髪人形師6
「……艶香ぁ、クカッ、クカカッ……今私のものにしてあげる……」
ぞわ、と背筋に鳥肌が立つのと同時に、ツミが髪を伸ばし、艶香の髪を撫でた。
滑らかな動作に何が起きたかもわからない艶香であったが、ミカはその表情を歪めた。
「ツミ貴様……我が支配下から逃れ、艶香に仕込んでいた髪まで解くとは……」
艶香が寝ている間でも抱き合った時にでも、艶香の髪に自分の髪を仕込んで発信機や護身のためにとミカが術をかけていたのである。これではどこに逃げても意味がない、というのを今ツミが解呪したというわけである。悔しそうなミカの顔を見ながら、艶香はそっと秋堂の傍に寄る。
「秋堂さん、ミカの本名は――」
「……了解。……ぶっつけ本番だ。俺が語祓いであいつの動きを止める、その間にあいつの弱点をぶん殴れ」
「……弱点?」
「なんか一緒にいたんだからあるだろ? 体の一部に固執してるとかそういうの」
こそっと話していたのに、艶香は驚いて思わずたじろぐ。そんなの知るわけがない。髪の毛が一番固執している点だろうが、それは弱点というよりも武器だし。
ミカとの会話を色々思い出して、思い出すけれど、体の一部とは。
「……まあ、いい。艶香、行くぞ」
蠢く髪の毛の動きが落ち着く。ミカの表情も冷淡で落ち着きを取り戻している。艶香という最愛にして最も親しい相手に対する敬意として、丁重に戦おうという意思があった。
一方の艶香は、ほぼヤケクソだった。弱点なんて知らないし、戦った経験というのも、女の人体模型と勇者本殿の鳥くらいだ。自分が戦えるかどうか、というのも危ういところを――
べしん、と頬をツミに叩かれた。それなりに痛くて思わずじっと見つめる。ツミはぴょこぴょこと跳ねるだけで、言葉は通じないけれど。
けれど、ツミがしなければ秋堂がそうしていた。そう思いながら秋堂は言う。
「……天神さん、ありゃもう生きてねえよ。あいつはもう全部殺すまで止まらない最悪の怪異だ。……お前さんだけだ、躊躇っているのは」
そう言われても、ツミと秋堂から止められてもなお悩む艶香は、ミカを見つめた。
冷たい表情で、同情もないが、強力だった殺意も落ち着いている。
「……ミカ……」
殺そう、そう思っている。思ってはいるのだが……。
「艶香、まだ躊躇っているのか。ああ、ああ、躊躇っているのはお前さんだけだよ」
髪の毛が地面からするりと抜けてきた。二人を囲い込むように現れた髪の毛がゆらゆらとそよぎ、そのうちの一束が秋堂に向かう。
「『髪の毛、散れ!!』……ごほっ!!」
「秋堂さん! ミカ! どうして……!!」
「わかるでしょ。いい加減……」
髪の束が艶香の方に向かうのを、ツミが体を膨らまして振り払う。防ぎきれないが弾いて攻撃を防ぐことはできた。
倒さねばならない。倒さねばならない。艶香は拳を握りその場で踏ん張る。
「秋堂さん……私、……やるよ!!」
「もう遅い。……さよなら」
地面から溢れる髪の柱が、圧し潰すように二人を中心に狭まっていき――
「縛印・寧土」
艶香の指の形は、確かに目良実が何度かした術と同じ形になっていた。
何より、目良実が行っていたその術を見様見真似でやろうという意外性はミカにも想像だにできなかった。
三度見ただけの付け焼刃、であるはずだったが。
「んな!? もので止められると……」
ミカが叫ぶが、確かに髪の毛の動きは止まる。その間に艶香と秋堂は髪の毛の牢獄から脱した。
だが、メキメキと音を立てて艶香の指が、手が捻じ曲がり折れた。これで相手を殴ることなど到底できない。髪人形師に術をかける、というその意味を知ってしまう。
「……『上山艶香、髪人形師を絶対に殴れ』!!」
秋堂がそれでも、艶香に向かって術をかける。ここで止まれない。止まってしまったら全てが終わる。今の語祓いによって霊力の相乗効果が、痛みを和らげ力を増す。
同時に、ツミが艶香の指に張り付いた。体を分解する勢いで一本一本の糸となり、捻じ曲がった指を強引に拳の形に捻じ曲げ直し、さらに自分の呪力を艶香に与える。
そして艶香は、ミカの元へ走る。
