髪人形師4,5 BADEND 永遠の形・血肉
「秋堂、さん、私……」
ツミと離れると、ますます心細くなる。
けれど艶香が選んだのは、逃げることだった。そう決めてしまうことには何度も躊躇したが、一度逃げることを考えてしまうともうそれしか頭になくなってしまう。
死にたくない、あの恐ろしいミカを見たくない。殺されたくない、逃げて、目を閉じている間に何もかも解決していたら――そんな夢みたいなことが起きてくれたら。
思い出も、何もかも知ったことではない。生きる、生きたい、生きていればきっとこの先もっと楽しいことがある。
「私は……」
ツミがぴょんと肩から降りる。そのまま、秋堂の傍に立った。
「タクシーがそこに止まったままだ。急げば乗れる。ほれ金。あとで返せよ」
秋堂に投げつけられたそれを受け取り、門の前のタクシーが走る前に急いで向かう。
もう、逃げることは決定した。
「お前、戦うの? ……そういやお前と一緒に戦うの二度目だな」
ツミは答えない。答えることはできない。
ただ彼女はありえなかった可能性としてのミカであり、その彼女は艶香の傍にいることよりも、艶香を生かすことを選んだ。
たとえ死ぬことになったとしても。
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タクシーから降りて樹海を進む艶香が辿り着いたのは勇者本殿だった。
巨大な髪の滑り台もどこかに消えたようで、その跡だけが残っている。
勇気明王や、襲ってきた少年も跡形もない。ただのオンボロな小屋が残っているだけのようだった。
――ただ、如月信乃の死体はそのままだった。
目玉の代わりに埋め込まれた黒眼と紅眼、指で印を刻み座禅を組む女子高生の死体とは思えないそれからは、いまだに邪悪な気配が漂っていた。
なぜ、ここに放置されているんだろう。救急隊はここまで来なかったのか。だとしたら改めて通報しないといけない。
けど今はできない。目立つ行為をしてミカに見つかることが一番避けなければならない。仕方なく、艶香は信乃の死体の傍に座った。
暴走したツミでさえ壊せなかったこの本殿には不思議な力がある、そう思い込むと少しだけ安心できる気がした。
ただの気のせいだったが。
「ここにいたのね。ちょっと探しちゃった」
うとうとしていた艶香は一瞬で現実に引き戻された。既に信乃の首は吹き飛び、遺体が本殿から放り出される。
ここまで閉鎖された空間では既に逃げ場もない、慌てて立ち上がった艶香であったが――ミカは本殿の扉を閉めた。
「……おあつらえ向きな場所。まるで二人で永遠に封印されるために来てくれたみたい」
「な、なに、どういうこと?」
「艶香は……自分一人が犠牲になって世界を救う、っていうの好き?」
突然の質問に、艶香は意図を何となく理解する。この髪人形師の呪いで世界を包まない手段があり、そのための犠牲になる。
問題はそれをミカから提案するのが意外だった、信用してもよいのかどうか、というところ。
「艶香は、愛って――なんだと思う?」
「あ、愛!? す、好きな人とかいないし、そんなの突然言われても……」
「いやなんかあるじゃろ。結婚し子を孕んでも不倫だ浮気だ言うて離婚するやつもおるし、なんかこう、絶対に壊れない絆とか友情のが尊いというやつもおるし」
ミカがうだうだと持論を展開するが、やっぱり艶香にはよくわからない。そもそも関わった人間が少ないのだ。
愛、などと言われても。
「艶香、好きだぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
突如、ミカが吼える。その場で叫ぶ。誰に聞かせるでもなく、ただ傍にいる艶香には当然聞こえる。
「なに、突然……」
「論だのなんだの意味を感じなくなった時、愛を叫ぶのだと教えられたのだ。だから私は、見習うんだぜ。好きだぁぁぁぁああああああああああ!!」
「なにそれ……」
呆れて言葉も出ないけれど、艶香は笑った。だってあまりに意味が分からない。
すると、ようやく覚悟ができた。
「……それで、秋堂さんとかおじさんはどうしたの?」
「……追ってこられんようにした。殺しはしていないが、メラミンと同じような状態じゃな」
「……そう」
互いの言葉が重い。少しだけ昔のように(というほど過去ではないが)親友のように語り合えたのに、やはり二人の道は決裂してしまうことが確定しているようだった。
艶香は拳を握りしめる。込めるのは、殺意だ。戦う気を出していけば鳥を吹き飛ばした時のように戦えるはず。
「無駄な抵抗を……、まあ、いい。どのみち私がすることは変わらない」
瞬間、闇が深まった。光の差さない勇者本殿と言えど、隙間から木漏れ日のように光はあった。それなのに今はまるで深夜のように暗く、ミカの姿しか視認できない。
