3回目 作者は奴隷なんですね、つまりは
それで、本題だが。
作者のどこが強いんだよ!
いや、これが本当にわからん。
そもそもとして、強者・弱者という区分けとか。
それで弱者に強者が配慮しなくちゃならんとか。
その一方的な考え方も非道だと思ってるが。
なんだ、強者は弱者の奴隷か。
強者を奴隷として、意のままに操るのか。
そういう事だろ。
だって、強者に一方的に配慮を強いてるのだから。
この一方性のどこに公平さや公正さがあるのか?
少なくとも平等や対等ではない。
人の尊厳などを著しく損なっている。
こんなのを前提に強者弱者を分けるならばだ。
強者と決め付けられてる作者に奴隷になれと言ってるという事だ。
間違ってなどいない。
一方的に不当な扱いをされている。
どは、実際に作者が強者なのかどうか。
「そんな事ないだろ」としか言いようが無い。
まず、ランキング。
これを考えるならば、読者の動向に気をつけねばならない
無視すれば、浮かび上がることは無い。
たとえ読まれても、何の評価もされない。
評価されないから、ランキングにのることもない。
いつまでも底辺を彷徨う事になる。
ランキングを意識しないまでもだ。
読者に読んでもらいたい、楽しんでもらいたい。
そう思うなら、いやでも読者を意識してる事になる。
読者の事を考えてる事になる。
読者を気にしていく事になる。
読者を無視して好きなものを書いてるなら話は別だ。
しかし、そうでないならばいやでも読者の事を考えねばならない。
そんな作者のどこが、読者より弱いんだ?
そして、書いたら書いたでだ。
読者の感想に左右されていく。
どんな感想がつくのか。
何を言われるのか。
戦々恐々とする。
賞賛や支持を受ければ良いのだが。
そうでなかったらどうしようと。
たかがそれだけなどと抜かすなよ。
これのせいで断筆する人だっているんだからな。
実際、これを書いてる頃に、一人の作者さんが筆を折った。
まあ、そこまでするような事を言ったり書いたりするのは、批判者だろうが。
ただ、あえて読者も含めて言うとだ。
それだけ読者や批判者には力がある。
そんな読者や批判者が弱い?
何言ってんだ。
わけが分からない。
感想一つで筆を折らせる力があるのが読者と批判者だ。
その力のどこが弱いんだ?
そして、それらの一言で断筆を決意してしまう。
そんな作者のどこが強いんだ?
筆を折らないにしてもだ。
批判者や読者の圧力で話を変える事すらある。
実際、投稿した分を破棄して書き直したという事例も見たことがある。
そこまでさせる批判者や読者のどこが弱いんだ?
どう見ても強者に見えるんだが、批判者や読者は。
俺が見たささやかな事例からすると、強者は批判者や読者である。
作者ではない。
それがなんで作者が強いことになってんのか?
強いことにして譲歩させるつもりなんじゃないかと疑っている。
強者なんだから弱者に配慮しろと。
これ、強制や強請、脅迫でなくてなんなんだ?
そんな批判者や読者に対抗するには、ブロックや感想受付停止しかないだろ。
まあ、読者はまず批判とかしないけど。
あと、批判は暴言や罵倒と同義語だと考えてる。
目に付く実例を見るに、この解釈で間違いではなさそうだ。
そんなものをなんで黙って甘受しなくちゃならんのか?
俺は筆を折りたくない。
だから対抗策や対応はしていく。
その手段は、ブロックや感想受付停止しかない。
他にどんな手段があるんだ?
しかもだ。
これが出来るのは、自分の管轄出来る範囲だけ。
小説家になろうやブログ、ツイッターの自分のアカウントでだけ。
それ以外では好き勝手言われている。
それを止める手段などほとんどない。
時間をかけて訴訟を起こすならともかくだ。
そんな立場の何処が強いのか?
俺にはさっぱり分からない。
まあ、そんな事無い、読者は弱いんだ、批判者は弱いんだ、作者は強いんだと言う人も当然いるだろう。
そういう声から身を守る側の事など一切考えられてない。
今も批判者擁護が出てるのがその証明だろう。
というわけで。
強弱でいうなら圧倒的弱者である作者としましては、今後もブロックに励んでいく所存。
いつか強弱を選定基準にしない日がやってくるまで。
そんな日がくるとは絶対に思わないが。
なで強弱なんてので選別するのかねえ。
もっと大事な事があるはずなんだが。
まあ、強者差別とか、作者差別がなくなるまで、堪えるしかないんだろうなあ。




