出航前夜、天界にて
「クライア様、なぜ私の子を奪うのです 私に下さるとおっしゃったではありませんか……!」
「私は挨拶に連れて来い、と言っただけだ。お前が天界で育てて良いとは言っておらん」
クライア、ここ数千年で聞き慣れてしまった名前だ。神々が私につけた、勝手な名称。それでも呼ばれ続けていると、段々自分が誰だかわからなくなった。わからなくなっても、それでも自分はクライアという名では無かったはずだとうっすら思っていた。
アシュレイは私に本当の名を教えろと言った。名など今更どうでも良いとは思うのに、アシュレイに三咲と呼ばれるたびに、私は自分を人間だと思っていた頃を思い出してしまう。神だから何千年生きても平気だった。自分を人間だと思ってしまったら、気が狂ってしまいそうで。信仰が最後の1人まで消え去れば消える神達とは違って、死にたくとも死ねない己を呪った。自分を気まぐれに生み出した最高神、太陽の神も恨んだ。
三咲 三咲 そう 私の名前は三咲だった。
天界に連れ去られてからずっと、クライアと呼ばれ続けて忘れてしまっていたのだ。そして、アシュレイに名を呼ばれるたびに私は、懐かしい優しいものをたくさん思い出す。
三咲くん、三咲さん、秋月、秋月くん、ミサちゃん……
みんな、みんなが私の名を知っていた。親、兄弟、友人。私にだって家族が居たのだ。私が居なくなって悲しんで居てくれた家族が。アシュレイの両親はアシュレイを大切にしなかった。その点は、私とは全く違っている。
世界が滅ぶ直前、助けて良い数人の人間に、私は私の家族を選ばなかった。いや、誰のことも選ばなかった。助けていれば家族とも再会出来ただろう。もしかしたら今だって兄弟の子孫が生き残っていたかもしれない。でも、私は一人も選ばず、助けなかった。
助けて、何もない世界に放り出して恨まれるのが怖かった。嫌われたくなかった。生きていてほしいと願う気持ちよりも、自分が嫌われることの方が怖かったのだろう。今の自分なら、家族全員助け出して天界に住まわせていただろうか。アシュレイをさらった山の神のように、自分の世界に人間の楽園を作り出して。
「ミサキ」
私は怖いのだ。好きな相手に嫌われることが、なによりも一番怖いのだ。だからアシュレイの事だって大切にもてなした。五千年も生きて情けないが、多分私は、寂しくて誰かと家族になりたいと思ったのだろう。そして、私の名前を探してくれたアシュレイならば、優しい思い出を思い出させてくれるアシュレイならば、本物の家族に、私が望む家族になれると思った。
「海はあなたの領域外。私は海の神と話し合ってあの子をきっと取り戻します。」
殺す気だろう、知っている。
アシュレイが死ぬのは嫌だと思う。アシュレイが死ねば、私はきっと再び暖かいものや優しいものを忘れてしまう。自分の名前を忘れてしまう。大切なものを、もう2度と手に入れられなくなる気がする。
だから、私はアシュレイを守らなければならなかった。




