女の人体模型・エピローグ
赤いさらさらとした血が流れる。
とめどなく、流れる。
「しっかりしてください! あの、あの!」
悲愴な表情で艶香は叫ぶ。腹に大きな穴が開き、口からも血が流れているロカルドは、もはや虚ろな目をして茫然としている。
言葉に反応しているのかどうかも微妙なところだ。既にこのまま死んでしまう、と言われてもおかしくはない。
ツミはそっと髪を伸ばし、首、口の前、心臓のところに当てた。
『生きてはいる。呼吸もしている。『ショック状態』というやつか。とう!』
べし、と髪束で頬を叩くと、血を吐いてロカルドはなんとか声をあげた。
「Jesus……」
「よ、よかった。ミカ、救急車は!?」
『既に呼んである。間に合うかどうかはその男次第だが』
ミカは気休めでそういうが、助かる見込みはないだろう。血が流れすぎている。かといってこのぽっかりと空いた傷口は、髪で縫合できる範囲を超えている。
「あの、あの、しっかりしてください! 死んじゃダメです! 絶対に、絶対に……!」
ロカルドは力ない瞳で艶香を見た。その傍の髪人形も。ただ、何かをするような気力は出ない。
ただ、力強く手を掴んでいる、艶香の手の感触があった。
「……girl、君ハ、何ヲ、シタ」
「私のことなんて今は……」
「girl、important、大事ナコト……」
まるでそれが末期の言葉であるかのようだった。真正面から見据えるロカルドの瞳にはまだ生命の光が宿っている。その答え次第で消え失せそうな色に、艶香は真正面から答えた。
「私は……私はみんなを助けられたら、自分のしたことが人の役に立てたら……だから」
健気な少女だった。誰かを呪おうとか困らせようという悪意の欠片もない。
ただそれなのに、傍にある髪人形の霊力はあまりにも邪悪で、自分を助けてくれた呪物だけが不安の種になる。
この少女はこれからも同じことをするだろう。ロカルドのいない場所で。
「……これを」
ロカルドは懐から銀のロザリオを取り出し、手を握ってくれる艶香の手に握らせた。
「ココハ、危険、デンジャラス。逃ゲナサイ」
「でも!」
「行キナサイ。……アキドーガ戻ル。大変ニナル」
少女と秋堂を戦わせることは、双方にとって良くないことになる。ロカルドはその点を気にした。
思えば未練は山ほどあるが、それでも今わの際に気になるのは直近のことばかりだ。
「神のご加護を……」
「ダメ、ダメですそんなの! いや、いやぁぁ!!」
『……ツヤカ、戻るんだ。もうお前にできることはない』
「だけど、だけどミカ!!」
『ツヤカ! ここであのハゲが戻ってきたらその神父の望まぬ形になる! それだけは避けろ!!』
目を閉じ、穏やかな表情で眠るロカルドを見た。
最初は怖い人だったが、理髪師との戦いを押し付けてしまったが、志は同じ祓い師なのだ。それなのに、こんな形で別れるなんて。目の前で死んでしまうなんて。
泣きそうになりながら、艶香は走った。秋堂がどこまで行っているかはわからないが、とにかくその場から離れるために。
――ただミカは言わなかった。
たぶん、あの神父はまだ死なないぞ、と。
――――――――――――
結局、秋堂が理髪師を取り逃がして、理科室でロカルドを見つけるまで。
ほぼ同じくして『学校に侵入して、理科室でふざけていたら怪我をしてしまった』通報を受けた救急隊員が訪れていた。
一通りの手続き、隊員との会話も終えてロカルドが搬送されていく。
この間、秋堂様々な感情に圧し潰されるが、まず電話をかけた。
『……秋堂さん、時雨です。終業後の電話である以上きちんとした理由なんですよね』
「目良実、キレてるのはこっちだぜ。テメェの管轄の『KEEP OUTの理髪店』の怪異が、こんな結果にしちまったんだからな」
『……何かありましたか』
「何かじゃねえ!! ロカルドが瀕死の重傷だ! 女の人体模型が出る学校に、一緒にいやがった! 俺が理髪師と戦っているうちにこうだ!!」
目良実からの返事はない。その事態の重さを知ったからこそ、下手なことは何も言えない。安易に謝ることさえ意味はない。求められているのは誠意と反省。
