ドッペルゲンガー
ドッペルゲンガー
南中の時刻、満月で照らされた自分の月影が砂浜に映ったのを見て隆はそれが友達であればなあと思いながら見つめている内、うとうとし出した。
すると、月光に因って高揚した隆の切なる願いが吹き込まれたものか、月影がむくむく膨らんで行き、頭の部分は頭となり、胴の部分は胴となり、手の部分は手となり、足の部分は足となり、そうして人間その物の形になって勢いよくむっくと起き上がった。
それを目の当たりにしたものだから、びっくり仰天して隆は叫んだ。
「うわあ!ドッペルゲンガーだ!」
「そうさ、君と形も考えも、おまけに服装だって同じだ」
確かに隆に生き写しの若年の男が同じランニングを着、バミューダパンツもスリップオンシューズも同じ物を履いている。
「君は孤独なんだろ」とドッペルゲンガーが唐突に聞くと、隆は然も寂しそうに呟いた。
「ああ」
「君の思いが現れたんだ。ドッペルゲンガーは孤独な者の前にしか現れないものだよ」
「そうなのか」
「ああ、君は普段、誰にも共感してもらえなくて孤独に喘いでるんだろ」
「ああ」
「だったら思っていることを話してみなよ、誰にも共感してもらえないことをさ」
「・・・」
「そうすれば、君は孤独じゃなくなるよ。間違いなくね」
「・・・」
「恐れなくても臆しなくても良いよ。絶対笑わないから恥ずかしがることもないよ。さあ、ここに座って海を眺めながら話そうよ」
ドッペルゲンガーがそう言って砂浜に座ったのを見て隆は誘われるが儘、その横に座った。
「どうだい、しゃべる気になったかい?」
狐につままれたような顔になっていた隆は、月光に因って再び気分が高揚して来ると、大学のサークル仲間たちに全否定された事を無性に話したくなって持ち掛けた。
「これはいつも街中を歩いていて思うことなんだけど」
「おっ、喋る気になったね、どんなことだい?」
「何なんだ、この風景は。景観を損なうものばかりが不揃いに入り混じってるではないか!って思うんだよ。そう思わないかい?」
「ああ、思う思う!あの電信柱とか電線とか看板とかがごちゃごちゃしてて鬱陶しいし、建物が様式もへったくれもなく自分勝手に建てられてるから建物同士がまとまりに欠けててミスマッチだもんね」
「それもそうなんだけど、有為転変は世の習いって言うだろ」
「ああ」
「而もグローバル化が進む現代に於いて自国の伝統文化を維持するのは容易ならぬ事とは言え、何なんだ、この風景は。古の日本の美しさが見る影もないじゃないかって、思うんだよ。そう思わないかい?」
「ああ、思う思う!何しろ伝統が守られてないから劣化が甚だしいもんね」
「おまけに我が国は西洋の文化を自国の文化とミックスさせ、自己流にアレンジして上手く取り入れていると日本人は誇って憚らないが、和風のものと洋風のものを木に竹を接いだ様に組み合わせ、はい、これで和洋折衷の出来上がり!と愚にもつかぬ事を言って誇って憚らないのと一般で身の程知らずも良い所だ!ってそう思わないか!」
「ああ、思う思う!もっと言えば、自国の文化をかなぐり捨てて西洋かぶれ丸出しって感じだよね」
「うん、確かに古の日本は東洋の文化をその精神をも学び、自国の文化とミックスさせ、自己流にアレンジして上手く取り入れたが、自分達を先人と同様に思うのは、とんだ御門違いだよね」
「思う思う!精々スノッブ同士で思い上がってろ!って話だよね」
「ああ、但、東洋同士の文化をミックスさせるのは容易な事と言えるかもしれないが、東洋と西洋の文化をミックスさせるとなると、容易ならぬ事で、而も日本の場合、欧米列強から自国を守る為、どうしても富国強兵を早急に実現せざるを得なくなり、どうしても西洋文明を積極的に導入せざるを得なくなり、どうしても西洋が数百年かけて実現した事を僅か数十年で成し遂げなければならない様な無理な事になって当然、外発的な開化となり、已むに已まれず西洋化へ弥が上にも上滑りに滑って行かざるを得なかった訳だから、そんな歴史の流れを汲む現代日本人を和魂漢才を実現しながら内発的に開化していた近代以前の日本人と比べて批判するのは、現代日本人にとって酷と言えなくもないね」
「まあ、そこのところは容赦してあげないとね」
