狩猟開幕
乾いた風が吹き荒ぶ荒野に咆哮が響き渡る。
大気を激しく振るわせたのは一匹の魔獣だ。
四足歩行のそいつは頭から尻尾の付け根までが約五メートル、尻尾を含めると十メートル近い巨体になる。
黒光りする鱗で全身を覆い、頭部の下半分を占める巨大な顎には鋭利な牙が並んでいる。
魔獣の中でも亜竜に分類される〈魔素散らし〉と呼ばれる竜だ。
咆哮による威嚇の後、魔素散らしは自身を取り囲んでいる者たちを睥睨する。
魔素散らしの周囲を四人の冒険者が囲んでいた。
全員が少しずつにじり寄り、包囲を少しずつ狭めている。
肌を刺すような緊張感が荒野を支配する。
彼我の距離が十メートルに縮まった瞬間、魔素散らしが動いた。
「来るぞ!」
包囲していた冒険者の一人、大剣を構えた髭面の男ガイアスが大声で叫ぶ。
魔素散らしの特徴の一つに、強靭な前足がある。
後ろ足と比べて倍近い大きさに発達している前足が大地を踏みしめると、乾いた大地が耐えられず音を立てて陥没する。
そして舞い上がった土煙を突き破るようにして巨躯が前方へ黒い弾丸の如く飛び出した。
十メートルあった距離は瞬く間に無くなる。
魔素散らしの右前に位置取っていたガイアスと、左前にいた小型の盾持ちの冒険者ミゲールが咄嗟に外側へ飛び退き弾道から逃れる。
もし目の前を通過した巨大質量が直撃していれば、全身の骨を粉々に砕かれて命は無い。
「うわ、僕が狙われるのか。ガイアスに行ってくれよ」
通り過ぎた先で魔素散らしが切り返すと、ミゲールに狙いを定めて再度突進する。
小型の盾で防げる筈も無く、ミゲールは真横に走って回避する。
すれ違い様にショートソードで前足を撫でるが、鱗の表面で弾かれる。
「硬っ、腕が痺れる」
「狙うなら後ろ足か尻尾にしろ。だが役割を忘れて無理はするなよ」
「了解……っと、ギル、行ったぞ」
「おうよ」
魔素散らしが三度ミゲールに突進した後、視界に入った別の冒険者に狙いを変える。
斧を担いだ筋骨隆々の冒険者ギルは、魔素散らしの突進を横っ飛びで軽快に躱した。
「おらおらぁ!そんなにのろまじゃ俺には当たらないぜ」
「おおー、ギルおじさん見かけによらずすばしっこいね。ミゲールお兄さんより余裕があるっぽい」
「あれは私の《すばやさ》がかかってるからで、普段だったら躱しきれてないわ。あいつすぐ調子に乗るのよね」
などと冒険者たちの死闘に対してのんきな会話を繰り広げているのは、戦場から少し離れた所にいる少女二人だ。
一人は緑髪の小柄な少女で名をニニルという。
裾の短いローブ姿で節くれだった木製の杖を両手で抱えている。
左右から飛び出している耳の先端は尖っており、彼女が森人であることを示していた。
もう一人も銀髪の小柄な少女で、仕立ての良いシャツとスカートの上から真新しい革製の胸当てと外套を羽織っている。
腰にショートソードを差しているが、抜かずに腕を組み仁王立ちで戦況を偉そうに見守っていた。
「さすが熟練の冒険者パーティーだね。当たれば即死の四トントラック相手にちっとも怯んでないね」
「よんとん?がちょっと何言ってるかわからないけど、さすがなのはカルマ君もだよ。彼が一番余裕あるんじゃない?」
ニニルの視線の先では暗褐色で丈の長いコート姿の男、カルマがギル以上に華麗な身のこなしで魔素散らしの突進を躱している。
その姿はまるでダンスのステップを踏んでいるかのようだ。
「まぁうちの従者は特別だからね。あれでひらひらしてるコートの色が赤かったらもう闘牛士だよね」
「あの動きで剣の腕も立つうえに魔術も使えるなら、冒険者階級第二位階にも手が届くんじゃないかな」
「やっぱり?わたしもそう思うんだけどさ、カルマが恥ずかしがって昇格試験を受けたがらないんだよねー」
森人の少女に身内を褒められて満更でもない少女、カンナがニヤニヤしている。
カンナと知り合ってまだ数時間のニニルだったが、既に人となりは理解していて知らない単語が出てきても聞き流すようになっていた。
最初のうちはどういう意味なのか一々聞いていたのだが、説明の内容もまた意味不明な単語が並んだため理解することは早々に諦めている。
おしゃべりなカンナの話は雑談が主体で、今の会話で出てきた「よんとんなんとか」と「とうぎゅー」も、たいして重要な単語でもないと思われる。
ニニルたち冒険者パーティーとカンナたちの総勢六人は現在、ランルクトーザ王国アスイトフ領の南部に位置する荒野にいた。
冒険者ギルドの依頼で魔素散らしの素材を集めるためだ。
亜竜ではあるが竜種の末席に名を連ねるだけあって、その強さは並の冒険者では歯が立たない。
依頼受注の推奨資格は第二位階のパーティーである。
