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勇者本殿6


 虫が這う。毛虫、蜘蛛、蟻、百足、ゲジゲジ、名前はなんだっていい、ハエのような小さなものから大きなものまで多種多様な虫が二人に向かって攻撃するように近づいてくる。

 艶香は生まれて以来一番大きな悲鳴を上げた。裂けんばかりの悲鳴が樹海に響き渡るが、助けてくれるものなどいない。開いた口からも虫が体内に入り込もうとする。


「なにビビってんすか! アンタがこんなんにビビるわけないでしょ!」


 夜麻音は大量の虫にまとわりつかれ、足元から登ってきているというのに冷静だった。普通は冷静でいられるわけもない、しかし彼女は普通ではなかった。

 手近なところにある太い木の枝を拾っては振り回して虫を追い払う。しかしそんな動作だけでは虫は怯むことさえせず、交わしてなおも攻撃を続ける。

 途端に、衝撃を夜麻音が襲った。右の腕に鋭い裂傷ができている。刃物で切られたような傷に一瞬呻くが、すぐに向き直った。

 そして、傷口に殺到する虫を見て、ようやく問題を直視した。


「艶香! 耳と、鼻に何か詰め物して! 入ってくるっすよ!」


 言いながら夜麻音は口の中に入ってくる虫は噛み潰すなり舌で押し潰すなりして吐き出した。こんな山の中に強い毒を持つ生き物はいないと思ったから、なんて考えず、ただ力の限りの行動で。

 けれどもう、艶香は虫に埋もれていた。


「なぁにやってんだよもおおおおお!」


 八つ当たりするみたいに夜麻音は艶香を二度、三度と木の枝で殴りつける。いくらかの虫がぼたぼたと落ちてやっと姿が見えるようになったのを、掴んで引っ張り上げる。


「うぇぇ……」


 ぺっ、と口から数匹の虫が落ちる。けれど鼻や耳にそれほど虫がいる様子はない。艶香の霊力のおかげだろう、霊力で操られた虫は彼女に深く触れることで戻るのだ。

 シャツを無理やり裂いた布を丸めてやっと詰め物を作り入れた。

 そこを、今度は夜麻音の頭に衝撃が走る。同じ裂傷を生み出す敵の正体を、ようやく二人は見た。

 虫の羽音で聞こえなかった。厳密にはまだ耳の中で羽音は聞こえている。

 だが、バサバサと羽搏く音は、虫には決して出せない、勇猛な鳥類の羽音。


「と、鳥?」


 木の上から、まるで見下すように猛禽の瞳が二人を見つめていた。

 夜の樹海で鳥が鳴いた。

 あいつだ、と。

 二人は直感した。


「あんのクソ鳥が操ってやがんな!?」」

「あれが五人目!」


 嘴の端を歪めた風に見えた、まるで笑うように。そんなわけないだろうと思いながら、怪異の森の中では何が起きてもおかしくない。

 鳥の足には赤い肉片がこびりついている。髪の毛のようなものまでついていて、それを視認してようやく夜麻音は自分が思ったより重傷だと気付く。

 どろどろ流れてくる血をしばらく見つめた後、傷口に飛び込んできた掌ほどの蜘蛛を握りつぶし、すぐに頭にも布を巻いた。


「殺しましょう、艶香さん」

「で、できるの?」

「そこはですね! 殺しましょうじゃねえよなにお前が提案してんだ殺したいなら勝手に殺せって言うんですよ鬼神姫なら!」

「めちゃくちゃだよ!」

「めちゃくちゃじゃねえよ! いつもの艶香様ならあんな鳥掴まずに叩き潰すんだよ! こんな虫だってこう! こう! こうやって踏み潰すんだよ! 女みてえなきゃあきゃあ悲鳴はあげないし子供みたいにピーピー泣かないし男みたいに自慢げにもならないどこまでも孤高で! 美しくて! 暴力と悪の化身みたいな人なんだ!」


 頼むから。

 同じ顔で喋らないでくれ。


「あの人だったら気合だけでこんな虫振り払えんだよ! あんな鳥睨んだだけで殺せんだよ! それが! できないなら! 私が代わりにやってやる!」


 もはや虫など気にせずにズカズカと歩いて鳥の留まる木に近付くと、そのまま両腕を伸ばして登り始めた。

 鳥がぎゃあと鳴くと、木の上からも下からも虫が這い寄る。それすら気にせず近付くと、鳥は糞をして別の木に飛び去った。


「夜麻音……」

「腹が立ちませんか?」


 突然冷静になったような夜麻音はひどく不気味に見えた。それが怖くて艶香は頷くことさえできない。

 けれど夜麻音は坦々と喋る。


「私はあんな鳥も虫も別に腹が立たないんですよ。あなたに腹が立っているんです、艶香さん。鬼神姫と同じ姿で虫にビビり鳥にビビり、なんなんですか? 如月信乃とかいう女を助けにきたんでしょ? ミカとかいう黒い人形を助けるんでしょう? 虫が怖い? 鳥に糞引っ掛けられるのが怖い? 私を見ろ! 全然平気だそんなもの!」