ミカの方に、誤算はいくつもあった。さっきの髪で捕えておけば秋堂を殺し、ツミを殺し、艶香を自分のものにできたのに、使えるはずもなかろう縛印を使うなど。
そもそも殺そうとすればいつでもできるのだ。ただ、艶香を眷属にするなり人形にするなり手元に置いておきたいがために回りくどい攻撃をしただけ。
まだ、艶香を殺す手段はある。今度は傷つけず、命を奪う方向で行くとする。
「秋堂さん! お願い!!」
「……『御首蛭子、散っ……ち、ちちちちちち』」
なぜ、その名を。露骨に驚愕したミカの動きが一瞬止まる。
これが第一の驚きだった。決して教えてはいない髪人形師ミカの生前の本名を、親に呼ばれていた名を。けれど相手は語祓い師、知っていても当然かもしれなかった。ならば、とすぐに気持ちを切り替える。
そもそも、秋堂は自分の語祓いに耐えかねて、死にかけている。
「『ち、レ』」
白目を剥き、泡を吹きながら、顔中の血管がボコボコと膨らみながら、秋堂は、けれど言い切った。瞬間、ミカを包む膨大な霊力がはじけ、無防備なところが現れる。鎧のようにまとっていた髪の毛も祓われ、ミカの無防備な裸体が艶香の前に現れる。
髪が散った以上大きな攻撃は難しいが、しかしミカは最初からそうするつもりはない。
一本、二本で構わない。細く短い髪を、心臓に通し、呪いを発して止める。それで最小限の傷口で、綺麗な死体を作ることができる。
「ミカっ!」
「……今度こそさよなら、艶香」
拳をツミに握らされる艶香の体に髪の毛が這う。これが体内に入れば。
いくらかは、艶香の霊力に祓われる。それほどに分厚い霊力だから。けれど本命はほんの一本。
――それが止められた。
第二の驚き、艶香が懐に入れていたロカルドの聖十字がそれを弾いたのだ。
何故、まだ艶香が死んでいないのか。既に攻撃は必死の距離。本気で抵抗しなければ、本気でミンチにしなければ艶香の攻撃を受けてしまう。
それは、それはそれは名残惜しい。けれどせねば仕方ない。万全に近い状態であっても顔面で受ければ溶かされたのだ。もしも秋堂に霊力を散らされた今その攻撃を受けたなら、三百年で初めて訪れた浄化の機会になってしまう。
霊力の散った前面ではなく、仕方なくミカは背後に髪の毛を募らせていく。巨大な闇の塊のようなそこから、すぐにでも髪の槍でいくつでも艶香を刺し殺すことができる。
ただ即座にそうしなければもう間に合わない。
二度、驚愕で手が遅くなってしまったから。
なのに三度目の驚きがあった。
拳を握りしめる艶香の表情は、見たことがないものだった。
呼吸は整っている。感情にも波がない。口は堅く結び、揺るぎもない。
瞳は鋭く冷たく感情がない。
なのに涙を流していた。
静かに、ゆるぎない感情と殺意の混じった綺麗な、綺麗な感情だった。
惜しい。殺すには惜しい悲しみ。
怪異としての本能が疼く。この悲しみが美味しい、この悲しみが美しい。
食イタイ。
モット、モット恐怖ヲ与エテカラ 食 イ タ イ。
食欲が増進しすぎたからか、突如として空腹感が増す。
――いや違う。穴が空いている。
腹部に艶香の拳が貫通している。浄化された空気が、蒸気になってぶすぶすと体を焼いていく。
「あ……あ? なん……でっ……!?」
腹部を攻撃したのは、頭は最初に殴ったから遠慮したのか、単に鬼神姫の体がやりやすい腹パンだったのか、それは定かではない。
ただ腹を攻撃したのは偶然だった。五臓六腑、食に関して未練を持って死んだ蛭子にとって食こそが、胃袋こそが弱点の一つとなっていた。
そしてもう一つ。
ただ一人、唯一信頼できる人間である艶香がミカの弱点であったのだ――
ボツシナリオ
秋堂がミカを『ミカ』と呼んだ場合
髪人形師ミカが名前のついた怪異として邪悪化し、自分の感情を抑えられないまま暴走、秋堂を艶香を食い殺しそのまま暴走する。秋堂は上顎と下顎を捩じ切られて絶命する。
秋堂がミカを『髪人形師』と呼んだ場合
シンプルに秋堂が顔面血管梅干になって絶命。ミカは艶香の魂を髪の牢獄に閉じ込め、肉体を意思のない髪人形として使役する。邪神と巫女として二人は永遠を生きるエンド。愛の形・虜囚




