あこがれ港町
レンガの道をガタガタと進んでいた馬車が止まった。外ではカモメの鳴き声が聞こえていて、もう昼過ぎだからか港町は活気があった。アルドヘルムは騎士団の遠征で来たことのある場所だったので平然としているが、マイリやソヘイルは恐る恐る、という感じで窓から外を見ている。
「やっとついたか」
ソヘイルは小さくため息をついた。どうやら、馬車は何時間乗っていても慣れないようだ。
「アシュレイ、起きて」
マイリがアシュレイの肩を揺すると、アシュレイがハッとした顔で目を開ける。正面にニコニコしているアルドヘルムが見えて、アシュレイは自分が完全に寝ていたことに気がついた。
「……あ、あぁうん。ごめん寝てたか。いびきとかかいてなかった?」
「寝息も立てずに優雅に寝てたよ」
「ならいいけど」
「アシュレイ様、外に出ましょう。集合時刻まで1時間ありますし、少し港を見て回りませんか?」
「行きたいです!行きましょう。」
アルドヘルムの提案に、アシュレイはさっと好奇心に満ちた目をして立ち上がった。と、同時に頭を勢いよく打つ。
「いでっ!」
「アシュレイかっこわる〜天井低いんだから気をつけなよね」
「まだ寝ぼけてるみたい……気を取り直して行きましょうか。楽しみだなあ」
「私も!」
全員、馬車から降りるとなんとなく地面につく足の感覚がフワフワしていて気持ち悪かった。長時間狭いところで座っていたので、体がダルい。いわゆるエコノミー症候群というやつだろうか。アシュレイはその場で3度ほどぴょんぴょん飛び跳ねて足の感触を取り戻すとアルドヘルムの方を向いた。
「見える範囲の地面、ぜーんぶ赤レンガですね!綺麗だなあ。空気感で王都とは全然違うと分かりますけど、海は見えないんですね」
「見えますよ、こっちです」
「わ、引っ張らないでくださいよ」
「待って〜!ほらっソヘイルも行こ!」
「ああ」
アルドヘルムに引っ張られて何軒かの建物を通り過ぎたアシュレイは、突如目の前に開けた光景を見て息を呑んだ。
「わあ、これ、これ、すごい!!本で見たまま、海……」
感動しすぎて言葉を失っている様子のアシュレイを見て、アルドヘルムはまた「かわいいなあ」なんて思う。アシュレイは呆然と海を眺め、首を右から左へと動かし、海の向こうに果てがないのを見て、本当に大きいんだ……と震える。地図だの写真だので見たことはあっても、やはり実物は全く違って感じる。
同時に、こんな広い海の上を船で進んでいくことがなんとなく怖くなった。心臓がバクバクして、自分が嬉しいのか怖がっているのかわからない。
「すごーい……」
隣でマイリやソヘイルも呆然としている。見たことのない、何か大きな存在を見ると人はこうも圧倒されてしまうものだろうか。アシュレイは、少しすると潮風の匂いのする空気を思い切り吸い込んだ。
「海って、綺麗ですね!どうしようもなく大きくて、なんだか圧倒されます」
「そうですね。もう少し見ていかれますか?」
アルドヘルムがそう言った時、アシュレイは海の中から何か嫌な感覚がした気がして背を向ける。
「いえ。港を見て回りましょう、海は船旅でいくらでも見られますから」
「それもそうですね」
海にも神がいる。ミサキが言っていたことを思い出す。その神はアシュレイの命を狙っているのかもしれなくて、ミサキはそのために何かしらの対策を講じているのだ。であれば、ミサキの居ないところで海にあまり近づくのは得策ではないだろう。
それにしても、こんな海という大きな存在を目の当たりにすると「海を信仰する者が多い」ことには、かなり納得させられる。たしかにこんなもの、宇宙の存在や月の引力だのの話まで知っているアシュレイが見ても神だか、神に準ずる何かのものが作ったとしか思えない。偶然できた地球という星の神秘には驚かされる。一度は滅び去ったらしいのに、草木も生え街が発展し、地形が変わり果てても海は変わらずここにある。
