情けは吸血鬼の為ならず
それはいわゆる生存本能の働きだろうか。
不死者である吸血鬼を生物のカテゴリーに含めて良いのかは分からない。
何なら生前の生存本能でも構わないが、とにかく生き残りたいという本能がドランの残滓を蝙蝠の形に変えて方々へ飛び立たせた。
一匹でもこの場から逃げ出せればドランだったものは生き残る。
かつて同胞から制裁を受けた時のように、長い年月は掛かるかもしれないが復活は出来る。
「逃がしませんよ」
だがそれをカルマは赦さない。
炎を纏わせた刀を抜き放ち、逃げる蝙蝠を殺していく。
まずは一番近くにいる群れへ刀を横薙ぎに振るうと、数匹の蝙蝠がキィと短く鳴いて燃え尽きる。
次に一番遠くへ逃げた蝙蝠に駆け寄り一閃。
縦に真っ二つにされた仲間の横を違う一匹を追いかけ、通り過ぎながら切り裂く。
勢いを殺さずに壁まで到達すると体を反転。
そのまま壁を踏み台にすると、対面の壁側目掛けて弾丸のように飛び出す。
そして突き出した炎の切先が、二匹の蝙蝠を串刺しにして壁に縫い付ける。
城内を縦横無尽に駆け回るカルマによって、あっという間にすべての蝙蝠が駆逐されてしまった。
いや、ドランが消失した場所にまだ僅かだが黒い霧が燻り残っていた。
そこから小振りな蝙蝠が生まれて、飛び立とうとした所に炎の刃が―――。
「はい、そこまでだよ」
真っすぐに振り下ろされた刃は、急に目の前に現れた少女を斬る直前で停止する。
小柄な銀髪の少女は刃に臆することなく、目の前で懸命に羽ばたいていた蝙蝠をそっと両手で包み込んだ。
「カンナ様よろしいのですか?その吸血鬼は昨日、人を殺めています。あの性格ですから過去にも被害者は沢山いたと思われますが」
「まぁ彼らにも事情があったし、弱肉強食の生存競争のうちだったということで、このくらいで許してあげよう。てかここまで小さくなっちゃったら、吸血鬼としての意識も消失してるから復活も無理だろうね。もうただの蝙蝠だよ」
少女ことカンナがそっと被せていた手を開くと、じっとしていた蝙蝠がきょろきょろと辺りを見回し始める。
「外様の神の信奉者よ、そなたの罪を創造神が赦そう。これからは一匹の蝙蝠として生を全うするがよいぞ……あいたっ」
地母神のような慈愛の微笑みを浮かべたカンナは、蝙蝠の頭を撫でようとして指に噛み付かれる。
蝙蝠はその隙にカンナを手から飛び出して脱走すると、天井で逆さになって張り付いた。
「ぐぬぬ、恩を仇で返すとは。降りてこいやーっ!」
血の滲んだ指を咥えながら、カンナが頭上の蝙蝠目掛けてわめき散らす。
少しは神らしい一面を見せたかと思えばこれである。
カンナが暫く罵声を浴びせ続けるが、蝙蝠はそこから更に逃げるでもなく天井からじっとこちらの様子を伺っていた。
「ってこんなことしてる場合じゃなかった。あのお姉さんをなんとかしないと」
玉座では依然として魔術師風の女が眠っていて、吸血鬼を倒したから目覚めるといった様子は無い。
「あいつの……ええと名前だんだっけ?名乗る前にやっつけちゃったから分からないねぇ」
「蝙蝠相手に挑発しないでください。冒険者ギルドの情報によれば〈恐血鬼〉ドランですね」
「ドランの話しぶりだと眷属化、つまり二度目の吸血の途中かな。でも確かお姉さんたちが襲われたのって今朝の話だよね?随分せっかちな奴だなぁ」
カンナが天井の蝙蝠を睨みつける。
吸血鬼は吸血時に自身の血と相手の血を入れ替えて仲間を増やす。
増やし方は二種類あり、一つは一度に吸血鬼の血を大量に交換して作る屍鬼だ。
屍鬼の自我は希薄で主の意のままに動く。
そして親である吸血鬼が滅べば道連れとなる。
もう一つは二度に分けて血を交換して作る眷属化で、親との主従関係はあるものの自我は独立している。
また親の吸血鬼が滅んでも道連れになることはない。
「通常二度目の吸血は一度目の吸血から半日から一日の間隔を空けるはずです。まだ日暮れ前ですから、確かにドランは少し気が早いですね。一度目の吸血までなら《浄化》による治療が間に合う可能性があったのですが」
《浄化》は不死者などの不浄の存在を浄化する魔術だ。
地母神を信仰する神官が扱えるので、アリミラの神殿に駆け込めば《浄化》の治療は受けられるだろう。
吸血鬼は自身の不浄の血を対象に流し込むことで同族に変貌させるのだが、《浄化》を使えばこの不浄の血を体内から取り除く事ができる。
しかしこの方法は確実とは言えない。
《浄化》によって体内から不浄の血を取り除くということは、すなわち失血を意味する。
そして過去の治療例からすると、一度目の吸血による血液の交換量が体内から無くなれば、それは限りなく失血死する致死量に近かった。
個人の血液量や吸血鬼の吸血加減によっても変動するが、治療が成功する確率は半々といったところだ。
「治癒魔術は傷口は塞いでも増血効果は無いからね。この世界の文明レベルだと輸血なんてまだまだ先だし」
