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肆 見える者見えない者

 開催の迫る祭りに向けて学生達の練習にも熱が入る。そんな一団の近くを通りかかったリラの耳に、一人の女子学生の声が飛び込んできた。


「やっぱり私もやる!」


 構内のラウンジに響き渡る声に、その場にいた学生の多くが振り向いた。


「でも……大丈夫?」

「いつまでも落ち込んでなんていられないもん。それに、きっと見ていてくれるはずだから」


 よさこいチームの練習を見学していたらしい女子学生が、チームリーダーらしき男子学生に何やら訴えている。


 その様子を見ていると、ひそひそと話をしている学生の声が聞こえてきた。どうやら、彼女は幼い弟を亡くしてしばらくの間ふさぎ込んでいたらしいのだ。弟は彼女が踊ることをとても楽しみにしていた。だから見せてやりたい。どこかで見ているかもしれない。そう思って再び鳴子を手に取るというのだ。


 リラは練習に加わった女子学生を見遣る。そして、鞄からスマートホンを取り出してよさこいチームに歩み寄った。


「あの、写真撮ってもいいですか……? 練習してるところ、すごくいいなって思って……」





 学校が終わると、リラはすぐにアーカーシャへと向かった。通用口から入り、俊哉の部屋のドアをノックする。


「待ってたよリラさん」


 リラを出迎えたのはいつものように狩衣を纏った俊哉だった。後方には、アザラシの抱き枕に寄り添って座っているかっちゃんの姿も見える。現在の客はいずれも生きた人間で、飛歌流が対応しているのだろう。


 俊哉はリラを招き入れると、懐からスマートホンを取り出した。表示されているのはメッセージアプリの画面だ。トークはリラが写真を送付したところで途切れている。


「かっちゃんに確認した。確かに彼女は彼のお姉さんだそうだよ」

「やっぱり……。目元とか、ちょっと似てますよね」

「かっちゃん! お姉ちゃんのぴょんぴょん見るんだ!」


 かっちゃんはきゃー! と歓声を上げて部屋を走り回る。転がっているアザラシは蹴り飛ばされることはなく、小さな足はするりとその白い体をすり抜けていった。


「リラさんの学校のチーム、何時くらいに通るのかな」

「調べておきます」


 スマートホンのメモ帳アプリに「時間を調べておく」とメモをする。時間が分かれば、それを目掛けてかっちゃんを連れて行けばいい。瘴気を放ちつつあるかっちゃんを人ごみに長時間置くことは避けた方がいいだろう。リラは記入を終えスマートホンを鞄にしまう。


 店に出るため部屋を後にしようとしたリラは、思い出したように立ち止まって俊哉を振り返った。


「あの、鶫さん」

「何?」

「お姉さんにかっちゃんのことを伝えることは可能なんでしょうか」


 俊哉はアザラシの抱き枕を拾い上げて抱える。くたくたになりかけているアザラシは狩衣の広い袖に埋まっていた。


「貴女の弟は幽霊になっていて、今目の前にいます。って?」

「……はい。彼女、かっちゃんに踊っている自分を見てもらいたい。だから悲しいけど頑張るって言ってたんです。ちゃんと見てるよって、伝えてあげたいです」


 走り回っていたかっちゃんが立ち止まってリラを見上げた。触れられないことは分かっている。しかし、リラは手を伸ばして頭を撫でる仕草をした。かっちゃんもにこりと笑う。


 俊哉はアザラシを抱えたまま眉間に皺を寄せていた。力が入り、アザラシも顔中に皺を刻む。


「でも、そうしたらリラさんの目のことを知られてしまうよ」

「はい……。そう……ですよね……」

「気持ちは分からなくもない。けれど、リラさんは自分の目のことが気になるから普通の会社に行きたくなかったんでしょう? お友達とかにも言いたくないんだよね」

「はい……」


 リラは無意識に拳を握った。


 何もないところを見ている。おかしなことばかり言う。リラちゃんの嘘つき。小さい頃に周りの子供達から散々言われて以来、リラは交流を好まなくなった。心配する両親を見たくなくて、目のことは家族にも打ち明けてはいない。


 俊哉に触れられ、リラは驚いて息を呑んだ。すぐ目の前に立っていることに気がつかないほどに、彼女は辛い過去に飲まれていたのだ。俊哉の手がリラの肩を撫でる。


「リラさん、怖い顔をしている。大丈夫かな?」

「っ、ごめん、なさい……」

「かっちゃんのお姉さんのこと、ちょっとオーナーに訊いてみようか」


 アザラシを置き、リラの手を取る。


「怖かったらいつでも俺に言ってね。いや、飛歌流さんでもオーナーでもいいんだけどね。俺達はアーカーシャの仲間なんだ。リラさんをこの世界に連れ込んだ責任もある。悩みがあったら聞くからさ」


 俊哉の手を握り返し、リラは困ったような嬉しいような曖昧な笑みを浮かべた。嬉しい。嬉しいけれど、頭の中に思い出されてしまった光景がまだ残っていて上手く笑えなかった。安心させるように、俊哉はもう片方の手を重ねてリラの手を包み込んで微笑んだ。


 廊下をうろうろしていた真白にかっちゃんを託し、リラと俊哉は恭介の部屋へ向かった。アーカーシャの奥の奥、階段を上った先にオーナーの部屋はある。ドアには「きょうすけ」とプレートが下がっており、名前の周りを彩る星のイラストがまるで子供部屋のような印象を与える。しかしその一方で、付近の壁には無数の護符が乱雑に貼られていた。迫りくる何かから身を護るかのように、見えない何かに怯えるように。


