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壱 君を訪ねて

 海辺に佇むリラは潮風に髪を揺らしていた。夏らしい白と水色をベースにしたワンピースの裾がふわりふわりと動いている。そして、隣に立つ俊哉は海を眺めてはしゃいでいた。薄手のジャケットにチノパン姿では、笏を片手に歌を詠みながら「我は平安貴族じゃ。ごきげんようでおじゃる」と言っても誰にも信じてもらえなさそうである。頭にはストローハットを被っていた。


 七月の三連休初日。リラは故郷である釧路へ来ていた。ゼミも講義もない土日に加えて月曜日まで休みである。客の増えそうな予感がとてもしているが、アーカーシャを休んでやって来たのだ。目的は法事。リラの母方の祖母の十三回忌である。命日に合わせるのであればもう少し早いのだが、親族各々の予定を考えての日取りとなった。


 そして、俊哉はそれに同行していた。例によってアーカーシャには真面目な飛歌流と小さな真白と働かない恭介が残っており、飛歌流の負担が気がかりだが致し方ない。不満たらたらの飛歌流を相手に、俊哉は大人げなく駄々をこねて休みを勝ち取ったのだった。


 事の発端は二週間前――。





 七月に入り、札幌の街にもじりじりと真夏が迫りつつあった。早朝や夜間にはまだまだジャンパーを手放せない日もあるものの、日中は半袖で過ごす日が増えてきた。リラや飛歌流、真白の服装が半袖や薄手のものに変わり、俊哉の狩衣が本格的に秋の襲色目かさねいろめに変わり、恭介の着流しが浴衣に変わった。アーカーシャを訪れる客も、特別なこだわりを持つ者以外は冷たい飲み物を注文するようになっていた。


 アイスコーヒーの注文をリラが伝えると、豆を眺めていた俊哉が若干不服そうな顔になった。うきうきした顔で手にしていたコーヒーカップを名残惜しそうに棚に戻し、悲し気にグラスを手に取る。ころころ変わる表情が面白くてリラは噴き出しそうになったがなんとか堪えた。


「俺はさあ、アイスコーヒーって注文じゃなくてさ、カプチーノとかカフェモカとかエスプレッソとかさ、オリジナルブレンドとかって注文が聞きたいんだよ」

「暑いですからね」

「畜生、夏め」


 毎年言ってるんですよ、と厨房から飛歌流が言う。現在の客はいずれも妖怪や霊媒師とその式達であるため俊哉がカウンターに立っていた。厨房で待機しているものの、これらの客達は長居するものが多く回転率が低いために、一旦料理を出してしまえば飛歌流は暇になってしまう。のんびりと鍋を洗いながら、こうしてリラと俊哉の会話に時々入ってくるのだ。そしてリラと俊哉も、客のほとんどが常連であることを理由にこうして業務中であるにもかかわらず談笑している。最も、常連にとってはこの緩い空気がよいのだという。ごくごく普通の生きた人間が来店した瞬間に店員達の纏う空気ががらりと変わってしまう部分が面白いと言いだす祓い屋もいた。


 オリジナルブレンドを冷やしたものをグラスに注ぎ、俊哉はリラに渡す。冷たいコーヒーはこのアイスコーヒー(オリジナルブレンド)の一点しかメニューに載っていない。店長こだわりのオリジナルブレンドを口にしてもらえることに関しては嬉しいものの、どうせなら温かい状態で味わってほしい。そしてクリームを載せたり色々やりたい。それが俊哉の考えだ。温かろうが冷たかろうがオリジナルブレンドはオリジナルブレンドであるし、自分には温度の違い以外はよく分からない。リラにそう言われてショックを受けていたのは数日前のことである。


 リラからアイスコーヒーを受け取った、主婦に見える妖怪二人が話に花を咲かせている。それを遠目に見ながら俊哉は豆を挽く。


「今日は界隈の客ばっかりだなー」

「平日の昼間ですしね。というかほとんど席が埋まっているこの状況で普通の人が来たら逆に困りませんか」

「それもそうなんだよな。昔やばい時あったし……」


 曰く、客の妖怪が客の人間を襲いかけたことがあったそうだ。偶然居合わせていた客の祓い屋が対処して事なきを得たが、それ以来妖怪の客が多い際には警戒を強めることとなったのだ。