「なにをしたの、一体、これは……」
「この空間は封印に適している。そこで、空間ごと私と艶香を封印した。……二人きりの空間」
艶香は走り、振りかぶってミカに殴りかかった。
ミカは無抵抗のまま殴られた、けれど微動だにしない。不思議なのは、艶香の手にも痛みがほとんどないことだった。
「……なんで」
「この空間ではもはや破壊は相ならん。封印とはそういうものだ。この中で起こりうる変質や変化はあれど、物を破壊することは誰にもできんよ。私にも」
ミカの封印である以上、それを解除できるのはミカだけだろう。だが封印したミカがここにいて、中にいる自分でもミカを倒せない。
脱出不可能の牢獄で二人きり、この状況は――。
「私が封印された以上、世界の平和は守られたも同然よ。髪人形の呪力は残っているだろうけど、いずれ有能な祓い師がどうにかする。私の呪力もほとんど漏れ出ない。……艶香にとってもいい話だと思うけど」
「……私は」
封印されて、ずっとここにいるなんて耐えられるわけがない。餓死することはない、普通にして死ぬことはない特殊な空間であるが、精神は違う。ミカと二人きりの空間で、ミカと同じほど長く生きるというのは、今の艶香には考えられない。
「……無理、無理だよそんなの……」
「無理? だったら早々と私はここを出て世界を滅ぼすだけ、だけど」
「そんなの! うぅ……このっ、このっ!!」
無駄とわかっていながら、何度もミカを攻撃した。ミカは抵抗も避けることもしない。殺意を込めて攻撃しなければ意味がないのに、そうしたところで結局意味はない。
「……うぅ……うぅーっ!!」
「……好きなだけ、泣いていい。その後、少し話をしよう」
うずくまる艶香を撫でるミカの手は、強引に振り払われる。ミカは少し寂しそうな顔をしたが、やがて距離を開けて、その時を待った。
三角座りして泣いていて、数時間経ってもミカはただ待っていた。その時に、ぽつりと艶香が呟いた。
「これから、どうなるの」
「はっきり言ってどうにもならない。永遠にここで二人きり……それが私の望みだから」
「……そう」
「その代わり、私は艶香のことを思ってここで封印された。世界は平和になる。……そのためには、艶香がいないと耐えられないから」
「……私は、ただの暇潰し? ずっとこんなところにいて、耐えられるわけない。私が潰れるのを見て、楽しんで、意気揚々と外に出て行って全部破壊……」
「そんなことするか!! ……私はただ艶香の傍にいたいだけなんだ。永遠に、ずっと。だから自由になったらそうできると思った。でも艶香は私が封印されていないとダメだっていう。だったら! だったらこうするしかない! 世界を滅ぼさずにずっと艶香の傍にいるには……」
「あの地下でもできた!」
「それじゃ艶香が先に、すぐに死ぬ! 艶香が傍にいてほしい。抱きしめてほしい。その寝顔だって見たい。本当は、本当は外に出たかった。それが叶わないと艶香が望んだから、私は、私は我慢して、我慢して、……艶香だって我慢してほしい! 私は、私だって本当は、こんなの……」
言葉を発するのも苦しそうな声で、艶香はミカの方を見た。怪異の少女が泣き出しそうな顔をしていると、少しだけ心も痛む。
ミカは、三百年以上生きた怪異であるが、死んだ時はまだ十七。今の自分と同じ年だった。
それが髪人形師なりの譲歩で、髪人形師なりの、艶香への配慮。
「……わかった。できるだけずっと耐えてみる」
「そう、ね。気が変わって、世界が滅んで私と一緒に出てもいいってなるかもしれないし」
「それは……」
ない、と言おうと思って艶香は黙る。途方もない時間を耐え抜くのだから、そういう日が来るのかもしれない。そんな予感を覚えて。
―――――――――――
しばらくは、とめどない会話をした。
外に出られず、天気さえわからない二人が話せることなどあまりないし、記憶喪失の艶香とずっと閉じ込められていたミカだから弾む会話も少ない。
ただミカが髪人形を通して知る世界について、艶香が持っている知識を話し、経験と合わさることで楽しい時間を過ごした。
コーラさえ飲んだことのなかったミカは、そんな話をすればするほど外に出たい気持ちが高まっていったが、こらえた。
知りたい見たい味わいたいという気持ちは元からずっとあった。でもミカにとってそれ以上に嬉しいのは、艶香と過ごす時間。艶香が傍にいてくれれば、何も食べられなくても、全然辛くない。
艶香も、少しだけ楽しかった時を思い出していた。ミカと一緒にいて、ミカと話して、楽しかったのだから、それが嬉しい。
二人は、その瞬間だけは互いに敵意を向けていた時のことを忘れて、お喋りに興じることができた。
―――――――――――
