市立図書館のグリモワール1
朝になる。少し湿気を感じるが、部屋より涼しく心地よい、ぐっすり眠れたために艶香は気分よく伸びをした。
「んん、おはよう、ミカ」
「……おはようじゃない! 本当に寝る奴がいるか! 私がどれだけ……どれだけ呪いを抑えて……ずっと息止めるみたいでしんどかった……」
「ご、ごめん」
呪いを振りまく髪人形師・ミカの傍で寝るという暴挙。艶香は申し訳なさそうに謝るが、ミカはぷんすかと怒っているし、艶香の髪人形もやれやれと両手でジェスチャーした。
そして、そんな髪人形を見てミカは声をあげた。
「……儂、そんな風に動かしてないんじゃが」
「え? あ、うん。なんかたまにミカがやってないことしてるな~って思ってた」
「なんじゃと? えぇ……儂、新たな才能発揮しちゃった? 髪人形に命注いじゃった?」
とミカは興味深そうに、札と五寸釘で固められた腕を必死に伸ばして触ってみようとするが、髪人形はそれを無視して艶香の肩に乗った。
「……あれ、なんか冷たくない? 儂に冷たくない? 儂の髪人形なのに」
「私とミカの髪人形だよ。二人の子供みたいだね」
「なかなかパワフルなことを言うなぁお主。気持ち悪いって思っちゃったわ」
「ひどい」
「そもそも髪人形は三人分の髪で作るもんじゃし、そんなこと言い出したら儂、重婚しまくって子供百人くらい作ってるんじゃが」
「でも動いたの初めてだよね。今までのは死産だ」
「こわ……、ここで寝て儂の呪いをもろに受けてへん……?」
ミカが初めて怖がっているみたいで、うれしくて艶香と髪人形は手と指を合わせた。もちろん、ミカの介在しない動きだ。
「この調子で次の髪人形も回収しちゃおう。ね、ミカ。充電はできてないけど、そんなにバッテリー消費してないよね」
「すまん、寝てる間になろうで小説読んどった」
「……はぁ?」
「儂らの活躍も『スマートフォンで怪異退治!』みたいな随筆にならんかの? 最近の『いらすとれーたー』の力を借りて艶香がもっと頑張れば狂歌百物語みたいなの作れそうじゃろ。四谷怪談とか……」
「スマホで怪異退治してないじゃん! ソシャゲして小説読んでるだけじゃん!!」
「事件のこととかメスとか調べたし……」
「もういい。スマホは充電しません。モバイルバッテリーもあるし」
「むむ、今日も昨日みたいにすぐ解決しよう」
二人の空気はすっかり軽い。立て続けに怪異を祓い、一日もすぐに倒せたのだから気分もよいというもの。
それに何が起こるかわからない場所に行く以上、行く前から怖がっていても仕方がない。この気持ちをこの場所で持てることが大事とも言えた。
戦うことを軽んじることはない、けれど戦うに挑む時点で気持ちで負けてはならない。
敵が強大だからこそ、楽しむ時に楽しい気持ちでいるのだ。それが怪異への対抗策にもなる。
「……では、気を付けて」
「うん!」
―――――――――――――――――――
廃病院とはまた別方向、歩いて三十分と少しというところ。
今日も晴れやかな日で、理髪店の時のように一通りもそこそこにある。
が、そもそもその施設自体、かなり多くの人がいる。
Y市立図書館。東棟と西棟に分かれたそれなりに大きな建造物で、市民の憩いの場にもなっている。
三階建てで、近くの大学からもよく大学生が来る、娯楽から学術本まで揃っている、市立にしてはそこそこ大きく、けれど大学図書館に比べると少し論文などが物足りない。
「……ミカ、本当にここなの?」
『そのはずだが……市立図書館か。少し調べる』
艶香はあまり警戒せずに入ってみた。座るところや、食事をとるスペースまである公共空間。
夏休みということもあって親子で来た人もいれば、家がないからここにいるのだろうか、なんて邪推させるような人もいる。クーラーが程よくきいていて艶香も思わず涼んで心を落ち着かせる。
そもそも、ここからは廃病院や理髪店であった敵意や邪気というようなものがない。黒いオーラ、なんてもの艶香には見えないが、そんなものがあるとは思えなかった。
あるとすれば、屍山血河ができあがるはずだ。
「……ミカ、ボケた?」
『ボケとらんわ! きちんとオカ板に情報あったし! オカルト板』
「なにそれ」
『別に知らんくていい。『市立図書館ナイトミュージアム』のことだけ聞いておれ』
※ ※ ※
市立図書館ナイトミュージアム
Y市の市立図書館なんだけど、あそこマジでやべーよ。そうそう、あの殺人理髪師のとこのやつ。
