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カフェ・アーカーシャ~幽霊のいる喫茶店~  作者: 月城こと葉
四杯目 鵺鳥ののどようさまに
24/29

伍 ライラックとトラツグミ

 リロンリロンというベルの余韻が残る。誰も何も言えなかった。


 恭介と契約を結んでいる以上、俊哉が勝手にどこかへいなくなってしまうことはない。そのことが分かっているからか、恭介は険しい顔をしているものの沈黙を保っていた。話を聞く前も、聞いている間も、聞いた後もずっと黙っている。飛歌流以上に兼俊の話を聞いてきたし、俊哉のことを見てきた。そうして恭介は、黙って見守っているという選択肢を取ったのだ。決していつものようにやる気がないわけではない。それは皆が分かっていた。


 子供の姿に化けて、真白は不安そうに飛歌流を見上げる。飛歌流は思いつめた様子でドアを見つめていた。振り払われた手に目を遣って、小さく息を吐く。


 静かな店内に椅子の軋む音が響く。


「私、行ってきます」


 リラは席を立って店を出た。あの足の遅さならばまだ遠くへは行けていないはずだ。そう思い、元陸上部の足をいかんなく発揮する。


 予想通り、駆け出したはずの俊哉の姿は肉眼で確認することができた。リラはそちらへ向けて走り出した。


「待って! 待って鶫さん!」


 すぐに追いつき、腕を掴む。


「どこへ行くの」


 俊哉は何の感情も映さない顔でリラを見る。リラに重ねていたぼやけた妹の姿が今でははっきりと分かっていた。しかし、俊哉の表情は動かない。このままではどこかへ消えてしまいそうだ。リラは握った手に力を入れた。


 夏至を前に、午後六時を過ぎた現在でも周囲はまだ明るさを保っている。人通りも少なくない。そんな状況で俊哉に向かって話しかけて手を差し出すなど、リスクが高すぎる。それでもリラは俊哉に向き合っていた。


(今、ここで手を離してしまったら鶫さんがどこかへいなくなってしまいそう)


 俊哉は自分の腕を掴んでいるリラの手を見つめる。振り払うことはしなかった。しかし、握り返しはしない。ただ腕を掴まれているだけだ。


「次に宗子が生まれるまで、またどこかで時間を潰さないと……」


 覇気のない声だった。声の調子に反して口角がつり上がっている。目の焦点は定まっておらず、そのまま回りだしそうだ。混乱と困惑とが混ざり合い混沌と化していた。適当にボタンを連打したためにおかしくなってしまったおもちゃのようだ。放っておくと壊れてしまうだろう。


 リラは俊哉を引き寄せる。俊哉の体には力が入っていないのか、片手でいともたやすく動かすことができた。少しだけ人目につかない路地へ移動して、改めて向き合う。


「アーカーシャを出ることないと思いますよ。みんなびっくりしてました」


 俊哉は俯いている。


「……俺はオーナーから離れられない。アーカーシャから離れることはできない。でも、ちょっと、一人になりたくて」

「ふらふら歩いて行って車道に飛び出してしまいそうな人を一人になんてできません」

「俺は轢かれても死なない」


 霊能力者と契約を結んでいる生きた霊には質量があるためすり抜けることなく車にぶつかる。轢かれた瞬間には痛みを感じるかもしれないし、出血があるかもしれないし、意識が飛ぶかもしれない。しかし、死ぬことはない。だが、本人が無事でも車の方はどうだろうか。ぶつかったのであればへこむだろうし、タイヤがパンクするかもしれないし、エアバッグが飛び出すかもしれない。見えない何かにぶつかってしまうのだ。


 運転手の人に迷惑をかけてはいけない、とリラは俊哉に言う。理解はしているのだろうが、今は思考が追いついていないらしい。この状態ではコーヒーを淹れることもおそらくできないだろう。


「車? 車、そうだな。俺が意識吹き飛んで平気でも、運転手は車壊れてかわいそうだよな……。うん。うん。俺……なんか、たぶん、今すごく変なんだ。色々分からなくなってる。頭おかしくなりそう……」


 リラと話している間に表情はある程度動き始めたが、それでも見るからに危なそうな人という顔をしている。道行く人々に俊哉の姿が見えていたならば、「あの人具合悪いのかな」「大丈夫かな」という視線を向けられたことだろう。


 俊哉はリラを見つめる。が、その視線は彷徨い続けている。


「ごめん、リラさん。俺、ちょっと、変になってる。分からない。何だろう、分からないんだ。俺、俺は……。……怖い、たぶん。たぶんそう。どうしようもなく不安なんだ、きっと」

「鶫さん……」


 リラは俊哉の腕を引く。


「私でよければ聞きますよ。お話したら、少しは落ち着くかもしれないですし。ね?」


 優しく笑うリラを見て、俊哉も表情を和らげた。


「リラさんはおばあさんに似ているって言われたことある?」

「……あります。若い頃のばあさんにそっくりだって、おじいちゃんに」

「うん。だってそっくりだもんな……。兄である俺が勘違いするくらい」





 リラは俊哉に缶コーヒーを差し出す。ぶらぶらと公園を歩いてから、近くの神社へやってきた。


「どうぞ。鶫さんだったら自分で淹れた方が美味しいかもしれませんが」

「ありがとう」


 かしゅっ、という音を立ててプルタブが開かれる。コーヒーの香りが広がった。


「少し、落ち着きました?」

「うん、少し」

「大通公園って本当に大きいですよね」

「俺も最初見たとき驚いたよ」

「それに、こんな近くに神社があるんですね」


 札幌の中心部に広がる大通公園。その近くに三吉神社は鎮座している。飛歌流がしばしば出入りしている神社の一つである。


 俊哉は缶コーヒーを飲んで、缶を弄ぶ。


「無理して話し続けなくていいよ」

「無理なんて……」

「隣にいて。今はそれで十分だから」


 暗くなりつつある境内には参拝客もあまりいない。しかし神職から不審に思われては困るので、リラと俊哉は社務所の死角となる位置にいる。


 リラもコーヒーに口を付ける。最近は俊哉が入れたコーヒーばかり飲んでいた。特別コーヒーが大好きというわけではないので、アーカーシャで一杯飲むことができれば十分だ。そのため、コンビニや自動販売機でコーヒーを買う機会は減っていた。久々の味を口の中に広げながらリラは境内を眺める。


