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弐 逢えない逢瀬

 店内で食事をするのは難しい、と、テイクアウトできるものを購入して外で食べた。ガイドブックに載っている店から、地元民だからこそ知っている店など、リラは俊哉に街を案内して回った。


 そんな中、立ち寄ったとある雑貨店でリラはあるものを見付ける。アクセサリーの並ぶ棚の前で立ち止まったリラを見て、俊哉はその視線の先を追った。そこにはライラックの花を模したブローチが置かれていた。薄い紫色の石が埋め込まれており、照明を受けて鈍く光っている。リラはまじまじとそれを見ている。


「ほしいの?」


 リラは俊哉の方を向く。少しびっくりした様子でスマートホンに手を掛けるが、メッセージアプリを起動させて返事を打ち込むよりも早く俊哉が続きを言った。


「買ってあげようか」

「えっ」


 思わず声が出てしまった。幸い小さな声は他の客や店員には届いていないらしく、誰もこちらに不審げな視線を向けてはこない。


「いくら? 買ってあげるよ」


 リラは慌てて文字を打ち込んだ。俊哉は画面に目を落とす。


『大丈夫です。自分で買いますから』

「いやいや、いいって。リラさんはいつも頑張っているから、店長からのねぎらいのプレゼントだと思ってくれ」

『でも』

「ほら、いつだったかの缶コーヒーのお礼だと思ってよ。これで貸し借りなしだ」

『値段が全然釣り合ってません』


 まだ打ち込もうとしているリラを無視して俊哉はスマートホンをバッグにしまってしまった。代わりに取り出した財布から紙幣を出す。和柄が美しいちりめんの財布である。この幽霊はスマートホンだけでなく財布まで所持している。心霊現象だといって驚かれてしまうため一人で買い物をすることはできないが、恭介や飛歌流と外出した際に自分のほしい物に関しては自分で支払うのだ。


 俊哉はリラのハンドバッグに紙幣を捻じ込む。


「釣り合うよ。俺はあの時本当に訳が分からなくなっていて大変だった。でも、リラさんが話し相手になってくれて落ち着けたんだよ。缶コーヒーはちょっと苦手だけど、いつもより美味しく感じたし、隣にいてくれてよかった。だからあの缶コーヒーには値段以上の価値があったんだ。このブローチと釣り合うくらいの」


 スマートホンをしまってしまった俊哉には何も言えない。店長からのねぎらいのプレゼント、缶コーヒーの借り。受け取ってしまっていいのだろうか。


 俊哉はうんうんと頷いた。さあ、早く買っておいで、とリラを促す。既読の付かない画面に『ありがとうございます』『大事にします』と打ち込み、リラはブローチを手にレジへ向かった。


 ブローチの入った袋を手にリラが店を出ると、俊哉が待ち構えていた。


「貸して」


 言われるがままに袋を差し出す。俊哉は袋からブローチを取り出し、リラの襟にそっと着けた。きらりと光るライラックを見て俊哉は満足そうだ。


「うんうん、よく似合ってる。綺麗だ」

「ブローチがですか?」

「リラさんがだよ、って答えればいいのかな?」

「そういうわけでは……」


 俊哉の手がリラの頭を撫でた。


「かわいいかわいい」

「今たぶん妹さんのことを言いましたね」

「宗子にも似合うと思う」


 リラはブローチに触れる。祖母に聞かされた大好きな物語の主人公が買ってくれたのだ、大事に大事にしよう。


 嬉しそうなリラを見て俊哉も笑みを浮かべる。その笑顔が向けられたのはリラなのか、それとも妹の面影なのかはリラはもちろん俊哉にも分からない。


 ただただ、二人の間には穏やかな風が吹いていた。







 夕方、リラは俊哉と共に家に帰る。「一人で随分見てきたんだね」と言う母に苦笑を返して自室に入った。


 リラのスーツケースの横に俊哉のボストンバッグが並んでいる。木山家はごくごく普通の一般的な一軒家であり、来客用の寝室などはない。必然的に俊哉はリラの部屋に泊まることになっていた。よくよく目を凝らして見るとうっすらと水色に見える壁紙と、天井から下がる魚やイルカをあしらったモビールがよく似合っている。青い布団の掛けられたベッドにはクジラのぬいぐるみが横たわっていた。


「お疲れ様でした。夕食はさっき買ってきたお弁当で大丈夫ですか……?」

「いいよ。その為に買ったんだし」

「朝は台所のパンを奪取してくるので」

「ありがとな」


 俊哉は押入れの方を見る。


「俺はここから布団を出して、床に引けばいいんだよな」

「はい、そうで……」

「リラー、あったよー」


 ノックと同時にドアが開かれ、父が入って来た。手にはアルバムを持っている。父は娘の襟に光るライラックを見逃さなかった。おそらく母も気が付くことはできただろうが、逃げるように部屋に入ってしまったため声をかけられなかったのだろう。


 アルバムを渡したついでに父はリラの服の襟を指差す。


「かわいいな。似合ってるぞ」

「ありがとう」

「彼氏か? 彼氏なのか?」

「もうっ、お父さんったら! あっち行っててよ。ゆっくり写真見るから」

「彼氏ならお父さんに紹介するんだぞ」

「はいはい」


 父を追い出し、リラはアルバムを広げた。


「これがおばあちゃんの写真です」


 アルバムにはリラの名前が書かれている。指し示された写真は、幼いリラのことを祖母が抱き、優しく見つめているものだった。他にも、幼稚園の運動会の時に一緒に体操をしているもの、家族で動物園に行った際に手を繋いで歩いているもの、近所のお祭りで盆踊りを仲良く踊っているものなどが挟まれている。


