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カフェ・アーカーシャ~幽霊のいる喫茶店~  作者: 月城こと葉
二杯目 おばあちゃんの思い出
9/29

伍 いにしえの

 足が棒のようになってしまった俊哉と共にリラがアーカーシャへ戻ったのは、日が暮れてからのことである。何人か客が来ていたらしく、飛歌流と並んで踏み台に乗った真白が皿洗いをしていた。


「俊哉君、女性をこんな時間まで連れ歩いてはいけません」

「少しはねぎらってよ飛歌流さん。俺、もう無理……」


 崩れ落ちるように俊哉はカウンター席に座った。カウンターの上に組んだ腕に顔を埋めるようにして突っ伏してしまう。一体どこまで歩いてきたのかと飛歌流と真白は俊哉を見るが、リラは元気なままだった。女の子よりも、ましてや幽霊だというのに体力のない俊哉のことを見る野衾と猫又の視線は冷たい。


 真白はグラスに水を注いでカウンターに置く。


「リラ! 疲れただろ。これでも飲んで!」

「ありがとう真白ちゃん」

「もう暗いですし、そろそろ木山さんは帰宅された方がいいですよね。明日は学校があるとのことですし、続きは明後日にしましょう」


 今日の収穫については帰ってからメッセージで送ってくれて構わないから、と飛歌流は言う。カウンターに突っ伏す俊哉は気持ちよさそうに寝息を立てており、報告のできる状態ではない。


 エプロンの紐をほどきながら飛歌流がカウンターから出てくる。


「お家まで送りますよ」

「いいんですか?」

「ええ、もちろん。夜道は危険ですからね」


 おやすみなさい。そう言ってからリラはアーカーシャを出た。元気に手を振る真白と眠っている俊哉を置いて、飛歌流も店から出てきた。街路灯は一定間隔に点いているものの、その間はやはり暗い。六月に向けて徐々に日は長くなっているが、夜というものはいつの時期でも暗闇を生み出すものだ。


「お店、あれで大丈夫なんですか」

「問題ありません。うちはディナーはやっていませんからね」

「それは分かってますよ。そうじゃなくて、真白ちゃん一人で……」

「彼女も妖怪です。普通の子供ではないので平気ですよ」


 それを聞いてリラはほっとする。


 地下鉄の駅に着き、緑色の表示のある改札を通る。その際、リラに続いて飛歌流もICカードで改札機にタッチをした。


「あれっ、飛歌流さん改札……」

「僕はほら、人間に化けているので人の目に見えるのです。ちゃんと改札を通らないといけないでしょう?」

「あ、そうか」





 アパートの前まで送ってもらい、リラは飛歌流と別れた。そろそろアーカーシャまで戻っただろうか、というタイミングでメッセージアプリを開く。画面に表示されたのは『アーカーシャ』の名前で作成したグループトークのページである。業務連絡や調査報告に便利だからと、恭介が作ったものだそうだ。去り際に飛歌流が教え、リラはつい先ほどからグループに参加をしている。メンバーは四人。真白にはスマートホンが与えられていないようだ。


 丁度いいタイミングで、モモンガのイラストをアイコンにしている飛歌流の『着きました』というメッセージが表示された。


 夕食の準備をしながら、リラはサダの遺族から聞いた話を打ち込んでいく。返事は飛歌流からしか来なかったが、既読は二つ付いている。おそらく恭介だろう。俊哉はあのまま深い眠りについてしまったらしい。


 そして相談の末、実際に滝上に行くしかないだろうという結論に至った。


『明後日と明々後日は空いていますか?』


 OKという犬のスタンプを送ると、『詳細は後程』と返ってきた。





 翌日、大学の図書館で資料を探していたリラは同じゼミに所属する女子学生に声をかけられた。次の時間の発表が割り当たっている彼女は、『今昔物語集』を腕に抱いている。リラは本棚から『宇治拾遺集』を取ってから振り向いた。


「木山さん、なんだか最近明るいよね」

「え?」

「もっと暗い感じなのかなって思ってた。あ、ごめんね。悪い意味じゃないの。えっと、その、真面目そうというか、おとなしそうというか」


 女子学生は『今昔物語集』を抱く腕に力を入れ、リラに一歩歩み寄った。


「もしかして、彼氏? 彼氏ができたの?」

「そんなのいないよ。……ちょっとバイトを始めてね」

「今から!? まさかまさか、バイトを始める余裕がある位就活余裕なの!?」


 近くにいた学生がリラ達を睨みつける。図書館ではお静かに、という張り紙を無言で指し示す者もいた。


 女子学生は声を小さくする。


「きっとそのバイト、木山さんに合ってるんだよ。頑張ってね」

「うん、ありがとう。貴女もこの後の発表頑張って」

「うんっ」


 女子学生は「じゃあ後で」と言ってその場を立ち去った。


 残されたリラは本棚を見る。古典と呼ばれる者達が棚の中にひしめいていた。何百年も語り継がれる物語と作者がいる一方で、歴史に名を残すことのなかった物語と作者もいるのだろう。


