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壱 アーカーシャへようこそ!

 北の大地に吹く風はまだ涼しさを残している。公園ではワゴンによるとうもろこしの販売が行われていた。家族連れが焼きとうもろこしを買い、ベンチで美味しそうに頬張る。


 その様子を横目に、若い女が駆けていった。まだ新しいリクルートスーツに身を包み、新品同然の黒い鞄を肩に掛けている。そして、履き慣れていないらしいパンプスが容赦なくストッキング越しの足を痛めつけていた。『焼きとうきび』の看板に名残惜しさを覚えつつも、彼女は靴の踵を鳴らして駆けていく。


 信号待ちで立ち止まると、スマートホンを手に取って何かを確認し始めた。行先はホテル。目的は説明会。周囲に同じような格好の学生がいればそれを目印にできるのだが、彼女の周りに自分と同じ就活生の姿はなかった。


「どっちに行けばいいんだっけ……」


 今日説明会に参加しているのは本命の企業ではない。しかし、聞いておいて損はないだろうと思い家を出てきたのだ。開始時間は徐々に迫りつつある。待ち合わせをしている友人がいるわけでもなく、本命の企業でもないのだからいっそのこと諦めてしまおうかと踵を返しかけた彼女だったが、その数秒後に駆け出すことになる。まだ赤い光を浮かべる信号が見下ろしている車道へと。


 公園で遊んでいたのだろうか、後方からボールが飛び出して来て、小さな男の子がそれを追い駆けて車道に躍り出た。


「危ないっ!」


 男の子に続いて車道へ出ると、彼女は小さな背中を抱いた。クラクションを鳴らし、ブレーキを効かせながら近付いてきた軽自動車が目の前に迫る。寸でのところで歩道へ転がり、最悪の事態は免れた。縁石に引っ掛けパンプスが片方脱げてしまったが、大きなけがなどはないようである。


 軽自動車の運転手に何やら罵声を浴びせられたが、男の子の命が大事である。耳を貸さずに自分の腕の中を確認して、彼女は目を丸くした。男の子の姿がないのだ。抱いたつもりが抱けていなかったのかと車道を振り向くが、そこにも男の子の姿はない。あろうことか、反対側の歩道に立っているのだ。先程まで自分が信号待ちをしていて、男の子が駆け出した側の歩道にだ。


 アスファルトに伏したまま呆気に取られている彼女を見て、男の子は口元を歪めた。手にしたボールをぽんと突くと、ピンク色のボールがカラフルな和柄の鞠へと変わった。もう一度ぽんと鞠を着くと、男の子が半袖短パンから甚平姿に変わった。ぽん、ぽん、と鞠を着き、今度は二股に分かれた尻尾が飛び出した。頭の上では三角形の耳がぴくぴくと動いている。四つん這いになった男の子は一声「にゃあ」と言うと、鞠を咥えてその場から走り去ってしまった。


「やっ、やられた……。もう!」


 パンプスを拾い、履き直して立ち上がる。周囲の人間には、疲れた就活生が突然車道へ飛び出したように見えただろう。男の子の姿は彼女にしか見えていなかったのだから。


 擦ってしまったらしく、右足のストッキングが破れていた。薄っすらと血も滲んでいる。


「今度会ったらとっちめてやる、いたずらにゃんこめ」





 世の中には、目に見える者と目に見えない者とがいる。常人の目には映らぬ者達。古よりこの国に住む者達。人はそれを妖怪と呼ぶ。


 時々、見えないはずの妖怪達を見てしまう人間がいる。例えばその原因は、生まれ持った感覚であったり、受け継いできた力であったりする。


 この若い女、木山きやまリラ。絶賛就職活動中の大学四年生。その目に人ならざる者達を映す。





「お嬢さん。これ、落としましたよ」


 歩き出そうとしたリラの目の前にチラシが差し出される。説明会の日時や場所について記されたチラシだ。男の子を抱いて転がった時に落としてしまったのだろう。


 チラシを持っていたのは細身の男だった。茶色がかった髪の毛を一つに束ねている。


 リラはスマートホンの画面とチラシを見比べる。画面に映し出されている情報によると説明会は既に始まっていることになっているが、チラシに記された開始時間にはまだ余裕があった。どういうことかとスマートホンの画面をスワイプして隅から隅まで確認しながらチラシを見る。


