九死に収納
当時の記憶は曖昧というか、事件の当日から一週間程の記憶がニニルからは抜け落ちていた。
余程恐ろしくて辛い記憶だったのか。
自力で思い出せるのは、この神無き大陸カンナウルトルムに向かう開拓船に揺られているところからだった。
船に同乗していた身元引受人でもある冒険者ギルド職員の話によると、ニニルは事件の夜に偶然クルニオンの森へ依頼をこなしに来ていた、とある有名な冒険者パーティーに助けられたそうだ。
近隣の二国の襲撃を受けてクルニオンの森に住む森人族は皆殺しにされた。
唯一ニニルだけが惨殺され積み上げられた同胞の死体の山の中に隠れて生き延びていた。
自分の判断なのか、同胞によって守られたのかは定かではないが、その中に両親もいたはずだ。
事件前夜までの両親については思い出すことができる。
ニニルがどんな悪戯をしても決して怒らず笑って許してしまう父親と、そんな二人を最初はぴしゃりと叱り付けるが、最後まで怒り続けられず次第に優しくなる母親。
その日の夜も仲良く三人で寝たはずだ。
両親の最期は記憶にない。
事件前の幸せだった頃の記憶にも靄がかかっていて、天涯孤独の身になった今当時を思い出しても寂しさを感じることはあまり無かった。
助けてくれた冒険者パーティーの伝手で、新天地であるカンナウルトルムへ向かう決意をしたのも、帰る場所と同胞を失ったニニル自身らしいが、やはり覚えていなかった。
カンナウルトルムに移ってからは人の縁に恵まれ、身寄りのない子どもにしては充実した生活を送ることになる。
身元引受人になってくれた冒険者ギルド職員と共に開拓地へ赴き、素養のあった精霊魔術の修行を日々こなす。
冒険者登録が可能にある七十歳(人種換算で十歳)を迎えると同時に冒険者になった。
それから二十年、沢山の冒険者たちとの出会いと別れを繰り返して現在に至る。
カンナウルトルムに来てからは親代わりでもあったギルド職員は、二年前に寿命でこの世を去っているため、ニニルは天涯孤独の身に戻っている。
森人としてはまだ若いかもしれないが、人種としてならば十分に生きただろう。
自分は今ここでカンナを庇って死んでしまうが、この瞬間だけ守れれば後は仲間たちが助けてくれる。
まさかこんな穏やかな今わの際を迎えるとは。
思考が加速された世界でニニルが耽る。
いよいよ眼前まで魔素散らしの顎が迫り、思考するのもやめて身を委ねる。
その瞬間、横から誰かが飛び出してきた。
思考が加速された世界で当たり前のように動くその男は、真っすぐニニルの元へやってくる。
そして華奢な森人の少女の体を抱きかかえると、そのまま魔素散らしから離脱する。
細身に見えて意外と逞しい肉体に抱きしめられると、覚えのある感覚にニニルが驚愕の表情を浮かべた。
時の流れが元に戻り、男のすぐ後ろで空ぶった魔素散らしの牙が噛み鳴らされる。
「あっ、カルマ。ナイスぅぅぅぅぅぅ」
ニニルを助けたカルマは、すぐ傍にいたカンナも小脇に抱えて走り抜ける。
少し遅れて追いついてきた他の冒険者たちが、未だに《氷嵐》の影響で動きの鈍い魔素散らしに殺到した。
「でかしたぞっ」
ギルは斧の柄を半回転させると、斧の平で魔素散らしに刺さったままの氷の刃を叩き付ける。
すると半ばまで刺さっていた氷の刃が押し込まれ、魔素散らしの体内に完全に埋没した。
激痛を与えられて漆黒の亜竜が悲鳴を上げる。
ミゲールも小型の盾を使って氷の刃を叩き付け、次々と埋め込んでいく。
全身を穿つ凍える刃によって、魔素散らしの体温は急速に奪われ身動きが取れなくなっていった。
「……これで終いだ!」
横手に回り込んで大剣を構え力を貯めていたガイアスが、裂ぱくの気合と共に大剣を振り下ろす。
大剣が魔素散らしの首筋、鱗の剥がれた部分を捉える。
幅広の切先が首の肉を切り裂き、骨まで達する鈍い手応えがガイアスの両腕に伝わった。
魔素散らしが再度鳴く。
頸動脈を断たれ大量の血液を噴き出しながらも尚、魔素散らしは自身の咆哮で鼓舞し冒険者たちに襲い掛からんと巨躯を持ち上げた。
だがしかし、そこで生命活動の限界を迎える。
魔素散らしは地面に横倒しに倒れると、体の下に血だまりを作り動かなくなった。
冒険者たちは武器を構えたまま、暫くの間地に付した亜竜の様子を観察し続ける。
そして完全に息絶えたと判断したところで武器を下ろすと、一気に襲い掛かってきた疲労感で全員が地面に大の字に寝転がった。
「あっぶねぇ。あやうくニニルが竜のエサになるところだったぞ」
「よくカルマは真後ろから追い越せたな。しかも《氷嵐》を食らってるじゃないか」
《氷嵐》の影響下の中、魔素散らしのすぐ横を走り抜けたためカルマは全身に冷気を浴びていた。
運良く氷の刃は当たらなかったようだが、霜で肩口が少し凍り付いている。
抱きかかえたニニルと小脇にカンナをそれぞれ下ろすと、ニニルは青ざめた顔で肩を震わせていた。
