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勇者本殿4

 夜の樹海で鳥が鳴く。

 

「へえ、如月信乃さんですか」

「うん。その人を探してここにきたの」


 獣道を二人で横に歩くのは難しく、時々縦列になりながらも、二人はできるだけ喋りながら歩いた。

 樹海といっても遭難者が出るような場所ではない。危険なのは確かだが、昔はレジャーもされていた場所だ。神社があるくらいなのだから、それなりに動ける広い空間もいくつかあった。

 事件性を匂わせる血の跡、誰かが残した綺麗に揃えられた靴、木にある落書きや傷跡、人の痕跡は良かれ悪かれたくさんあったため、危険であることに違いはないが、迷って餓死するような場所ではない。


「夜の森って意外とうるさいんだね」

「夏ですし虫が……飛んでますね」

「どうかした?」

「鬼神姫なら虫を見つけては踏み潰したり握り潰してましたよ」

「わけわかんない人だね……」


 もうどんな面白エピソードが出ても笑わないし驚かないぞ、と艶香は思う。ミカは遠慮せずクカカと笑うが。

 傍から聞けばそんな少し面白いエピソードも当時の鬼神姫の傍にいる人間にとっては笑い事ではない。潰された虫の次は自分ではないかとヒヤヒヤしたものだった。

 今の艶香のそばにいて、共に歩き喋っていると、冬月は奇妙な錯覚を起こす。


「私、パンって呼ばれてました」

「え? なんで」

「いっつも彼女のためにパンを買っていたからです」


 パシリの奢りである。艶香が慌てて頭を下げるも、冬月の話は続く。


「幸せだったなぁ」

「……え、どこが」

「好きでした」


 艶香の表情が凍る。自分にはまだ何もかも理解できていない。まず、どう幸せなのかもわかっていない。


『いかん艶香! やつは強い『まぞひすと』だ! 教育に悪い、耳を傾けるな!』

「ミカは黙ってて。えっと、夜麻音、その、どれくらい好きなの?」


 自分のことではないのに、なんだかドキドキしてしまう。こうして見ると夜麻音のまあるい瞳や少し焼けた浅黒い肌や、自分より少し低い身長がなんだか可愛く見えてくる。


「ムショに入ったと思って、この勇者本殿であなたを脱獄させる願いを叶えにわざわざやってくるくらいには」

「脱獄って! でも凄いね!」


 これはもうラブなのでは。と突然の告白にドキドキしっぱなしだが、それは鬼神姫であって艶香ではない。


「……記憶を戻すという願いにしたら、どうします?」


 再び、艶香は言葉をなくす。

 記憶を取り戻したら今の艶香がどうなるのかわからない。それはお前を殺すという意味にもなる言葉だ。


『願いが叶うと本気で思っておるなら滑稽じゃの』


 ミカだけは断じた。まるで平気そうに、むしろ嘲るようで、シリアスな二人の空気をぶち壊す。


『怪異がいるのは確か。人も殺している。それが無償で願いを叶えるとでも? 悪魔との契約に幸福な結末はない』

「……ミカはどうして願いを叶えるなんて噂があるんだと思う?」

『撒き餌以上の意味はない。悪いことは言わんから夜麻音、お主はもう帰れ。危険なだけじゃ』

「……いやです。せめて神社を見ないと納得できない!」


 言うと、夜麻音は早歩きを始めた。山歩きに慣れているのかすいすいと進んでいくので、艶香は追いかけるのに精一杯だ。

 樹海は緩やかな傾斜になっているようで、ようやくそれが山と呼べるものだと理解した。標高、なんて言えるほど高いものではないが、長い間登りが続く。

 

「待ってよ夜麻音! 本当に危ないって……」

「鬼神姫より怖いものはこの世にないです」


 そう言い切った。あまりに強い言葉はもう艶香を見ずに、虚空に写る鬼神姫だけを見ているようだった。

 ーー怪異までの距離がそれほど長い道のりなわけでもない。それでも入口から二十分弱は歩いただろう。


 苔と蔦の絡んだ黒ずんだ花崗岩の鳥居が姿を現した。

 足元には砂利や枯れ葉でほとんど見えなくなってしまった石畳があり、その向こうには小さな木造の建物がある。既に腐っているのか上がるための階段は一部が壊れているが、箱の形は保てている。

 夜麻音の目には、一人の少年と、肩を落とした眼鏡の男性が見えた。少年は端正な顔立ちだが、夜麻音が見てわかるほどに妖しい輝きがあった。どこか、危険な匂いのする輝き。

 一方の男性も見るからに危なげだった。冷や汗を流しながらぶつぶつと何かを呟いている。掻き毟っている喉は赤くなっており、既に泣き出す寸前のような。

 その異常にあって、夜麻音ははっきりと言う。


「お前らも勇者本殿で願いを叶えに来たのか?」

「そうだよ」


 少年は平然と答えたが、男は小さな悲鳴を上げて飛び退いた。


「どうしたらいいとかわかる?」

「あそこに賽銭箱あるだろ? ぼろっちいの。ゴミとか入ってるけど。あれに……なんだっけ、ハクシュン……くしゃみするんだっけ。頭下げたりもした気がする。うぅ、覚えてねえや」

