【6話】寅の刻
老婆に見られて俺たちは動けずにいた。
『戸田さん、永谷さん。一番診察室の前でお待ちください。』
しばらくすると、最初と同じような俺たちを呼ぶアナウンスが聞こえてくる。老婆の不気味な視線を感じながらアナウンスに従い一番診察の前に座る。
そこで視界がぱっと暗くなる。結局またこうなったかと俺は頭を抱える。
「おいおい、結局またこれかよ……。」
「まだ何か足らないのかな……。」
時計をちらりと見ると今はもうすぐ4時になろうとしている時だった。時間ももう無い。
「ねぇ、もしかして儀式っぽいことをやらないとダメとか?」
「どういうことだよ?」
「だからろうそくに火を灯して、頭下げてれば脱出できたりしないかなって。」
「なるほど……。失敗した儀式を俺たちがやり直すってことか。」
「そうそう。」
確かにそれなら儀式を成功したことにしてあげることで佐奈子も成仏できるかもしれない。そしたらここに閉じ込められている俺たちも脱出できるだろう。しかし問題もある。
「火をつける道具がないけど……。」
俺たちはどちらもタバコを吸っていなかった。
「そのことに対しては少し考えがあるんだ。」
永谷は何か方法を思いついていたらしい。すぐに返事をする。しかしもう一つ大きな問題がある。永谷もそれに気づいているらしく表情は少し曇った。
「彼者誰時って言うのは日の出の直前のことだよね。そして日の出と共に火を消すって書いてあったけど……。」
永谷の声はそこで途切れる。そう、言い伝えでは日の出よりも先に病院から出ないといけない。
「もしかして……、どうしようもないのか?」
俺は茫然と呟く。
「……火を灯したら玄関までいけばいいんじゃない?」
「そうだな。それに賭けるしかないな。」
どのみちこのままうじうじしていても、結果は変わらないのであれば行動してみる価値はあるだろう。
とりあえず火をつける道具が必要だ。永谷は椅子から立ち上がると玄関の方へと歩いていく。
「何をするんだ?」
「まぁ、見てて。」
何をするのかさっぱりわからない俺は永谷についていく。永谷はそのまま玄関の扉に手を伸ばす。そして触れた。
ぱっと視界が明るくなる。再び病院らしい音が耳に飛び込んでくる。しかしそれでもまだ何をするのか俺はわからない。永谷は満足そうにうなずくと近くの椅子に座っているお爺さんに声をかけた。
「……すみません。タバコを吸いたいのですけどマッチ忘れちゃって……。もし持っていたら少し借りたいのですけど……。」
お爺さんは永谷の顔をまじまじと見つめる。そしてにっこりと笑った。
「やはりタバコはやめられませんよなぁ。わしも先生から何度もやめろって言われてるんじゃが、これはやめられなくての。良いぞ良いぞ。お若いの。この箱はあげるから持って行きなさい。」
そういってお爺さんは鞄からマッチ箱を取り出して永谷に手渡す。
「ありがとうございます。助かります。」
礼を述べる永谷にお爺さんは手を振ってこたえる。やがてアナウンスで俺たちは呼ばれ俺と永谷は椅子に座った。
ぱっと視界が暗くなる。賑やかさが消えて静寂が戻ってくる。すべてが元に戻ったと思われたが、永谷の手にはマッチ箱が握られていた。
「まじか! すごいな! よくそんな方法を思いついたな。」
俺は興奮して永谷に対して言う。そんな方法があるなんて思いもしなかった。
「俺も半分は勘だったんだけど。成功してよかった。」
永谷は少し照れ臭そうに笑った。
俺たちは椅子から立ち上がると地下室へ続く扉がある部屋に行く。扉を開けたところで階段の方から嫌な足音と声が聞こえてきた。
「ワタシ……ノオトモダチ……。ドコ?」
「マズい……。佐奈子だ。」
幸いまだ姿は見えていない。俺たちは急いで地下室へと向かった。
時間は4時を過ぎたところである。もう彼者誰時だと言ってもいいくらいだろう。
永谷は手早くマッチに火をつけると、ろうそくに火をともしていく。幸いろうそくに順調に火がともる。
すべてうまくいくかと思った時だった。俺は上から鉄の扉を開ける音が聞こえた。
背筋が凍った気がした。階段の上から佐奈子の声と階段を下りてくる足音が聞こえる。
永谷もその音に気が付いたようだ。ろうそくすべてに火を灯した永谷は慌てたように俺の隣に来る。
机の反対側へ行って佐奈子と対峙するか、それとも一瞬のスキに賭けて階段のすぐ横の壁に張り付き佐奈子が入ってきた瞬間に外へと逃げるか、様々な対処法が一瞬で頭に浮かぶ。
しかし今取るべき選択肢ではない、そう思えた。
「頭下げろ。」
かすかに残っていた冷静な思考が儀式を続けろと俺に命令していた。俺は永谷にそう言うと土下座をする格好になる。横では少し戸惑う声がしたものの、すぐに永谷も同じようにしている気配があった。
もう足音はかなり近い。俺は恐怖で涙があふれてくるのを感じた。
「ワタシ……。ノオトモダチ……。ワタシノ……。」
佐奈子が地下室に入ってきている。もう佐奈子が手を伸ばせば俺たちに触ることができるだろう。
「ワタシノトモダチ……。ミツケタ……。」
その声を聴いた時、俺は息をのんだ。
いつ殺されるのかわからない。俺は目を強くつむって覚悟を決めた。
しかし、佐奈子は俺たちの横を通り過ぎて人形へと向かっていく気配がした。
「……佐奈子、佐奈子。」
しばらくすると俺たちに助けてと言っていた幽霊の声がかすかに聞こえる。
「アア……オネエ……チャン……。 オネエ……ちゃん……。……お姉ちゃん……?」
それを聞いた佐奈子が反応している。声が不気味なしわがれた声から女の子らしい声に変わっていく。
もう大丈夫だと、なぜかそう思えた。俺たちは顔を上げる。
机の前では人形を握りしめている佐奈子の姿があった。しかしその姿は先ほど見たボロボロの姿ではなく、かわいらしい女の子の姿だった。
「佐奈子。」
姉の幽霊の声が大きく聞こえたとき、佐奈子の横に姉の姿が現れる。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
姉の姿を見た佐奈子が姉の胸の中へと飛び込んでいく。
「会いたかった、佐奈子。よかった。」
姉は涙を流しながら佐奈子の頭をなでる。そして俺たちに顔を向け、ありがとうと口が動いて笑った。
そして二人は静かに消えて行った。
「終わった……。のか?」
「かな。」
俺たちは顔を見合わせる。後は出るだけだ。
階段を上がって1階に出る。しかしそこで辺りがぐらぐらと揺れ始めた。
「おいおい! なんだなんだ!?」
天井は一気にボロボロになり崩れ始める。
俺たちは口々に悲鳴を上げながら玄関の方へと走る。
廊下に出た俺は上を見上げる。天井は今にも崩れ落ちそうになっている。
そして天井が俺たちに向かって落ちてきた。
悲鳴をあげる間も無く視界が暗闇に染まった。
※
真っ白な視界の中で先ほどの姉妹がこっちを見て笑っている。
「お兄ちゃん達は一緒に連れて行ってあーげない!」
佐奈子が楽しそうにこちらに話しかける。俺に向かって舌を出した佐奈子はくるりと背を向け、姉を引っ張って白い霧の中へと消えて行った。