弐 おばけのお店
リラは耳を疑った。
「ゆ、幽霊、喫茶?」
狩衣の男が頷く。
「そう。だからそこのカウンターに妖怪が座っていてもおかしいことではないんだよね。俺も幽霊だし」
小さい頃からおかしな者に絡まれたり追い駆けられたりしてきたものの、こうして面と向かって会話をすることは稀だった。目の前にいる幽霊のことをまじまじと見て、リラは自分の頬を引っ張った。
「痛い」
「夢じゃないよ」
「私をからかおうとしていませんか」
「そんなことしないよ。全部本当のことだ。だって、そこにいる女の子は猫又だろう。それは君自身が言っていたじゃないか」
長髪の男の隣に座る甚平姿の子供を指差す。男の子だと思っていたが、どうやらボーイッシュな女の子らしい。リラは彼女の存在を自ら語ったのだから今更否定はできないのだ。
狩衣の男はカウンターに頬杖を着く。
「生きた人間の従業員が欲しいんだよ」
「幽霊とか妖怪とかが来るお店に、ですか」
「まあ、喫茶店は表の姿だよね。ここは彼岸へ向かう者が立ち寄り、最期の一杯を味わう店なんだ。生前の思い出話を聞いてあげたり、懐かしい人と再会させてあげたり、それが俺の仕事。けれど、遺族に会いたいって人も結構いてね。その場合、俺では対応できないからさ、君のように見える人間を探していたんだ。俺の仕事を手伝ってくれないかな」
途中で質問をしようとするリラをさらりとかわしながら、狩衣の男は最後まで言い切った。カウンターに両手をつき迫ってくる相手に対し、リラは若干引き気味になりながら話を聞いていた。
「俺は助かるし、君も就職先が決まって一石二鳥だろう。えーと、うぃんうぃんって言うんだっけ」
「お休みの日はありますか」
「あるある」
「お給料とか……」
幽霊が経営する店で働いて自分に利益はあるのだろうか。胡乱な目で見るリラに対し、狩衣の男は「ご心配なく」と頷いた。
「オーナーは生きた人間だし、ちゃんとお金は渡すよ」
「あなたじゃないんですか?」
「俺は店長だけどオーナーじゃないよ」
「オーナーさんが遺族の方とお話しすればよいのでは」
「君仕事欲しくないの? そのために就活してるんじゃないの?」
「そうですけど……」
「その目を活かしてみないか。折角見えるのだから、変な人だって指差されるより、仕事に使って役に立たせた方がいいよ」
長髪の男と猫又の女の子が「そうだそうだ」と声を上げた。
何もないところを見ている。おかしなことばかり言う。ずっとそう言われてきた。小さい頃は「不思議な子ねえ」で済まされており、今も人との関わりを極力避けることで同じゼミの学生や先生と当たり障りのない関係を保っている。
しかし、働き始めたらそうはいかないだろう。浮かない様子だと親に心配される原因はそれだった。リラは不安なのだ。大人になって、働いて、己の目と付き合って行けるのか。それを、活かすことができるのなら。
「やっぱり怪しいし、詐欺だったら嫌だし、でも、見えることがメリットになるのなら、ちょっと考えてもいいかなって……」
「ほんとにぃっ!?」
「え、えっと、まずはお手伝いから始めて、様子を見たいんですけど」
「御意御意! 大丈夫だよお!」
狩衣の男はリラの手を取り、ぶんぶんと振る。
「俺は店長の鶫俊哉。よろしくね」
「私、木山リラです」
「リラさん。いい名前だ。紫丁香花のことだね。この街の木の名前」
ムラサキハシドイとはライラックのことである。リラが暮らすこの街、札幌市の木とされている。ちなみに花はスズランだ。
俊哉はカウンター席を指し示す。
「長髪の男の人が野衾。ムササビの……いや、モモンガの妖怪。ちっちゃい女の子は猫又。猫の妖怪。二人はオーナーの知り合いで、手伝ってくれているんだ。生きた人間を探してきてと頼んだら君を連れて来てくれたわけだけれど、怖い思いをさせてしまったようですまないね」
リラが鋭く睨みつけると、猫又の女の子は野衾の影に素早く隠れた。
「こらこらいけませんよ。悪いのは貴女なのですから、ちゃんと木山さんに謝りなさい」
「わたしはつぐみんの言う通りにしただけだもん! 悪くないもん!」
あっかんべーをして、女の子は店の奥のドアを開けて走って行ってしまった。野衾はやれやれといった様子で溜息をつき、俊哉は苦笑した。
「木山さん、コーヒーが冷めてしまいますよ」
すっかりその存在を忘れてしまっていたコーヒーカップに視線を下ろすと、カップの中には小さなハートが浮かんでいた。ラテアートだ。折角のかわいらしい絵がなくなってしまうのはもったいないなと思いながらも、リラはカップを手に取って一口飲んだ。
「美味しい」
「そうだろう? そう言ってもらえると嬉しいよ」
コーヒーを飲み干し、リラはほっと一息つく。しかし、ほんの数秒の後に真っ青になった。
「私もしかして黄泉戸喫なんじゃ……! これ、帰れますか」
黄泉の国、あの世の物を口にすると現世に帰ることはできないという。幽霊が営み妖怪の働くカフェで出されたコーヒー。慌てふためくリラの様子を見て俊哉は朗らかに笑った。
「大丈夫大丈夫。ここはまだ此岸、いわゆるこの世だ。何でもないただの珈琲だよ」
「そうですか。よかった……」
「今日のお代はさーびすするから払わなくていいよ」
「分かりました」
「早速明後日くらいからお願いしてもいいかな」
「はい」
帰り際、猫又が転ばせてしまったお詫びに、と野衾はリラに絆創膏を差し出した。少し擦っただけだとリラは言ったが、野衾は引かない。妖怪から絆創膏を受け取り、リラは帰路に着いた。
地下鉄を待っていると、スマートホンのメッセージアプリに通知が来た。同じ説明会へ行く予定だったゼミ生からだ。会場でリラの姿を見なかったがどうかしたのか、という問いに対し、リラは行ったけれど会えなかったのだろう、と返した。
本命の企業はあった。しかし、その会社で自分の目とうまく付き合って行けるのだろうか。つらい思いをするくらいであれば、妖しい者達と仕事をした方が安泰である。
「一応第一志望はあったけど、どうしてもそこがいいってわけじゃあないしね。きっと、ここなら……」
連絡帳画面に新しく登録された番号を見て、リラはひとりごちた。