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女の人体模型3

 東校舎に入った艶香、即座に扉を閉めるとロカルドは一瞬躊躇して動きが止まる。そういう単純な物理には弱いらしい。

 気付いて、鍵を閉めた。ガチャガチャとガラス越しにおじさんの焦る表情が見える。どうも人間である以上、髪人形のすり抜け開錠のような便利な技は使えないらしい。

 だが、向こうは正規の仕事として来ているだろうプロ。あらかじめ西校舎に入っていたことに鑑みて鍵を持っているのは間違いないし、ガラスだって割ろうと思えば簡単だ。

 艶香、走る。南方向の階段へ。二階に行って渡り廊下から西校舎に入り、そのまま理科室に行けば。


「Stop The Hair doller!!」

「な、なんか言ってる。ストップはわかるけど……」

『ほっとけ。あいつは言葉じゃなんもできんじゃろ』


 あれが秋堂なら何か意味はあったかもしれないが、ロカルドの言葉ではただのおじさんの言葉となんら変わりない。

 走って数歩、まだ疲れさえ感じない程度の距離で、ガチャンとガラスが割られた。扉の窓から手を伸ばしてロカルドが鍵を開けようとしている。鍵は彼が持っているわけではないらしい。

 鍵は開け放たれたが、その間にもう艶香は階段の前に来ていた。距離のアドバンテージは充分、このまま二階の渡り廊下を通れば。

 そのタイミングでミカが言う。


『……待て艶香! 後ろ! なんかある!!』

「なんか、って!?」

『強い気配だ! 髪人形かもしれん!!』


 艶香は足を止め、即座に振り返る。

『被服室』と書かれたネームプレートを見て、僅か足を止める。ロカルドのことを考え必死だったが、冷静になってみれば艶香でも感じられるほど禍々しい気配がその一室から確かにしていた。

 一瞬考える、がすぐに艶香は決断した。

 ロカルドは今も追ってきている。それを西校舎の理科室まで行くか、ここで怪異と共に相手取るかはどちらも同じだし、この気配で髪人形がないということはないはずだ。

 意を決して艶香は扉を開いた。施錠されていない扉は、まるで不意の来客さえ望んでいるかのように不敵に艶香を飲み込んだ。


「……うっ……」


 思わず、呻く。

 僅かに差した月明りが照らすその教室の中。

 普通と違って大きな机が立ち並ぶ被服室は、いわば特別教室で六つの大きな机と一つの教卓がある。

 その机それぞれに、椅子に合う人数分の首があった。占めて三十六、ボロボロの顔に無機質な瞳が闖入者である艶香を見つめている。

 怖くない、怖がったりしない――そう強がろうとする艶香が一歩進もうとするのを、止めたのはミカ(・・)だった。


『待て! おかしい、髪人形がない!!』


 ゾっとした。そんなわけがない。だって強大な気配がするとミカが言うのに。

 艶香が恐怖のあまりに足を止めたのは、最大の幸運だった。


『オ客サン、二度目デスネェ……!』


 ショキン。

 軽快な金属の音は、容易く扱える刃物の暴力をありありと示していた。白く光る刃には既にいくらかの髪の毛がついている。

 落ちたのは、艶香の前髪。


「あ、そ、そんな……」


 天井からぶらり、ぶら下がって落ちてくる。それと同時にハサミによる一撃を繰り広げる。

 受けてはいない。攻撃を受けたことはないが、それは一度見ていた。

 目の前に立っている、若い男の怪異。


『……理髪店から、逃げ伸びたか!! 新たな髪人形を求めて、ここで醜く生き延びたか!!』


 KEEP OUTの理髪店が怪異、殺人理髪師は醜き笑顔でハサミを構える。

 同時に、机の上のマネキンが一斉に浮かび上がった。


『ツヤカ! 理科室だ! やはり理科室に違いない!!』

「わ、わかってるけどっ!!」


 怪異が、マネキンが飛ぶのを、艶香は百八十度ひっくり返って背中を見せて逃げる。

 危険は承知、それでも真っ向から戦っても仕方がないのだ。髪人形を祓わねば意味がない。

 だが教室を出るという段階で、ロカルドと鉢合わせした。


「オウッ!?」

「ゲッ!?」


 二人、同時に動きが止まる中で怪異のみは動き続ける。三十を超えるマネキンと怪異が距離を詰めていく。

 挟みこまれて絶体絶命の艶香が、髪人形が行動に窮した時。

 マネキンと怪異が弾かれた。

 瞬間、艶香は前に走り、階段へ上った。

 ロカルドの目が、怪異しか見ていなかったから。


「Shit!! Stop! Stop The Hair doller!!」

 

