【2話】戌の刻
「よし、開けるよ。」
永谷が俺に聞く。俺はコクリとうなずいた。
永谷は扉を開けようとする。しかし、ガチッ! という音が鳴るだけで扉は開かない。
それはそうだろう。ここは閉鎖されている病院なのだ。施錠だってされているはずである。
「鍵かかってやがる!」
永谷は何度も扉を乱暴にゆする。さすがに壊すのはまずいのではないだろうか……。
「お、おい。」
と俺が制止しようと声をかける。しかし、それと同時に少し大きな金属音とともに扉が開いた。
「おっ!……よし開いた。行こう。」
永谷は興奮しながら躊躇なく病院の入り口へと入っていく。俺少し呆れながらそれに続く。
懐中電灯をそれぞれつけて中を見渡してみる。受付だったのだろうか、正面にカウンターと前の方に長椅子がそのまま置いてあった。
「うわ……。そのまま放置されてるのか……。」
「だな。それより……。」
俺のつぶやきに永谷が返す。それとともに何か違和感を感じ取っているようだ。俺にはさっぱりわからないが。
「それより、なんだよ?」
そのまま黙ってしまった永谷に対して聞く。
「いや……。サイトには廃止されたのはかなり昔だって書いてあったのに綺麗すぎない? もっと天井とかボロボロでもいいはずなのに……。」
そう言われて俺は天井を眺めてみる。言われてみれば確かにそうだ。この場所の天井は崩れそうな感じは全くない、端には蜘蛛の巣の一つでもあっていいはずなのに何もない。綺麗だということはいいことのはずなのに、この廃病院には似合ってなさ過ぎて逆に恐怖感をあおってきた。
「ここはかなりヤバそうだね……。」
永谷がぼそりという。
俺もここに入って出てきたものはいないとサイトに書いてあったことを思い出して身の危険を感じていた。
「いったん出るか?」
「この先も探検したいが……出るか。」
俺の提案に永谷も渋々乗ってきた。さすがにここはマズいと本能のようなものが警告していた。
くるりと反転しようとしたときであった。
ぱっと目の前の視界がいきなり明るくなる。夜で暗かったはずの病院の中はまるで昼間のように明るくなり、誰も座っていなかった長椅子に数名の老人が座っている。受付の中にも数名の人影が見え、あわただしく動いていた。
「……な、なんだよこれ……。」
その妙な光景に俺は思わず後ずさった。
ありえない光景に動けずにいるとロビーにアナウンスが鳴り響く。
『戸田さん、永谷さん、1番診察室の前でお待ちください。』
そのアナウンスを聞いた瞬間全身に鳥肌が立ったのを俺は感じた。横で永谷が小さく声を上げた。
入口の前でなおも固まっていると長椅子に座っている老婆が声をかけてきた。
「どうしました? 呼ばれておりますよ?」
なぜその老婆が名前を知っているのか、それになぜ自分たちの名前が呼ばれているのか。全くわからなかった。穏やかな顔で話しかけてきている老婆だってこの世の存在ではないはずだ。すぐにでも悲鳴を上げて後ろに駆け出してしまいそうな気分だった。しかし、それを頭の片隅に残った理性が必死に食い止めていた。
よそ者になってはいけない
破るとどうなるのかはわからない。しかし言い伝えは守った方がよさそうだ。
「……行こう。」
俺は永谷に小さく声をかけるとロビーの横の廊下を通って一番診察、と書かれたドアの前の椅子に座った。
そこで再び視界が変わった。……というより元に戻った。明るかった室内は再び暗くなり、老人たちは消え静寂が包み込んだ。
「……あれ、なんだよ。」
永谷がぼそりとつぶやく。
「お前も見たのか。あれ。なんだかこの病院の過去と言うより……。」
「あぁ、俺らを外に出さないために見せてきたって感じだった。戸田がいなかったら逃げ出していたよ。」
永谷は少し硬直した笑みを浮かべながら話す。
俺も実際1人だったら逃げ出していたのかもしれない。しかし外に出れないとなるとどうしたらいいのだろうか。
「日の出までに出れるかな。これからどうすればいいんだろう。」
永谷が呟きながら頭を抱えた。言い伝えを守れば外に出れるのだろうか。
とりあえず散策でもして非常口か何かで外に出てしまいたかった。
「お、おい。戸田。」
立ち上がった俺に永谷が声をかける
「ここにいてもしょうがないだろ? 待ってても続きがありそうでもないし。せっかくだし探検してみようぜ。」
「……お前凄いな。」
永谷が驚いたようにこちらを見る。その後深く頷いた。
永谷が立ち上がったのを見て俺は一番診察と書かれたドアを開ける。
「ここもそのまんまなんだな……。」
医者の座る椅子の前に小さな丸椅子。その横には簡易ベットが置いてあった。中は永谷の言う通りほとんど残されており、そしてすべて腐敗した様子もあまり見られなかった。
「ここは何もないか。」
机の上には書類らしきものも何もなかった。俺は呟いて診察室から廊下に出る。
「おい、戸田! あそこから外に出られないかな?」
廊下に出たところで永谷が廊下の先を指していた。指の先に目をやると廊下の端に非常口と書かれた扉が見える。
非常口と書かれた扉は階段の踊り場のようなところにあった。鍵は施錠されているようだ。少し周りを見渡すと階段の下に小さな空間があった。もし、先ほどみたいに名前を呼ばれてもそこなら隠れられるかもしれない。
「いいか、もしまた明るくなったら階段の下まで走るからな。」
俺は永谷にそう言い扉の鍵を開けようと手を伸ばす。あと少しで触れるかというとき、
「……ダレ?」
突然女の子の声が後ろから聞こえた。後ろを振り向くと少し離れたところに小さな女の子が立っていた。
ゆっくりと俺たちは懐中電灯の明かりを女の子へ向ける。
「うわっ!」
横で永谷が声を上げた。懐中電灯で照らされたのは8歳くらいの女の子だった。しかしその姿が普通じゃない。白い死に装束を着た少女の腹は何かで切られており、内臓が飛び出していた。土まみれの手をこちらに伸ばしながら女の子はぎこちない足取りで、しかし確実にこちらに向かって歩いてくる。
「ヤバい!」
俺たちは階段に向かって逃げ出した。先ほど階段の下へ逃げると打ち合わせしたことは2人ともすっかり忘れていた。階段を2段とばしで駆け上がった後、一番近い部屋へ逃げ込んだ。
中は入院患者の病室のようだ6つのベットがきれいに並んでいた。
俺たちは引き戸のドアが開かないようにドアのレールの上に座り込む。なるべく声を出さないようにしながらあらい呼吸を俺たちは整えた。
「……ドコ? ワタシのオトモダチ……。ドコ?」
ドアの外を例の女の子が歩く足音と声が聞こえる。俺たちは両手を合わせてドアを開けるなと念じた。その祈りが通じたのかはわからないが、女の子の声が徐々に遠ざかり聞こえなくなった。
「……おいおいおいおい、マジでやばいぞここ!」
「あ、あぁ、あんなのが出てくるなんて……。」
永谷の顔は真っ青だった。おそらく俺の顔も同じくらい真っ青だろう。バクバクと心臓が大急ぎで鼓動しているのがわかった。