渦巻く意識
『亜空を渡りし 森羅世界の賢狼よ 彼の呼び声を承け顕現せよ』
詠唱により構成が展開される。
そこに魔力を注ぎ込むことにより、魔素を媒介として事象が発現する。
宿の床に魔法陣が浮かび上がり、その中心が白い輝きを放つ。
それは最初平面だったが次第に膨れ上がると、四足歩行の獣の姿を象る。
やがて光が終息すると、白い毛並みに青くつぶらな瞳を持つ狼が現れた。
「わわ、もっふもふだよ!」
横で見ていたカンナが興奮した様子で《召喚》された精霊狼に手を伸ばしたが、途中でぴたりと硬直する。
「こ、この子噛むかな……?」
過去に動く死体に噛まれたことを思い出して及び腰になったからだ。
「噛まないから大丈夫よ」
「ほんとに!?よーしよしよし、よーしよしよしよし」
ニニルの言葉を聞いて、待てを解除された犬のようにカンナが精霊狼に飛びついた。
そして謎の掛け声と共に激しく撫でまわすと、カルマの様子を伺ってくる。
どこかで聞き覚えのある掛け声にカルマは既視感、というか元ネタが思い浮かんでいたが、カンナの視線に反応しても面倒なのでスルー。
精霊狼は素直に撫でられてはいるが、心なしか迷惑そうだ。
「はいはい、可愛がるのはそのくらいにしてね。それじゃあカルマ君お願い」
ニニルはカルマに声をかけてから、別の詠唱を始めた。
『有為無為を漂いし電位よ 仮初める魂魄を 依り代へ落とし込め』
《召喚》の時と違って目立った現象は起きなかったが、詠唱を終えたニニル自身に変化が訪れた。
顔から表情が消えて、掲げていた杖が手から滑り落ちる。
体も糸が切れた操り人形のように崩れ落ちたが、倒れる前にカルマが杖と一緒に彼女を抱きかかえた。
「おおっ。この目からハイライトが消える感じはアレだね、カルマ」
ベッドまで運んで寝かせたニニルの虚ろな目を覗き込んだ後、カンナが何か言いたげにカルマに視線を送る。
カルマは再びこれをスルー。
「これでもうニニルさんは精霊狼に《憑依》したのですか?」
(ええ、《憑依》は成功したわ。この《念話》も聞こえる?)
「はい、聞こえます」
頭の中に直接響く少女の声を聴いて、カルマが返事をした。
(この姿なら私が魔素散らしの狩猟に協力してもバレないというわけ。効率は悪いけど他の魔術も使えるから索敵は任せてちょうだい。うーん、《憑依》を使うと何故か私の目って開きっぱなしになるのよねえ)
ニニルが《憑依》している精霊狼がベッドに飛び乗ると、器用に前脚を使って自身の森人の肉体の開いたままの目を閉じさせた。
「体の感覚って残ってるの?」
(ううん。全部こっちの精霊狼に移ってるわ。体に強い衝撃を受けると《憑依》が強制終了して意識が戻るけど)
「ふむ、強くない衝撃ならいいわけね。ならあれくらいのイタズラなら……ぐへへ」
「カンナ様。ニニルさんは好意で魔素散らしの狩猟に参加してくださるのですから、恩を仇で返すようなことはしないでくださいね」
「わわわ、わかってるよ。ちょっと生理現象をお世話するくらいだし恩判定になると思うよ。だから大丈夫だよ」
「今イタズラと聞こえたのですが。カンナ様が不安なので、ニニルさんの本体がもよおす前に帰ってきましょう」
(ちょ、本当に大丈夫?てか事前に済ませてるから……って恥ずかしいこと言わせないでよ!)
本当にカンナに預けて良いものかと不安になり、つい自らの動かない体を見つめてしまう精霊狼であった。
宿を出てからの二人の行動は迅速だった。
荒野に到着するとすぐさまニニルが《魔力探知》で魔力の不自然に少ない方向を探知。
その方向へカルマを案内するとあっさり魔素散らしを発見した。
前回狩猟した個体より一回りは大きいそいつは、縄張りに侵入した外敵を認識して威嚇の咆哮を放つ。
そんな耳をつんざく咆哮にも臆することなく接近するのはカルマだ。
腰に差した刀に手を添えて悠然と前に進む。
精霊狼に憑依しているニニルは後方で待機し、何かあれば魔術で援護するつもりだが、その必要は無いと彼女は感じ取っていた。
自身の威嚇に対して全く怯えない外敵に怒った魔素散らしが、鋭い牙を剥き出しにしてカルマへと襲い掛かる。
こんな巨体に弾き飛ばされれば、全身の骨が砕け臓腑は押し潰されてしまうだろう。
それこそ前にカンナが例えた、四トントラックに轢かれるようなものだ。
カルマはこれを極限まで引き付けてから横に飛んで躱す。
偉丈夫とは言えない細い体のどこにそんな脚力があるのか。
弾丸のような速度でカルマの体が横に移動する。
抜刀はもっと速い。
ニニルの目では追えない速度で鞘から抜き放たれた刀が、通過する魔素散らしの前脚を舞い上がる砂塵ごと斬り付ける。
発達した強靭な前脚を護る鱗が一枚、真ん中から切断されぱっくりと割れた。
神速の居合切りで切断したのは鱗だけでなく、その下にある肉もだ。
乾いた荒野に鮮血が吸い込まれると、魔素散らしは苦痛の呻き声を上げながら転がる。
(一撃であの堅い鱗だけでなく肉まで切り裂くとか……)
ニニルの胸中では関心と呆れが半分ずつ支配していた。
