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市立図書館のグリモワール6

 静寂に包まれる市立図書館。

 ミカは最後だけ軽い調子で言ったが、それに答える声もなかった。

 だが、その静けさとは裏腹に――艶香の中には感情が渦巻いていた。

 どうして、そんなこと教えてくれなかった。知らなかった。教えてほしかった。今はただ、ミカの華奢な体を抱きしめたい。おいしいものを食べさせてあげたい。一緒に外を歩きたい。

 記憶のない艶香がそう思う。乾ききって震える喉が痛い。それでも何か、声を出そうとするも――


「……それで、怪異を恨む理由にはならなくない? むしろ人間を呪い殺す人じゃん、髪人形師」

『いやほんとほんと。じゃがねじゃがね、儂も怪異になっていろいろ見聞きしてわかったことがあるわけよ。それが、恨むことの馬鹿馬鹿しさ、呪うことの愚かさってわけ。クカカックカカッけぷけぷっ』


 にわかに信じ難いが、怪異少女はコーラを飲んで酩酊しているように言った。何事か、と信乃は驚いて少し警戒するが、艶香はおかしくなって笑ってしまった。

 それを見て、また驚く信乃は、驚き疲れてかふっと溜息を吐いた。


『憎悪も恨みも消えたわけじゃない。だがな、コーラは美味しいし、ソシャゲは楽しいし、なろう小説も読めるし、悪いことばかりじゃないわけじゃ』

「ミカ……、もっと美味しいもの買ってきてあげるし、もっと面白い小説も買うよ」

『なろう馬鹿にしてない? まあ次は『すてーき』とか食べたいの』


 警戒と不信があった二人は、既に楽し気に会話している。夜の市立図書館で流れる和やかな空気は、既に信乃の毒気を抜いた。


「……髪人形を集めているのは?」

『あれは儂の呪具じゃ。儂の呪具がいまだに怪異を生み人を呪っているのならば、回収したいと思うのは道理じゃろ』


 既に人を呪う気はない、ただ永遠の命を享受しているようなミカにとって、自分の呪いが悪事を働いているのは気に食わない。理論に破綻はないように思える。


『お主も髪人形を持っとるじゃろ。わかったら寄越せ。ほれほれ』

「……髪人形? 私が? ……あぁ、なるほど」


 納得いかない様子を見せた信乃であったが、突然得心行った風に反応すると、グリモワールを開いた。

 二人は警戒するが、信乃が見せたのは『私の心』についている長い紐、スピンである。

 さらりと長いスピンは、その先端が奇妙な結ばれ方をしている。いくらか束になっているが、むしろその先端でしか結ばれていなくて。


「……これ、髪人形、かな?」

『……グリモワールの栞が髪人形になっていたのか。奇怪な……、いや髪人形を再利用したのか? どのみち不気味なものよ』

「これ取ったらグリモワールって死ぬわけだよね」

『怪異は自然と祓われるじゃろうな。ほら寄越せ、とっとと寄越せ』

「え~。嫌だなぁ」

『そこは渡さんか? 流れ的に』


 信乃が渋ることは予想の範疇だが、信乃としては二人の状況や理論には概ね納得していた。

 ただ、ミカと艶香の立場に嘘はないという程度で、それが正しいかどうかについてはまだ考える余地がある。


「怪異だって、生きているわけでしょ。髪人形師だって殺されたら不満くらい……」

『そりゃ言うわ。生きているんじゃからな。じゃがそれは人も怪異も同じこと』

「だったら無理に殺すことなんてない、って思わない?」

『儂を殺せるもんがおるならどう考えてもとっとと殺して呪いを祓った方がいいにきまっとるしな。ま、儂を殺せる者なんぞおらんし、簡単に殺されやせんが』


 ミカは呆気なく言う。それは彼女の中の不変の価値観であるらしく、けれどそれと相反する自分の存在についても認めているようだった。

 生きていたい、でも死ぬべき、そんな状況でありながら、彼女は自分の今の命を謳歌する。


「矛盾してる」

『仕方ないじゃろ。生きているだけで迷惑と言われても生きていたいんじゃから。そんな中で善行を積もうとする儂、超健気じゃない?』

「……はぁ、今まで喋った怪異の中で一番人間臭い」

