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カフェ・アーカーシャ~幽霊のいる喫茶店~  作者: 月城こと葉
四杯目 鵺鳥ののどようさまに
22/29

参 私の名前は

「確かに僕は三間坂ですが……」

「あぁ、そうか……やはり人の子は儚いですね、本当に……」


 飛歌流が新聞を拾い上げながら言った。三間坂は不思議そうに厨房を見る。


「昔、道北の深い森で木を伐り、それを加工して動物を生み出していた男がいました」


 残っていた最後の客が帰り、ドアに『CLOSED』の札をかける。そうして仕事を終えたリラがカウンターの片付けに入ると、飛歌流が語り始めた。テーブルを拭き始めた俊哉と床の掃除をしている真白も耳を傾ける。


 伝承を詠うかのように飛歌流は語る。店内を流れる風そのものが彼の歌になったかのように、言葉が広がって行った。


「男の彫刻は近隣の者達にとても評価されました。しかし、広く名の知れた芸術家達のようにはなかなかうまくいきません。もっと上手に、もっとみんなに見てもらいたい、もっとたくさん作りたい。そんな彼の願いを聞いて、一匹の獣が家へやって来ました。窓辺にいるエゾモモンガを見て、男はそれを木で彫りました。自分をモデルにしてくれというように、モモンガは何度も何度も彼の家を訪れました。実際の動物を間近で見てそれまで以上に生き生きとした作品ができあがっていったのです。モモンガにとってはただのきまぐれでしたが、人の子が喜んでいるのであればまあいいだろうと、男の作業を見守っていました」


 そこまで聞いて俊哉が手を止めた。


「そのモモンガって飛歌流さんなんじゃないの」

「おや! よく分かりましたね!」

「いや分かるわ!」


 フライパンを片付けて、飛歌流は店頭へ出てきた。三間坂の前に立つと、一瞬でその姿を変える。カウンター席にちょこんと乗っているのは大きな丸い目がかわいらしい一匹のエゾモモンガだった。


 三間坂は驚きを隠せない様子で、まじまじとモモンガを見る。顔を近付けたところでモモンガから穏やかな声が聞こえて来て更に驚いた顔になる。


「私のように長い時を過ごすカムイにとっては、ただの暇つぶしに過ぎなかったのです。しかし、貴方の作る彫刻がとても美しくて長居してしまいました」

「あのモモンガなんですか。そして神様だって言うんですか」

「信じるも信じないも貴方次第ですよ。神は寛大ですからね、強要はしませんとも。貴方がよい作品を作り続けることができればいいなと個神(こじん)的には思っていましたが、何年経っても貴方の名をが広まっていなくて、少し気になっていたのです。人の子にとっては五十年という長い時間ですが、私にとってはついこの間のように感じられてしまうのです。今でも鮮明に覚えています。まだ、今は……」


 人の姿へと変わり、新聞を手に取る。「夭折の動物彫刻家」として紹介されている三間坂の記事。そこに作品の例として躍動感のあるモモンガの木彫りの写真が載せられていた。自分を模して作られた作品がその場にあるかのように記事を撫で、飛歌流は三間坂に向き合った。


「亡くなっていたのですね、貴方は。本当に、人の子は……」

「幽霊になってるってことは、何か思い残したこととかやりたいこととかあるんじゃないか。ここはそんな幽霊を送る、最期の一杯を提供する喫茶店だ。話聞くよ」


 消毒スプレーと布巾を持った俊哉がカウンターへ近付いてきた。「思い残したこと」と一言呟くと三間坂は黙ってしまう。


 そこへ、片付けを終えてリラがカウンターから出てくる。飛歌流の手にした新聞を見ながら、ずっと気になっていたことを問うた。


「あの、三間坂さんがぶつぶつ言ってたのって何ですか?」


 アーカーシャへすり抜けながらやって来た時、三間坂は何かを呟いていた。リラも俊哉もそれを聞き取ることができなかったのだが、何度も何度も繰り返し唱えていたのであれば手掛かりになるかもしれない。


