異世界転送編
今日も代わり映えのしない一日。
空は穏やかに晴れ雲も程々に、仕事は淡々と続く。
誰かと誰かのいたした事後を片付けベッドを新しい装いに着替えさせ、ぐちゃぐちゃに荒された洗面台やトイレそして浴室を誰も使っていないかの様に癒やす。
私の名前は腹巻 清。
30まで童貞を守っても魔法使いになれなかったアルバイト45歳独身男性。
というか魔法使いになれるなんてやっぱありえないですよねそーですよね、と愚痴を心の中でこぼしながら本日もラブホテルで清掃をしている者だ。
---今日もとてもつまらない---
そんなことを何年も何十年も毎日脳内でつぶやいて何も日々は変わらない事に慣れてしまった私があまりにも面倒で汚い301号室の片付けを始め下膳から手を付けた。
自分の肩幅程あるお盆を持ち脱ぎ捨てたスリッパを履こうと溜息混じりに玄関で一つ瞬きをしてみると私の目は光溢れる301号室とは全く違う知らない景色を映し出していのだ。
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転送一日目
「やったー!私はついにやったぞぉぉぉー!」
知らない景色だと認識する前に両手を上げ絶叫する人物が私の前にいたのだが何やら喜んでいる様だ。
「ついに愛しのメアリーちゃんを私のものにぃぃぃぃぃぃ!?」
男性のようだが余にも先程迄との光に包まれた世界とは打って変わって暗く薄暗い光でこの室内は照らされている。
わけのわからないことを目の前の男はずっと絶叫しているかと思えば私と目を合わすなり声を裏返しながら私達は数秒見つめ合った。
「おっ前だっれだぁぁぁぁぁあ!!!」
それはこっちが聞きたいというか何が起きているのかこの時の私は何も考えられないでいた、いや本当に考えられなかったのか私は瞬きを繰り返しがなから随分と考えているのだが声が出せないで立ち尽くす。
「やっと念願のメアリーちゃんを手に入れられたっと思ったのになんで生きたおっさんがでてきてんだよ!」
明らかにこの男性激昂しているのかツバを飛ばして言いたい事をあら方言い終えるとガンを飛ばしている。
しかしすぐに男性は頭を抱えながら上を仰ぎ見たかと思えば私を見据えてこう言い放った。
「まっ、失敗は失敗。次に活かして頑張りゃいいや。こんなおっさんなら問題ねーわ。死ねよ。」
男性が言葉を言い放つと同時に右手に握られたナイフが私を襲う。
恐怖を感じる事も出来ない程事態は次々と動いているのだが私の身体は動く事を拒否する、そうか本能は素直に恐怖を受け入れていたのだ。
間違いなく男性のナイフは私に向けて付き立てられていた訳で冷静に考えているつもりも何も私には端から成す術がない。
やっと諦めを受け入れた私は2、3瞬きを繰り返す。
---つまらない人生だったな---
誰にも知られる事の無い遺言を心の中で唱えると私を殺そうとナイフを突き立てた筈の男は突然光りだした。
「お前魔法使えんのかよぉぉぉ!?」
今度は光りながら男性が絶叫しているかと思えば私の目の前から消えていた。
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一体全体何が起こっているのか。
クソ汚い部屋の掃除をし始めてバックヤードに食器を片しに行こうと部屋の入り口でスリッパを履いてひと呼吸。
瞬きをして知らないところに知らない男が現れて、いきなり襲われたと思えば絶叫していた彼は光って消えてしまった。
本当にここはどこなのだろう昼間だった筈の世界は外が明らかに暗く室内には小さな火が灯っている。
ただ一つだけ確かなのは他者に殺意を向けられそのまま殺されかけた。
それだけで私の体は震え上がる、初めての恐怖体験。
そんな初体験は両手でお盆を持っていたわけだが震えが全身に伝わりお盆をもっていられないほど激しい衝撃が今更やって来たのだ。
お盆の上に乗っていた客の食べ残したラーメンをぶちまけたと同時に体を支えていた脚の震えも最高潮に達し尻から地面へと落下する。
ありがたいことに震えはきても漏らさずには済んでいたのだが仕事中にかいた汗とは別の脂汗がしっかりと身体中に感じられた。
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生まれて初めての恐怖体験から小一時間はたったのだろうか。
最近全くしなかった体育座りをしている事に我ながら驚くのだが301号室は何処へ行ってしまったのか、いいやラブホテルの部屋が何処かへいったと言うより私そのものが違う場所へ来てしまったと考えた方が私にとっては自然かもしれない。
よくよく見てみれば私を中心に魔法陣のようなものまで書かれていた。
震えもどこかにゆき、やっと今後動するべきなのか考え始められるというものだ。
先程間違いなく殺されかけたのだが一応助かったのだろう。
恐怖から開放されたばかりの重い身体を起こし立ち上がる。
なんというかあまりにも唐突に理解できないことばかり起きたのだが何もしないわけにはいかない。
取り敢えず薄暗い小屋の中にいるようなので外に出るためにドアを開ける。
外は暗い、暗すぎるそして臭い。
そそくさとドアを閉め小屋に引き戻った。
「明るくなるまでここにいよう。明るくなるまで」
この知らない場所へ飛ばされて初めて発した言葉だったがそれは唯の恐怖が込められた言葉ではなく自分の欲望・希望・高揚も密かに込められていたのは内緒だ。
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ドアの隙間から日の光が差し込んでいる。
転送二日目
ドアを開けると青々と繁る木々を気持ちのいい風が吹き抜ける、だが臭いは誤魔化す事も出来ず臭い。
兎にも角にも自分が置かれた状況がわからないので手がかりを探さなければならない。
というか手がかりも何もないのだから食料も飲み水も無い私に残された時間は少ないだろう。
実は昨日小屋に引き返してから今置かれた状況を自分に都合よく考えてみた。
ずばり異世界に召喚されたのではないか。
それが私がたどり着いた答えだ。
それも何も今まで人生でいいことなどあんまりなく過ごしてきた私だ。
そろそろ救われてもいいはずだ、そうだそのはずだ。
漫画やアニメやライトノベル、そんなものではありふれた異世界転生や異世界召喚。
いるかどうかもわからない神かなんかが私に救いの手を差し伸べた、そうだそうに違いない。
だけどかわいいヒロイン候補も未だに現れていないしなんならいきなり殺されかけた。
本当に異世界転生なら勇者としてとかそれより赤ん坊からやり直せないこの状況はおかしい。
召喚された時の待遇がもっと良いのが異世界転生のお約束だろう!そうだよキレイなお母さんカッコイイお父さん良い感じのヒロイン候補!それより何よりチート能力持ちで環境も私中心で恵まれていて至れり尽せりハッピーエンドに向けて大爆進!うおおお心が踊るうぅぅぅ!
ところがどっこい、私は中肉中背のおっさんで髭は青髭が伸び始めておりジョリジョリと手触りが相変わらずよろしくなく足の踵もひび割れがそのまんま。
おいおい居るかもどうか分からない神様よ、私に何も変化は無いではないか。
ということは私は異世界転移したのかもしれない、そうだ異世界転移!
ありがとう残された可能性よ、ありがとうこの”つまらない人生”いいや”つまらなかった人生”。
それなら多分これから良い事が起こるはず、いいや起これ起こってくれ起こってくださいお願いしますなんでもしますから!
もしかしたら妄想か夢か幻覚かどうかもわからない今の状況を自分に都合よく処理しながら自然と頬が口角が上がり気持ち悪い笑顔を作り身体はどんどん森を進む。
---良い事絶対起こるよね---