「分けた方がいいんじゃないですか、普通の人の時間と、妖怪とか幽霊とかの時間。逢魔が時、とか」

「それは前にオーナーに言った。でも、全体の収入が減るって却下された。第一夕方限定にしたら祓い屋や霊媒師が昼間に来られなくてかわいそうでしょ」

「あ、確かに……。まあ、普通の人と妖怪が一緒に店にいるって状態がこの店の面白いところでもありますよね」

「そう。それを楽しんでいるただの霊感持ちのお客さんとかもいる」


 難しい問題ですね。と言ってリラは時計を確認した。先程のアイスコーヒーの注文でラストオーダーだ。この後は休憩時間に入る。


「やっぱり楽しいお店ですね。私ここで働いてて幸せです」

「うっ、やめて。そんなに眩しい笑顔を浮かべないで。妹が被るからやめて」

「無理言わないでください。私はおばあちゃんに似ているんです仕方ないでしょう。……あっ、おばあちゃん!」

「えっ、何。おばあちゃん見えたの。俺の妹? 生まれ変わってた?」

「いえ、違います。あぁ、恭介さんに言わなきゃ……」



 休憩時間に入ると同時に恭介が店に出てきた。子猫の姿の真白を腕に抱いている。


「ごはんー、ごはんー」

「つぐみん、ひかるん、今日のお昼はなあに?」


 カウンター席に下ろされると同時に真白は猫耳の少女の姿へと変化した。耳をぴこぴこ、尻尾をぷらぷら動かしながらカウンターに手を突いて覗き込むような姿勢になる。


「今日の賄いは冷やし中華ですよ」


 恭介の前にお盆を出して飛歌流が言う。


「賄いというか普通に作ったね?」

「僕が食べたかったから作った、ただそれだけです」

「いいよいいよ食べたいもの作って。でも材料費はよく考えてね」


 もちろんです、と飛歌流は頷く。経理を担当しているのは飛歌流自身だ。予算などお金のやりくりに関しては把握しているし、それと同時に実権を握っていた。本能に抗えなかったなどと言ってどんぐりや虫を持ってこない限りは好きなようにして構わないと恭介からの許可も得ている。しかしこうして時々確認をされてしまうのだ。そのため、飛歌流の答えは「分かりました」「気を付けます」ではなく「分かっています」「もちろんです」となる。


 ごまだれの冷やし中華に春雨サラダが添えられている。市販の冷やし中華セットを使ったのではなく生麺を購入しており、たれも自作だ。喫茶店が駄目になったら中華料理屋を始められそうだ。飛歌流は和食も守備範囲であり、日々の賄いという名のグルメを見る度にリラはそれを文字通りの神業であると思っていた。


「あ、あの、恭介さん」

「ん、何?」

「海の日……三連休あるじゃないですか。お休みがほしいんですけど。すみません言うのが遅くなってしまって」

「いいけど、お友達と海にでも行くのかな?」


 若くていいねえ、と言った恭介は曇ってしまったリラの顔を見て咄嗟に謝る。


「ごめんなんか私変なこと言ったかな」

「い、いえ。海に一緒に行く友達なんていないって、それだけです……」

「ごめん……。私も友達いなかったから気持ちは分かるよ。不用意に訊いてごめんね」


 リラは冷やし中華を啜る。ほどよくゆでられた麺にたれが気持ちいいくらいに絡んでいる。そのうち麺から作り始めたらどうしよう。


「法事があるんです。なので、釧路に戻らないといけないんです」

「いいよ。いってらっしゃい。というか法事なら仕事より大事だ。申し訳なさそうな顔をしないでくれよ。店のことは俊哉と飛歌流に任せて行っておいで。リラちゃんは元々毎日出てるわけじゃないんだし自由に休暇申請しちゃってよ」

「ありがとうございます、恭介さん」


 春雨サラダを食べていた俊哉が箸を止めた。釧路、法事、リラさんが行かなきゃならない。と呟いて、はっとした顔になる。箸から皿へと春雨が落ちて行った。


「リラさん、それってもしかしておばあさんの法事だったりする?」

「十三回忌です」

「俺も行きたい」


 人の祖母の法事に行きたいと言い出す他人というとてつもなく不審でしかないものを目の前にして、リラは一瞬困惑した。バイト先の店長さんです、と紹介すればいいのだろうか。バイト先の店長が祖母の法事へやって来たら家族や親戚一同は驚くのではないだろうか。