《氷嵐》を浴びて冷え切った体のカルマに抱きかかえられていたとはいえ、その震え方は尋常ではない。
「主のせいで申し訳ありません。このお詫びは必ず」
「ご、ごめんね……」
自分の代わりにニニルが死ぬところだったのだと今更気が付いて、カンナが半泣きでニニルに抱き付く。
「い、いや、大丈夫。このくらい慣れてるから……」
冒険者稼業というのは常に死と隣り合わせであり、ニニルも過去に今回のような死を覚悟した瞬間は経験済みである。
しかもパーティーメンバーの中でも肝が据わっているほうなので、普段とは違う反応にガイアスたちも心配そうにニニルを見つめている。
「だから大丈夫だってば。それよりカルマ君、他の魔獣が血の匂いに釣られてやってくる前に仕舞っちゃってよ」
少しして落ち着くと全員が自分に注目していることに気が付いて、ニニルが恥ずかしそうに手をヒラヒラさせながらカルマを急かす。
カルマは頷いて魔素散らしの元へ行くと、死体に触れながら魔術の詠唱を始めた。
『万象の根源たるマナよ 途絶する次元を審らき 不易なる門を誘え』
詠唱が終わるとカルマが触れていた魔素散らしの死体が淡く発光し、地面に沈み込んでいく。
これは先程のように《土変化》で液状化した地面に沈み込んでいるわけではない。
地面との境に生まれた、ここではないどこかへと続く門の中に、魔素散らしの死体が飲み込まれていく。
やがて巨体がすべて消えると、地面には血痕だけが残された。
「はぁ、本当に入っちゃった。魔素散らしが丸々入る程の《次元収納》なんて初めて見たよ」
「無事役目を果たせてほっとしました」
感心したようなニニルに呟きにカルマが答えた。
カルマとカンナがニニルたちのパーティーに同行していた理由がこれだ。
魔素散らしの死体は「捨てるところ無し」と言われるくらい素材としての価値が高いが、いかんせん巨体を運ぶ労力が甚大であった。
魔素散らしが生息しているランルクトーザ王国アスイトフ領南部の荒野は、人種の版図の端、いわゆる僻地であり他の魔獣も多数生息している。
故に非常に危険地帯であり馬車で乗り付けることもできないため、冒険者たちが自ら運ぶしかなかった。
通常であれば死体を解体して高価な部位を優先的に持ち帰るのだが、ニニルたち冒険者パーティー全員が分担して持ったとしても、全体の三割程度を回収するのが精一杯だ。
物理的に運ばない手段としてカルマが唱えた《次元収納》があるのだが、これも効率的だとは言い難い。
《次元収納》は収納する物体の体積に比例して消費魔力が増えるのだが、魔素散らしを収納するには一般的な魔術師三人分の魔力量が必要となる。
しかも《次元収納》で物体を収納している間は維持にも魔力を使うため、消費した分の魔力が回復しない。
つまり一般的な魔術師一名だと《次元収納》で魔素散らしの体積の三分の一程度を収納できるが、すべての魔力を消費し回復もしないため、帰り道は戦闘に参加できない只の荷物持ちとなってしまう。
金になるとはいえ戦力を減らしてまで持ち帰ろうとする冒険者は賢明ではないし、長生きもできないだろう。
これらのことから魔術専門でもないのに膨大な魔力を持ち、魔力に頼らない戦闘能力を持つカルマが如何に規格外な存在かがよくわかる。
カンナ曰くチート性能というやつであった。
「帰りの荷物が増えないどころか、持ち帰る量が三倍か。戦闘能力を抜きにしても運び屋として商売ができるな。ああでも隠しておかないと貴族や国に囲われちまうか」
「ええ、なので約束通り他言無用でお願いします」
ガイアスの懸念通り、カルマの魔力量と《次元収納》が知れ渡れば騒ぎになるので、パーティーを組む際に他言しないことを約束させていた。
死体を素材として売る際に冒険者ギルドの職員には露見することになるが、取引は個室で行われるのと、冒険者ギルド職員は冒険者の能力に関する守秘義務があるのでこちらは問題ない。
「今回だけと言わず、カルマたちにはうちのパーティーに入って欲しいよなぁ。カンナちゃんが許すならうちのニニルを嫁にあげるからさ」
「な、なにを勝手なことを言ってるのよ!寿命の短い種族は論外だっていつも言ってるじゃない」
「にしてはなんかいつもより反応がいいよな。これは脈ありか?」
「ん?うちはあくまで主従関係だからニニルちゃんが嫁に来ても問題ないよ、てか歓迎だよ!」
ミゲールとギルがニヤニヤしながら揶揄い出すと、カンナまでそれに乗っかり顔を赤くしたニニルに抱き付く。
というか先程から抱き付いたままである。
「駄目ですよカンナ様。ニニルさんも困っているじゃないですか。ただでさえ急ぐ旅路だというのに寄り道ばかりなのですから、パーティーに参加するのは今回だけです」
「ぐぬぬ、しょうがないなぁ。今回だけかぁ」
などと雑談をしつつも、冒険者たちは手を止めることなく帰り支度を整えて荒野を後にした。




