マイリとソヘイル
朝11時、本日は久々にアッシュが出演するということでチケットは売り切れ、満員御礼。バレンダット劇場の楽屋はてんやわんやであった。出演者一人増えるだけでこんなに客が増えるなんて、と団長は少し複雑な顔だ。いくら「アッシュ」が看板役者だとはいえ、今やアシュレイは公爵令嬢、今もだが徐々に忙しくなればアッシュの知名度にばかり頼ってはいられない。アシュレイが王都に劇場の支部を建てるために養子に入ってみた、と分かってはいても、団長も大人なので子供のアシュレイにそこまでのことが出来るとは思っていないし。アシュレイは今もそのために勉強しているのだが。
団員たちがバタバタと支度をする中、鍵が開いていた楽屋の裏から男が入ってきた。件のごろつき男、ヒースである。顔はワイルド系というか、女にそこそこモテそうな顔なのだが、所詮「かっこいいけど怖いし稼ぎもなさそうだし彼氏にするにはちょっとね~」という理由で女の寄ってこないタイプの男である。しかもこの男、唯一寄ってくる女っぽいセクシーな女には「なんか見ているのが恥ずかしい」とオドオドしてしまうという謎の気の弱さを持っている。女にしては胸がほぼ無く、顔は良いアシュレイはこの男のタイプにドンピシャであったというわけだ。
「なあなあ、今日アッシュは来てねえのかよ?」
劇団員の一人を呼び止めたヒースに、劇団員、脚本家のライリーは心底迷惑そうな顔をした。今は忙しいのでごろつきの相手をしている暇はないのだ。
「ヒースじゃねえか、なんだ急に?前にもうアッシュに俺から教えられることはねえ、とか言ってたじゃねえかよ」
そう、アッシュを鍛えるだのと言って以前、この男がアシュレイを連れまわしていたことを団員たちはみんな知っているのだ。しばらくは見なかったのでようやく消えたか、とみんな思っていたので約一年ぶりにやってきたこの男にライリーは冷たい視線を向ける。護身術を教えるとは言うが、その訓練の中でアシュレイが顔にあざを作ってきたことが何度かあった。顔は役者の命なので、そのたびに団員たちは「あぁ~!!せっかくの美形になんてことを!!」と嘆いたものだ。
「バーカ、俺はアッシュをデートに誘いに来たんだよ」
「はあ?お前、女だって気づいたのに養子の件は知らねえのか?誰が馬鹿だカス消え去れ。アッシュは公爵家の養子に入ったから、もうお前なんかが付き合える相手じゃねえんだよ、帰れ帰れ。そして二度と来るな」
「公爵家ェ?な、なんだそれ?!だからあんな高そうなドレス着てたのか」
ライリーの塩対応にも慣れたものである。アシュレイの顔に傷が出来て一番怒るのはいつもライリーと団長であった。アシュレイが実際は女だと知っていることも理由にはあるが、「もうあの男に関わるのをやめろ」とも口を酸っぱくして言っていた。アシュレイは大丈夫大丈夫と流していたが。結果としては体力もついたし、トレーニングする習慣も出来て健康になったので良いことだったのかもしれない。
「ていうか、今日昼からアッシュ出るんだろ?なんで居ねえんだよ」
「アッシュは学校が午前だからそこから直行で走ってくるんだよ。お前と話してる暇はねえから出直せ」
「は~?ていうか俺今日は客だから。帰らねえから終わった後来るわ~じゃあな」
手をひらひらさせながらようやく楽屋から出ていくヒースの背中を、ライリーはイライラと睨みつける。ここまで感じ悪い態度を取られて平気で楽屋に入ってくるあたり、ヒースは本当に図々しい人間だと言えるだろう。
「ライリー、慌ててたけど意外と大丈夫そうだよ。もうすぐ大道具も準備終わるってさ」
「おおそうかマイリ、お前もそろそろドレスに着替えろよ。ソヘイルも衣装着替えてきな」
「はい。マイリ、それ重いだろう。持たせてくれ」
「えっ良いよ~別に。一応男だし」
「……いや、俺が持ちたいんだ。お前に重いものを持たせたくない」
「え?う、うん……?」
