追跡者と保護者
地下牢から光源が失われ暗闇が訪れると、各所から動揺する声だけが聞こえてくる。
「く、暗い」
「どうして消えた!?」
「変な声がしなかったか」
「ええい、早く明かりをつけろっ」
さすがに暗闇の中では攻撃もままならない。
夜目の利く種族がいれば別だろうが、この場には一人もいなかった。
「んん?」
誰もが慌てふためく中、カンナは天井に小さく輝く何かを見つける。
それは横に二つ並んだ紫紺の光で、まるで目が光っているかのようだとカンナは思った。
「やっと見つけたと思ったら、なんとも間抜け面よのお」
「うわあっ。本当に目だった」
口を開けてぽかんと見上げていたカンナの姿を、その声の主は暗闇の中でしっかりと捉えていた。
紫紺の瞳がするりと地面に降りてくるのと同時に、ニニルが改めて唱えた魔術 《灯火》が発動する。
魔術で再現された松明の炎に照らされたのは、ドレス姿の美しい女だ。
飾り気のない漆黒のドレスからは色白のすらりとした四肢が伸び、女性らしい曲線美を備えた体躯を支えている。
腰まで伸びた黄金の髪はシルクのように滑らかで、《灯火》の明かりを受けて本物の黄金のように煌めいていた。
整った顔にはあどけなさと妖艶さが両立し、宝石のように輝く紫紺の瞳がカンナを真っすぐ見据えている。
その顔を見て違和感を覚えたニニルだったが、悠長に考えている余裕はなかった。
「なんだてめえは」
「うるさい。黙っておれ」
近くにいたごろつきの大声を聞くと女は煩わしそうに顔を歪め、右腕を持ち上げ払いのけるように動かす。
たったそれだけの動きで、ごろつきの首から上が消失した。
仲間が棒切れのように背中から倒れるのを見て、残ったごろつきたちが恐慌状態に陥る。
「ひぃ!」
「うわあああああ!」
一人は腰を抜かし、もう一人は腰に差した剣を抜いて女に斬りかかった。
女は避ける素振りすら見せない。
何故なら必要なかったからだ。
振るわれた剣も先の仲間の首のように、女の体に触れる直前で消失する。
ごろつきは柄から先を失った剣を放り捨てると、血走った目を見開きながら女に掴みかかろうとして……やはり消失した。
まるで落とし穴に落ちたかのように地面に吸い込まれて、その場からいなくなる。
『万象の根源たるマナよ 犀利なる垂氷となりて 彼の敵を凍て突け』
老人は冷静に魔術を唱えていた。
ごろつき二名の命をもって稼いだ時間を十全に使い、魔素を媒介とした事象が発現する。
虚空から突如出現したのは、円錐状の巨大な氷の塊だ。
そのつららが、女目掛けて撃ち出される。
女の胴体よりも二回りは大きい丸太のようなつららだったが、またもや女の力によってどこへともなく消えてしまった。
「おのれ、魔術までその影で消し去るかっ」
「ひいいいいいいいい!!」
「まったくうるさいのう」
最後の生き残りである恐慌状態のごろつきを女が睨みつける。
紫紺の瞳が妖しく光ったかと思うと、あれだけ騒いでいたごろつきが急に大人しくなった。
『万象の根源たるマナよ 寄り合う焦熱を束ねて―――』
「ちょっとそいつを黙らせといて」
表情の消えたごろつきが、女の命令を受けて老人に襲い掛かる。
ごろつきは老人の頭を両手で掴むと、無造作に捻った。
『―――彼の敵を貫き……ぐぎゃっ』
ごろつきごと女を《火槍》で貫こうとした老人の首が真後ろを向いた。
詠唱だけではなく老人の命そのものまでがぶつりと途切れる。
「なんて強力な〈魅了〉! まさか上位の吸血鬼? なぜ突然ここに現れたの」
「それはもちろんそこの小娘を追いかけてきたからじゃ」
騒ぐものが居なくなり、女が泰然とした足取りでカンナへと近づく。
「んん? 追いかけてきた……?」
「カンナっ、下がって」
ニニルは顎に手を当て首を捻るカンナを背中に庇いながら後ずさるが、すぐに地下の壁に追いやられる。
一難去ってまた一難どころではなかった。
魔術師やごろつき相手ならまだしも、それらを一方的に屠る吸血鬼が現れるなんて。
「まったく、無責任にもほどがあるぞ。造ったからには生みの親として……」
「カンナ様!!」
今度は一体何事か。
地下室の扉が蹴破られ、一人の男性が入ってくる。
それは精霊狼を小脇に抱えたカルマだった。