 三間坂は視線を彷徨わせた。くるりと店内を見て、飛歌流に焦点を合わせる。そしてカーディガンのポケットに手を突っ込んだ。ごぞごそと探り、何かを取り出して差し出す。


 三間坂の手に載せられているのは小さな木彫りだった。置物というよりもマスコットといった方が適切なサイズだ。平たい体、丸い目、広がる飛膜。三間坂は手に載せた小さな小さなモモンガを飛歌流に差し出す。受け取ってくれ、と促すように手を突き出す。


「……僕に?」

「モモンガ、モモンガ、モモンガ。忘れないように、忘れないように。とても綺麗な毛並みだった。とても美しい個体だった。モモンガ、モモンガ。そう、忘れないように何度も何度も繰り返したんです。小動物なんてすぐに死んでしまう。だからきっと、僕が作っている間に死んでしまったんだと思っていました。君があのモモンガなのかどうなのか、僕には思い出すことができないけれど、受け取ってもらえると嬉しいです」


 飛歌流は新聞をカウンターに置いて、三間坂へ手を伸ばす。が、躊躇う。


「きっと僕が思い残しているのは、彫り続けることを応援してくれた小さな森の動物へ感謝を伝えられなかったこと」

「浮遊霊の所持品は実体を持ちません。受け取ることは……」


 ぐっ、と押し付けるように、三間坂はモモンガの木彫りマスコットを飛歌流の手に握らせた。するりと手から抜けて落ちることなく、しっかりと手に載っている。


 驚いている飛歌流を見て、三間坂は満足そうに頷いた。


「この体になってしまってから回収したものです。落とさないように大事に持っていました」

「強く意識していたからこそ持ち歩くことができた……五十年も……。……受け取りました、三間坂先生」


 やり残したことを遂げて、三間坂は成仏するかに見えた。しかし、その体に光が差す前に、俊哉がコーヒーを淹れる前に、ぶつぶつと呟きながらアーカーシャを出て行ってしまった。渡したかったものを渡せたにも関わらず、「モモンガ、モモンガ」と繰り返し唱えながら。


 つかの間の暇つぶしに眺めていた人の子が去って行った壁を見つめて、神は少し困ったように微笑んだ。手には木で作られた自分の似姿がある。


「どこかで自然と消えるかもしれないし、どこかで状態が悪化して除霊されるかもしれない。ですが、どちらにせよ、今ここで彼の願いが叶ったことに違いはありません」

「誰かのために作るって、とても気持ちが籠っていそうだよな」


 飛歌流の手元を見ながらそう言った俊哉の表情が強張る。


「俊哉君……?」

「夜ご飯できたー? まだかー!」


 漂い始めた緊張を奥から出てきた恭介がぶち破る。


「俊哉、コーヒー淹れてコーヒー。あとお菓子も何か……。って、何かあったのか?」





 リラが状況を説明すると、恭介は「飛歌流の昔話ねえ」と興味深そうに言った。ちらりと向けられた視線から飛歌流は逃れる。


「それで、俊哉はどうしたの」

「……誰かのために作ったもの。その人に届けたくて……」


 懐から本を取り出し、ぱらぱらと捲った。流麗な筆致で文が綴られている。大学の講義で古文書を軽く齧ったものの、リラには上手く読むことができない。真白も同様で、覗き込みながら難しそうな顔をしていた。


 一同はテーブル席に着いて俊哉の本を囲む。読めそうな崩し字を拾っているリラの横で、飛歌流は険しい顔をしていた。見ていた人の子と再会した先程とは一転して、いつもの微笑さえ微塵も感じられない。


