髪人形師1
少し、前。
「天神さん、廃病院はもぬけの殻だった。今から勇者本殿かそっちに合流していいか?」
『黒い霊力の柱は感じ取ったか? できればそちらへ迎え。どうも我が家の方向ではない』
「あれは……じゃあ勇者本殿ですかね。向かいます。天神さんは?」
『我が家に向かう。髪人形師を一目見なければ安心できん』
あの世界一ヤバそうな黒い柱よりヤバいものかよ、と秋堂は心の中で思うが、黙っておく。
目良実ととりあえず連絡を入れるとして――
『ええ、はい。大丈夫ですはいはい。案の定女性の声がしたので上山艶香はこちらにいるかと。援軍は……遅いんじゃないですかね。じゃあ念には念を入れて図書館と理髪店を通ってから天神家に行ってもらえませんか?』
「お前大丈夫かよ。一人で解決できるってか? 自惚れんな」
『何が何でも祓います。それより髪人形師ですよ、秋堂さん』
目良実の頑なな態度に腹が立つものの、他の怪異の場所を巡る猶予はないと思った。だが一応向かう道の途中に両方あるから、念には念を、と遠回りしていた。
天神と目良実なら、なんて淡い期待があったかもしれないし――自分の実力じゃ、こういう雑用をするのがちょうどいいかもしれない、とも思ったからである。
―――――――――――
『ほれ急げ、やれ急げ、艶香、早くせんとツミが祓われてしまうぞ』
「そんな焦らせないでよ!! 急いでいるから!」
空が白んできた。ほんのり涼しい夏の朝に、少女は髪人形を抱えひた走る。
何度か通った道だった。記憶を失ってから、この辺りで活動していた艶香にとってもう慣れた道でもある。
そんな道を、これから長く通るだろう道を、今ともにいる親友とはもう二度と一緒に歩かない。
『天神のやつがいつ来るか、それだけが心配じゃ』
「どうしよう……うわっ、なんか着信だ。これ時雨さんの携帯だけど」
『いや出んでいいじゃろ。それより走れ走れ』
それもそうか、と艶香は走る。あとで天神に謝る時に一緒に渡せばよいだろう。着信ももしかしたら天神からかもしれないし、今は出なくてもよい。
やがて天神家についた。相変わらず人の気配のない厳かな屋敷の、庭にある土蔵を通り、地下へ。
「艶香!! その人形を手放せ!!」
天神の声が響いた。既に、すぐ後ろに。
雷が落ちるような声に艶香は足を踏み外す。湿った古い階段で、精一杯両手を広げて落ちないようにする。
途端、ガッと背中を掴まれる。落ちないようにはなったが捕まってしまう形になって。
ツミを投げればツミは助かるけれど、そうしたらもう二度とミカに会えない気がしたから。
艶香は掴まれたまま、思いきり飛んだ。
「ミカぁぁぁぁぁあああああ!!」
天神が落ちそうになり、手を離す。今、怪我をするわけにはいかない。
艶香が階段でなんとか着地すると、落ちるように駆け抜けて、そのままミカに突進した。
「ぐえっ!? なんじゃ!」
「ご、ごめん! つい勢いで……」
勢いで抱き合うような形になった艶香とミカは、顔を合わせて笑った。最後の最後まで、こんな風に締まらないなんて。
けれど、そんなものでよいのかもしれない。お互いに死ぬわけではないのだから。
「本当に、艶香は……」
「……ミカ」
母に抱かれたような穏やかな笑みを浮かべるミカに――郷愁と寂寥感を覚える。このまま別れる寂しさを、味わうことはやはり耐え難い。
「天神のおじさん! お願い、話を……」
「艶香! 早くそいつから離れるんだ!!」
「待って、天神のおじさ――」
言葉の途中、違和感が艶香を襲った。
朝焼けが光る中なのに、普段に比べて妙に土蔵の中が暗いというのは感じていたけれど、それ以外。
そういえば、真後ろにミカが立っていた。
「……あれ、ミカ?」
「艶香。……本当にご苦労じゃった。なんと言葉を尽くせばいいか、わからん」
涙しそうなほどしみじみと語るミカは、艶香の頬に手を当てて愛おしそうに見つめる。
悲願叶ったミカの喜びようを前に――艶香は言葉が出なかった。
「……あ、れ?」
ぴょんと、ツミが艶香の肩の上に乗った。その力は、艶香でもわかるくらいには弱まっていた。そう、初めて作られた時まで状態が戻っていた。
「うむ、ツミはそこの方が慣れたか。よいぞ」
「み、ミカ? 動けるんだ。ここまで」
「それもこれも艶香のおかげじゃ」
「艶香ぁっ! 早くそいつから」
「黙れよ、小童」
ミカがただ一言、威圧しただけで神貴は呼吸が、心臓が止まる。
艶香は急激な痛みを全身に覚えた。『重い』と例える空気を、今までの怪異でさんざん感じていた。だが今回のそれはまさに空気が刺すような痛みだった。
艶香の苦しみを察してか、即座にその場の空気が和らぐ。だがどんよりとした重みと肌に纏わりつくような邪念が、いまだに抜けない。
「おお、すまなんだ。艶香まで苦しめようとしたわけではないのだ。ただ、あの小僧が生意気だから」
「天神のおじさんは、悪い人じゃないよ、ね、ミカ」
ミカはまるで変わらない様子に思える。本気を出せば凄くて、けれどお茶目で、たまに慌てて、怪異らしい恐ろしさも出すけれど、話せばわかってくれる、よき理解者で艶香の保護者のような。
「ミカは……ミカは、元から動けたの? それとも」
何を尋ねるか窮した艶香は、けれど一番気になっていることを尋ねた。それは艶香自身の罪を知らしめることに違いない。
「いや、動けるようになったのはついさっきじゃ。こればかりは艶香のおかげじゃ」
それは決定的な一言だったが、ミカは特に脅すようなこともなく、満面の笑顔だった。
「艶香が髪人形を集めてくれたおかけだ。感謝の言葉が絶えん」
こてん、とミカが艶香の胸に頭を当てた。幼い子供がするような仕草に、艶香はつい髪を撫でながら、問う。
「……騙してたの?」
「騙す? これは異なことを言う。髪人形を回収し、五つの怪異を祓った。間違いなくそれで起こる悲劇はなくなり、その場所は安全になった。約束通りだ」
「でも、だって、それは」
「その代わりに私が自由になるのは、別の話だ」
「だってそんなの! それじゃ……」
何も変わらない、そう言いかけた艶香は言葉をぐっと飲みこんだ。
純粋無垢な少女の見た目をするミカが、悪意を発露していないのだから、きっと、艶香が想像するような悪い事態にはならないはずだ。
だってミカはみんなを守ってくれた。自分を助けてくれた。
「ミカは、誰も殺さない、んだよね?」
「いや殺すじゃろ。雑に」
艶香の希望はあっさりと打ち砕かれた。




