十三冊目<Remember me>
ーねえ、遊んで?
ーねえ、もっと名前を呼んで?
ーねえ、ねえ、ねえ……
「はっ!!またあの夢……」
私はある日を境に、悪夢を見るようになった。誰かが、私に永遠と呼びかけてくる奇妙な夢。誰が呼んでいるのかもわからない。でもそれが余計に不気味だった。
「おはよ……」
「おはよう……って、顔色悪いわよ?また同じ夢を見たの?」
「うん……」
「大丈夫?今日、入社式でしょ?そんな顔で行けるの?」
「あー……今日から仕事か……お腹痛い……頭痛い……」
「そうよ。ほら朝ごはん食べて。でもまあ、本当に辛いなら休んでもいいけど、なるべくなら初日に休むのは控えた方がいいわ。お母さん、昔入社初日に休んで、馴染むのに苦労したことあるもの。」
「そんなの昔だけだって……あー……でも行くよ。だからスミの面倒よろしく。」
「あんたまた見ないつもり?!あの子はあんたとずっと一緒に育ってきた家族じゃない!」
「明日は見るから。今日は辛いし無理なの。」
「はあ……わかったわ。じゃ、会社には頑張って行ってちょうだいね。」
私は翠鈴音。今年から社会人になる。第一志望だった大手の会社に入社でき、嬉しい気持ちだったのも束の間。入社の日が迫ってくる度、あの悪夢を見て、頭痛と腹痛に見舞われている。今日は大事な初日だというのに体調は最悪だ。
「はあ……なんなのよ……」
嫌になりながらも会社に着いた。
「よし……頑張ろう……」
顔色の悪さがバレないように表情を取り繕うと入社式に挑んだ。
「終わった……疲れた……」
体調が悪いと悟られずに式を無事終えた。その分疲れはすごかったが。
「いたた……う……」
無理をしたからか、内蔵がひっくり返りそうな腹痛が起き、道路の隅に蹲ってしまった。
「大丈夫か?」
「はい……え?」
声がした方に顔を向けるため、頭を上げるとそこには図書館のような景色が広がっていた。
「なに?どういうこと?」
「ようこそ、選ばれし者よ。私は伝承者の葉月史乃。歓迎するぞ、翠鈴音。」
葉月史乃と名乗るゴスロリ少女は、面識もないのに私の名前を知っていて、私のことを選ばれし者といった。意味がわからない。
「どうした?ぼーっとして。」
「え?ああ、えっと、色々わからないことだらけで……」
「そうか。私には分からないことはないが」
「あー……」
何て自己中心的な考えなんだ。そのおかげで腹痛も治まったけど。
「あの、私は何でここにいるんでしょうか?」
「それは君が選ばれし者だからだよ。」
「そう……ですか……」
もう何も聞くまいと思った。
「どうぞ。」
「あ、どうも……」
私は葉月史乃と向かい合う形で椅子に座った。すると、同じくゴスロリ衣装の幼い少女が紅茶を運んできてくれた。
「さて、君は選ばれし者で伝承を伝える役目を持つ。まあ難しく考える必要はない。私の話を聞くだけで十分だからな。」
「は、はあ……」
「まず、君。最近体調が悪いみたいだね。特に胃が痛いみたいだけど。病院には行ったのかい?」
「何でも知っているんですね。そうです。最近お腹と頭が痛くて。それとあと、毎日悪夢を見るんです。誰かに呼びかけられて、でも誰かわからなくて気味が悪いんです」
恐らく葉月史乃は私の情報を何でも知っている。だが、なぜと聞いても答えが返ってこないだろうから聞かないことにした。その代わり、悩みを聞いてもらおうと思った。知らない人には相談しやすいという意味が今ならわかる。
「悪夢か。君、悪夢を見だしたのはいつ頃からだい?」
「2ヶ月くらい前でしょうか……私が大手の会社に内定が決まったころだったと思います。両親も喜んでくれて、みんなでお祝いしたんです。私もすごく嬉しかったんですけど、その日から悪夢を見るようになって……」
「遊んで欲しがっているだろう?その子は……」
