温度差のある走馬灯
『豊潤に芽吹く新緑の樹霊よ 傷付き衰微する者に 旺盛の癒しを』
ニニルはガイアスの容態を手早く確認して《小治癒》を唱える。
かざした杖が淡く輝き精霊魔術が発動すると、顔を顰めて脂汗を浮かべていた髭面の男の表情が和らぐ。
「下手に抵抗しないで転がったから肋骨にヒビ程度で済んだね。もう大丈夫だから攻撃に参加しな」
治療の終わった脇腹を手の平でばしんと叩いて、ニニルがガイアスを戦線に送り出す。
外見上はかなり年下の少女に叱咤されて、気恥ずかしそうにしながら魔素散らしに向かっていくガイアスを見届けながらカンナが呟いた。
「ふうむ、肝っ玉母ちゃんって感じだね」
「……森人としては私はまだ未成年なんだけど」
一応反論するがニニル自身も多分に自覚していたのでその口調は強くない。
ニニルは御年九十歳だが、人種で換算すれば成人手前の十三~四歳くらいになる。
冒険者登録をして活動を始めたのが七十歳頃なのでもう二十年も冒険者をしていることになる。
人種なら引退もちらつく大ベテランで、幼い外見で相殺されていなければ威厳や貫禄が滲み出ていただろう。
冒険者歴はパーティー最長で、リーダーはガイアスが勤めているが精神的支柱はニニルにあると、ニニル以外の皆が内心思っていた。
いい大人が恥ずかしいので誰も口には出さないのだが……。
さて、《土変化》によって地中に埋められた魔素散らしだが、露出している頭部と尻尾を振り回して激しく抵抗する。
器用に首を伸ばして右側面から近づいていたミゲールに牙を突き立てた。
一本一本が自身の持つショートソード並に長く鋭い牙を、ミゲールは小型の盾で受け止める。
牙によって盾の表面が削られ弾き飛ばされるが、その隙に左側面から斧を振りかぶったギルが強襲する。
ぶん、と風を切りながら両手持ちで振り下ろした斧は、魔素散らしの首元の一枚の鱗を叩き割ると内側の肉を露出させた。
そのまま返す刃で剥き出しになった肉に斬りつけようとしたが、戻ってきた頭が邪魔をする。
先程のガイアスの様に胴の側面に頭突きを受けてギルが吹っ飛んでいく。
再びミゲールが右側面から牽制するが、今度は警戒して不用意に首を伸ばさない。
ならばとミゲールは盾を掲げて魔素散らしの注意を引きながら、横歩きで左側面へと移動する。
露出した首筋を庇ってより一層左側を警戒した所で、がら空きになった右から戦線に復帰したガイアスが大剣を振るう。
大剣と鱗がぶつかり合い、ガキンとけたたましい音が鳴り響く。
ギルのように鱗を破壊するまでには至らなかったが、魔素散らしには十分脅威と感じたようだ。
慌てて首を右側に戻すがそれが、ガイアスとミゲールの狙いだった。
左側のミゲールが素早く踏み込み首筋にショートソードを突き入れると、鱗が剥がれ肉が剥き出しになっている部分に刀身の半ばまで吸い込まれる。
亜竜の絶叫が冒険者たちの鼓膜を叩き、肺に入っている空気を震わせる。
「このまま畳みかけろ!」
ガイアスの言葉を聞くまでもなく、全員が魔素散らしに猛攻を仕掛ける。
カルマも尻尾側で攻撃を繰り返し、鱗をいくつか剥いでいた。
「……まずい、落とし穴がもたない」
このまま倒しきりたいところだが、痛みと怒りで魔素散らしはより一層暴れていて、拘束している地面には細かい亀裂が入り始めている。
ガイアスが負傷したため多少早まったものの、落とし穴からは脱出できない程度には疲弊させたつもりだったが見通しが甘かったか。
再度《土変化》を唱えて脱出を防ぎたいところだが、魔素散らしほどの巨体を拘束する規模のものは構成を編む時間も魔力も足りない。
効果が薄いのを承知でニニルは違う魔術の準備を始めた。
次の瞬間魔素散らしの前方の地面が割れて盛り上がり、発達した巨大な前足が姿を現す。
大地を揺らしながら地上へ這い出てきた亜竜が体を揺すって土を落とすと、周囲は砂塵に包まれ一時的に視界が奪われる。
砂塵に紛れて魔素散らしとの距離を再度詰めていた冒険者たちを、突然の砂嵐が襲う。
右前足を軸にして魔素散らしがその場で一回転をしたのだ。
巨体が高速で回転したことにより、巨大なうちわで扇いだかかのように外側に向かって土や砂を撒き散らす。
目や口に入らないよう各々が武器や盾で顔を守っているところに、遠心力で威力の増した尻尾が迫る。
鞭のようにしなる尻尾が、躱す余裕などない冒険者たちをしたたかに打ちすえて吹き飛ばす。
幸いにもカルマの攻撃のおかげで尻尾からは多くの堅い鱗が剥がれ落ち、柔らかい肉が露出していた。