「しかし、嗚呼、悲しい哉、日本は明治維新以来、和魂洋才を理想とするも上滑りの西洋化に走り、国民が洋才を学べないばかりか和魂を忘れて行き、おまけに戦後はGHQの3R5D3S政策に因り骨抜きにされながらアメリカ化して行き、愚民化して行き、和魂洋才の実現は夢のまた夢となってしまったんだ!」
「そこんところは嘆かざるを得ないよね」
「うん、そして調和の取れない精神性の無い風景を至る所に作り出す様になってしまったんだ」
「そうだよね、例えば、未だに所々にある寺院にしても近代以前は周囲と調和をなして周囲の民衆と高次の精神で繋がる事も有ったんだろうけど、今ではすっかり浮いていて而も羊頭狗肉って言うか、張子の虎って奴でさあ、形だけは修繕を繰り返して立派に残って行くだろうけど、中身は空っぽも同然だもんね」
「ああ、日本の仏教は既に形骸化していて住職を始め寺院の僧侶たちに仏教の神髄を教えられる者は誰一人としていないんだ」
「そうだよね、周囲に住む民衆も民衆で家に仏壇は有っても仏道に帰依する者なんか誰一人としていないから寺院と民衆が低次の精神で向き合うばかりだもんね」
「ああ、大体、仏教にしても世界最大の宗教であるキリスト教にしても始祖の教えを忠実に伝えるものではなく而も時を経るに連れて、その教えは廃れるばかりで民衆が離れて行くのも無理はなく今時は眉唾物のスピリチュアル系の伝道師を信じる者はいても神なぞ信じる人はまずいないんだ」
「そうだよね、あの神は死んだと言ったニーチェはイエスを批判したのではなく飽くまでもキリスト教を批判したんだもんね」
「ああ、僕はキリスト教も仏教も信じないけどイエスと仏陀の教えは信じてるんだ。まあ、それは置いといて、さっきの風景の話に戻して僕の言いたい肝心要の勘所に入って行くけど心の準備は出来てるかなあ」
「ああ、出来てるよ!」
「じゃあ、始めるけど、漱石は自著『三四郎』の中で広田先生に、『あれが日本一の名物だ。あれより他に自慢するものは何もない。ところが、その富士山は天然自然に昔から有った物なんだから仕方がない。我々が拵えた物じゃない』と言わしめただろ」
「ああ」
「無論、漱石は風光明媚な名所旧跡を始め日本の美と言えるものは、凡人の人智の遥かに及ばぬ所まで熟知していたに相違ないが、敢えてそう言わしめたのには深刻なる重大なる訳が有るんだよ」
「えっ!そうなの、是非お聞かせ願いたいねえ」
「それはねえ、広田先生に『日本は滅びるね』と予言させる為だったんだ」
「成程ね、確かに今の日本は風景一つとって見ても和魂漢才が廃れてしまってるもんねえ」
「ああ、謂わば、西洋の猿真似を馬車馬の様に続ける明治の世にあって漱石は既に日本の堕落を見、そして今の事態を予見していたんだ!」
「そうそう、そう言えば、漱石は自著『それから』の中でも代助に、『労働の為の労働でなくてパンの為の労働では誠実になれず堕落する』という様なことを言わせたけど、成程、今の日本の風景はパンの為の労働が作り出した物だもんね」
「ああ、味も素っ気もない、まるで堕落した精神を絵に描いた様だろ!」
「うんうん、全くだ」
「今、日本にある風景は義に喩らず利に喩り、精神的な豊かさを求めず、物質的な豊かさを求め続けた成れの果ての姿だ!」
「そうだ!そうだ!」
「名所旧跡巡りに耽って、嗚呼、美しい日本!なぞと浮かれていては真実は見えない。馬鹿な国粋主義者宜しくだ。一般にある風景こそが現代日本の真実の姿を伝えているのだ!」
「そうだ!そうだ!」
「今の日本は安きになれてはおごりくる人心の、あはれ外つ国の花やかなるをしたひ、我が国振のふるきを厭ひて、うかれうかる仇ごころは流れゆく水の塵芥をのせてはしるが如くと樋口一葉が言ったように走り続けた成れの果ての姿なのだ!」
「そうだ!そうだ!」
「ところが、人々は現代日本で生活していながら、その為体が目に映らない。従って改善しようと真実と向き合う事は無い。只々惰性で生きる。堕落有るのみ・・・」
隆がそう呟いたきり満月の月光のお陰でまるでダイヤモンドが散りばめられたように輝いている海面を虚しそうに眺めていると、ドッペルゲンガーが察してこう言った。
「だけどさあ、現代日本人の堕落は決して安吾の言う堕落じゃないよね」
「ああ、勿論さ。それに引き替え、僕は安吾の堕落論に影響された訳ではないが、安吾の言う様な堕落な生き方をしてるんだ」