カルマは瞬時に状況を把握すると精霊狼を放り投げ、腰に差した刀へと手を添える。
「ぬう、貴様は―――」
女の言葉はきん、という澄んだ金属音によって遮られる。
同時に女の顔が宙を舞った。
カルマの居合い斬りが女の首を斬り刎ねたのだ。
長い黄金の髪ごと斬り飛ばされ、女の首はごつりと床に落ちて転がった。
「―――我が半身は貴様に恨みを持っているぞ。早速だがリベンジマッチといくかのう」
女は自身の首が刎ねられたことに頓着せず喋り続ける。
薄汚い床の上で薄ら笑いを浮かべていたかと思うと、直立不動で静止していた女の体がカルマへと襲い掛かった。
首のない胴体は両手を組んだ拳を振りかぶり、カルマの脳天へと叩きつける。
カルマが拳を飛び退いて回避すると、空振りした拳は地下室の床を砕き、大きく陥没させた。
もし直撃していればカルマの頭は潰れていただろう。
反撃で翻った刃が煌き、女の両腕を斬り落とす。
持ち上げた腕の肘から先が消失しても、やはり女の胴体も首も痛がる素振りを見せない。
首と肘の切断面からは出血するでもなく、光の一筋も通さない影で覆われていた。
カルマは攻撃の手を緩めず、胴体を袈裟斬りにしようとする。
しかし左の鎖骨に刃が食い込みかけたところで、女の胴体全体が影となり、崩れるようにして地下室の床に同化して消えた。
「おお怖い。忘れたはずのあの恐怖を思い出しそうじゃ」
いつの間にか女の首も消えていて、どこからともなく声だけが聞こえてきた。
油断なく刀を構えているカルマだったが、不意に左の太腿の裏に衝撃を受けて片膝をつく。
「ふむ、前よりは暗所故に多少有利かのう?」
それを契機に無数の攻撃がカルマを襲う。
空気を裂く音が聞こえて咄嗟に頭を傾けると、顔のすぐ傍を何かが通過した。
衝撃でカルマの頬が浅く切れて血が滲んだ。
続けて薙ぐように飛来したそれは刀で斬り払う。
それは切断されると、黒い霧のようになって霧散して消えた。
「これは……!」
カルマは過去に似たような攻撃に晒されたことを思い出す。
だがあの吸血鬼は倒したはずで、女はリベンジだと言っていたが姿形が全くの別物だ。
吸血鬼定番の攻撃手段というわけでもないので、何か関係はあるはずだが確かめる術も余裕もない。
女の言う通り、周囲の暗闇に紛れて実体化した影が襲い掛かってくるため、回避を困難にしていた。
「カルマ君! 今追加の明かりを付けるわ!」
暗さが不利になっていると気が付いて、ニニルは慌てて《灯火》の魔術を再詠唱する。
窮地を救うように現れたカルマの姿に心を奪われている場合ではなかった。
そのあとすぐにカルマの叫んだ名前が自分ではないことに気付き、落胆するなんてもってのほかだ。
『絶え間なく注ぐ 命の篝火よ 標たる輝きを我が手に灯せ!』
ニニルの掌に二つ目の松明の先のような炎が生まれ、地下室をより明るく灯す。
灯したはずなのにカルマに周囲だけが暗い。
いや、黒い霧のようなものが漂っているからそう見えているのであった。
「ニニルさん。ありがとうございます」
周囲が明るくなり、霧が実体化する瞬間から見えていれば対処は楽になる。
余裕が出てきたカルマは自身の獲物である刀に魔力を込める。
〈鏡魔〉という銘を持つこの刀は、一度でも刀身で受けた魔術は再現可能という能力を持っていた。
普通に斬ってもきりがないのなら、前回と同様に《火炎》を刀身に纏わせて焼き斬ればいい。
「んあっ、ちょっと待て。その燃やすやつはトラウマだからやめるのじゃ!」
「んああああっ、わかった! わかったからちょっとストップ!」
女とカンナの情けない声が重なる。
カルマと逃げようとした黒い霧の間にカンナが飛び出したため、危うく《火炎》を纏わせた〈鏡魔〉で斬り付けそうになった。
「カンナ様どいてください。そいつを滅ぼせません」
「滅ぼさなくていいよ。だってこの子の半分は私だもの」
「半分がカンナ様……?」
意味が分からずカルマが眉をしかめていると、カンナの背後で霧が集まり実体化し、先の女の姿に戻る。
女は腰に手を当てて、踏ん反り返るようにして宣言した。
「その通り! 我はそこの小娘の魔力と吸血鬼ドランの残滓が混ざり合って生まれた存在じゃ。だから我は小娘の娘も同然。だから我を養うのじゃ!」




