新しく買った薄いピンク色をしたノースリーブのワンピースに淡い水色のサンダルを身に纏い、近所の友達である瀬名楓(せなかえで)の家に歩いて出かけた。ワンピースは風が吹くたび、ゆらりと私の周りを踊った。

「あの、すみません」

 私は楓の家まで残り100mほどに近づいた時、突然知らない男性に声をかけられた。夏用のスーツを着てメガネをかけた人。しかし、歳は、同じ高校生に見えるくらい若い見えた。

「なんでしょうか?」

「最近この辺に赴任してきた者なんですが、この地図の場所がわからなくて困っているんです。教えてもらえませんか?」

 男性は大きな地図を広げて見せた。

「ちょっと見せてください。あ、ここなら……んん!」

 私が地図を覗き込んだ瞬間、何者かに口と目を塞がれた。視界は真っ暗だし、ハンカチのような布には、薬が含まれていたのか、ツンとした鼻を刺激する香りがした。私は何がどうなったのかもわからず、意識を失った。

 肌が触れる部分に、ざらりとした砂が当たると私は意識を取り戻した。

「ん……んん!?」

 目隠しは取られていたものの、口はしっかりと布で塞がれていた。土埃の舞う、倉庫のような場所だった。

「やっと起きた」

「待ちくたびれたな」

 道を尋ねてきた男性と金髪のいかにもチャラそうな男性とスキンヘッドの男性の3人が、楽しそうに私の顔を覗き込んできた。

「よお。もうわかるよな?」

「……」

「泣くなよ、めんどくせー」

「お前がそんなエロいカッコしてるから、俺ら元気になっちゃってさー。もちろん責任とってくれるよな?」

 私は背中に嫌な汗をかいた。塞がれたままの口では助けも呼べないし、そもそもわからない場所だ。助けを呼んだところで助けてくれるだろうか。汗が止まらない。誰でもいい。誰か助けて。

「はい!じゃあ俺からな」

 そう言ってメガネの男性が近づいてくる。気持ち悪いし怖かった。ドラマや映画なら、きっとここで誰かが助けに来る。だけど、私の元には来なかった。地獄だった。

 男たちが去ったあと、ボロ雑巾のようになった私は、自分の携帯を探し、現在地を調べた。

「隣町の港……こんなところまで来たんだ……」

 私は1人泣いた。誰もいない知らない場所で。

 間も無くして、携帯のGPS機能を利用して、母と父、それから姉が車に乗って迎えに来てくれた。私は安心したからか、あったことを洗いざらい話した。姉が背中を優しく撫でてくれた。

「怖かったよね。もう大丈夫。家に帰ろう」

 姉は心理カウンセラーの仕事しているためか、傷ついた人のケアは慣れたものだった。しかし、

「もう、話しかけてきたからって応対するからでしょ?無視するくらいしないと」

「そうだぞ。それに、高校生とはいえ、少し派手なんじゃないか?」

 両親は口々に好き勝手言った。私を慰める言葉なんて1つもなかった。

「ちょっと!2人は黙ってて。傷ついている人を責めるとか何考えてんの?」

 両親は、姉に睨みつけられると、もう何も言わなかった。私たちは何も言葉を発することなく警察に向かった。しかし、警察の取り調べというのも辛いものであった。処置を的確にしてもらったのが不幸中の幸いだ。

 そして今に至る。


 部屋は2階だが、誰かが見ていそうで恐怖を感じ、段ボールで窓を塞いだ上カーテンを閉めた。クーラーは効いているものの、暑い部屋部屋では、長袖長ズボンのジャージを着て、上着のファスナーは1番上まで閉めた。顔と手足以外、肌は見えない状態だ。男たちに言われたことも、父に言われたこともかなりショックだった。私は2度と好きな服は着れないのかと思うと、さらに胸が苦しくなった。

「何で私がこんな目に遭わないといけないの……」

 昨日から泣いてばかりだ。空になった食器を外に出す気にもなれず、そのままベッドに身を投げた。ベッドは私を包み込むように沈み込んだ。それと同時に私は眠りについた。



「……み。瑠璃田阿佐美(るりたあざみ)

「う……」

 誰かに名前を呼ばれた。フルネームで呼ぶなんて珍しい。誰だろうか?寝ぼけまなこをこすりながら起きると、図書館のような大きな屋敷の床に寝転がっていて、知らない黒髪ロングの少女が私の顔を覗き込んでいた。