長いこと人種の世界で冒険者をやっているが、ここまでの強者を見たのは初めて、だ。
一体どれほどの研鑽を積めばこれほどの高みに登れるのかという関心と、つまり前の戦闘もカルマにとっては朝飯前だったのかという呆れ。
パーティーメンバーの顔を順番に思い浮かべるが、カルマと実力で並ぶ姿が想像できない。
決して才能の無い面々ではないのだが、備わっている加護の強さからして隔絶していた。
実力がすべての冒険者稼業だ。
パーティーメンバーがこぞってカルマにニニルをあてがおうとするのも理解できる。
理解はできるが納得はできない。
そりゃあ、多少は冒険者としての自信は持ち合わせている。
だが他の面子より頭一つ飛び出ているだけで、とてもじゃないがカルマに自分は釣り合わない。
(そりゃあ、カルマ君の伴侶になれるならまんざらでもない、というのが素直な気持ちだけどさ)
強さに加えて異国情緒漂う整った顔立ち、貴族とはまた違う知的で紳士的で柔らかい物腰。
そう、紳士的。
娼館に入りびたる他の男どもとは何もかもが違った。
それともニニルが子ども体型ではなく、大人の女性らしい体つきなら色欲の籠った目で見られたのだろうか。
(いや〈吠えたぎる鉱山〉亭の、色々大きい女給仕を見ても普通だったから無いかな)
カンナはニニルの嫁入りを歓迎するようなことを言っていたが、カルマ自身の気持ちは分からない。
ただの主従関係だとは言うものの、二人の間には絆のようなもをひしひしと感じていた。
あの二人の絆に割り込むには、現状では相当な勇気がいる。
誰とでも親しみやすいカンナと比べて、カルマは誰に対してもどこか一歩引いた態度だ。
だが唯一カンナへ向けられる眼差しだけは暖かく、優しい。
(もしあれをこちらに向けてくれたのなら……って戦闘中に何を考えてるのよ私は。しかも狼の姿で)
柄にもなく乙女の妄想を繰り広げてしまい、ニニルは狼の頭をぶんぶんと横に振って脳内の甘い幻想を振り払う。
ニニルが妄想している間もカルマは抜刀と納刀を繰り返し、魔素散らしを順調に切り刻んでいた。
最初こそ怒り散らしていた魔素散らしだったが、突進を躱され続け一方的に生傷が増えるとすっかり勢いを失ってしまう。
既に両方の前脚の鱗のほとんどが切り裂かれ、血まみれの肉が大きく露出していた。
あれでは重たい体を支えているだけで激痛を伴うだろう。
それでも荒野の一角を縄張りとする強者としての矜持か、最後まで逃げようとはせず目の前の脅威へと立ち向かった。
カルマを噛み千切ろうと魔素散らしの大きな顎が迫る。
これまでの突進と同様にカルマが直前まで動かない。
今まで以上に動かないため、そのまま鋭い牙の餌食になる光景をニニルは幻視した。
カルマの実像は斜め前方に飛び出し紙一重で顎を躱すと、血まみれの左前足を踏み台にして空中へ飛び上がる。
そして半身を捻りつつ、目の前に晒された魔素散らしの首へと刀を走らせた。
やはり抜刀から納刀までの動きを目で追うことはできない。
ただ魔素散らしの横を飛び抜け、体を回転させながら地面に着地したように見えた。
無論、見えなかっただけで斬っている。
ゆっくりとカルマを振り返った魔素散らしの首は、半ばまで切断されていた。
切断面からは大量の血が流れ出していて、頭の重さを支えきれず首が傾いている。
まるで自らの最期に納得がいかず、首を傾げているかのようだ。
魔素散らしはカルマを暫し見つめてからその場に崩れ落ちると、やがて動かなくなった。
片膝立ちのまま残心していたカルマが立ち上がったところで、ニニルが駆け寄り《念話》で声をかける。
(これなら前回も私たちは見学してたほうが手っ取り早かったわね)
「いいえ、そんなことはありません。これでも結構必死でしたから。前回は肝心なところでカンナ様がご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
カルマの圧倒的な強さを目の当たりにして、思わず自虐的な感想を述べてしまいニニルは内心反省する。
そんなニニルの自虐もフォローしつつ、カルマは「それと……」と言いにくそうに言葉を続ける。
「思ったことが《念話》で筒抜けになっているようなので、気を付けた方がいいですよ」
(…………………なっ!?)
精霊狼の口をあんぐりと開けてニニルが硬直した。
(筒抜けって、どのくらい?)
「私のカルマ様への眼差しのくだりとか……」
(意識的に言葉にしてない部分もじゃん!)
精霊狼の口をパクパクさせるニニル。
もし森人の肉体だったなら、さぞかし顔が真っ赤になっていただろう。
何故そんなことになっていたかといえば、《憑依》と《念話》の同時使用に慣れていないからだった。
思考自体が読まれているかもしれない、懸想が丸わかりかもしれないと思うとニニルの心中は大混乱にう陥る。
とりあえず何か当たり障りの無い質問をして、自らの思考を誘導しようと言葉を紡ぐ。
……つもりだったが慌てていたため、慎重に聞くつもりだった質問をズバリしてしまう。
(と、ところでさ、カルマ君って二十年前にも私を助けてくれたよね?)




