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髪人形師4,3 BADEND 永遠の形・盲目

 「秋堂、さん、私……」


 ツミと離れると、ますます心細くなる。

 けれど艶香が選んだのは、逃げることだった。そう決めてしまうことには何度も躊躇したが、一度逃げることを考えてしまうともうそれしか頭になくなってしまう。

 死にたくない、あの恐ろしいミカを見たくない。殺されたくない、逃げて、目を閉じている間に何もかも解決していたら――そんな夢みたいなことが起きてくれたら。

 思い出も、何もかも知ったことではない。生きる、生きたい、生きていればきっとこの先もっと楽しいことがある。


「私は……」


 ツミがぴょんと肩から降りる。そのまま、秋堂の傍に立った。


「タクシーがそこに止まったままだ。急げば乗れる。ほれ金。あとで返せよ」


 秋堂に投げつけられたそれを受け取り、門の前のタクシーが走る前に急いで向かう。

 もう、逃げることは決定した。


「お前、戦うの? ……そういやお前と一緒に戦うの二度目だな」


 ツミは答えない。答えることはできない。

 ただ彼女はありえなかった可能性としてのミカであり、その彼女は艶香の傍にいることよりも、艶香を生かすことを選んだ。

 たとえ死ぬことになったとしても。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 艶香が訪れたのは、三番目の怪異と出会った市立図書館であった。

 ここはグリモワールだけでなく、如月信乃とも出会った場所。ミカの過去を知った場所。

 まだ朝早く開放されていない施設だが、まるで艶香を待ち構えていたかのように自動扉が開く。

 誰かいるのだろうかと訝しみながら、東棟を横切り、西棟へと歩く。

 耳を澄ましてみると誰かが作業している音がする。自分以外に誰が、とは思うが、もともと『ナイトミュージアム』として人を集めていた場所だ。興味を持った人が夜中に侵入しているとか、調査しているとか。

 一応注意しながら、艶香はグリモワールが置いてあった書架にまで来た。


「右、奥、左、左、上から二段目、右右右」


 覗いてみても誰もいない。書架にはぽっかりとグリモワールがなくなったところが空いている。

 ここでじっとしていても何も変わらないが、それ以上にすることはない。髪人形のあったここかほかの場所にいないと探知されてしまうかもしれない、とのようなことを秋堂は言っていた。それを信じてここで待つしかない。

 退屈しのぎに並んでいる本を艶香は見た。グリモワールは『私の心』というタイトルだったが、この辺りにあるのは自叙伝や自費出版の本が多いらしい。その他コーナーと言ったところだ。

 その中で一際目を引いた一冊が『怪異全集』、著作は怪異協会と書かれている。

 手に取ってみるが、艶香が今まで倒した怪異については何も書かれていない。最近の存在だからだろう、書いてあるのは知らない化物ばかりだった。

 ただ一つ、髪人形師を除いて。


『髪人形師

 江戸時代より存在し、封印されている怪異。かつて呪物・髪人形を作り日本中に散逸させた最大最悪の怪異。本人の霊力はそれより遥かに強力と思われ、高名な二十五の祓い師が封印している。

 生前は髪祓い師『御首(みぐし)蛭子(ひるこ)』といい、生きている間は髪人形を作り人間と怪異を殺し続けた。享年十七歳』


 情報は少ない。

 それよりも目を引いたのは。


「読んだのか」


 声がする方を見ると、ミカが――御首蛭子が立っていた。


「どうして、ここに……!」

「それはいい。読んだのかと聞いている。私の名前を見たのか」

「……見たけど」


 ミカはそっと近づくと、ゆっくりと艶香からその本を取った。艶香は特に抵抗もせず、茫然と、それを手渡すように話した。

 髪の毛の中に本が入っていくと、粉末のようになってさらさらと落ちる。その間、ミカの表情はどこか物寂し気で落ち込んでいた。


「この名前が嫌いだった。私は実際、生まれた時から忌み嫌われていたって死んでから気付いた。……それに比べたら、ミカなんて適当につけてくれた名前でも、何度も呼ばれるたびにうれしくなった。私を髪人形師と呼ばないあなたが呼んでくれた名前だから」

