勇者本殿7
殺意、という点ではもはや鳥の方が勝っている。
三度、糞を引っかけられた夜麻音についに鳥は殺す気で挑む。鋭い嘴で目や怪我をした頭部を狙いつつ、甲虫をぶつけている。
それを夜麻音が防いでいるのは、腕でなんとか守っているから。抉れた肉がぼとぼとと落ちていく中で、その反骨心は見て取れた。
鳥は虫を操る余裕がないのか、ひたすら夜麻音に集中している。ただ、それだけ猛威が増したということで。
艶香は生まれ変わったような気持ちでそれを見ていた。
恐怖はある。助けたい気持ちもある。
自分の命が助かりたいという欲求は常々感じていた。美しいとかかわいいと感じる気持ち。哀れみも覚えた。
ただ、怒りというのは、殺意というのは。
――人間という生物は肌の色も言葉も違う。文化も違う中で共通するものがあるとすれば。
感情、それも世界共通で理解できる人間の表情七種『笑顔』『驚き』『悲しみ』『嫌悪』『無』『恐れ』そして『怒り』。
強い感情こそが全世界、全人間に通じるものであれば、それこそ人間の本性、本領。
正義感や悪意以上に爆発するものがそこにある。
鳥が嘴で夜麻音の頭を狙う。それが再び腕に防がれる。
鳥の怒りは尿だった。何度も何度も攻撃を防ぐ相手に怒り、尿をまき散らしたのだ。
夜麻音の怒りはただ内でくすぶる。鳥に少しの意識も傾けず、艶香のために、ここにはいないどこかの艶香のために自分が今すべきだと思うことをさせているだけだった。
艶香の怒りは。
空を舞う鳥が突如バランスを崩し木に打ち付けられる。
何が起きたかのを理解したのは一人だけ、夜麻音と鳥は艶香の方を見た。
「……殺す」
彼女は、けれど表情はもう驚きに包まれていた。
「……って思った」
「さ、流石です艶香さん!! でも、でも殺せてないです! もう一回した方がいいですよ今の! いやでも姫ならこれくらいできて当然っすよ! 姫って触らなくてもなんかぶっ殺せそうな感じしてましたもん!!」
「いや、いやそれは無理だよ」
「艶香さんが無理なんて言うんじゃない!!」
「な、なんなの……」
この人のテンションにはついていけない。夜麻音が興奮する理由はわからなくもないが、どうも昔の艶香と今の自分の乖離が激しすぎて何にも伝わってこなくなったのだ。
ただ、鳥が生きているというのは確かにまずい、そちらに意識を向けると――。
「縛印・寧土」
聞き覚えのある声がした。
口を開けたまま絶叫するように目を見開いた鳥が、震えながら目良実に掴まれていた。
「し、しぐれさん……」
「お久しぶりです上山さん。何から話しましょうか。まずこういう危険なところ来るなら連絡欲しいって言いましたけど、まそれはいいです。とりあえず天神さんと電話繋がってますけどいっちょ叱られます?」
「んだテメェコラァ!? 艶香さんに馴れ馴れしい口きいてんじゃねえぞ!!」
「夜麻音、落ち着いて」
「すいませんでした!!」
夜麻音が勢いよく艶香に向かって頭を下げると同時にボキリ、と嫌な音が鳴った。
鳥は目良実に首を折られ絶命した。
「あ、はい。ええ、虫祓いの鳥なんですけどもう血の味も覚えた様子だったので始末しました。こんなのに『勇者本殿』の監視をさせたのも私のミスです。ええ、ええ」
目良実は二人のことを意識せず、電話先の天神と喋っているらしい。既に握り潰した鳥にも興味をなくしたように地面に落とし、念のためにと踏みにじる。
虫たちは主を失ってかまばらに移動したり、縄張り争いを始めるものまでいた。それを気にする者はもう誰もいなかった。
「はいはい。勇者本殿と髪人形は祓います。はいはい。はい、はい、はーいはいはいはいはい」
面倒臭くなったのか露骨にはいを連呼しながら目良実はスマホをポケットにしまう。そして改めて艶香らに目を向けた。
「で、あの髪人形はどうしたんです? ……なんて聞くまでもないんですけど、こう様式美というか一応聞きました。でもいくら私でも見えてますよ」