「それでは二度目の途中まで不浄の血が入ってしまった彼女は残念ですが……」
「ちっちっち、わたしを誰だと思ってるのさ。というわけでちょっとお姉さんに抱き付いていい?」
「人の生死が掛かっている時に不真面目ですよ」
「いやいや、真面目だから!下心とか無いから!」
セクハラ発言をたしなめると、カンナは慌てて言い募りそのまま女に抱き付く。
玉座のひじ掛けに座ると、器用に腰を捻って女の胸元に顔をうずめて腰に手を回した。
「おお……この確かな満足感」
結局下心あるじゃないですか、という指摘をカルマが我慢していると、やがて女の体から黒い靄のようなものがうっすらと立ち上る。
それは紛れもなくドランの体を構成していた黒い霧であった。
「カンナ様は《浄化》を使えるのですか?」
「おおっ、できた……んにゃ、これは《浄化》じゃないよ。魔力回復の応用かな。ほら、わたしって生きた魔素スポットじゃない?」
魔力とは魔術を使うために必要な燃料であり、人体の中に蓄えられている。
魔術を使うと体内の魔力を消費するが、減った分は空気中の魔素を取り込み魔力に変換することによって回復する。
魔素とはこの世界にいるすべての生命の源であり、空気中の至る所に存在する。
その中でも特に自然が溢れる場所には多くの魔素が存在するのだが、カンナからはそれ以上の、尋常じゃない量の魔素が体から溢れ出ていた。
カンナ曰く、創造神の現身故に〈神気〉が溢れているのだそうだ。
さすがは創造神なのかもしれないが、無駄に〈神気〉を垂れ流すくらいならもう少し自衛能力を備えた現身できなかったのだろうか、などと思うカルマである。
〈神気〉は魔素の中でも特別で魔力への変換効率が優れていた。
魔力の回復速度は魔素側と人体側それぞれの変換効率に左右されるのだが、基本的にはどちらも一定である。
なので仮に周囲の魔素が極端に濃くても回復速度が上がるわけではない。
しかし〈神気〉は魔力への変換効率が非常に優れているため、カンナに触れられた者は驚異的な速度で回復するという現象を引き起こしていた。
「魔力回復と眷属化にどういった関連性があるのですか?」
「それはね、魔力もまた血中に存在するからなんだよ」
カンナの説明によると、魔力とは血中に溶け込んで体を循環しているそうだ。
ヘモグロビンが酸素と結合するように、血中に存在する魔力回路で魔素が魔力に変換されて結合する。
血液が太古から魔術の触媒として重宝される所以でもあった。
吸血鬼の血液は魔力回路が変質しており、この血液を対象の体内に入れることによって同族への変貌を促す。
《浄化》は血中の変質した魔術回路そのものを破壊するため失血してしまう。
一方で〈神気〉はその名の通り神性を帯びた上質の魔素である。
抱き付き実験の結果、〈神気〉が魔術回路を通して魔力に変換される際に、魔術回路を変質させている吸血鬼の因子だけを洗い流すことが出来ると判明したそうだ。
また屍鬼ないし眷属化が完了してしまえば、血中から体の全細胞が不死者へと変質するため、〈神気〉を使っても助かる術はない。
「つまり〈神気〉は目詰まりしたフィルターに洗浄液を流し込む感じ?《浄化》だとフィルターを壊しちゃって、輸血ならフィルター交換ってとこかな」
まるで浄水器の掃除みたいな例え方をする創造神である。
「あとこのお姉さんは魔力が全然減ってないから、自然減少分を随時〈神気〉で補充していくから時間かかるね。そういえばカルマは魔力枯渇してない?〈鏡魔〉をあれだけ使ったんだし、いっちょ抱き付いとく?」
言うと同時に玉座から飛び降りて、両手を広げてカルマ目掛けて突進してきた。
カルマは指先で迫り来る少女の額を小突いて接近を阻む。
「あいたっ」
「いいえ、魔力はまだ六割ほど残っていますので問題ありません」
〈鏡魔〉とはカンナからカルマに下賜された刀の名前である。
切れ味は鋭く、耐久性は高く、正しく名刀だがそれだけではない。
〈鏡魔〉はその刃で受けた魔術を覚えて、自らの刃に纏わせることができる魔術具でもあった。
しかも刀を振るう者が対象の魔術を扱えなくても、詠唱も無く魔力消費のみで発現する優れものだ。
ドランの見立て通り、先程の戦闘では《火炎武器》ではなく《火炎》を纏わせて戦っていた。
実はカルマの魔力は半分以上消耗していたが、抱き付かれたくないので誤魔化していた。
この銀髪の少女はスキンシップが過度になるきらいがある。
〈神気〉はカンナの体から離れるとすぐに霧散してしまうため密着する必要があった。
無論密着するのは魔力回復という理由あってのことだが、性別問わず抱き付こうとするためいささか無節操だ。
創造神的には創造物は皆自分の子どもみたいな気持ちなのかもしれないが、自身の外見を考慮して欲しい。
額を押さえて涙目になっているが、異性にむやみに抱き付くなという教えを守らない方が悪いのである。
「それよりもその女性をどこか安全な場所に運びましょう」