「ひっ!」

 私は事件のことを思い出すため、知らない場所も、知らない人に顔を覗き込まれるのも怖くてたまらなかった。たとえ、同性であっても。

「あ、あの、あ……」

 体は震え、歯と歯がカチカチと音を立てている。声を出そうにも、喉を締め付けられるような感覚があり、上手く出せない。体の体温は一気に引いていった。

「そんなに青ざめた顔をしなくても、なにもしないぞ?といっても、昨日の今日だ。無理もないだろう。とりあえず椅子に座って紅茶でも飲みたまえ。少しは落ち着くだろう」

「……」

 足に力が入らない。帰りたい。もう怖い思いはしたくない。

「ふう」

 少女は呆れたようにため息をつくと、どこかへ行ってしまった。だが、すぐに戻ってきて、私に目線を合わせて床に座った。怯えて気が付かなかったが、白いレースのフリルがたくさんあしらわれた黒いドレスを着ていた。座った姿は地面に咲く花のようだった。

「ここで話そう。無理に立つこともない。それと紅茶だ。落ち着いたら落ち着いたと言ってくれ」

 少女は笑うことも、呆れた顔をすることもなく、無表情でただそこに座っていた。しかし、なぜか心が穏やかになっていく感じがした。


「はあ……」

 少女からもらった紅茶は、花のようなやわらかい香りのする紅茶だった。喉を温かい紅茶で満たすと、恐怖心も一緒に溶けていった。

「さて、落ち着いたようだから名乗らせてもらおう。私は葉月史乃(はづきしの)。ようこそ、伝承者の館へ」

「えっと、私は……」

「瑠璃田阿佐美だろ。知っているよ。君は選ばれし者だからね」

「えらばれし?」

「そう。選ばれし者。私の知る伝承を伝えてもらう大切な役目を持っている人間のことだよ」

「史乃……さんは、人間じゃないの?」

「史乃でいい。カテゴライズするなら、人間じゃなくて伝承者だね。人であり人でない。理解せずとも構わない。ただ、私の話を聞いてくれればそれでいい」

「じゃあ、史乃は、私に何をさせたいの?」

「うーん。君は復讐ってしたいかい?私の話すこと、やってもらいたいことは、君の復讐につながるようなことなんだが」

 史乃は真っ直ぐ私を見つめて聞いてきた。復讐。考えなかったわけではない。だが、

「したくないわ。だって、意味ないもの。私がされたことはなくならないし、傷が癒えるわけでもないもの。刑務所に行こうが死のうが、関係ないわ」

 強がりではない。本心だった。殺したいくらい憎い。でも、殺してもきっと、何も起こらない。私を助けてくれる人がいなかったように。

「そうか。まあでも、話だけ聞いてくれ」

「わかった」

 すうっと、史乃は息を吸い込んで軽く吐いた。そして、話し始めた。


「昔、女性を性奴隷のように扱う所があったんだ。女性たちは苦しかったし、嫌だったが、そうしなければ、そこで生きていくことはできなかったし、生まれてからずっとそうだったから、異常であると疑う者も少なかったという。しかし、姫と呼ばれるくらい美しかった1人の女性は、我慢の限界を迎え、牙を剥いた」

 とんでもない場所があったものだと、驚きと恐怖を感じると同時に、怒りも込み上げてきた。苦しみを知っているからだろう。

「彼女、とりあえず姫と呼ぼうか。姫はどこからか、太い枝を切るための大きな鋏を持ち出し、男が寝たのを確認すると、性器を切り落としたという。騒ぎになったが、姫は悪びれた様子もなく、それどころか、全ての男の性器を切り落とすまで私はやめない。やめてほしければ、腐った風習をやめよと言い放ったらしい。男たちは反抗したが、女性たちがそれを許さなかった。女性たちは団結し男たちをとめた。姫は躍るように抑え込まれた男の性器を切り落としていった。やがて痛みと自分の象徴的部分を奪われたことによるショックで立ち直れないものが続出。腐った風習はなくなったとさ」

「あの、姫はどうなったんですか?」

「姫がその後どうなったかは記されていなかったよ。だからわからない。すまないな」

「いえ。あと、もしかしてなんですけど、私が復讐を望むなら、鋏で相手の性器を切り落とせってことだったんですか?」

 今の話の流れからすると、もう1度彼らに会わないといけなくなる。2度と会いたくないというのに。

「半分合っているが、少し違う。話にはもう少し続きがあってな。姫が騒ぎを起こしてからというもの、女性に性暴力を振るった人間の家の庭には男性の性器に似た草が生えるようになったらしい。しかも、草と加害者の性器はつながっていて、引っこ抜かれたり切られたりすると、同じ状態になるんだ。すごいだろ?」