「見てアルドヘルム、あそこ」
「あれは……木彫りの熊ですね。気に入ったんですか?」
「いや、港なのに熊なんだなって」
「ダレンにでも買ってやりましょうか?」
「誕生日に貰ったのと同じようなものを、何でもない時に贈るのはちょっとね。」
誕生日に木彫りの熊を贈ってきたダレン、今回の旅にはついてこないが、見送りの時もアラステアの後ろにいてあまり喋らなかった。友人として仲が良いのでそれは少し寂しい気もするが、前日にはお守りとか言って木彫りの魚みたいなよくわからない飾りをもらったので別れは済ませているのだ。その飾り、キーホルダーのような携帯ストラップのようなよく分からない代物は、アシュレイが鞄につけている。ダレンが自作したらしく、そういうのを作るのが好きなのかもしれないが腕前は良いとは言えない。そんなこと、本人には言えないが。
「飲み物を買ってきましたよ、この地名産のレモネードだそうで。暑いですしどうぞ」
「え、私も?ありがとうアルドヘルムさん!」
「ありがとう、なんだか悪いな」
手前にいたマイリとソヘイルに先に瓶を渡し、アルドヘルムはアシュレイの横に行って瓶を渡した。アシュレイは受け取ると、アルドヘルムの顔をじっと見る。気を遣いすぎて疲れてはいないだろうかと。
「ありがとう。アルドヘルム、疲れてませんか?」
「アシュレイ様こそ。私は大丈夫ですよ」
「……あの、アルドヘルム」
「?」
アシュレイは、今は王子も他の貴族もいないし、様、をつけなくても……と言おうと思った。が、考えてみれば劇団員たちの前でもアシュレイ様と呼んできていたので、何かそこにはこだわりがあるのかもしれないと踏みとどまる。
「……おいしいですね、レモネードって。気候もここは全然違うし、暑い中で冷たいものを飲むのはいいですよね」
「そうですね。王都付近は特に寒い地域ですから、新鮮に感じます。」
アルドヘルムも何かは察したようだったが、にっこり笑って普通に答えた。アシュレイは、笑顔が眩しいな……と少し思う。今日のアルドヘルムは、陽の光が綺麗な金色の髪を煌めかせてなんだか神々しい。数秒の間アルドヘルムに見とれていたアシュレイだったが、マイリに肩をポンと叩かれて我にかえる。
「ねーアシュレイ、時間大丈夫?」
「うん。あと10分くらい。そろそろ行きましょうか」
「そうですね」
アシュレイは道を把握しているアルドヘルムに続き、マイリとソヘイルもそれに続く。ソヘイルは借りてきた猫みたいに静かにしているが、マイリとちゃっかり手なんか繋いでいるので、それなりに楽しんでいるようだ。劇団で働いて貯めた金もそれなりにあるし。
「私たちも手を繋ぎましょうか?アシュレイ」
「え?あ……はい」
耳元でそう小さく言われ、アシュレイは驚いた顔になる。まさか、何も言っていないのに様を解除したのか?エスパーか何かなのか、と。しかし、天然でやっているとしても恐ろしい、本当に完全体の男だとアシュレイは感心する。アッシュを演じる時には、ぜひこのくらいの良い男でいなければとアシュレイは思った。
これで度々恥ずかしい口説き文句のような事さえ言わなければと思うが、恥ずかしい台詞を言うのはアシュレイも同族なので言えた義理はない。
「3ヶ月よろしくね、アルドヘルム」
「はい。命に代えても」
こいつすぐ命に代えようとしてくるな。重たいけどそれが騎士というものか。
アシュレイは握った手に感じる、アルドヘルムの熱い体温を感じてなんだか居心地が悪くなって、地面の赤レンガを数えながら、船の集合場所まで歩くのだった。