「だけど、夜麻音、血が……」

「アンタに殴られて踏まれた時の方が出た! 髪を燃やされたことだってある! 面白半分で溺死しかけたことだってある! 何を守られて当然みたいな顔でビビってんだよ上山艶香! お前は一番違うだろそういうのと! この日本で殺すか殺されるかみたいな生き方してただろうが!」


 そんな自分は知らない、そんな人間がいるとも思えない。

 なのに夜麻音の叫びは鬼気迫るものがあって、艶香はおろか、鳥まで虫の動きを止めて聞き入っているようだった。


「野郎ぶっ殺す、そう思ってください。言わなくていいです。言わなくても伝わります。あんまり鬼神姫は言いませんでした。いつも思いついたように「あ」と言ってからいきなりぶん殴るんです。ぶっ殺すなんてぶっ殺すことができない時に言うからです。私は電話越しにぶっ殺すって三回言われてから次会ったときにぶん殴られましたから」


 話は混雑して、血が流れて朦朧としているのか思い出話のようになっているが、艶香は今、夜麻音に大切なことを教えられた。

 今までの艶香に欠けていたもの、恐怖や笑顔とは違う感情。

 殺意と怒りだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「つくづく変わってんな、お前も」


 夜麻音の部屋のベッドに寝転んで、だらっと艶香が言った。

 部屋の主人である夜麻音は立って畏っている。階下では両親が札付きの悪を家に呼んだ緊急事態で夫婦喧嘩になっている。

 五分が経つと、騒がしい両親を殴って黙らせた艶香が再びベッドに寝転がっていた。


「お前親殴られて平気なの?」

「他人ですので」

「血が繋がってないとか」

「いえ。血は繋がってます、実の両親です。でも、そこまでじゃないですか? 家族って」

「そうだな。それはそう思っていた」


 夜麻音はなんの気の迷いで艶香が家に来たのかもわからなかった。単なるいつもの嫌がらせの部類かと思ったが、その割には大人しい。むしろ、家にお呼びできた喜びの方がまだ勝っている。


「殺したいんだよな、親」

「……へ?」

「どうして殺さないんだって顔してんな。殴るぞ」


 言いながら既に殴っている。壁に叩きつけられた背中が悲鳴を上げるし、打たれた顔は何故かビリビリと痺れるような鋭さがあった。

 けれど鬼神姫は友達と喋るような調子を一切変えない。


「やろうと思ったらやれるよ、そりゃ。ただ代わりにやってくれそうな奴がいんだよな」

「まさか」

「お前じゃねえよ。お前一人で大人二人殺せるなんて思ってんのか?」


 自分は大人何百人でも殺せそうな生き方をしているくせに、急に現実的な話をする。

 たぶん艶香は、自分と他人の感覚が絶対的に違うのだろう。自分は自分、他の人間は他の人間、そういう分け方をしていなければできないことを平然としているのだから。


「楽しみなんだよなぁ……『ガシミキ』が復活した時のあいつらの顔を想像すると……フヘヘッ」

「……ガシミキ、なんですか、それ」

「秘密。誰にも言うなよ」

「もちろんです」


 二人の秘密ができた、というだけで何もかもどうでも良くなる。もうそのガシミキが何なのかを夜麻音は知ろうともしない。

 ただ、彼女が普段通り邪悪なことを考えて、人を苦しめようとしていることはわかった。それを止める言葉をかけるのが人情というものだが、既に夜麻音の知る世界の全ては艶香に支配されているので無駄だった。


「ひとつだけ言いたいことがあってな」


 身を起こした艶香は、夜麻音の顔を見た。そんなふうに勿体つけて言うことが珍しいので夜麻音は一言も、呼吸音さえ聞き逃さない気持ちで聞く。


「私がちょっと変わるかもしれない。そうなったらもう消えろ」

「……どういう意味ですか?」

「……いや、何でもいいよやっぱ。お前はお前の好きに生きて今こうなってるんだし、お前の自由のまま私から離れても自由だ」

「それはないです。あなたがどんなことになっても離れません」

「私が死んだら? 海外に引っ越したらどうすんだ? できねえことをするっていう奴が嫌いなんだよ」

「絶対にです! 絶対に離れることは……!」


 この日は日が暮れるまで艶香は夜麻音を殴り続けた。三日間学校に来なかったのを、艶香は「ほら離れてたじゃん」と悪びれずに言ったという。


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