お嬢様は思春期なのに
お前は男を演じていたんじゃない、男になっていたんだ。実を言えばアシュレイはあれを聞いてからたびたび思い出して気になっていたのだが、航海から5日目の夜、部屋に戻ったアシュレイはベッドに座り、1人だが男の演技をはじめた。いや、というより「頭の中で自分は男だと」念じてみた。
そして、心なしか体が筋肉質になったような気がしながら服をめくってみる。
「……ほ……ほんとになくなってるし……生えている……」
何が生えているとはとても言えないが、ナニである。ごく普通の16歳女子であるアシュレイにとって、それはとんでもない衝撃であった。本以外で初めて見た……というか、本当に男になっていた。なぜ気づかなかったのか本当に不思議だが、アシュレイにはとても信じたくない事だった。しかし同時に、あれっじゃあこれ、生理とか来ても常に男でいれば大丈夫じゃね?とも思ったが、まあそれは女としてどうかという感じだし。というか女じゃないし。男でもないが。
慌てて自分は女だ!男じゃない!と念じたら元に戻ってホッとする。体が男になれようと、アシュレイの心根から言えばアシュレイは女でしかなく、バイでもないので恋愛対象は男でしかない。まあ、アシュレイは恋愛なんかしたことないが。
しかし、これ他人のふりをするのに使えるんじゃないか?双子設定にするとか、そういう柔軟性が出てくるかも?あとはそう、捕まえられて犯されそうになったら男になって誤魔化すとか。うーん、我ながらくだらんことを考えているなとアシュレイはため息をついた。これぞ半神半人の神秘、自分の体が変容するのは正直恐ろしくて仕方ないが、使い道だってあるはずだ。生物がそういう構造に生まれてくるには理由があるはず。
……というのも、人間の想像で現物の神が誕生している時点で説得力がないが。なぜそうなったのか?どうしてそれができるのか?そういった疑問は、ミサキやミハエレや海の神やら山の神というファンタジー全開、非現実的な存在の登場によって考えるのも馬鹿らしい、としか答えられない状態なのである。
そういえばミサキは、はじめて女になった時どう思ったんだろうか?アシュレイはふと思った。自分はミサキに言われて気づいたが、ミサキはきっと、突然そうなったに違いない。いや知らないが。というか、ミサキが自分を女だと思い込む状況なんて訪れ得るのか?しかし、5000年も生きているのだからまあ色々あったのだろう。
「……」
新たなる身体的悩みを抱えてしまったアシュレイは、ため息をついてベッドに仰向けに寝転がった。右手を上にあげて、片手でピストルの形を作ってみる。「バーン」と撃つと、相手が撃たれたふりをしてくれるアレだ。この世界ではまだ、戦国時代で言う火縄銃のようなものくらいしか小型の銃はない。だから、戦争などになると剣で戦うことが多いのだ。大砲もまだあまり出回っておらず、大きな岩を投げる攻撃なんかはあるのだが、拳銃なんか夢のまた夢。
しかし、アシュレイは知っている。この時代に生まれた人間は知らないはずのそれを知ってしまった。たまに、これを知ることは許されることなのだろうか?とも思う。アシュレイは全てを知っていても、それを友人にも家族にも伝えていない。普通、こんなことを知ればすぐに誰かに話したくなるものなんじゃないだろうか?例えば、
自分が一番好きなはずのアルドヘルムとかに。
「……」
うーん、とアシュレイは眉間に皺を寄せてさらに考え込む。アシュレイには今まで、そんなに特出して好きなものは無かった。特別好きな色も、特別好きな食べ物も、特別好きな小説も、特別好きな男のタイプも、特別好きな花も無かった。でも、ミサキの世界で読んだ数々の本の中に広がる世界には表現しがたいほどの憧れを持ったし、ミサキの家ではじめて「洋食の中ではビーフシチューが一番好きだな」とか、「果物では桃が一番好きだな」とか「音楽はクラシックで、特にくるみ割り人形が好き」なんて、強く思った。
