髪人形師4,4 BADEND 永遠の形・従者
「秋堂、さん、私……」
ツミと離れると、ますます心細くなる。
けれど艶香が選んだのは、逃げることだった。そう決めてしまうことには何度も躊躇したが、一度逃げることを考えてしまうともうそれしか頭になくなってしまう。
死にたくない、あの恐ろしいミカを見たくない。殺されたくない、逃げて、目を閉じている間に何もかも解決していたら――そんな夢みたいなことが起きてくれたら。
思い出も、何もかも知ったことではない。生きる、生きたい、生きていればきっとこの先もっと楽しいことがある。
「私は……」
ツミがぴょんと肩から降りる。そのまま、秋堂の傍に立った。
「タクシーがそこに止まったままだ。急げば乗れる。ほれ金。あとで返せよ」
秋堂に投げつけられたそれを受け取り、門の前のタクシーが走る前に急いで向かう。
もう、逃げることは決定した。
「お前、戦うの? ……そういやお前と一緒に戦うの二度目だな」
ツミは答えない。答えることはできない。
ただ彼女はありえなかった可能性としてのミカであり、その彼女は艶香の傍にいることよりも、艶香を生かすことを選んだ。
たとえ死ぬことになったとしても。
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艶香が訪れたのは女の人体模型が現れた廃小学校だった。
どうしてここに来たのか、秋堂の顔を見て思い出したのだろうか。
警備員がいるのをなんとかかいくぐり、運動場を通り過ぎて、艶香が向かった先は自然と決まっていた。
理科準備室。怪異『女の人体模型』が本拠地としていた、髪人形が置いてあった一室だ。
朝日の差す教室ならば、人体模型も骨格標本も怖くはない。
ただ、それでも血濡れの新聞紙に包まれたその部屋は、少しだけ入るのに躊躇する。
それでもなお艶香が足を踏み入れたのは、その新聞記事に興味があったからだ。
『女の人体模型』こと御髪夜見、生前に髪人形師ミカのことを知り、怪異としてその名を知っていた。
ここにある新聞記事の事件はほとんどが夜見が殺された事件のことだが、夜見とミカに血縁関係があるならば、この新聞記事を見れば何かわかるかもしれない。
どこに隠れても一緒なら、ここほど知的好奇心を満たせる場所はないだろう。
血濡れであるが、血に濡れていない箇所も僅かにある。そこを一通り確認した後、艶香は顔を床や壁にくっつけて、血に濡れた部分の文字もなんとか読み取った。血はすっかり時間が経ち乾いて黒く淀んでいるが、よく見れば文字は読み取れる。画像は流石に荒くて見えないが、その情報はそれほど問題ではない。
そこで艶香は、夜見の生涯のこと、そしてミカの本名を知った。
部屋の半分の記事を読んでいる頃、やがて気配があった。
「艶香。……よもやこんな逃げ場のない場所に来るなんて」
「御首、蛭子」
艶香が名を呼ぶと、蛭子はびくん、と驚くように体を硬直させた。
「……そうか、人体模型の新聞記事にその名があったか」
「どうして、名前を教えてくれなかったの」
艶香は、まだ残っている知的好奇心で尋ねた。隠す意味を理解できないからだが、隠すのはむしろ道理と言える。
「怪異は、怪異としての名が重要なのだ。定義されることで初めて怪異として存在できる。……まあ、私の名前は有名だし、調べればすぐにわかるけどね、それでも『髪人形師』としての私の方が重要よ」
怪異というのは人の思念から生まれるものである。まず基本となる無念な死を遂げた亡霊があり、そこから外部の恐怖や恨みや憎悪が募って怪異を強力にしていく。その点で、名前という象徴は怪異を強力に、強く知らしめるのに必須と言っても過言ではない。
だが、ミカにとって今更そんな強さは必要ない。彼女が気にしているのは――
「忌子として、怪異としての名前ではなく、愛称をつけてくれた艶香に、そんな名前を教える必要はない……そう思っていた」
「……思っていた?」
「艶香の過去を、あの夜麻音という女から聞いた時、運命を感じた。親に忌み嫌われた、力を持つ存在。私と同じだった。……今は、艶香にならこの名前でも受け入れてもらえるかもって思った」
言いながら、髪の毛が伸びるミカに警戒して、艶香は拳を握った。不思議と、その構え、その力の込め方に違和感は一切ない。
この場所が、女の人体模型と戦った空間が、艶香に戦う勇気を与えているのだと気づく。
――きっと、彼女も髪人形に対抗すべく、御首蛭子のことを調べていたのだと、体が理解する。
『女の人体模型』御髪夜見の意思と、『鬼神姫』艶香の経験が、今の艶香の体にあった。
