合言葉はニニル
「アイマルク家は良くも悪くも悪い貴族よ。そしてエルグリン家は良くも悪くも良い貴族ね」
「へ?つまり……どういうこと?」
カンナの頭上にいくつもの疑問符が生まれる。
今日も〈吠えたぎる鉱山〉亭での夕食で、面子も昨日と変わらない少女二人と男一人だ。
カルマを除く男連中は相も変わらず早々に夜の街へ消えていて居ない。
「アイマルク家は典型的な貴族で、平民は見下して家畜か道具くらいにしか思ってないし、金遣いも荒いわね。でも有能な平民は家畜や道具としてしっかり守るわ。一方でエルグリン家は貴族にしては珍しく平民にも親身で、自分たちも質素な暮らしをしているの。平民を人として扱ってくれるのは良いんだけど、それを他の貴族に疎まれて邪魔されるのよね。だから結局平民の力にはあまりなれてないわ。結果的に道具としてしか見ていないアイマルク家のほうが平民を守っているかな……といった感じでどちらの貴族にも良い面と悪い面があるのよ」
「平民に優しいが故に平民のためにならないとは、ままならないものですね。鉱山の運営はこの二家が行っているそうですが、主導はアイマルク家ですか?」
「そうよ。現場の炭鉱夫の訴えを吸い上げるのが運営を補佐するエルグリン家で、そのほとんどを却下するのが運営管理するアイマルク家ね」
伊達に長いことこの街で冒険者をやっておらず、ニニルはカルマの欲しい情報を教えてくれる。
「ふたつの家の仲は悪いのですか?」
「平民の扱いに関しては揉めるけど、仲が悪いっていう話は聞かないわね。エルグリン家で何か聞いたの?」
「聞いたわけではないのですが、少し反応が気になりまして……それとどうやら我々は誰かに監視されているようです」
カルマの言葉の後半は〈吠えたぎる鉱山〉亭内の喧騒で掻き消えそうなくらいの小声だったが、ニニルは長い耳をピクリを震わせた後、形の整った眉の片方を器用に釣り上げた。
「一体誰が……って決まってるか」
「そこで色々と情報を仕入れたいのですが、何処か心当たりはありませんか」
「あるけど、私が行ってこようか?」
「いえ、それには及びません。ですが代わりにカンナ様をお願いできないでしょうか」
「ふぇっ?ふぁにが?」
途中で、というか冒頭で会話への参加を諦めていたカンナが、急に名前を呼ばれて串焼きを頬張ったまま二人を見上げる。
「そうね、色々と心配だから今晩はカンナのところに泊めてもらおうかしら」
「ほんとに!?なら今夜は女子会だ。パジャマパーティーを開催して恋バナ大会だね。あとお酒とつまみも用意して……スイーツも欲しいけどここじゃ調達困難かなあ」
串焼きのタレで口元を汚したまま、カンナが急に早口で謎の単語を並べて楽しそうにしている。
あ、これは迂闊な事を言ったか?と思い始めたニニルであったが時すでに遅し。
女子会の開催は決定的であった。
炭鉱の街ヴィーンの歓楽街は他所の街と比べても規模が大きい。
日没と共に仕事を終えた大勢の炭鉱夫たちは、公衆浴場で一日の汚れを落とすと、次に一日の疲れを癒やそうと夜の街へとくりだす。
何せ体が資本の、筋骨隆々の男たちの相手をしなければならない。
迎える女たちの数を揃えるために、規模が大きくなるのは必然だった。
カルマがニニルに教えられた店の扉を押し開くと、隙間から強烈に甘い香りが溢れ出る。
一瞬息が詰まり中に入るのを躊躇うが、我慢して進むとそこは小さな酒場だった。
縦に細長い空間で、左側がカウンター席で右側がボックス席だ。
そして奥には二階へ上がる階段が見える。
照明は薄暗くカウンターの奥に置いてある香炉から桃色の靄が漂っていた。
むせかえるほどの甘い香りの正体はあれのようだ。
「いらっしゃい」
カルマを出迎えたのは妙齢の美女だ。
赤いドレス姿だが相当に薄い生地のようで、その豊満な体のラインが強調されるばかりか素肌が透けて見えてしまっている。
しかもドレスの下は何も身に着けていないのだが、胸元に垂れているブルネットの長い髪と店内の薄暗さが相まって、見えそうで見えない。
「カウンターでいいかしら?」
頷くと美女はカルマの腕に自身の腕を絡ませて、カウンターの奥側へと案内する。
店内の客の入りは五割程度だろうか。
いずれの客も薄着の女性と一対一で、酒を飲みながら会話をしていた。
「あなた見ない顔ね。この街は初めて?」
「ええ、到着してまだ三日目です。活気があっていい街ですね」
「でしょう?南の辺境だなんて馬鹿にされることもあるけど、住んでみると意外といいものなのよ」
自分の住んでいる街を褒められて気を良くした美女が微笑んだ。
「そういえば手前の街であまり良くない話も耳にしましたね」