『……あれが移動、しますかね。そう思いませんでした、いえ、それは言い訳です。ですが、行った時には既にいなかったんです』
「女がいたんだろ。そいつだよ」
目良実が固まって答えられない間に、秋堂は続ける。
「移動した理由もだいたい分かった。髪人形を依り代に存在しているんだよ、理髪師も、人体模型も。それをあいつが回収している。……時雨、この責任をどうとるんだ、お前は」
『……直接会って話せますか?』
「ああ。天神さんにも連絡するからな」
そして、場所と時間の連絡を取って、電話を切る。
時雨目良実は、信頼には足る男だ。実力も誠実さも真面目さも人並み以上にはある。
だがこの業界と世間に真面目に取り組みすぎて、すぐに擦れてやる気をなくしてしまった。根は真面目だからきちんとしているが、真面目過ぎたのだ。自分がなんだってできると勘違いして、実力はあるのにのし上がれない。
そういうところも嫌いだが、言う必要もない。
それより注意すべきは髪人形の少女だ。
本人の霊力は綺麗だったというのに、どす黒い髪人形。その差異が何を意味するのか、それにまだ気づけていない。
―――――――――――――――
「ミカ、私、やっぱり祓い師になるよ」
『ああ』
夜の道を歩く中で、艶香は言った。断じた。決意した。
「自分の力で少しは戦えるってわかったし、あの人みたいな、犠牲を、今までみたいに怪我する人を出したくない」
ミカはそんな決意を頼もしく聞いていた。
今までは、自分が殺されないように必死だった。警備員や若者が死んでも泣く余裕さえ、人の死を悼むことさえできなかった。
だが今回は見事にそれを成し遂げた。きっと記憶がなくなる前も心優しく強い少女だったのだろう、そう思うほどに。
だから、今回、この事象は傷心の艶香にとってうってつけだった。
今、Y第二小学校を出た艶香とツミは、天神家に戻っていない。
『今スグ『勇者本殿』ニ来テ。如月信乃。今スグ『勇者本殿』ニ来テ。如月信乃。』
学校を出た二人を待っていたのはボロキレでできたようなキルト人形だった。
それは上記の言葉を話して、二人を案内するように歩く。
如月信乃、市立図書館の怪異『グリモワール』を母と呼んでいた少女だ。
願いの叶う怪異『勇者本殿』の話をしていたが、このような伝令を使って何を考えているのか。
『『勇者本殿』じゃが……近くの樹海の中にある神社らしい。怪異の噂と位置からして髪人形の反応はある。……これが正真正銘最後の髪人形回収になるじゃろう』
「……うん」
『そう寂しがるな。全部終わって、無事に帰ってから天神にいろいろ話せばいいじゃろ。儂の手伝いも続投したりせんかのう』
「……そしたら、今度はみんなで髪人形を回収できるかな」
『クカカッ! ――それもいいかもしれないね』
道に迷わず案内される少女が二人。
動き始めた祓い師たちと、招待をする妖しき少女。
次待つ怪異は願いが叶う? 真の勇者を求むる聖域『勇者本殿』。
最後の髪人形回収、果たしてその先に待つものは――
修験者・秋堂
二十八歳で若手の坊主。女の人体模型に傷つけられていたのでロカルドと一緒の入院を勧められたが断って目良実に会いに行く。
正義感から怪異を祓うようになったが、上司が天神で当てがわれた先輩が目良実だった。実力はあるくせに最低限すらしない目良実を嫌ったが、彼の真面目な性質を理解しているがため怒りのぶつけどころもなく歯痒い。
ロカルドとも天神経由で知り合った。最近英語の勉強をしているが、ロカルドの日本語の上達の方が早くて内心安心している。
語祓いという非常に強力な祓い術を持つが、本編を見ればわかるようにくだらない弱点がいくつかある。一番の弱点は声を出せない状況、敵を認識できない状況など。
基本は対象を選び、命令する。『散れ』という命令を重用するのはザコなら爆散させられるし、格上の相手ならまとった霊力を散らして弱体化させられるから。汎用的に聞く技であるため。『死ね』とか言っても何も聞かない挙句呪いの反動で喉が潰されたりする。