ここ暫くの間はニニルたちが定期的に魔素散らしを狩っていたのだが、そこに今回はカンナとカルマがある理由により参加していた。
魔素散らしと男たちの激闘は続く。
彼らは他者を狙った魔素散らしの突進に巻き込まれないよう、互いに距離を取りながら回避しつつ攻撃を加えていく。
攻撃単体では鱗の表面を傷つける程度のものだが、塵も積もればなんとやら。
ついにはガイアスの大剣がダメージを蓄積されていた鱗を砕き肉を切り裂いた。
先程の威嚇とは違う痛みによる魔素散らしの咆哮が木霊すると、至近距離にいたガイアスの耳朶を激しく震わせた。
鼓膜を破りそうな衝撃に思わず耳を塞ごうと左手を大剣の柄から瞬間、魔素散らしがその場でのたうつ。
肉を裂かれた右後ろ脚が体重を支え切れず、ガイアスを巻き込むようにして倒れ込む。
間一髪ガイアスは大剣を手放して後ろに下がったため、魔素散らしの下敷きになることは避けた。
しかし転がりのたうち暴れる魔素散らしの尻尾がガイアスを捉える。
横薙ぎに振るわれた尻尾の太さは根元部分で二メートル近い。
ガイアスが左側面から全身を打ち払われて乾いた大地を転がる。
「やばいね。ちょっと早いけど次の作戦に進めるわ。カンナちゃんお願い」
「かしこま!」
カンナが腰に差したショートソードを抜き放つと、その刀身が眩しいほどに光輝いていた。
頭上に掲げて振り回していると、ショートソードに付与された《持続光》の輝きに気付いた冒険者たちがこちらに向かって走り出す。
「ガイアスさん、立てますか」
「な、なんとかな」
「役割を忘れて無理するからだぞ」
カルマがふらふらと自力で立ち上がったガイアスに駆け寄り肩を貸していると、ミゲールもやってきて反対側の肩を担いで走り出す。
ガイアスが派手に地面を転がったのは衝撃を逃がすためだ。
土まみれになり脇腹には激痛が走るが、辛うじて動くことはできた。
「あれは運が無かったな。運良く傷んだ鱗に剣が刺さったからな」
「いやどっちだよ……」
弾き飛ばされていた大剣を回収したギルがそう言い残して三人を颯爽と追い抜く。
まだ《すばやさ》の効果が続いているようだ。
「ぼやく余裕があったら走れ!」
後ろ足を切られ痛みでのたうち回っていた魔素散らしが起き上がると、怒りの咆哮を響かせながら猛然と冒険者たちを追いかける。
「おおおおおおお来てる、来てるよ!みんな急いで!」
カンナが興奮しながら光るショートソードをぶんぶんと振り回す。
その間ニニルは魔術の詠唱に入っていた。
普通あんな巨大で恐ろしい魔獣が向かってくれば恐怖を感じずにはいられないはずだが、カンナは興奮はすれど怯えの様子は全く無い。
ずいぶんと度胸があるなあなどと浮かんだ雑念を振り払いつつ、ニニルは魔術の構成を編む。
あっという間に魔素散らしが近づき、大地を踏みしめる振動が大きくなる。
追い立てられた男たちがニニルとカンナの横を取り過ぎる頃には眼前に迫っていた。
獰猛と怒り狂い、圧倒的質量で突っ込んでくる魔素散らしにさすがのニニルも怯みそうになるが、(見た目は)同年代の少女が隣で役目を果たしたのだ。
冒険者の自分が失敗するわけにはいかない。
『地平に棲まう土塊の御代よ 遍く大地に 変容を齎せ』
詠唱により構成が展開される。
そこに魔力を注ぎ込むことにより、魔素を媒介として事象が発現する。
魔素散らしがニニルのことを轢き殺すべく前足で地面を強く踏み込む―――いや、踏み抜いた。
砂塵を巻き起こした黒い亜竜の体は、まるで凍った湖の薄氷を踏み抜いたかのように地面に沈み込んでいく。
当然ここは氷の張った水の上ではないが、ニニルの精霊魔術《土変化》によって魔素散らしの足元の地中は液状化して似たような状態になっていた。
ニニルは魔素散らしの全身が地中に沈み込んだのを見計らって《土変化》を解除すると、液体と化していた土が瞬く間に元の硬さを取り戻し、そのまま魔素散らしを地中に拘束する。
軟泥に溺れ藻掻いていたが急に頭部と尻尾の先端以外を地中に固定されてしまい、亜竜の口から戸惑いの唸り声が漏れ出た。
「よし今だよ。やっておしまい!」
ニニルの子悪党のような号令で、退避していたガイアスを除く三人が魔素散らしへと殺到する。
疲弊させて落とし穴に落とす。
これが対魔素散らしの作戦であった。
「よーし、わたしも……あいた」
「危ないのでカンナ様は近づかないでください」
どさくさに紛れて戦列に混ざろうとしたカンナであったが、後ろから追い越してきたカルマに額を指で突かれ押し戻される。
不満そうな表情を見せたカンナだが、ニニルがガイアスの治療を始めたのを見てそちらへ歩いて行った。