「なっ!なんで夢のことまで……」
「知っているよ。君のことならね。そして君が、その子に対して雑な扱いをしていることもね。」
「どういうことですか……?私を呼んでいる人のことなんて知らないんですけど……」
「知っているはずだよ。名前は確か、スミといったかな。」
「……」
スミ。それは私が飼っている犬の名前だ。
「でもスミは犬ですよ?人じゃない」
「君は人であると思い込んでいるだけだよ。実際は人じゃない。君の飼っている愛犬スミだ」
「じゃあ、スミが私を苦しめていると? 」
「逆じゃないか?君がスミを苦しめているんだよ」
全くわからない。確かにスミは、歳をとって病気にもかかっている。でも、私が病気にしたわけではない。
「君とスミは同じ病を患っている」
「スミが治らないと私は治らないんですか? 」
「治る見込みはあるのか? 」
「正直、悪化するのを止める程度だと思います。歳が歳ですので。だけど、そうなると私はこのまま苦しまないといけないんですか?はあ。一生懸命世話してきたのにこの様だなんて」
私の言葉に葉月史乃は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「それを本気で言っているなら、君は救いようがないね。今日はこれ以上話す気になれない。まあ、もう少し自分の行いを振り返ってみることだね」
「え!ちょっと!勝手に呼んでおいてなんなんですか?言いたいことがあるのなら言ってください」
「今私が何を言っても心に響かないから言わないだけだよ。その時が来れば、きちんと話すよ」
途端に視界が歪み、気分が悪くなる。
「うえ……なんなの……」
気分の悪さに立っていられなくなり、その場に倒れ込んだ。気がつくと、赤い絨毯の上から、コンクリートに変わっていた。
「なんなのよ」
半ばイライラしなが帰宅した。
「おかえりなさいって、どうしたの?会社で嫌なことでもあった? 」
「ねえ母さん、私って、スミの面倒みてるよね? 」
「……」
「母さん? 」
「何があったかは分からないけど、昔ほど今は面倒見てないわ。今日の朝、お母さん言わなかった?また面倒見ないつもりかって。スミはお母さんにとっての鈴音なの。そしてスミにとっては鈴音がお母さんなの。だからー」
「あーもう!その話聞き飽きた。というか、母さんも私がスミの面倒見てないって思うんだ。もういい。今日はもう寝るから」
「鈴音! 」
「うるさい!放っておいて! 」
乱暴に部屋の扉を閉めるとそのまま眠った。誰も私のことをわかってくれないと思いながら。
ーねえ、遊んで?
ーねえ、名前ヲ……
「うわあああ!! 」
翌日、また悪夢で目を覚ました。しかし今日の悪夢はいつもに増して気味が悪かった。呼びかけている人が、うつ伏せになり、地面を這っている。まるでゾンビだ。
「うう!お腹、痛い……」
ベッドから起き上がれず、布団を握りしめていた。
「鈴音!いつまでって、どうしたの?お腹痛いの? 」
「うう……」
冷や汗が止まらない。母さんの呼びかけもよく聞こえない。ホントに無理かも……
「鈴音!鈴音! 」
私のお腹の痛みと共に意識も途切れた。
気がつくと、真っ白な空間にいた。
「ここ、病院? 」
「鈴音!大丈夫?よかった……」
「私、どうなったの? 」
「朝起こしに行ったらお腹を痛がっていたから、声をかけたんだけど、反応もできそうになくて。そのうち意識を失ってしまったから、慌てて救急車を呼んだのよ」
「そうだったんだ」
正直全く覚えていない。それなのに、悪魔のことだけは鮮明に覚えている。思い出したくもない。
「それで、私は何かの病気なの? 」
「慢性膵炎っておっしゃっていたわ。原因はよく分からないけど」
「膵炎……そう。いたっ! 」
