宝石眼の笑い女1
山道を歩く中で、早々と異変が訪れた。
夜麻音の顔色が凄まじく悪い。
「……やっぱり無茶だったんだ」
「いえ、大丈夫です。平気です。私は元気です」
勇者本殿、鳥との戦いで腕を痛めつけられた夜麻音では、山中で車椅子を押していくというのは無茶がある。それでも行く、の一点張りだから歩いてきたが、勇者本殿までまだ距離がある中で限界が目に見えた。
艶香は、少しだけ勇気を奮って、両手で挟み込むように車椅子の持ち手の半分を取った。
「二人でやろ? それなら、まだ大丈夫かも」
「じゃあ私、腹で押します!」
『休みながら行きましょう。それほど急いではいません』
目良実の本音を言えば、秋堂の病状がわからないため一刻も早く急いだ方が良いのは確かである。けれどそもそも望み薄の考えなのだ。異変があった、と言っても怪異がいるとも限らないし、もしかしたら前の殺人鬼も出るかもしれない。それは目良実も片手の印祓いの力で正気に戻せる自信があったから連れてきたのだが。
ゆっくり、ゆっくりと歩いていく。勇者本殿の道はわかっているからそれほど回り道はない。ただ車椅子を押すには獣道は厳しく、想定以上の時間がかかった。
ツミだけがぴくぴくと震える。この場に怪異の存在を察知できるものはいなかったために、それに気付く者もいなかったが――
「復活ッ!! 復活ッ!! 復活ッ!! 復活ッ!! 復活ッ!! 復活ッ!! 復活ッ!!」
怪異の方が死ぬほど騒がしかったので、すぐに三人とも気付いた。
閉じられた勇者本殿の中から聞こえるたった一人の大歓声。
あからさまな異変である。あからさま過ぎて目を覆いたくなる。目良実は手の形を変え、艶香は車椅子を夜麻音に預け、ツミを撫でてから前に立った。
「……時雨さん」
『閉じ込められているかもしれません。放置もありかと』
「……ふぅ、大丈夫、行けます」
深呼吸をした艶香の姿に、目良実は目を見張った。先ほどまでの和やかな雰囲気とも違う、戦意を研ぎ澄ます動作が完成されていた。それは過去、ともに戦った神貴の姿を思い起こさせるほど。
目を見張ったのは夜麻音も同じ。そこに一瞬鬼神姫の姿を見た。人を殴る時に何も感じない、感情がない機械のような瞳を、今の艶香に見たのだ。
『……やってみますか。遠慮せずに殴ってください』
「はい」
目良実はそう言ってしまっていた。自分がほとんど戦えないのに、自分をこんな姿にした勇気明王が出るかもしれない、というのに、艶香に全てを任せるようなことを。
けれどなぜか、今の艶香ならばあの勇気明王にも負けない、そんな根拠のない自信があった。
賽銭箱と階段を乗り越え、以前も開いた勇者本殿の扉を再び開ける。
以前は中からミカが出てきたが……。
「復活!! どうもハジメマシテ人間さん! 私は如月信乃改め怪異『宝石眼の笑い女』として……艶香じゃん!?」
「え、え? 信乃!?」
中にいたのは、あの時死んだ姿のまま――
右目に黒いパール、左目に真っ赤な血のようなルビー、そして腹部には穴――否。
グリモワールが癒着した腹部。
「あはははっ! これは記念になるね! あっちにいるのは……時雨目良実って刑事かな? 大怪我してるみたいだけど。あれツミちゃんも雰囲気変わったね。あれどういう状況? 私が死んでからどれくらい経った?」
異常な状況のまま、騒ぎ立てる如月信乃は、確かに人間ではなかった。
「……髪人形師は?」
「……祓った」
笑顔を浮かべていた信乃、いや笑い女が質問の返答を聞いて、笑顔が消えた。だがそれも一瞬で、すぐに彼女は大笑いした。
「そりゃいいそりゃいい! あっはっはなんじゃそれ! 私は一体何のために……あはははは!!」
笑う信乃を放って、艶香はあとずさり、一歩、二歩、ざっと十メートル後ろ走り。で目良実の傍に立った。