 おぞましささえ感じる廊下でリラは歩みを止める。見るからに不気味で、入ることを躊躇わざるを得ないドアだ。引き返してしまおうかとも思ったが、リラが動く前に俊哉がドアを開けた。


「オーナー」

「うっわ馬鹿ぁ! ノックしなさい、ノックを!」


 恭介は床に広がる大量の本を押しやった。カーテンが閉められた暗い部屋。机の上に置かれたパソコンの画面がぼんやりと辺りを照らしている。


「何です? 何か俺に見られたら困るものでも?」


 にやにやと笑いながら俊哉は部屋に踏み込む。


「入るな!」

「俺とオーナーは一心同体、隠し事なんてしなくていいんですよ」

「駄目だ俊哉っ!」


 部屋に数歩入ったところで俊哉の動きが止まった。そして、強すぎる重力に押し潰されるように膝を着く。


「んぐっ!」

「だから入るなと言ったのに……。あぁ、リラちゃんも一緒か。何かな?」

「え、えと、恭介さん、これは一体」


 パソコンの画面はアイコンの並ぶデスクトップ。太陽を背にした八咫烏のイラストが壁紙になっている。先程押しやられた本はどれも年季が入っているらしく、表紙の破れかけているものやセロハンテープで雑に補強されているものがあった。


 リラは俊哉の足元を見る。そこには墨で模様のようなものが描かれた紙が広げられている。


「駆け出しの除霊師にもらった試作品の陣だ。この陣の中に入った霊は動くことができなくなるらしい。古い書物に載っている術式と見比べていたのだけれど、効果はしっかりあるようだね。……それで、何の用かな」

「俊哉さんこのままで大丈夫なんですか」


 恭介は朗らかに笑う。


「私の式はそんなにやわじゃないさ。ひよっこの作った陣で消滅なんかしないし、動きを封じられてるだけだしね。要件は?」

「あ。えっとですね、かっちゃんのお姉さんが見つかりました。私の大学のよさこいサークルの人で、亡くなった弟……かっちゃんに踊りを見せてあげたいって。でも、弟さんがここで見ていますよって伝えるためには私の目のことを言わなければならないし……。鶫さんに相談したら、恭介さんに訊いてみようって」


 不可思議な模様のような何かの上で蹲りながら俊哉が頷く。恭介は腕を組んで目を閉じた。


「なるほどね……。リラちゃんがいてくれると外の情報も手に入れやすいしとても助かる」

「オーナーが外に出れば済む話ですよ」


 パソコンの画面がスリープモードに変わった。一瞬、部屋から明かりが消えて暗闇と化す。そして赤い点が二つ浮かんだ。目だ。恭介の瞳が赤い光を揺らしながらリラと俊哉を見ている。


 古よりこの国の闇を支配して来た妖怪達はその多くが妖力に満ちた真紅の瞳を持っている。一方、死して肉体を離れ霊力を宿した者は黄色ないし金色の光をその瞳に宿すようになる。まだ幼く力の弱い真白の瞳は普通の猫のように水色をしているが、俊哉の瞳は本来の茶色の上に黄色い絵の具を塗り伸ばしたように染まっている。そして、彼らと共に過ごし、自らも妖力や霊力を行使する祓い屋や霊媒師は瞳の色に変化を来すことが少なくなかった。通常は本来の色をしているが、力を使う際には色が変化するのだ。


 アーカーシャに来て間もない頃、リラは飛歌流から人ならざる者やそれと共にいる者達の目について話を聞いていた。その際「飛歌流さんは赤くないんですね」と訊いてはぐらかされたが、カムイであるならば妖怪や幽霊の枠には当てはまらないのだろうと今なら思えた。しかし、今目の前にいる者はどうだろう。幽霊を連れ、瞳に赤を宿す者。


「俊哉、コーヒーを淹れて来てくれるかな」

「今この状態でそれを言わないでください馬鹿なんですか」

「……恭介さんの目、綺麗な赤になるんですね」


 リラに言われて、恭介は軽く目元に触れた。長い前髪が指に絡む。


「妖怪や幽霊、妖術使いや霊能力者の目の色については誰かに聞いた?」

「前に、飛歌流さんに」

「私は陰陽師。専門は占いだ。だから変な力なんて持っていなくてもなろうと思えばなれるんだよ。時々占いの域を超えて祓い屋や霊媒師の真似事をする人もいるし、実際強い人もいる。火野坂もそんなもんだ。そしてね、どちらでもいいんだよ。陰陽師は妖怪でも幽霊でも、どちらでも式として支配下に置くことができる。いや、やろうと思えば祓い屋が幽霊を使役することも可能かもしれない。でも、妖怪と戦うのに幽霊を連れていたら意味がないだろう。結局は人間なんだから妖怪にはかなわないことが多い。逆もまたしかり。悪霊退治だって言って妖怪を連れて行ってごらん、周りに被害が出るかもしれないよね」


 暗闇の中でマウスをクリックする音がした。パソコンの画面が再び明るくなり、部屋を照らす。デスクトップには八咫烏が映し出されている。


「私は幽霊を傍に置くことを選んだ、ただそれだけ。自分自身が持っている力はおそらく妖力に近いものなのだと思う。だから瞳は赤くなる。まあ、難しい説明はやめようか、長くなるし」


 恭介は俊哉が踏みつけている紙を引っ張った。触った部分から灰のように崩れていき、俊哉はその身に自由を取り戻した。


「俊哉、コーヒーを淹れて来てくれるかい」

「はいはい」

「よろしくね」

「……砂糖は?」


 部屋を出ようとしていた俊哉がドアに手を掛けて振り向く。しばし考える素振りをしてから、恭介は親指から小指まで、五本の指を立てて掌を俊哉に向けた。





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