「きっと、その中にも素敵なお話があったはず……」


 『古今著聞集』を手に取り、リラはコピー機へ向かった。





 一方その頃、アーカーシャでは俊哉が激しい筋肉痛を訴えていた。


「今日は店に立てない気がする」

「幽霊なのに筋肉痛なんておかしいぞ!」

「おかしくない。俺は実体を持っているのだから」


 自室で横になる俊哉のことを真白が小さな手で叩く。


「つぐみん体力なさすぎだぞ! 代わりにずっとひかるんがカウンターに立ってるんだよ! ひかるんがかわいそう!」

「俺の足が壊れるのはかわいそうじゃないの?」

「つぐみんは死んでるけどひかるんは生きてるじゃん」


 至極まっとうなことを言われて俊哉は口を噤む。確かにそうなのだ。アザラシの形をした抱き枕をぎゅっと抱きしめて、俊哉は目を閉じた。真白が容赦なく叩いてくるが無視をした。


 実体を持っていると道具を使うことができる。しかし、疲労というものが存在するのだ。霊能力者と契約をした生きた霊は、人の目に映らない以外は生きた人間とさほど違いはない。


「ねーえー、つぐみーん」

「五月蠅いなあ、たまには休ませてくれよ」

「つぐみんさぁ、リラのこと好き?」

「はぁっ!?」


 飛び起きた俊哉の勢いに負けて真白が転がる。驚いて姿も猫に戻ってしまった。


「ひい、びっくりした。ねね、どうなの? わたしは好きー! ずっとここで働いてほしい!」


 真白の無邪気な様子を見て、俊哉は動揺してしまった自分を恥じた。赤みを隠すように頬に手を当てる。


「あ、ああ、俺も好きだよ。いい子だよね……」

「どしたの? つぐみん真っ赤だよ?」

「んう……。もうっ、今日は働きたくないからほっといてくれ!」


 子猫の首根っこを掴み、部屋の外に放る。うにゃんっ、という声が聞こえたが、全て無視して俊哉はドアを閉めた。


 リラの笑顔が自分の心を揺さぶるのは、決して恋愛感情のようなものではないはずなのだ。


「欠落した記憶の中に、何かが……」


 アザラシの抱き枕に倒れ込み天井を見上げる。開けられた窓から吹き込んだ風が前髪を揺らした。やや黄みを帯びた瞳に黒い髪が被る。


 机の上に置かれていた本のページがぱらぱらと風に捲られたが、俊哉は気に留めることなく寝転がっている。開かれているページには何も書かれていない。和綴じされた本はかなり年季が入っているらしく、破れているページもあった。


 俊哉が風に吹かれていると、ノックもなしにドアが開かれた。また真白が来たのかと無視していると、視界ににょきっと恭介の顔が現れる。


「うわ」

「サボりはよくないなあ」

「足が死んでるんですよ。あと、その言葉そっくりそのままお返しします」


 恭介はわざとらしく頭を掻いてとぼけたふりをした。


「……オーナー」

「ん?」

「俺は、何を忘れてしまったんでしょうか……。この世に留まりすぎて、もう、自分のことさえ忘れてしまいそうです……。失ってしまったことを思い出すことはあるのでしょうか」


 ぼんやりと天井を見上げる俊哉の横に恭介は屈む。よれよれの着流しの裾にはほつれている部分があった。


「それは俊哉次第なんじゃないかな。人の記憶なんて曖昧なんだから、忘れることもあれば突然思い出すこともあるよ」

「……俺は何を忘れてしまったんだろう」

「今はサダさんを送ることが優先だ。疲れが残っていては仕事に支障が出るだろう。今日はゆっくりお休み」


 恭介の手が俊哉の目にかざされる。手が離されると、俊哉は落ちるように眠りについた。


 立ち上がった恭介は机の上に置かれた本を見遣る。やる気のなさげな普段とは異なる、険しい表情で本を見ている。


「……君は、出会った時に語ってくれたことも忘れてしまったのかい」


 吹き込む風が真っ白なページを捲る。


「――」


 恭介の呟きは俊哉に届くことなく、風に紛れて消えていった。


    


        


    



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