「あぁ、やっぱり……」

「飛歌流さん読めるんですか? ……あっ、読めます、よね、すみません」

「木山さん、これは……」


 飛歌流が言う前に俊哉が本を指し示す。


「俺が書いたんだ。誰かのために書いたんだ。でも、それが誰だったのか思い出せない。ずっとその人を探している」

「ねえねえつぐみん、どんなお話なの? 読んで読んで!」


 真白に急かされ、俊哉は本のページに手を添えた。読むのを止めさせようとする飛歌流と、それを阻止する真白と、どうしたのだろうと見るリラと、何かを感じて皆の様子を見守る恭介。そんな面々の間を縫うようにして物語が広げられた。


「どの帝の御代だっただろうか、帝に女御や更衣がたくさんいた頃だ。京の都に、一人の男が住んでいた。名前を兼という。兼が真面目に働いていたある日のこと、不思議な噂が都を包み込んだ。なんということだろうか、山が光るというのである」


 そこまで聞いて、リラと真白の顔が奇妙に歪んだ。この話には覚えがある。


「都の貴族達は、それを――」

「山明かりと呼んでいました」


 つい続きを言ってしまったリラのことを、本を見下ろしていた俊哉は勢いよく顔を上げて見つめた。驚きに包まれた顔は今起こったことが何だったのかを理解できていないらしく、ただただリラを見ているだけだ。


 一方のリラも、自分が真白と飛歌流に披露した物語と同じものが俊哉の本に書かれていて訳が分からない状態だ。


「リラさん、どうして山明かりのことを」

「私、このお話が大好きなんです。ずっと頭の奥深くに残っている、大切なお話」

「大好き。このお話。これが好きなの……。わたし、このお話が大好きなんですもの」


 俊哉は誰かの言葉を言う。そして、その瞳に金色の光が煌々と宿った。文字の書かれている一番後ろのページを開く。短歌が一首、それよりも後は真っ白だ。


 一度目を閉じ、深呼吸をする。俊哉の周囲の時間が止まってしまったかのようだ。三十一文字(みそひともじ)を歌い上げる準備を整え、ゆっくりと目を開ける。


「言の葉を綴りし我は鵺鳥ののどようさまに似たりけるかな」


 言葉を綴っていく私は、鳥が物悲しく鳴いている様子に似ているな。だって、もうそこに物語を聞いてくれる貴女はいないのだから。


「あ……あぁ、そうだ。そうだ、俺は……」


 本をテーブルに置き、俊哉は立ち上がってリラの正面へ移動した。金色の光を帯びた瞳が真っ直ぐにリラを射抜く。


「思い……出した……」


 そして、椅子の背凭れごとリラを抱きしめた。突然のことにリラは目を回す。真白はぽかんとしていたが、思い当たることのあるらしい飛歌流と恭介も素直に驚きを露わにしていた。


「見たことがあるに決まっているじゃないか……。ずっと、ずっと君を探していたんだ。俺は」

「えっ、ちょっ、鶫さん……っ!」


 ぎゅっと、優しくリラの体に腕を回す。リラは恥ずかしいと思う以上に、気持ち悪さを感じていた。俊哉を引き剥がそうとするがいつもと比べて力が強い。絶対に離してなるものかという強い意志に抱きすくめられて、リラは皆に助けを求める。


 動いたのは恭介だった。俊哉の背後に回ると、有無を言わせずに首根っこを掴んで引っ張った。主から式への何かしらの力が働いているのか、見事にリラから離れる。「何をするんです」と振り向いた俊哉に向かって、恭介はいつになく真剣な面持ちでこう訊ねた。


「俊哉。鶫俊哉は、君の名前?」


 忘れてしまった。失ってしまった。消えてしまった。


 答えることのできなかった質問に対して、俊哉は首を横に振った。


「私は兼俊かねとし左兵衛佐さひょうえのすけ大江おおえの兼俊だ」


 金色の光が消える。名乗ると同時に纏う空気が変わった。そこに立っているのは、コーヒーを愛する喫茶店の店長ではなく、雅と風流を嗜む貴公子だった。









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