「外からは炭鉱送りの流刑地だとか言われるけど、炭鉱夫たちは誇りを持って働いているわ。それに見た目は怖いけど慣れれば可愛い子たちよ。乱暴だけどそんなに賢くないから純情で金払いもいいの」
周囲の客には聞こえないように、美女はカウンター越しに身を乗り出してカルマの耳元で囁く。
艶やかで波打ったブルネットの髪と、その向こう側が大きく揺れた。
ちっとも動じないカルマに美女は少し不満げな表情を浮かべる。
「私はイザベラよ。あなたは?」
「カルマです」
適当に頼んだ酒を傾けながら、カルマは美女と世間話を暫く続けた。
街の景気だとか、この店の人気の女性は誰だとか、他愛のない内容だ。
「ところであなたは何をしにこの街へ?見たところ鉱石を掘りに来た感じではないわね。身なりや言葉遣いが上品だから、お忍びの貴族様だったりするのかしら」
「私はしがない冒険者ですよ。ただ、ここの鉱山の資源は絶えることが無いと聞いたので、その真相を確かめに来たんです」
それまで互いに饒舌に会話していたが、カルマの言葉の後に僅かだが間が生まれた。
「あらまあ、もしそれが本当なら嬉しい話ね。私がおばあさんになってもこの店が残っている可能性が高くなるから。あ、言ってなかったけど私はここの経営者なのよ」
笑みを貼り付けたイザベラが頬に手を当ててこてりと首を傾げる。
「でも他所から流刑地と言われるほど過酷な鉱山での採掘が長く続けば、他にも絶えないものが出てきそうね」
「〈囚われた霊の嘆き〉とかですかね」
「さあて、前置きはこれくらいにして、お客様にはちゃんと仕事でご奉仕しなくちゃ」
先程とは逆で間を置かず、双眸を細めたイザベラがカルマの言葉を遮るように喋ってポンと手を叩く。
「あいにく他の娘は指名が埋まってるから私がお相手するわ。ちょっと年増だけど許してね」
「いえいえ、イザベラさん直々にお相手して頂けるとは光栄です」
「本当に口がお上手ね。私も口は得意だから期待してね」
イザベラはカウンターから出るとカルマの腕を掴み立ち上がらせる。
そして肩にしなだれかかると、奥の二階へ続く階段を二人で上がる。
二階も一階と同様に縦に長い造りで、中央に廊下が真っすぐ伸びていて左右には個室の扉が沢山並んでいた。
扉の前を通り過ぎる度に、中から男女の楽しそうな声が聞こえてくる。
ここは所謂連れ込み宿で、一階で相手を選び二階へ連れ込むように出来ている。
こういう仕組みは地球上のそれと変わらないのだなと、イザベラの吐息を肩で感じながらカルマは考えていた。
比較対象にした地球のそれとは、果たして実体験の記憶なのか、ただの知識としての記憶なのか……それは個人的な記憶を失っているため当人にも分からない。
イザベラに案内されるまま廊下を突き当りまで進むと、正面に両開きの扉が現れた。
左右の木製の扉とは違って鉄製である。
「さあ入って」
促されるままひやりと冷たい扉に手を添えると、重厚な造りにも関わらず音もなくゆっくりと開いた。
中に入ると広い部屋で、おそらく廊下と左右の個室を合わせた大きさなのだろう。
柔らかい絨毯が敷き詰められ、中央には天蓋付きの大きなベッドが置いてある。
振り返ると後ろ手に扉を閉めたイザベラが微笑んでいた。
「ほらそんな所に立ってないで奥まで進んで」
イザベラはカルマの横をすり抜けると、手を引いてベッドまで移動してそのまま押し倒した。
そして四つん這いになってのしかかると、豊かな双丘がカルマの胸板を圧迫する。
香炉よりも濃密で甘い香りが立ち込め、こちらを覗き込む焦茶色の双眸が妖しく輝くと……。
「あ、いや、ちょっと待って―――」
「さっきの〈合言葉〉、余所者のあなたがどこで知ったのかしら?」
一体どこから取り出したのか、喉元に短剣を突きつけられていた。
妖しく輝いていたと思った瞳は既に警戒色に切替わっている。
「ニニルさんです」
「へっ?ニニルママ?」
予想外の言葉だったのか、イザベラの剣呑な雰囲気は一気に霧散した。
「一応一筆頂いていて、それを懐から取り出しますので、どけてもらってもいいですか?」
「あ、うん。わかった」
イザベラが素直にカルマの上から降りると、首に突きつけていた短剣もいつの間にか消えていた。
急に口調が変わったのが気になりつつ、カルマは懐からニニルに書いてもらった書状を取り出す。
「そちらで待機している方もよかったらご覧になりますか?」
「……気付いていたのか」
天蓋付きベッドの傍にひっそりと備え付けられたクローゼットの陰から、皺枯れた男の声が聞こえた。
そして出てきたのは全身黒ずくめの男で、影に紛れるその姿はさながら暗殺者だ。
「あなたがロランドさんですか?」
「ああ、そうだ」
覆面を取ると声相応の、白髪交じりの初老の男性の顔が現れる。
「俺が〈情報屋ロランド〉だ」