目良実は山の上の方に目を向けた。霊力が見えるものなら、ほんのりでも気付く。
勇者本殿。そこから巨大な黒い柱のように霊力が立ち上っているのが。
「合体でもしたのか、なんなのか知りませんけど……わかりやすい目印がありますね」
祓い師でなくとも何か悪寒がするほどの邪悪な気配。朦朧としている夜麻音や分厚い霊力を持つ艶香だからこそ今は気付けないかもしれない。だが本来なら、あの眼鏡の男のように気を悪くするのが当然なのだ。
そんな黒柱から目をそらし、再び目良実は二人を見た。
「ひどい怪我をしている。君たちはもう帰りなさい。おじさんが救急車を呼んでおきます」
「でも、ミカが捕まって」
「あれは邪悪です。祓います。お別れが言えないのは寂しいかもしれませんけどね、騙されてますよ上山さん」
「騙されてなんかない! ミカは、ミカは……」
目良実は少し面食らう。髪人形師がどういう怪異かというと、暴虐な力のあまり暴れまわった、くらいの雑然とした情報しかなく、詳しい情報はない。
ただ、禁忌とはえてして語られざるもので、それはそれは危険、くらいでいいと思っている。故に、このように少女をすっかり騙して虜にする可能性もあるのでは、とは思った。
「危険そうですね。帰った方がいいですよ。では」
言うや、目良実は先んじて黒柱へ、本殿へ向けて走り出した。艶香を縛印で封じられるなどうぬぼれていないし、目的を見誤ってはいけない。
最優先事項は髪人形の浄化、次に勇者本殿の浄化、少女などどうだっていい。
だが艶香にとっての最優先はまずミカの救出、そのためには勇気明王をどうにかして、勇者本殿を開け放たなければならない。
「行かなきゃ……夜麻音は救急車呼んでもらった方がいいよ。私はスマホ持ってないけど……」
「……ちょっと休憩してからいきます。離れはしません」
言いながら、座って既にビリビリの服をまた裂いて自分の傷口に当てる夜麻音を見て、艶香はアマゾネスみたいだと思った。どこか現実味が沸かないけれど、こんな強い人が恐れ敬う自分がどういう人間だったのかますますわからなくなる。
ただわかることは。
「無理はしないで。もう腕もボロボロになってる。命を捨てるような真似は許さない」
少し、強気に言ってみた。それが前の艶香っぽいかな、なんて思って。
「似合わねー」
「……う、ごめん」
「謝らなくていいですよ。……急いだ方がいいんでしょう?」
艶香はもう何も言わず、その夜麻音の優しさに甘え、頭を下げて目良実の後を追った。
残された夜麻音は――
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電話がかかってきたのは突然のことだった。
『おいパン。ついに牙歯美姫を復活させたぞ』
「……ついにですか。で、それって結局なんなんです?」
『食い殺した人間を永遠に苦しめるっていう上級の怪異だ。これでクソ親父共もおしまいってわけだ』
「ゲームの話、ですか?」
『なんでもいいよ。じゃあな』
それきりだった。
その後、艶香は両親が死亡し、どこかへ行ってしまったのである。
それからの夜麻音は、ひたすら探し続けた。
そして、怪異という言葉と、勇者本殿に出会う。
鳥
元々は虫祓い師の飼っていたペットの鳥。ただ能力と資質があったために虫を操るすべを得た。
操る虫は基本人間には無害だが、霊力を微細にまとっており大量に纏わりつかせれば怪異にダメージを与えられる。広い樹海という危険な場所をのんびり怪異祓いをしていたわけだが、勇気明王と出会い、人間になるという願いを叶えるために邪道に落ちた。感謝はされていたが害獣になったのであっさり殺される。既に五人は鳥に殺されていたので、仕方ない処置。なお虫祓い師は既に断絶しており、この鳥が最後となった。