そんな時間は、そう長く続かない。いや時間にしては一週間ほどは話し続けたかもしれない。楽しい時間はしばらく続いた。二人だけで、喋らずにいる時間までも楽しかった。話して話して、空気さえ楽しんで。
それでも、一週間だった。
「……ここって眠れる?」
「できなくはない、わ。不快とか快適、っていうのはないと思うけど」
「……ちょっとだけ休ませて」
静かに横になり、目を閉じて十分ほど待つ。その後睡眠はできて長くて一時間。短い時は十分ほどで目が覚める。
そんな繰り返しをしても、妙な夢を見てしまって気分が良くない。楽しかった艶香としての頃、何もかもを破壊したいイライラが募る鬼神姫の頃など。髪の毛に纏わりつかれる夢も見た――それが不快というわけではなく、むしろ全身を程よく締め付ける髪が妙に扇情的な、淫夢であるようだったり――。
ともかく、艶香は寝ることをしばらくやめて再び喋ることにした。
と言っても、喋るのを止めて寝ることにしたのだから、そんなに会話が弾むことはなく――
やがて二人は、どちらから、というわけでもなく――
口づけを始めた。
―――――――――――
淫奔、というよりも退廃と呼ぶに相応しかった。
実のところ、性的な結びつきに二人は夢中になった。年頃の少女が二人、他に何もない密室で仄暗い閉鎖空間、他のことを全て忘れて、セックスは夢中になれた。
ただ互いに貪りあうだけだった。怪異と人間も関係なく、快楽を得るための行動はなんら変わらず、いくらか時間を潰せた。
それでも三か月は経っていないほど。
「……殺して」
「なっ、何を……」
「もう、これ以上はミカのこと嫌いになっちゃう……んっ」
言葉を、ミカが唇を塞いでとどめた。それに対して、艶香が逆に攻める姿勢になってミカを押し倒す。
また満足するまで二人は体を重ねたが、上から、艶香はまっすぐにミカを見つめる。
「……ごめん。本当に。でも、これ以上は、無理。もう、気が狂う……私が私じゃなくなっちゃうよ……ミカのこともわからないようなケダモノになる。もう……何も……」
人は何もない閉鎖空間に一人閉じ込められれば三日で狂うと言う。二人きりと言えど、セックスしていたとしても三か月もかかって狂わずにいる方が珍しいのかもしれない。
あるいは、もう狂っていたのかもしれない。
「お願いだからもう、殺して……ミカを嫌いになりたくないよぉ……」
「……つや、か……」
言葉を言えない。ただ、けれど、それだけは自分がしなければならないと思った。
封印を解いて外に開放して勝手に野垂れ死にさせることもできる。けれど、それはあんまりだった。
保護者のように彼女を見ていた。今までずっと二人でいた、艶香のために封印し、艶香と交わい続けた自分がすべきことだった。
言葉は言えないが、髪の毛の鋭いところを艶香に差し向ける。艶香はそれさえも潤んだ淫靡な表情で見た。
「……艶香、好きだ。好きだ、好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ。私はもう愛を叫ぶことしか……」
「私もミカが好き。……ミカが好き」
艶香はそっと、髪の束を咥えた。鋭く硬いそれをなめるように頬張り、味わうようにしゃぶる。
「……艶香……愛している」
ミカは髪の毛で艶香を包み込み――後には何も残らない。
空間、ミカは一人になった。
一瞬だけ、艶香を殺す時だけ解いた封印も、再びまた固く閉ざされている。
そして彼女は封印を解かない。
誰にも、見せない。誰とも会わない。ここにいる限り、消化する途中の艶香は自分の中にいる。消えない艶香が自分の中にいる。
自分が生きている限り、封印されている限り、艶香もそこにいる。
こうして二人は永遠になった。
「……私だけのものだ……ここならば、誰にも見せることもない。……私と、艶香の、二人きり……」
怪異・勇者本殿
戦闘力☆☆☆☆☆ 呪力★★★★★
怪異・勇気明王
戦闘力★★★★★ 呪力★☆☆☆☆
元々ろくでもない淫祠邪教の類を祭っていた神社に、中途半端な封印を施した髪人形を配置したためにザコの神聖が取り込まれてできた歪な怪異。
髪人形の呪力を信仰に変えて本殿は要塞化、土着の神聖は髪人形と融合し強力な式神になった。
人殺しゲームで願いを叶えるというのは、強引に供物を捧げて力を強めるため、一応合理的だが、勇気明王としては願いを叶える以上に力を集める目的があった。願いを叶えることができれば、それでまた叶えた人間から信仰が得られるのでデメリットはない。
髪人形の封印は脆弱だが、本殿はきちんと神聖にできているので封印能力が高い、霊力が強いという皮肉になっており、その力を全て怪異に利用される結果となっていた。
ちなみに勇気明王の喋り方や性格は、かつてここで働いていた神主のものに影響されている。案の定破戒僧。