「ということは、私を襲った人たちの家にもあるってことですか?」

「ご名答。最近では一軒家に住んでいる人間ばかりではないから、庭がない場合もある。その場合は、付近の花壇や草むらに生えているよ。庭よりリスクがあるよね」

 話を聞けば聞くほど、史乃が姫に見えてきた。顔だってきれいだし、残酷な話を軽々しく話すし。似ていると思った。

「それで、話が初めに戻るのだが、君にはこの姫の大鋏で、加害者たちの元に生えている草、名を精草(せいそう)というのだが、これを切り取るなり、切り刻むなり好きにしてきてほしい。と言いたいところだが……」

 史乃は刃の部分だけでも15㎝くらいありそうな大きな鋏をどこからから出してきた。長い持ち手や刃の部分は黒く染まっていた。おそらく血の跡なのだろう。

「君にこれを託すのは少し違うな。復讐も望まないようだしな」

 史乃は残念そうに大きな鋏をなでた。

「ご、ごめんなさい。力にはなれそうにありません……」

「構わない。これは別の人に託すよ。君の姉にね」

「え?」

「君の姉は心理カウンセラーをしているようじゃないか。それも女性の性被害に特化した」

「どうしてそれを……」

「まあ、偶然知ったとでも思ってくれたまえ。君以上に復讐心に燃える彼女なら、姫の大鋏を託してもしっかり使ってくれそうだ。」

「待ってください!姉を巻き込むわけにはいきません。それに言いましたよね?私は選ばれし者だって。私でないと意味がないのではないですか?」

「まあ、君でないと意味がないのは本当だよ。でも、初めに飲んだ紅茶には、君が聞いたことを脳を通じて伝達する効果があるんだ。効果は飲んでから30分後。もうそろそろだろう」

「あ、あなたは、初めから……」

「まさか。君の身の安全のためだよ。彼らの近くに行くということは、もう1度襲われかねないということだ。だから初めから君の姉に大鋏は託すつもりだったのだよ」

 史乃の言う通りだ。精草は彼らの自宅付近に生えるというのだから、危険極まりないし、怖すぎる。

「わかりました。では、その大鋏を姉に届けます。巻き込むことは本意ではありませんが、私にはできませんので」

「それじゃあ頼んだぞ」

 史乃は満足そうな表情を浮かべた。私は、やっと動くようになった足腰を使い、大鋏を持って図書館を去った。


「あれ……」

 私はベッドから体を起こし、携帯で時計を見る。窓に貼られた段ボールで朝なのか夜なのかわからない。

「まだ朝の10時か。って、これ……」

 古びた大きな鋏を抱えて寝たいたらしい。一歩間違えれば自分に刺さってしまうところだった。

「早く届けないと。きっと困ってる……わ!」

 部屋を出るために歩き出すと、足元にある何かにつまずいた。

「いたたた。何?」

 携帯で照らすと、朝ご飯の食べ終わった食器だった。

「あー後でいいか。とりあえず早く行かないと」

 扉を開けると、久しぶりの光に目がくらむ。

「阿左美?」

「あ……」

「阿左美!もう大丈夫なの?あ、その鋏!私ったらうっかり阿左美の部屋に置いてきちゃったんだね。ごめんね、ありがとう。実は取りに戻ってきたんだ」

「そ、そうだったんだ。はい」

「ありがとう。じゃあ、今日もくそ野郎共をギッタンギッタンにしてくるね!」

「うん」

 姉は心理カウンセラーだ。しかし、ただのカウンセラーではない。彼女は性犯罪を犯した人の元に生える精草を刈る仕事もしている。その名も、

ー姫の庭師

誰が名付けたのかはわからない。だが、彼女はそう呼ばれていた。性犯罪はわずかながらまだあるらしい。しかし、姉の話では、減りつつあるとのことだった。

「食器、片付けないとな」

 茶碗などをおぼんにのせ、キッチンに向かった。ジャージを脱ぎ捨て、半袖半ズボンの姿で。


「お母さん、ごちそうさま」

「阿左美!昨日はごめんなさい。辛かったでしょう……それなのにお母さん……」

「ううん。悪いのはあいつらだもん。だけど、悪者は姫の庭師がやっつけてくれたもの」

「そうね。うちには自慢の庭師がいるわ」

「あとね、ごぼうのサラダおいしかった」

「そう……おかわりもあるわよ。たくさん食べてね」

 ボウルいっぱいのごぼうサラダをほおばった。シャキシャキとした食感とふわりと匂うごぼうの香りとマヨネーズの酸味がたまらない。大好きな味だ。

 そうだ。部屋の段ボールも外そう。傷は癒えたわけではないが、怖がる必要はない。好きなものを我慢する必要もない。

「ごめんくださーい」

「はーい」

「楓ちゃん?」

「うん。お見舞いだってさ」

 インターホンを使わないのは楓くらいなものだ。私はノースリーブのワンピースに着替えて楓の元に向かった。


 


 


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