 最初はにこにこと写真を見ていた俊哉が次第に目を潤ませ始める。


「宗子……。君は今回の人生を幸せに過ごしたんだね……。今度は必ず見付けて見せるからね、お兄ちゃんを忘れないでね。大好きだよ。愛してるよ」


 祖母の写真に愛を告白する男のことを若干引き気味にリラは見る。しかし、引きながらも俊哉が祖母のことを思っていることが温かく感じられた。人と人の繋がりについて恭介が語っていたが、リラと俊哉は祖母を介して繋がっていると言えるだろう。妹が好きだからこそ今があると俊哉は言っていた。すなわち、祖母のおかげでリラはアーカーシャに出会えたのだ。この繋がりを大事にしよう。リラはアルバムを撫でている俊哉を見る。


 始まりは子供を助けようとしたことだった。ずっと嫌いだった自分の目を、リラはいつしか大切に思うようになっていた。


 アーカーシャ、とは虚空という意味である。虚空とは何もない場所。しかし、サンスクリット語のアーカーシャが表すのは、全てのある場所である。喫茶店にはあらゆる客が訪れる。店の仲間達と、様々な客達と、満たされた生活を送るリラにとって、虚空と言う名の店は欠けてはいけないものになっていた。


「俊哉さん。よかったら、おばあちゃんにお線香あげてください」

「下の仏間? は、来た時に行ったよね。明日の法事にも行くつもりだし……。それが目的だし……」

「いえ、お墓に」

「お墓……」

「ぜひ」


 俊哉はアルバムを見る。カメラに向かって「若い者には負けない」と言わんばかりに無邪気なポーズを決めている老婆が写っていた。年を重ねてなおどこかにあどけなさが残っているような彼女には、確かに宗子の面影が見える。長い長い時間を越え、何度も何度も違う人生を歩んでここまでやってきた。そんな彼女がずっと忘れないのは心の奥深くに残るとある物語だ。別人になっているのだから俊哉の記憶の欠落よりも多くのものが削ぎ落とされているかもしれない。それでも、山明かりの物語だけは残っている。それさえあれば俊哉と宗子の繋がりはきっと消えることがないのだ。


 すぅ、と目が閉じられる。


「お墓、か。そこにいるんだな、リラさんのおばあさんは」

「いる……のかな。成仏してると思います。だから会えないけれど、そうですね、いると思います」


 ゆっくりと俊哉は目を開けた。


「うん。行こう」

「じゃあ明日の法事が終わったら案内しますね」





 十三回忌ともなると参列する親族も極めて近い位置にいる者達に限られてくる。母の従兄弟や自分の又従兄弟、おじおば、従兄弟、そして大おじおばに挨拶をして回った後、リラの祖母の法事は滞りなく行われた。俊哉は会場の後ろで壁に凭れて様子を見守っていた。人の離れた隙に線香もあげている。


 幽霊になって、自分の妹の生まれ変わりの法事に参加をする。改めて考えるとおかしなことだなと思いながら、俊哉は宗子との思い出を反芻していた。自分の名前や貴族であること、妹が大好きであること、思い出したことはたくさんある。それでもまだ欠落している記憶もたくさんあるのだ。自然に忘れてしまったものを全て思い出すことは人間には不可能だ。思い出せた部分だけでも、今度は忘れないようにと頭に描き続ける。


 釧路市の一角にある墓地。そこにリラの祖母は眠る。法事を終えて、リラは俊哉と共にそこを訪れていた。「お参りをしたら下げるから、置かせて」と言って俊哉がバッグから出したのはステンレスボトルだ。アーカーシャから持ってきた粉を使って淹れたものである。店長として任された喫茶店で俊哉が試行錯誤をして生み出したアーカーシャオリジナルブレンド。コップになる蓋にコーヒーを注ぎ、店でお持ち帰り用として販売しているクッキーと並べて置く。


「俺、喫茶店で珈琲淹れてるんだ。おかしいだろ、珈琲淹れてる貴族って。でも楽しいよ。オーナーはやる気ないし、怪しすぎる神様はいるし、手伝ってるのか邪魔してるのか分からない妖怪もいるから個性豊かで楽しい。リラさんとも出会えて、それでこうしてここに来れたしね」


 リラが手を合わせる。俊哉も手を合わせた。


「俺の作ったお話を覚えていてくれてありがとう。大好きだよ。俺はずっと待っているから。必ず君を見付けて見せるから。だから、また生まれて来てくれ。その時も忘れないで。あわれなるひと夏の物語、山に灯る光が俺達を繋いでくれるから。愛してるよ」

「やっぱりちょっと気持ち悪いですね」

「いいんだ。俺は宗子が好きなんだ。気持ち悪いと罵られても構わない。この気持ちは変わらない」

「……おばあちゃん。この人、おばあちゃんの前世……。なんかすごい前世の前世のお兄さんだって。会いたがってるから、逢いに来てあげてね」


 風は吹いていなかった。けれど、線香の煙が僅かに揺れたようにリラには見えた。










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