「……ミカ」

「……じゃあ、殺すね」


 それは何の脈絡もなく。

 ミカの髪が艶香の瞳を切り裂いた。

 痛みと傷を受けた反射で艶香が両目を庇おうとすると、瞬間その両腕も切り刻まれた。

 腕がない。けれど腕に纏わりつく奇妙なものがある。髪の毛だ。髪の毛が艶香の腕の傷を縛り付けている。

 走って逃げようとした瞬間、足も裁断された。同様に傷口を縛り付けて――


「いたいっ! いたいっ!! なに! なんなの!?」

「艶香、愛とは――なんだと思う?」

「うるさいうるさいっ! 消えろ!」


 少なくとも、こんな風に痛めつけることではない。そう思うものの、もう艶香が出せるのは口くらいだった。腕も、足もない。

 それなのに不思議と痛みはなかった。ミカの髪が感覚を麻痺させているのだろう、血はゆっくりと流れていき、放置しておけば死んでしまう。


「私が思うに、愛とは、永遠だ。その人の永遠となること」


 ミカは、足や腕にしたように、艶香の口と瞼も縫い合わせた。もはや、声を出すことも、目で何かを見ることもできない。

 腕も足もない、見ることも喋ることもない。人としてできることは、もはや呼吸をするだけ。

 そして体に何かが触れた。柔らかいものが背中に触れる。髪の毛、だろうか。

 心細さが生まれた。今にも殺されるかもしれない。けれどこんな回りくどいことをするのなら、しばらく殺さないかもしれない。音しか聞こえない。そんな状況で、誰もいない市立図書館で、何もわからない。

 ただ床の冷たさと背中に触れる髪の柔らかさのみで――時間が経った。

 体が寒くなった気がする。血の流れる感覚、腕や足の切断面の痛みがじわりと増してきた。


「艶香」


 声がした。ミカの、聞き慣れた声が。ビクン、と残った体全てを震わせ、首を動かして反応するが、どこからした声なのか、それすらわからないけれど、今の艶香にとってそれだけが(しるべ)だった。

 けど動けない。思いも伝わらない。何をどうすればいいのかもわからないが、この状況はあまりに寂しい。誰かいないのか。誰か助けてくれないのか。

 謝ったらミカは許してくれるだろうか。こんな風にされるなんて思わなかった。あまりに、あまりにひどい仕打ちだ。

 許してほしい、助けてほしい、けれど言葉は出ない。

 煩悶して、苦悩して、ミカの言葉がないことを思い出す。

 どれくらい経っただろうか。憎しみを露わにしていたミカは、もう自分のことを放ってどこかへ行ったのかもしれない。人々を虐殺しているのかもしれない。自分をこんな風に中途半端にしたままで。

 それは、ひどい。殺してほしい。こんな気持ちになる前に、ますます不安になる前に、早く、早く。

 体がますます寒くなる。夏の朝に、意識が朦朧としていく中で、死ぬのが近いことが安心できるようで、本当に不安だった。誰だって死ぬのは不安で、そんなことに安心を感じることがおかしいのだが、それが半々になるほど追い詰められる。

 人と一緒であることの幸福、ミカと一緒だった、信頼できる相手と一緒だった幸福を思い出し涙する。縫い合わさった瞼に涙が伝う。ああ、でも、裏切ったのはミカだ。ひどいのはミカなのだ。なのに、今はもう、やっぱりミカしか信頼できる相手がいない。ミカはもうきっとここにいないだろうけど、ミカに会いたい。会って、話して、謝って、触れ合って、あの夜のように抱き合いたい。

 また、時間が経った。絶望と孤独に苛まれて、呼吸さえ絶え絶えになって。


「……艶香」


 声がした。ミカの声がした。うれしい。涙が帯びる感情は一気に温かみを増し、安心した。

 ずっと傍にいてくれたのだろうか。それは、意地悪だ。それなら声をかけてくれたらよかったのに。支えてくれたらよかったのに。


「艶香、すまない、艶香」


 ミカがそっと両手足のない艶香の体を抱き締める。耳元で囁き、縫い合わさった艶香の口にキスをする。頭を撫で、背中を撫で、残った全身に感覚があると示すように撫でまわす。

 それが幸せでたまらない。もう今の艶香には涙を流すことしかできないが、それはとめどなく、すぐ、艶香が死ぬまで、流れ続けた。

 艶香は、こと切れた。

 物言わなくなった死体を、すぐにミカは食べた。そのミカも泣いていた。

 こうしてミカは艶香の永遠となった。彼女は最後の最後できっとミカを愛した。艶香の中で、ミカは永遠になったのだ。


「……さて、とりあえず人は皆殺すか」

 

 特に理由はない虐殺だった。腹癒せにもならないだろうけど、ミカはそれを決意した。

 そして、星からは全ての生命が消えることになる。

怪異・市立図書館のグリモワール

生前の名前は如月(いのり)

戦闘力 ★☆☆☆☆ 呪力★★☆☆☆

如月信乃の母親で書祓い師、怪異について記せば記すほど弱体化させる力を持っていたが、髪人形のスピンを前に呪い殺され、死後なんとか髪人形を封印できないかとグリモワールで自分の顔面を叩き潰し怪異化に成功した。

如月は戦闘力はそれほどだが封印や弱化に長けた祓い師の一族であるため、様々な呪物を管理していた。ただ信乃が会話しかできないため断絶、呪物は後に天神が管理することになる。

グリモワール自体の能力は死んだ祈と髪人形が相殺しあっているため弱め。市立図書館を拠点にしているわけではなく、グリモワール自身が拠点の役割をしている。

なお、作中でミカとツミに力を奪われる直前、娘の信乃に伝えたのは髪人形師を必ず祓ってほしいという旨である。

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