「お腹痛むの?看護婦さん呼ぶ? 」
「いや、少し頭が痛くて。もう少し休みたいから寝てもいい? 」
「そうなの?無理しないでね。お母さん、家に帰ってスミの世話をしてからまた来るわね」
「うん」
スミ。本当にスミが私に酷いことを?わからない。今は眠ろう。退院したら考えよう。
「そろそろ起きてくれないだろうか? 」
「ん……まだ寝ていたい……ってえ? 」
目を疑った。なんと、真っ白な世界は本だらけの見覚えのある世界になっていた。
「どうなっているのよ」
「おはよう。体の調子はどうだ? 」
「最悪よ。早く要件を言って」
「はあ。君、自分が悪いって思ったことなさそうだな。まあいい。要件は他でもない、君の腹痛の原因についてだよ」
「スミのせいだって前に聞いたわ。それが本当なら、スミを誰かにもらってもらわないと」
スミのことは好きだし、こんな目に遭わせられる覚えはない。
「ここからは昔話だ。でも、大事なことでもあるからしばらく付き合ってもらいたい」
「わかったわ?でも手短にね。母さんが帰ってきちゃう」
「もちろんだ。これは昔、とある夫婦の話だ。この夫婦はとても仲が良かった。そんなある日、妻は病気になり、家事も自分で歩くこともままならなくなってしまった。その様子を見た夫は、あれだけ仲が良く、自分に尽くしてくれたにも関わらず妻を捨て、違う女性と幸せに暮らした。すると、幸せ真っ只中の夫は突然病気になり、妻と同じ状態に陥る。その様子を見た、新しい妻は夫を捨ててしまったという。この時、元妻はもう亡くなっていたが、夫は元妻の姿を病室で見て、彼女にこう言われたといっている。あなたにも私の苦しみを分けてあげないと、と」
「夫はどうなったの? 」
「その後死んだよ。元妻と同じ死因で」
「昔話は分かった。でも、私とスミには当てはまらないんじゃないの? 」
私はスミと夫婦なわけではない。あまり関係ないように感じた。そもそも犬と人間だ。
「君の母親はよく、君はスミの母親だと言っていたそうだね。良いことを言う。その通りだ。動物はペットになった瞬間、自力で生きる力を失ってしまう。まあ、そうならないケースもあるのだろうが。スミの場合は自力で生きる力を失っていたのだろう。君に捨てられたら生きていけないから、必死に尻尾を振って、君に気に入られるために努力していたようだ。しかし、年老いてそれが難しくなった。するとどうなる?君の態度は?今までと同じだったかい? 」
「……」
葉月史乃の問いに何も答えられなかった。反論したいのに、なぜか自信が持てない。本当に私はー?
「無言は、肯定だと思っていいのか? 」
「そう……なのかな。私、スミの面倒しっかり見てると思っていたの。でも、母さんもあなたも、見てないって言うの。自覚はないけど、客観的に見てそうならそうなのかなって。ねえ、スミの面倒を見ないとその、昔話みたいになるってこと? 」
「そうかもしれないが、君が今心配するべきは、君自身じゃなくて、スミのことじゃないか? 」
「それはー!」
「いいよ。人間が他者を優先するなんて稀だからね。気にすることはないさ」
「私ね、年老いたスミを、見たくなかったんだと思う。元気に走り回る姿をずっと見ていたかった。それなのに、今は走ることはおろか、歩くこともままならない。そんな姿、見たくなかったの。面倒ってのが本音かもしれないけど、ショックだったんだ。人間だって歳をとるのにね」
冷静になって、自分を見つめ直せば、見えてくるものがある。私は何もしていない、という現実が。
「君が心を入れ替えると言うのなら、これを飲むといい」
紙ナプキンの上に、光り輝く真紅のビー玉みたいなものが置かれていた。