「二礼二拍手拍手一礼、か」

「そうそれ! すっげお姉さん頭いいね!」


 少年の言葉を無視して夜麻音は歩いた。いわれなければ気づかなかったが、階段の一部が箱になっている。これでは階段はほぼ全壊しているではないか。


「お金は?」

「いらないってさ」


 それを聞いて安心して夜麻音は儀礼を済ませる。頭を下げて、手を叩き、頭を下げて。

 頭を上げた時、ようやくそれに気づいた。

 本殿の奥、漆黒に何かが鎮座している。

 胡座をかいているらしい。ほっそりと高い背が見て取れるが、華奢な少女のようで、それは。

 ――目玉に宝石が埋め込まれ、絶命した如月信乃であった。

 目と腹部から夥しい血を流し、両手をだらりと下げているが、説法印、OKマークにして、まるで芸術品のように、あるいはだれかに無理やりそうさせられたように。


「あ、あれは?」

「ちょっと前に来た女。俺が殺した」


 少年は平気で言った。先ほどまでと変わらぬ調子で。


――――――――――――――


「パン。おいパン」

「はい! 今日はこれだけ買ってます!」


 名前を呼ばれた夜麻音は艶香に朝買ったパンを見せびらかした。二千円ぶんくらいのパンを見て、艶香は溜息を吐き、一つ取って夜麻音に投げつける。


「どれも気分じゃねえな」

「すいませんでした! もし何か食べたいのがあれば、今から購買に……」

「っぜえな」


 怒気を孕んだ溜息を吐いて、艶香はだるそうに机に倒れる。無防備そうな姿ながら、誰もそれに対して攻撃しようとは思わなかった。

 間近にいる夜麻音は相当特殊な部類だった。何度も殴られておきながら、傍にくっつき続けて今ではパン係になっている。それでもたまに殴られはするが。


「もうお前が食えば?」

「……それじゃ、頂きます」


 焼きそばパンを口にしようとする夜麻音は、少しだけ食べるそぶりで止まった。艶香の方を伺いながら、恐る恐る口にする。

 そして口にした直後(・・)に艶香は言うのだ。


「あっ、待てよ」

「……もう口をつけてしまいました」

「せっかく気分になったのによー、なに食ってんだオメェはよー」


 指を鳴らす艶香は心底楽しそうで、今からお前をぶん殴るぞと示している。

 それに対して、これはもう三日目のことなので、夜麻音は急いでもう一つ買っていた焼きそばパンを取り出した。


「……なんだそれ?」

「あの、念のために二つ買ってました」

「……」


 艶香は容赦なく夜麻音を殴りつけた。


「なに二つも買ってんだよオメェはよ。そんなの買う余裕があるんだったらもっと別の種類のパン買えよ、パン」

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさイ゛ッ!」


 殴られて、倒されて、土下座するみたいに地面に頭をつけていると、その頭さえ踏みつけてくる。容赦なく踏みつぶすように、何度も、がん、がん、と踏みつけてくる。


「そのしてやったり、みたいな顔が一番腹立つんだよ」

「ごめんなさい……」

「もういいや。死ねよ」


 頭を踏み潰す。そんな勢いだった。そのまま夜麻音は失神して、倒れた夜麻音を蹴っ飛ばして、艶香は不貞寝した。



 鬼神姫が怖くて学校に来ない者も当然いた。辞める教師もいた、口答えできる保護者はいない。無法地帯の独裁者の艶香はずっと自由奔放な暴君であり続けた。

 警察にも何度か厄介になっていたが、警察にすら逆らっていた。そもそも、警察だって人間である以上、小さな田舎で忖度が発生するのは当然で、ますます艶香に手をつけられるものはいない。

 ――夜麻音にとって艶香は、鬼神姫は最強の存在だった。

 だから憧れた。憧れて、傍にいて、光に集う蛾のように傍にいては火に焼かれた。


「お前本当にキモいな」

「すいません」

「いい加減慣れたわ」


 夜麻音の表情がぱぁっと明るくなった途端、また艶香に殴られる。踏まれる。


「調子に乗んなよ」

「すいません」


 当然のように夜麻音に荷物を持たせて帰る途中。何が楽しくて授業に出ているのか、と夜麻音は常々思うが。


「授業出るとみんなビビるだろ? それがおかしくってさぁ」


 心を読んだように、平然と言うのだからますます夜麻音は驚く。


「なんとなくわかるんだよ、お前みたいなやつが何を思っているか。……だけどわからねえのは、なんでお前が私の傍に来たがるかなんだよ」


 言葉を交わさずして先を読むような艶香は、その理不尽な暴力の強さ以外にこの近辺で覇を唱えるに足るほどの力がある風に思えた。

 だからこそ、そんな艶香は夜麻音のことがわからなくて傍にいることを許したのだ。


「秘密です」

「あ? テメェ……」

「殺されたって殴られたって話しません。だって話したら、私を近づけさせないかもしれない」

「……チッ。賢いな。意味不明なくせに」


 好きという感情を全く知らない、だから艶香は夜麻音のことがわからないのだろう。

 そんなことを考えながら、夜麻音は傍にいる幸福を噛みしめながら、二人の時間を過ごす。

時雨紅

二十八歳の奥様。元々は花園家という怪異祓い師の家系であったため、目良実とはお見合い結婚。

紅自身は合理主義なので祓い師なんて下らない人間と付き合うつもりはなかったが、目良実がかなりの優良物件な上に祓い師にも精力的ではないので結婚した(目良実が自分のことをどうでも良さそうなのも都合がいい)

彼女自身に祓い師の能力はない。

なお彼女の合理は資本主義ではなく本能的な感情によるものなので、最近はお金を使わずに自分で家事を行い慎ましい演出をして目良実の気を少しくらいは惹こうとしている。要するに結構円満な夫婦である。

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