「あの、ここで死んでた女の子です。如月信乃っていう、その、怪異と喋れる人で」
目良実の返答が遅れる。流石に異常過ぎてどうすべきか分からないのだ。ただそれが怪異であるならば祓う必要があるのだが。
「待って待って殺さなくたっていいよ! 私、別に誰かを襲おうとかそういう悪いこと考えてないから!!」
「時雨さん、私、できます! 今なら、信乃だって祓えます!!」
「いや本当に待ってって!! なんでそんな決意固めちゃってるの!? 私まだ何にもしてないし!!」
「もう騙されません!!」
「わかっててやってる!? いじめ!? 強くなったね艶香!!」
信乃の態度や喋り方は前に比べて少し軽くあか抜けた感じになっている。それに異常な外見のせいもあって怪異という意匠が強い。それを祓うのも合理的なようであるが。
「私は違うよ!! ちょっと説明だけ聞いて! それでから判断して!!」
あまりに必死な信乃は、三人の反応を待たずに勝手に説明を始める。
まず自分の左目、血濡れのブラッドルビーを指差して。
「これは願いを叶える代わりに命を代償にする血濡れのブラッドルビー!」
次は右目、ブラックオパール。
「これは富を呼び込む代わりに不幸を招く邪悪のブラックパール!!」
次は腹部。
「幻覚を見せるグリモワール!!」
自慢の髪の毛。
「呪いを果たす髪人形! ……がわさわさしている中ちょっとだけお力を借りた感じの髪の毛」
そして両手でババン、と勇者本殿を指し示す。
「願いを叶える勇者本殿。私は自分の命を代償に『勇者本殿』と『ブラッドルビー』の力を使って、『五つの怪異』の力を吸収したハイブリッド怪異なんだよ」
信乃から笑みが消えている。その存在感が急に増すと同時に、目良実が素早く入力する。
『逃げてください』
「時雨さん!!」
「その願いは叶えませ~ん」
既に距離を詰められている。
今の信乃の前に目良実だけを放置することもできず、慌てて夜麻音が二人の前に立った。
「君の願いは……それも叶えません。とりゃ」
不可解な言葉を残しながら、笑い女は怪異にあるまじき大内刈りという物理攻撃。シンプルな柔道の技で夜麻音は転がされた。
艶香が呼吸を整えて、まっすぐ攻撃しようとするが……。
「艶香、君の願いを叶えようとしているんだよ。ふふふっ」
「縛印・寧土!!」
目良実が片手で必死に力を込めるが――勝手に車椅子が動き出した。
目良実の意思と行動以上に笑い女の方が強力、ということだろう。
狙いが外れただけではなく、そのまま目良実は突然止まった車椅子から投げ出される。
そして落ちた先――縛印の手が、なんと転んでいた夜麻音の臀部に直撃した。
慌てて弁明しようにも声がうまく出ない! 現職警官の痴漢行為に倒れていた少女が思わず馬のように後ろを蹴った!!
そんな珍事はともかく、艶香のストレートを躱した信乃は、ツミに手を伸ばした。
願いを叶える怪異の力を集めた、信乃の能力が発動する。
「……甦れ、髪人形師」
髪人形師の復活、それを艶香が願わないわけがなかった。
自分で祓ってしまったミカが、戻ってきてくれたならどれほど良いだろうかと。
死は覆らないから死である。故に怪異は怪異、死後の人間が生きたとして幸せにはなれまい。
それはきっとグリモワールも、ミカも同じこと。
しかし一度死んだ怪異が、再び復活するということはあるのだろうか。
その結果が今現れる。
髪人形ツミが解けていき、艶香の懐へと潜り込んでいく。
艶香が持っていた『アンナ・アロー人形』のレプリカ――勇者本殿に導かれた時に信乃が用いた人形、その人形にツミが、全ての髪の毛が入っていく。
それが、一人でに動き、打ち震える様子に、艶香は黒い光のようなものを見た。