 艶香は気付きようもないことだ。ロカルドが、恐怖におびえる少女の表情を見てつい庇っただの、怪異にだけ警戒したなどは。

 だが偶然は功を奏する。艶香は怪異殺人理髪師と祓い師ロカルドを尻目に二階への階段を上ることに成功した。


『よいぞ艶香! このまま理科室にあるだろう髪人形を回収すれば……』

「だ、だよね! 髪人形を取ったらそのまま地下で、ミカの傍に隠れてればいいんだよね!!」

『……だが、此度の髪人形に近づけば『殺人理髪師』と『女の人体模型』の二人を相手取らねばならんかもしれん。危険だ。どちらかをあの二人の祓い屋に任せてしまった方がいいかもしれん』

「でも今から逃げるのも……」


 既に二階まで上って、渡り廊下の前。柵はあるが吹き曝しの廊下を渡り切れば西校舎に至る。

 背後にはまだ気配はない。ロカルドと殺人理髪師が争っているというのなら、そうすぐに来られるものではないだろう。

 二人の怪異を相手取る、というのは恐ろしい。しかもその場合、背後から二人の祓い屋が追ってくることになる。

 

「逃げるルート、ある?」

『理科室を通らず、西校舎階段を下りてしまうのがよかろう。奴らは今それぞれ怪異を相手にしている。逃げるだけならば充分できる』


 それを聞いて安心した。

 パターンとしては二つ。

 一つは怪異が勝利し祓い師二人が死んでしまう場合。後日艶香が来て理科室を訪れれば事情はシンプルになる。

 もう一つは祓い師が勝利し、髪人形を回収する場合。髪人形を祓うことは恐らく永劫できないが、この地での被害者は減る。

 どちらも本来の目的とは異なる結果となる。人の被害者を減らし、髪人形を回収し力をなくす。それができない以上は結果は完璧と言い難い。

 しかし、艶香とミカにのみ焦点を絞ればどちらでも構わないともいえる。安全に髪人形を回収するか、戦わずに髪人形をどかすか。


「ミカ、このまま逃げる!!」

『うむ、私もそれでいいと思う』


 了承を得られて艶香は渡り廊下を駆ける。

 吹き曝し、外が見える。月の下、運動場で戦う一人の僧侶と人体模型。

 ふと、僧侶と目が合った。言葉も発さず錫杖を振るう男と怪異の存在を見て、艶香は彼を応援する気持ちが芽生えたが――


「『髪人形! こっちへ来い!!』」


 肩から、ツミが落ちた。

 一階へ、運動場へ、髪の人形が落ちていく。艶香の元から落ちていく。


「みっ、ミカ!? ミカッ!!」

『艶香!? 艶香ぁぁぁぁぁ!!』


 語祓いの力。正しく『髪人形』に対しての命令が遂行され、ツミは秋堂の元へと落ちていく。

 身を乗り出して腕を伸ばす艶香であるが、既にツミは落ちた。手を伸ばそうと、落ちてしまわねば出会うことはない。


「『髪人形、もう一人の髪人形を倒すのを手伝え!!』」


 秋堂はそんな命令をツミに下す。人体模型が髪人形ではないので命令の効果は弱く中途半端な結果になるが、問題はそれではない。


「ミカっ! ミカ! ミカ! ミカ!!」


 叫んでも声は届かない。髪人形は今、ツミは今、秋堂の傍にいる。

 ミカの声は届かない。

 どうしたらいい?

 一人になって、渡り廊下の真ん中で、艶香は座り込んだ。

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