『そうじゃろ。価値観も現代風に『あっぷでーと』されておるからな』


 ふふんとドヤるミカに、もういい加減返す言葉もない。信乃は諦めてグリモワールを手に取った。

 スピンを握り、力を込め――力を抜いて、本を艶香に差し出した。


「……君はどう、髪人形。君は髪人形師じゃない。君の意見は」


 髪人形がいくらかわななく。何をしゃべっているのか、それはミカにも艶香にもわからないが――

 ――瞬間、髪人形が鋭く髪を伸ばし、スピンを引っ手繰った。

 グリモワールの髪人形が、艶香の髪人形に吸収される。


『隙ありっ! なんて――』

「――母さんっ!!」


 ミカの行動と、信乃の叫びが交差する。

 艶香は茫然と立ち尽くすだけだった。実行犯の髪人形は、わたわたと両手を振っている。自分ではない、と訴えるように。ミカは言葉を失っていた。その言葉は、流石に予想外だったから。

 信乃は、その場でグリモワールに耳を傾けていた。何かぼそぼそとつぶやき、静かにその時間を惜しむように、しっとりとした声音で話している。


「……ミカ」 

『……いや、すまないとは思う。だが怪異は怪異だ。私が育んだ呪いを私が回収する。その行動には誤りはない。謝罪くらいはするが』


 市立図書館から確かに闇が抜けていく。今までで最も穏やかな、静かな戦いだった。

 怪異は祓われた。

 信乃は冷たい表情を浮かべていた。もう息のない魔本を抱えながら、力のない笑顔でにへらと笑った。


「親の仇を持つってこういう気分なんだね」

「あの……、ごめんなさい」

「いやいや、謝ることじゃないよ。私もそろそろ親離れすべきかと思ってたし」


 にこりと笑いかけてから、信乃はまた艶香たちを見た。


「……親の仇を見るような、悪い顔してるかな、私?」

『……友達に慰めてほしい子のような顔じゃ』

「……わー、それ一番恥ずかしいかも」


 また、小さな声で信乃は笑った。よく笑う子だが、その表情は明らかに力が抜けていた。もう笑うこと以外ができないように――明らかに落ち込んでいた。


「……母さん、呪いの本を祓うためにいろいろしてたみたいだけど、逆に呪い殺されちゃったみたいでさ。……こうなった方がよかったのかもね。この世から解き放たれて、みたいな」

「……でも、信乃」

「髪人形師の言ってることは正しいよ。手段は、ちょっと驚いたけど、……我儘言ってたのは私の方だったんだ……」


 その力のない、形だけの笑顔を、もう艶香は見ていられない。


『……すまなかった』

「いいよ。そもそも結果的にはこうするつもりだったし。今日の昼に君たちとあって、こうなることは予感してた。来るべき時が来たんだって」

「あの、私からも謝らせて。ミカが、こんなことをして……」

「……艶香は優しいね。……うん、ありがとう」


 ミカのこと、信乃のこと。

 誰が悪い、誰が正しい、そんな判断のできないことが艶香を襲う。

 ただ、今そこにある別れと悲しみは耐え難い。謝らずにはいられないほどに。

 それを信乃は正す。そうする必要はないのだと。ただ、考え、すべきことは何か。


「艶香、……私にもわからないことは多いけど、きっと、自分が正しいと思うことをするのが大事なんだよ。髪人形師はそうしたし、私もそう。……艶香が信じるべきを信じて」


 そう言って――信乃は歩き出した。

 外へ、二人から離れるように。

 艶香とミカはしばらく茫然と立っていたが――

 くるり、信乃が振り返った。


「ツミちゃん」

「……え?」

「その子の名前。つけてほしがってたみたいだから私が考えたよ。艶香のツと、ミカ、じゃなくて御首のミで、ツミ。意味はそれだけじゃないけどね」


 罪。その言葉の意味は言わずともわかる。ただ、今の信乃がどういう意図でその名をつけたのかは、考えるにはあまりあるほどの感情が渦巻いていた。

 そのまま信乃は振り返らずに歩みを進めた。

 艶香は、なおもしばらく歩けないままでいた。

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