昼間は完全に普通の図書館だけど、閉まってから午後七時くらいになるともうダメ。
普通お化けの出る時間じゃないのに、もう外から覗いたらいるわいるわ有象無象の化物の類。
警備員もいねえんだもん。誰もがあそこはヤバいって知ってるよ。怖いもの見たさがあるなら行って間違いないと思うぜ。
※ ※ ※
『ということで夜だけじゃな』
「そうなんだー」
涼しさを満喫していた艶香であるが、全く黒い何かも感じないのだからいても仕方ないのは確かだ。
だったら今は撤退するしかない。
都市伝説も下校時や夕方など時間指定はよくあるもの。むしろ、真昼に力を発揮した理髪店がおかしいだけで、基本怪異は夜に現れるものらしい。
「じゃ、帰った方がいいかな」
『そこにいても時間の無駄遣いじゃろうな。……あらかじめ、どこにあるかくらいは調べてもいいかもしれんが、だいたいはわかるしの』
「わかるの?」
『西棟。奥の方じゃ。ただそれ以上は今はわからんし、髪人形の場所もわからん。安全なうちに調べておくか?』
「うん」
ということで、奥へ奥へと進む。
東棟一階周辺はよくある雑誌やエンタメに富んでいる。二階三階にはまた別のものがあるだろうが、それらは意に介さず艶香は西棟へ向かった。
ガラス戸二つ、開けてすぐに西棟。
こちらは大きな本棚が立ち並び、分厚い学術書に塗れている。いくらかすかすかの棚もあるが、夏休みということもあって大学生が課題で借りたりしているのだろうか。あるいは教授。
『艶香、右、奥、左、左、そこの上から二段目、右右右』
ゲームするみたいに指示が飛んでくる。その通りに艶香が本棚から本棚へ、そして棚の中の本を見ると、一冊の本に辿り着いた。
「『私の心』……?」
『なにそれ』
背表紙にはそれしか書かれていなかった。『私の心』というタイトルだろう。
じっと見つめても何も感じない。口裂け女の時の排斥も、理髪店での殺意もない。
無。限りなく何もない、どこにもない感情。
「これなの?」
『ああ、それが発生源だ。髪人形ではないのだな。なら髪人形はどこに……』
一応中身を確認しようと、艶香がその本を取った。
本棚の奥に目が合った。
「ひゃっ!」
『どうした艶香!?』
真正面から、逆に言えば本棚の反対側からずっとこっちを見つめていた何者かがいた。
「あはは、ごめん、驚かせちゃった?」
軽快な声がすると同時に、タッタッタと軽快な足音が響く。人の少ないこの西棟なら小走りするくらいは平気なのだろう。
姿を現したのは、どこかの制服を着た高校生だった。髪は黒く長く、ぱっつんと切りそろえられた前髪が目立つが、その顔立ちは端正で、艶香よりも大人びて見えた。
「私、如月信乃。あなたは?」
「か、上山艶香です」
「正直だね! 私が偽名を言ってたら艶香だけ本名をバラしてたよ? あははっ!」
「なにこの人……」
変な人、だ。怪異のミカと喋った時以上に変な人間だと思った。
「そっちの君は? なんでその子といるの?」
大人びた表情をしていたかと思ったが、信乃は穏やかな笑みを浮かべて艶香の肩口に話しかけていた。
それに、髪人形は答えた。
「へー面白い事情だね。じゃあそのグリモワールを祓いに来たってわけだ」
「……え? なに、どういうこと?」
疑問に答える前に、信乃は艶香の手から私の心をひったくった。それを手元に寄せて、彼女はその質問に答えた。
「私はこの子の味方だから、祓わせないよ? また夜においで、艶香ちゃん」
信乃は、そのまま私の心――グリモワールを持って、走っていった。
その場に残された艶香は茫然と立っていた。
何が何だかわからない。ただ、信乃という少女の不思議なところは、印象に強く残った。
『……まさか、いや、あの信乃という女が髪人形を所持しているかもしれん』
「え!? すごい呪いの道具なんでしょ!? 大丈夫なの、それ?」
『わからん。奴を今すぐ追いかけるか、夜、ここで会うかだ』
ミカにさえわからない事態、その異常さに徐々に恐怖のような感情が生まれる。
だがそれは恐怖ではない。
未知と怪奇、不思議と出会ったというのは、恐れる以上に興味、好奇心を生み出す。
「とりあえず、一旦帰る。ミカ、話して色々決めよう」
『ああ、私にも理解できない点が多い。実際に会った艶香と相談したい』
とりあえずの方針を決めた二人、そしてその二人の意志と別のところで髪人形が一人ざわめく。
グリモワールと少女信乃、果たしてその正体は。