マイリはなんだか分からないが照れ臭くなり、手に持っていた荷物の入った木箱をソヘイルに手渡す。ソヘイルは黙ってそれを受け取った。ライリーはなんだか感心したような顔で二人を見て、ふふっと笑った。ソヘイルはどうやら、マイリのことを好きなようだ。それがどのような「好き」かはまだ分からないが。
「マイリも、あの男と知り合いなのか?」
「あーあいつ、アッシュにちょっかいだしてたんだよね。嫌いだな、なんか野蛮そうだし」
「そうなのか。でも、前に街で他の女に絡んでいるのも見たことがあるし……お前も気を付けろよ」
「え?アハハ!大丈夫だよ、どうせ私男だし」
「でも……お前はかわいいから」
「えっ?ちょ、ちょっと!サラッと恥ずかしいこといってんなよね」
「恥ずかしい?」
首を傾げるソヘイルに、マイリははぁーっとため息をつく。流石に少し前まで洞窟の牢獄に閉じ込められていただけあって、ソヘイルはあらゆる世の中のことにかなり疎い。それは人の感情についても、行動の範囲についてもだ。少しズレているというか、素直すぎるというのか。年上だけど自分より全然世間知らずのソヘイルを心配して、最近はマイリが勝手にお世話係ポジションに収まっている。今のところ、ソヘイルと一番親しい相手はマイリだと言えるだろう。
「マイリ、今日は冷えるからあまり体を冷やさないようにしたほうが良いと思う。これ、ひざかけ」
「う、うん。ありがと……」
なんだか本当の女の子扱いのような感じになれないマイリは、ソワソワとソヘイルの顔を見る。ソヘイルはそんなマイリの様子を不思議そうに見ていた。
「なんだか寒かったり暑かったり、地上はいつもこうなのか?」
「あは、地上はって。洞窟の中はずっと涼しかったの?」
「寒かった、かな……」
「そっか?私、洞窟って入ったことないからわかんないや」
「わからないほうがいいぞ」
「そ?まあ、でもソヘイルも思い出したくないか。」
とかなんとか話しながらも、更衣室では平気で隣で着替えているのは変な感じである。マイリのほうは最近ソヘイルのことがなんだか気になっていて、そのたびに「いやいや、私にはアッシュが……」と勝手にもやもやしていた。二人も着替え終わって、少し楽屋内も落ち着いたところで団長が手を二度大きく叩いた。その音で、全員が団長のほうを向く。
「みんな、実はな。この劇団は基本的に週三回開演しているが、今日でそれがちょうど1000回目の公演なんだ。もちろんみんな、いつでも本気で取り組んでいると思うが……この劇場を作った俺とライリーにとって、これはすごく嬉しいことで……ありがとう。みんながついてきてくれたからここまで来ることが出来た。今日も頑張って行こう」
わあーっと声が上がる。ここに劇団の主戦力であるアッシュが居ないというのは残念なことだが、ともかくめでたいことだと劇団員たちは一層やる気を高めた。入ったばかりのソヘイルはなんだか緊張した様子で、台本を何度も読み返し始めた。台詞は二つほどしかない役なのでそう緊張することもないのだが。
「今日の劇はアッシュが主役じゃないんだな」
「うん。最近アッシュ忙しいしね。でも前から何本かはアッシュが主役じゃない劇もあったんだよ、いくら団員の人数が限られてると言っても、流石に連続で主役をアッシュばっかりやってるとね。アッシュはやれと言われればやる、って言ってたけど」
一番客を多く寄せられるのはアッシュを主役に据えた爽やかヒーローものというか、王子様の話やら若者が主役の話なのだが、演じるにも話を考えるにもそればかりでは面白みがない。脚本家のライリーは、もとよりハッピーエンドでない話を考えるのが好きなようだったし。客層が子供だと泣き出すような劇を考えるのが大好きなのである。
「……マイリは、アッシュの話をしている時嬉しそうだな。俺も嬉しい」
「う、うん。付き合い長いし、アッシュ、頑張り屋さんだからつい見ちゃうんだよね。あ、でもソヘイルもすっごく頑張ってるけど。今日もがんばろ!頭ブラッシングしてあげるね!」
「犬扱いはやめろ……」
ソヘイルは複雑そうな面持ちでマイリを見る。時刻は開演20分前。そろそろアッシュがくるころかな、とマイリはアッシュの席に化粧品を用意し始めた。