悪魔にそそのかされた人間は、その未知の魅力に取りつかれてつい魅了されてしまうと聞くが、もしかするとそれは、悪魔のせいではなく人間の知的好奇心もあるのかもしれない。人間は新たな娯楽や魅力に没頭するものを怠惰だ強欲だと責め、それを悪魔の仕業とする。
コーネリアスやアニタの信仰する神について考えると、アシュレイはそういった国を挙げて崇拝される神について、全くの興味がないのだと再認識する。こんなこと、一神教が中心のアズライト帝国の人間に話すことは出来ないが。人の宗教を否定する気もアシュレイにはないし。
進歩した、機械中心の人間生活の中には、それでも多くの娯楽が存在していた。人間が働く最終的な目的は、幸せになるためなんじゃないだろうか、とアシュレイは思う。同時に、楽しくあるために。戦争が起こるのは、争いにしか楽しみを見出せない人間が、恵まれた世でも争おうとするからだ。人によって楽しさや幸せは違うし、進歩し、神の力さえ全く不必要になった人類にでも満たせぬ渇きはきっとまだある。争いにのみ生きがいを感じる人間だって、きっといる。
人間は不完全だから、今こうして、心の弱さから作り出された神たちに支配され、血が混じり、わけの分からない世界になってしまったのではないだろうか。
小難しい事を考えているうち、部屋の小窓の外が少し光った気がしてアシュレイが覗き込む。よく見ると、水面から少しだけ顔を出している顔があった。普通なら溺れている人間だ!と大騒ぎするところだが、アシュレイはその顔を見て瞬時に、先日の海の神だと認識した。
あの戦いの時、水中で目を開けていたが暗かったし、顔ははっきり見えなかったがそれでも。確実にその海に浮かぶ美しい顔は、海の神に違いなかった。アシュレイはしばらくそれを見つめていた。海の神も、アシュレイを見ていた。何を意図しているかは分からなかったが、敵意は感じられずアシュレイは1人で、夜の闇、月だけに照らされた船の甲板に出た。
船の手すりにつかまり、先程海の神の居た方角に身を乗り出す。まだそこに、海の神は居た。その様子はまるで、童話の人魚姫のようで幻想的だ。この立ち位置でいくと、アシュレイは王子様、だろうか。海の神はすうーっとアシュレイの方に近づいてくると、アシュレイの頭の中に直接声が響いてきた。
『先日は済まない事をした。今後、他の神と手を組むようなことはしないでおく。神にあるまじき行為であった。お前もクライアも、我々神のエゴで作り出された哀れな罪なき命。私たち神がお前たちに干渉すべきではなかった』
なんか、えらく下手に出てくるなあとアシュレイは思った。こっちだって危害を加えたし、私たち神が、とは言うが海の神は何の関係もないし。連帯責任感というやつだろうか?そもそも、神という存在そのものこそ、人間のエゴで作られたものだと言えなくもないし。
『気にしていません。私の大切な人たちに酷いことさえしなければ、私は神と争う気もありません。もちろん、あなたとも。それと、幸せに生きている人間に対して哀れ、と言うのはどうかと思いますよ』
前回含めて脳内会話に慣れてしまったアシュレイは、頭の中で言い返す。海の神は少し頷くと、海の中に消えていった。なんだったんだ、とアシュレイは困惑する。謝りにきただけなら、律儀なものだ。
そんなことを考えていると、背後からバサッと毛布のようなものがかけられた。近づいてくる足音や気配にも全く気付かなかったので、アシュレイは驚いて振り向く。月明かりが結構明るいので、それが誰かはすぐに分かった。
「アシュレイ、夜は冷えますよ」
「……アルドヘルム。」
「眠れないんですか?」
「いえ……」
隣に立って海を眺め出したアルドヘルムの横顔を見て、アシュレイは「綺麗だな」と思った。人間じゃないみたいに、綺麗な顔をしている。月明かりが海面に映って、キラキラと揺れていた。
「今日は、月が綺麗なので」
「本当に。」
アシュレイとアルドヘルムはそれから10分程の間、会話もせずにただ2人で、夜の海を眺めていた。