「だろうね」
「君も知ってるだろうけど、安吾の堕落論は終戦直後の日本に衝撃を与え、その後も日本人に細々と読み継がれているのだが、日本は相も変わらず安吾の言うカラクリに縛られていて全国津々浦々どこを見渡しても毫も変わらない。してみると矢張り俗物は皮相浅薄だから堕落論の第一義もモチーフも要諦もコンセプトも丸で理解出来ないか、或いは俗物はカラクリに縛られてる方が楽だから何となく理解出来ても論語読みの論語知らずで丸で実践出来ないんだ」
「だよね」
「僕は俗物の何が腹立つって彫心鏤骨して編み出した叡智の結晶である文豪の哲学を知識としたとしても実生活に全く役立てず惰性的に生活を変えない卑怯な所だ」
「確かに知行合一が出来てないよね」
「ああ、但、卑怯と非難するのは手厳し過ぎるかもしれない。何せ、安吾の言う堕落を実践するのは、それこそ容易ならぬ事で、その堕落とはニーチェの言う没落の事と考えて、ほぼ間違いないからだ」
「まあね」
「但、今一つ納得の行かない表現が堕落論には有るし、安吾の思想には共感し兼ねる点があるし、ニーチェの比類稀なる孤高の哲学と一緒にするのはどうかと思うから堕落論を買いかぶり過ぎの様な気もするが、確かに安吾の言う堕落とは実に孤独で壮絶で生に根差したもので、その点に於いてニーチェの言う没落と符合するんだよ」
「だよね」
「よし、ここは一つ、どう符合するのか確認し合ってみようか」
「うん、しよしよ!」
「安吾は堕落論の中で、まず俗世に厳然と蔓延る因習的な健全なる道義、そして政府の押し付ける新たな健全なる道義なぞという偽物の美徳を自分から剥ぎ取り、何はともあれ本然に立ち返れと言っているだろ」
「ああ、それはねえ、ニーチェの言う駱駝の儘、偽物の美徳を背負っているのではなく、ニーチェの言う獅子となって偽物の美徳を猛々しく否定して、かなぐり捨て、ニーチェの言う幼子となって生まれた儘の原点に立ち返れって事だよね」
「そうだよ。そうして安吾の言うカラクリから逃れて生き抜こうとすると、どうしてもアウトサイダーとして生きる様な事になるのだが、その困難な道のりを泰然自若とか、堅忍不抜とか、不撓不屈とか、敢為邁往とか、勇猛果敢とか、そういった大層立派な精神で突き進めれば、大したもんだが、中々そうも行かないので傷ついて挫けそうになりながらも満身創痍で何とかかんとかでも良いから進んで行き、そうして正しく堕ちて堕ちて堕ち切るんだ」
「うん、それがニーチェの言う没落の事だろ」
「ああ、そしてニーチェの言う超人となってニーチェが価値観の転換をせよ、新しい価値の創造をせよと言った様に自分独自の確固たる価値観倫理観を創造せよと安吾は言っているのだ。しかし現代日本人の堕落は文字通り堕落で既成の価値観倫理観に囚われた儘、同調で成り立つ偽りの瞞しの和の中で皆と仲良し仲良しして堕落する実に女々しいものなんだ」
「だよね、安吾の言うカラクリから逃れる事も何も創造する事も出来ないで只々惰性的に慢性的に堕落するもんね」
「ああ、而も漱石の『坑夫』の中に出て来る坑夫達の様に零落して堕落するのではなくて零落しなくても堕落するんだから甚だ質が悪い」
「ほんとだよね」
「愚民化して行く中で同調を強いる劣悪な環境に因って更に蝕まれ日本人の精神が芯から堕落してる証拠だ」
「ほんとだよ、全く」
「嗚呼、誠に日本は精神的に滅び、有名無実の国になってしまったのだ!」
「全くだ!それが君の言いたかった結論なんだね」
「ああ、なんか、これだけ言えて共感してもらえてほんとにすっきりして満足できたよ」
「そりゃあ、良かった」
「だから、もっと君と話がしたいけど、これからも会えるかい?」
「会えるよ。会いたけりゃ、満月の晩に浜辺に来なよ。そうして今日みたいに月影を見つめれば僕が現れるからさ。まあ、月の入りまでだけどね」
「そうか、あの月が西に沈むまでか」
「ああ」
二人は月明かりの下、波光の煌めきも静かな波音も匂い立つ潮風も快い筈なのに西の地平線へ沈みゆく月を頼りなさそうに心細そうに眺めるのだった。
明け方、東雲の空から差す光を浴びて隆は目を覚ました。
すると、涙を流しながら自分の影を抱くように砂浜に寝転がっている自分に気づいた。
「嗚呼、夢だったのか・・・」