だが無意味。
素早い髪の攻撃になすすべなく、艶香は張り倒され、引きずり回され、縛られたままミカの前に引っ張り出された。
「つ……あ……つよい……」
「そりゃそうだって。最強なんだから」
痛みと諦念で意気消沈の艶香に、ミカは呆れる風に言った。勝てる、と思われたことが不快なくらいだけれど、そんな馬鹿な勘違いも艶香がするとどうにも可愛く思えてしまう。
だからこそ、ミカのとろうとしている選択はミカの意に沿うものだった。
「艶香、私の眷属になれ」
「けん、ぞく?」
「ああ。簡単に言えば私の弟子になって永遠に共に生きるのだ」
「……それって、なに? どういう感じ」
艶香にはそれがどういう意味かよく理解できていない。おそらくは、同じように怪異になるということなのだろうが。
「どうしたいの?」
「艶香は愛とは――なんだと思う?」
「……わからないけど。……殺しはしないんだ」
「うん」
まだ安心はできないけれど、それでも艶香はどこか緊張感が緩んだ。地下で見せた恐ろしいミカの姿が見られないことも、今もこうして艶香を殺さないことも必要以上に傷つけないことも、安心の理由であった。
「関係としては、殺人理髪師とマネキンの首のような感じだが、あそこまでひどいものではない。私と艶香なら、魔本と信乃のような、信頼と愛のある関係に――」
「私以外は?」
艶香の言葉にミカは一瞬口ごもったが、胃を決して口をすぐに開く。
「皆死ぬ」
「じゃあ……」
答えはもちろん拒否、だけれどその言葉を言う前に、ミカは髪で艶香を覆った。
まるで繭のようなそれが、絶え間なく艶香に霊力を注ぎ込む。彼女の分厚い霊力さえ覆いつくし、飲み込むほどの強力なものを。
もはや意思など関係ない、力の本流に飲まれた艶香は意識を失い、そして――。
―――――――――――――――
世界は黒く染まった。
その中で生きるのは、たった二つの生命、いやたった二人の怪異。
「……艶香」
呼ばれた眷属は返事さえしない。ただ厳しく冷たい視線で主を射抜き、殺意を込めるだけだった。
脅すことも命令することも主の自在だった。主の言うことには決して反抗できない眷属だった。けれど、その心だけは、どうにもできない。
ミカは失敗した。二人きりになれば永遠だと、愛されると、そう信じていた。けれどそうではなかったのだ。取返しのつかない失敗は、もう解決することがない。
永遠に。
「……解放、した方がいいかしら」
「……解放?」
「あなたに、人としての死を」
もう生きる必要がない。きっと永遠に艶香の心を失ってしまったのだから、もう何もかも、終わりにしたい。
「……ごめんなさい。私も、すぐに逝くから」
「……そう」
人なんてどうだっていい、世界のこともどうだっていい。ただ艶香が一緒にいてくれればそれでよかった。なのにそうならなかった。存在よりも想いを重視した。結果、もう全てを失ってしまうような気分になった。
殺す必要を感じない、艶香と離れることは寂しいし、今から自分が消滅することも納得はしていない。
けれど、ミカはそれが正しいことのように思えた。そもそも、自分という存在が間違っていたのだと。
艶香を消滅させる瞬間――彼女は笑った。
厳しく、色の失った目だったけれど、僅かに頬が歪み、穏やかな瞳をした。
「……そうか、そうかそうかそうか! これ、これが正しいのね! 艶香!」
自分の正しさではない、艶香の正しさことが大事だった。そうミカは確信した。
彼女が笑ってくれた、自分の選択を認めてくれた。それが本当にうれしくて、艶香の傍にやっと居れた気がして。
きっと、消滅した後に天国か地獄があるならば、そこで艶香が褒めてくれる気がして。
髪人形師はこの世界から消えた。
その星には何もなくなった。
怪異・女の人体模型
御髪夜見
戦闘力 ★★★★☆ 呪力★★★★☆
髪人形で狂った人間に監禁、強姦され死んだ女性。
しかし髪人形師ミカの遠縁であり、本人も監禁生活の中で髪人形に魅入られていた。逃走するでもなく髪人形師の本名を突き止めた。死にゆく中で芽生えたのは原因である髪人形師と自分を殺した男への憎悪、それを糧に怪異化し、小学校に陣取った。男は学校教師で体が小さくなった夜見を学校に持ち運んだためこういう形での怪異化を果たしたわけである。
きっかけがなかっただけで彼女にも祓い師としての能力はあったのだが、出会った最初の怪異が髪人形であったため、発揮されることはなかった。
犯罪に巻き込まれる前は一日にコーヒーを最低三杯、最高七杯飲む研究家肌の准教授、恋愛に興味がなかったので男への憎悪が一際強い。