おかげで威力は大分軽減されており、全員が転がった先ですぐに立ち上がろうとしている。
砂嵐が去り視界が晴れると、魔素散らしの目に少女二人の姿が映った。
少し離れた場所にいたため、砂嵐と尻尾の薙ぎ払いを免れていたのだ。
次の怒りの矛先を見つけた巨躯が吠えながら疾走する。
男たちが守ろうと走り出すが、間に合わない。
『水嶺を遵えし純然たる不定形よ 凍て付き凝る息吹をもって 身魂を寒からしめよ』
詠唱終わりと共にトン、と地面を突いたニニルの杖が輝き魔術が発現する。
「うおっ、さぶ」
相変わらず肝が据わっているカンナは、《持続光》で輝くショートソードで魔素散らしを迎え撃とうとしていたが、突如発生した寒波に凍えて思わず身を縮めた。
迫り来る黒い巨大質量と少女たちの間に冷気が吹き荒ぶ。
冷気は空気中の水分を凍らせ、指向性のある突風によって無数の氷の刃となり魔素散らしに降り注ぐ。
氷の刃と冷気を大量に降らせる精霊魔術《氷嵐》だ。
並の生物相手なら致命傷を与えることも十分可能な魔術だが、対魔素散らしに限っては心許ない。
その理由はこの亜竜の名前に由来した。
黒い巨体が躊躇うことなく氷嵐の中へ突入する。
魔術によって生み出された氷の刃が黒い鱗に触れた瞬間、蒸発したかのように消えて無くなった。
黒光りする鱗が魔素を散らしたのだ。
魔術は魔素を媒介として発現するため、魔素がうまく機能しないと魔術も発動しない。
また発動後であっても魔素によって発現した現象は鱗で散らされ、打ち消される。
《氷嵐》の氷の刃が消えたのはこのためだ。
だがしかし、魔術によって引き起こされた物理的現象までは散らせないし、鱗の無い部分は無防備である。
極寒を呼び起こす《氷嵐》は氷の刃本体は消されたが、空気中の凍った水分はそのまま残り鱗の表面に霜を降らせる。
そして鱗の無い部分には氷の刃がもろに突き刺さり、降り注いだ霜で凍り付き楔のように固定された。
ニニルを含む冒険者たちは魔素を散らす仕組みを完全に理解しているわけではなかったが、今日に至るまでの仲間たちの戦いと犠牲を糧にして得た経験則となって生かされていた。
首筋と後足、尻尾に刺さった氷の刃が魔素散らしの体温を急速に奪い動きを鈍らせる。
苦悶の呻き声を上げながら巨体が倒れこむと、凍った大地を滑り少女二人に激突する寸前で止まった。
目の前にずらりと並んだ牙をカンナが口を開けてぽかんと見上げている。
「早く下がって!」
「おわっ」
魔素散らしが首を伸ばし噛み付こうとしているのに気が付いて、ニニルがカンナの外套を引っ張る。
しかし限界近くまで魔力を消費してふらつく足では踏ん張りが効かなかった。
カンナを後ろに引き寄せることには成功したが、代わりに互いの位置を入れ替えるようにしてニニルは前に飛び出してしまう。
魔素散らしの巨大な咢が迫り、嗚呼これは死んだなとニニルは悟る。
まるで思考だけが加速したかのように、自身と魔素散らしを含む周囲の全ての動きが緩慢になる。
熟練の戦士は思考だけでなく自身の体も高速で動かせるのだとか。
ゆっくりと広がる土煙を見ながらぼんやりと思考する。
精霊魔術には精通しているが戦士としては素人のニニルにとって、思考の加速も初体験であった。
無論ニニルが突然戦士としての才能に目覚めたわけではなく、死を目前にした生存本能の働きによる一時的な覚醒である。
思考は鮮明だが体は動かせないので、残された時間で自分の人生を振り返る。
他人に語れば十人中九人の同情を誘う身の上だったが、ニニル自身はそこまで悲観していなかった。
ニニルの故郷は第三の大陸オルガムルカの東部にあるクルニオンの森だ。
この森にある森人の里で暮らしていたが、三十年前に近隣国の戦争に巻き込まれた。
クルニオンの森自体はどこの国にも属していなかったのだが、森のある位置が悪かった。
敵対し戦争状態にあった二国の側面にクルニオンの森は隣接していたのだ。
戦争は膠着状態のまま二年が経過していたため、焦れた軍部がクルニオンの森を経由して相手国に奇襲を仕掛ける作戦を立案した。
しかも運が悪いことに対立している両国が同時に、このクルニオンの森を経由する作戦を思いつき実行してしまった。
作戦の邪魔でどこの国にも属していない森の住人は排除対象とされた。
クルニオンの森には森人以外にもいくつかの亜人種の少数族が住んでいたが、森の両端から二国に侵略されては抵抗も難しい。
当時六十歳、人種だと八歳相当と幼かったニニルも戦禍に見舞われる。
作戦が決行された夜、クルニオンの森に住む亜人はニニルを残して皆殺しにされた。