「妹……宗子さん、どんな人だったんですか」


 宗子のことを振られ、俊哉はぱぁっと明るい顔になる。空になっているコーヒーの缶を握りつぶす勢いで手に力を入れ、リラに迫る。


「すっごくかわいい。めちゃかわいい。やばい。天使。俺のあいどる」

「あ……。とっても大好き、なんですね」

「そうだ。俺は宗子が大好きだ。自分に来る恋文を全て破り捨てるほどに妹が大切なんだ。宗子に恋文がきたら送り主をぼこぼこにする自信がある」

「シスコン……っていうんですよ、それ」

「しすこんだろうかこんぷれっくすだろうが何だっていい。現に俺はここにいるんだし、俺が幽霊になったのは『妹に物語を届けたい』って思いが原因なんだ」


 潰れた缶に描かれているために同時に潰れてしまった髭の男性のイラストが俊哉を見上げている。


「俺がしすこんだったからこそ、結果として俺はオーナーとも、飛歌流さんとも、真白とも出会えたし、リラさんとも、ね。珈琲という素敵な飲み物にも巡り合えた」

「鶫さんがシスコンでよかったです」

「……なんかそう言われるとそれはそれで微妙だよな」

「ふふ」


 俊哉の狩衣の懐からスマートホンの着信音がした。確認するとメッセージアプリに新着メッセージがあるようである。差出人は恭介だ。


 内容を確認した俊哉が目を見開く。どうしたのだろうと、リラは画面を覗き込んだ。


 そこには恭介からの厳しい言葉が映し出されていた。


『出て行きたいのならば出て行けばいい。けれど、その場合君との契約は解除する。自然に成仏したり、悪霊と化したりするのではないかという恐怖に怯えながら妹が生まれ変わるのを待てばいい』


 脅しだった。行かないで、と呼び止めているのだろうが完全に脅しである。不器用な人なのか、照れ隠しなのか、それとも本気なのか。リラは横から画面を覗き込みながら考える。


「恭介さん、出て行ってほしくないって」

「……アーカーシャにいて、本当に宗子に会えるのかな。いずれオーナーも死ぬ。彼が死ねば、俺はただの浮遊霊に戻ってしまう」

「まだまだ先だと思いますよ、そんなの。おばあちゃんが亡くなったのはだいぶ前だから、恭介さんが元気なうちに転生するかもしれませんし、もし先に恭介さんに何かあったら、その時考えればいいじゃないですか」


 風に揺れる髪を軽く弄びながら、リラは俊哉を見る。一生懸命な人なんだな、と微笑みながら俊哉を見つめるが、スマートホンに目を落としている彼には見えていない。


「それに、ほら、私もいますから」


 俊哉が顔を上げる。妹とそっくりなその顔に、思わず口元が緩んでしまう。


「その時は私もおばさん……もしかしたらおばあさんになってるかもしれないけど、私が引き継いであげても……いいですよ」

「……俺のためにただの霊感持ちをやめるって?」


 勢いで言ってしまった。引き継ぐ、とはすなわち契約を引き継ぐということだ。陰陽師になります、霊媒師になります、と半ば宣言してしまった形になったリラは自分の発言に戸惑いつつも、うんうんと頷いた。その時はその時だ。


 俊哉は穴が開くほどじっとリラを見つめている。整った顔だ。いい顔が自分に向けられている。このままでは身目麗しいその姿に目が潰されそうである。リラはその眩しさに負けた。


「……そうしても、いいです。わ、私、まだまだ鶫さんのコーヒー飲みたいです、し……」


 顔を逸らすリラのことを見て、俊哉はくすりと笑った。ほんのり赤くなっている彼女の頬に手を添える。


「ありがとう、リラさん」


 リラはどきりとしてその手に自分の手を重ねた。初めて会った時から気になってはいたのだろう。そこその顔のいい男であるし、目を潰すくらい綺麗であるとは思っている。しかし、俊哉が見ているのは自分の祖母なのだ。自分のこの気持ちも、祖母に聞かされて以来ずっと忘れることのできない大切で大好きな物語の主人公その人だから昂ってしまっているものなのだ。


 俊哉が自分に優しいのも、忘れてしまっていた妹の姿を無意識に重ねていたから。思わせぶりな言動も溺愛する妹の影が相手だからこそ。ほんの少しだけちくりとした痛みを感じつつも、リラは真っ直ぐに俊哉を見た。


「戻りましょう、兼俊さん」


 名前を呼ばれて、鶫俊哉は大江兼俊の姿を取り戻した。少しだけ寂しそうに視線を泳がせてからリラに向き直る。


「俺は鶫俊哉だ。アーカーシャの店長。今の俺は俊哉だよ。思い出した、けど……。今は今だから」


 愛する妹とそっくりな女の子の手を握り、来た道を引き返す。


 また物語を書けそうな気がする。そう思いながら、俊哉はコーヒーの香りを辿って歩いて行く。








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