「その情報、古いみたいですね。ほら、何日時点、って書いてあるでしょ? 更新された日時がこっちですね」


 長髪の男はそう言ってチラシを指さす。


「えっ、じゃあ、まだ始まってない? 間に合う? ありがとうございます! デジタルに頼ってばっかりじゃ駄目ですね。ちゃんと配布資料を確認しておかなきゃ!」


 お辞儀をして、リラは歩き出した。チラシには会場変更の旨が記されていた。別のホテルに移ったらしい。簡易地図と周辺の様子を照らし合わせながらリラは歩く。


 最初は順調だった。しかし、次第に雲行きが怪しくなってくる。


 地図に従って進んでいくと、どんどん街の中心部から離れていくのだ。道行く人の数が減っていき、企業の説明会へ向かっていると思われる学生の姿も見当たらない。


「でも、場所はここのはず……」


 リラが辿り着いたのは二階建ての建物だった。ホテルではないのは一目瞭然で、中小といえども企業が説明会を開くような建物ではない。ドールハウスを等身大サイズに合わせたような外観で、白い石壁が日光を受けて輝いていた。


 チラシと建物を見比べ、首をひねる。明らかにおかしい。


 カラフルなガラスのはめ込まれたドアには『OPEN』という札が掛けられており、その脇にはコーヒーカップのイラストが描かれた黒板が立っていた。ドアの上には小ぶりのベルがぶら下がっている。


「カフェ……?」


 中の様子を窺おうと体を動かしていると、リロンリロンという音と共にドアが開かれた。


「説明聞きに来たんでしょ、入りなよ」


 現れたのは時代錯誤甚だしい装いの男だった。古典の教科書から飛び出してきたような、ひな人形が動き出したかのような、そんな男だ。身に纏っているのは貴族の平服であるかりぎぬで、頭の上には烏帽子えぼしを被っていた。


 インパクトのありすぎる男の登場に、リラは反射的に後ずさってしまった。企業の人事部の担当者には見えない。仮にそうなのであればあまりにもふざけたサプライズである。


「あ、あの、えっと」


 男はにこにこと笑いながらにリラを見ている。


「こここ、個性的なファッションですねぇ!」

「……君、採用」

「……へ?」


 呆けたリラの腕を強引につかみ、狩衣の男は彼女を店内へ引っ張る。背後でリロンリロンという音がしてドアが閉まった。リラはチラシを男に見せる。


「あの、私、企業説明会に……。でも場所がここって……」

「そうだよ。ここで説明するよ。でも、その広告を受け取ることができて、ここに辿り着くことができて、俺の服装について話せるのなら、君は即採用だ。説明は後からでいいかな」

「よく分からないのですが」


 内装はよくあるカフェのそれだった。向かって右側にカウンターがあり、左側にいくつか席がある。観葉植物の鉢植えが隅に置かれており、少し高めの天井ではシーリングファンがくるくると回っていた。


 カウンター席の奥に長髪の男が座っていた。リラに気が付くと、にこやかに手を振る。


「さっきの!」


 そして、長髪の男の後ろからぴょこっと小さな頭が現れた。甚平姿の子供で、頭には三角形の耳がくっ付いている。手にした鞠をぽんぽんと着きながら口元を歪める。


「ああっ、さっきの! きみ、猫又ねこまたでしょう。あのねえ、あんな悪質ないたずらしちゃ……」


 そこまで言って、リラは口を閉じる。周りに人がいる状況で妖怪に話しかけることは避けた方がいい。何もないところを見て喋る不審者だと思われかねないのだ。しかし、長髪の男が男の子をぽかんと叩いた。彼の目には映っているらしい。


「こら、駄目でしょう悪質ないたずらをしちゃ」

「だって見えるかどうかの確認をしろって」

「危なくないやり方もあるでしょうに」


 長髪の男と男の子の様子を見ていると、リラは肩を叩かれた。狩衣の男がカウンターを指差す。


「座って。珈琲でいいかな」

「はい。……じゃなくて! あの、一体どうなってるんですか、ちゃんと説明してください。ここ、本当に里山フーズの説明会会場なんですか?」


 狩衣の男は小首を傾げる。そして、それなりに整った顔を面白いものを見るかのように歪め、カウンターの中へ入った。怪訝な顔をしながら椅子に座ったリラと向き合い、男は短歌を詠みあげるかのように滑らかな口調でこう言った。


「ようこそ、『カフェ・アーカーシャ』へ」

「やっぱりカフェなんですね」


 就活中で企業の説明会へ向かっていた学生に間違った地図を与えて誘導するカフェとは一体どういうことなのか。猫又と妖怪を見ることのできる長髪の男と狩衣の男がいる怪しさ満点の店内で、リラは目の前に置かれたコーヒーカップを見つめる。


「あのう、私、説明会に」

「分かってる分かってる。でももう必要ないよ。君はここで働けばいいのだから」


 狩衣の男が両手を広げる。大きな袖がふわりと広がった。


「この、幽霊喫茶でね」


    

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