「これはペナンスの宝石という。飲むと、自信が苦しめた相手の苦しみを1つ引き受けることがてきる。君の場合は、すでに膵炎を引き受けているようだが、それは恨みを伴うものだ。あくまでペナンスの宝石は、許しを得るためのものだ。結果的に、スミからの苦しみを2つ、母親からの苦しみを1つ引き受けることになる」
「私が膵炎だって知ってるの?って、ううん。そんなことより、やるしかないのよね。スミも、スミの世話を押し付けた母さんにもできることがあるならやらないと」
ペナンスの宝石と呼ばれたビー玉は、錠剤の薬を飲むみたいに簡単に飲み込めた。味はないが、飲み込んだ途端、謎の苦しみに襲われた。
「うっ!く、苦し!なに……? 」
「苦しみを引き受けている最中だ。スミからは膵炎と視力、母親からは狭心症を引き受けたみたいだね。ちなみに、ペナンスの宝石は、君の行いが、飲み込む前に戻ると体内で破裂し君を殺すから気をつけたまえ」
「ずっと私の中にあるってわけ……ね」
謎の苦しみは無くなってきたが、目は見えないし、動悸も酷い。これが苦しみを引き受けるということらしい。
「私が引き受けたってことは、スミは目が見えるようになって、母さんは心臓の病気が治ったってことよね? 」
「ああ。その通りだ。その目で見ることはできないだろうがね。帰ったら、母親にもスミにも感謝し、愛してやるといい」
「そうしても、これは治らないんでしょ? 」
「まあね。でも、悪化はしないよ。君が心を入れ替えたならね」
「そう。あーあ。粗末に扱ってきた代償って大きいのね。こんな体にならないとわからないなんて、私って愚かよね」
「君に限った話ではないだろう。失って気がつく者もいる。その点君は、まだ失ってはいないではないか」
「そうね。でもそれは、気が付かせてくれる存在がいるからよね。ありがとう」
私の体は、健康を失った。でも、心は晴れやかだった。帰ったら、2人を目一杯抱きしめよう。ありがとうとごめんねを込めて。
私は病室のベッドの上で、母さんのすすり泣く声を聞いた。どうやら、目が見えなくなってしまったらしい。それから膵炎に加え、狭心症という病気になったという。
「どうして急にこんな……」
「きっと、私の行いが悪かったからだよ。これからはスミの面倒も見るし、家のこともするよ」
「目も見えないのに無理しないで! 」
「いいんだよ。私、全然辛くないの。会社も辞めないとだけど、それでよかったって本気で思ってる。それにね、私気がついたんだ。面倒を見るって、餌やりとか散歩とか、もちろん大事だよ。でもね、1番は、スミや母さん自身に寄り添うことなんだって思ったんだ。今の私は目も見えないし、心臓や膵臓も悪い。誰かに頼らないと生きられない。迷惑かける側だけど、それでも、寄り添うこと、側にいることはたくさんできるよ」
私は母さんに笑いかけた。余計に泣いてしまったみたいだが、そんな母さんをそっと抱きしめた。
「ねえ母さん。スミに会いたい。しばらく帰れないなら、病院の外まで連れてきてくれないかな」
「スミに?ええと、先生に確認してからになるけど、いい?」
「うん」
無性にスミに会いたかった。しばらく会えていないからだろうか。
間も無くして、先生に許可を取りに行った母さんが帰ってきた。
「いいっておっしゃってくれたわ。今から連れてくるわね」
「ありがとう」
母さんはスミを連れて病院に戻ってくるまで、あまり時間はかからなかった。急いでくれたのかもしれない。
車椅子に乗った私は病院の外に出た。晴れているようで、見えない瞳は光をたくさん受け取った。
「鈴音、スミよ。わかる? 」
母さんに手を導いてもらい、スミの頭を撫でた。ふわふわとした感触が手に伝わる。
「スミ……ごめんね。私、年老いたスミに優しくできなかった。本当にごめんね」
撫でながら謝ると、自然と涙が溢れた。それに応えるように、スミは手のひらを舐めてくれた。