 麺を箸で掴んだままリラはしばし硬直する。


 バイト先。実際には内定をもらっていて、そして既に採用されていて、働き始めているようなものだが表向きにはバイトということになっている。そこの店長。家族にどう紹介すればいい? と考え込んでいたリラは、「店長は幽霊」という最も大事な部分を忘れていたことに気が付いた。週に何回も顔を合わせて一緒に仕事をしていると感覚が麻痺してくる。つい先ほども妖怪の客が云々という話をしたばかりではないか。見えていないのであればわざわざ紹介する必要もないだろう。そして他人ではない。祖母の前世の前世の何代か前の姿の兄である。


 考えをまとめたリラが口を開く直前、飛歌流が手を挙げた。


「待ってください。俊哉君は普通の人の目には映りませんし、木山さんのおばあ様は俊哉君の妹さんの生まれ変わりです。木山さんと一緒に法事へ行っても周囲に迷惑をかけることはおそらくないでしょう。しかし、三日間も店を空けるつもりですか」

「あ、一泊二日の予定です」

「二日も三日も同じです。三連休という忙しい時に、店長不在でやれというのですか」

「だって俺行きたいもん。行きたい行きたい!」

「子供みたいなこと言わないでください。あと法事ですよ、遠足に行くみたいな調子で言わないでください」


 オーナーも何か言ってください! と飛歌流に言われ、恭介は冷やし中華を掻きこむと奥へ引っ込んでしまった。のそのそと出てくるのに撤退は早い。


「オーナー!」

「ほら、我が主は行っていいって言ってるぞ」

「今のが!? 絶対言ってませんよ」

「やだやだやだ、絶対行きたい! 妹の法事だぞ! 兄として出席するのは当然だろ!」

「直接の妹ではないですよ」

「でも宗子は宗子だろ」


 カウンターを挟んで睨み合う俊哉と飛歌流。リラは食事を続けながら様子を見守った。


 そしてしばらく言い合いが続いたが、勝利したのは俊哉だった。休みは手に入れたが、同時に何かを失った気がする。いや、妹に関しては俊哉はもう何も失うものはないのかもしれない。


 一歩も引かない飛歌流に向かって、俊哉は妹への愛を語り始めたのだ。聞いている側が恥ずかしくなりそうなくらい、引くどころでは済まないくらい、気持ち悪いを通り越して呆れるしかないくらい、シスコンの力をいかんなく発揮して俊哉は語った。子供の教育によろしくないと判断した飛歌流が真白の耳を塞ぎ、そこで俊哉の勝利となった。


「そう、これほどまでに愛しているのだから行くのは当然だ。そうでしょう、飛歌流さん」

「俊哉君は危険人物ですね」

「やっぱりちょっと気持ち悪いと私も思います」

「二人共失礼だな」


 勝ち誇った俊哉が休暇を申し出ると、恭介はそれに対しては特に何も言わずに飛歌流に向かって「困った時の神頼みだからよろしくお願いしますアッカムイ様」と言った。飛歌流は大きな大きな溜息を吐いた。


 かくして、俊哉はリラの釧路行きに同行することとなったのである――。





 空を飛んでいるカモメを見上げながら俊哉はジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ。しかし、何も手に取らずにそのまま出す。歌を詠もうとしたが、短冊も万年筆も入っていない。


「別に使わないだろうなー。いいかー、って言って家に置いてきたじゃないですか」

「そうだった……。うーん、そうだな。『伊勢物語』の都鳥の歌から本歌取りで何かできると思ったんだけど……。そう思ったってことをメモしておこう」


 今度はショルダーバッグに手を突っ込みスマートホンを手に取った。「カモメが飛んでいた」「都鳥の本歌取り」とメモをしてバッグに戻す。


 寺側の都合もあり法事は連休の中日となっていた。今日は自由にぶらぶらできる。


「俊哉さんは釧路の街は初めてでしたよね」

「湿原とかは前に仕事で行ったけどね」

「じゃあ、今日はちょっと街を歩きましょう。折角来たんですから。あっ、でも人の多いところではこれで……」


 そう言って、リラはメッセージアプリの画面を開いた。






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