ならず者とお嬢様
男二人はすぐに立ち上がるとアシュレイに怒鳴りだした。表立って争い出したので周りも完全に練習の見学どころではなくなってきた。
「おい……こんなことされちゃ、女だからってタダじゃあおけねえな」
「そ……そうだ!覚悟しやがれ!」
「覚悟するのはどっちでしょうね。こちらは天下の公爵家のご令嬢、あなた方はド庶民、加えてここには今、貴族だらけの帝国軍が練習中。それに、このご令嬢の手首。あなたが強く握ったせいで赤く痕がありますねえ。」
「あっこれは……気づいてたの?」
つらつらと怖気付くことなく喋るアシュレイに、エミリアが驚く。怒っているようでいて、意外と細かいところまで見ているものである。男2人が少しマズいか?という顔をしたところで、後ろから残りの数人が歩いてきた。その先頭に立っているのは、多分ならず者たちのボス格の男だろう。
「おいおい、何騒いでんだよ。落ち着こうや、俺たちは女と喧嘩しにきたんじゃねえだろう?な、そっちの嬢ちゃんも怒らねえで……」
背後から肩にポンと手を置かれ、アシュレイが眉間にしわを寄せた状態で振り返る。気安く触るんじゃねえという気持ちだ。背が高くて筋肉質、短い茶髪で顔に「いかにもワルですよ!」というような切り傷のある、顔は意外とかっこいいが完全に古典的チンピラ、という風貌の男が立っていた。しかし、言動は急にチンピラでなくなって、ものすごく驚いた顔で固まった。
「……アッシュ?」
「あぁ?」
アッシュと言われたのでとっさにガラの悪い声が出てしまった。知り合いか?と思ってから、顔をよく見て完全に知り合いだ、とアシュレイはため息をつく。
「こんなところで何をやっているんですか、ヒース。あなたはこんな人間だったんですね、心底失望しました」
「まっ待て待て!俺はただナンパしに来ただけだって!そもそもお前、なんで女の格好なんかしてんだよ?!」
アシュレイにヒースと呼ばれたこの男、実は劇場でのアシュレイのファンであった。ファン全員を覚えているわけはないので、プライベートで関わりのあるファン、及び知り合いだが。
昔アシュレイが熱狂的なファンに刺されて入院した際、護身術を教えさせろと押しかけて来たのがこの男だった。本当にアッシュのかなりの大ファンだそうで、一時期は劇が終わるとすぐに空き地に連れていかれて剣やら身をかわす技術やらを散々教えられた。結構腕を掴まれたり持ち上げられたりしたことがあったのだが、ヒースは未だにアシュレイが女だと気づいていなかったらしい。最近はプライベートではめっきり会っていなかったので、話すのはほぼ1年ぶりだが。
「あなたの連れですか?嫌がる女を無理やり連れて行こうとしていましたよ、何がナンパしにきただけ、ですか。」
「は?お前ら……女を無理に連れて行こうとしたのか?」
「え?い、いやヒースさん、そんな、大袈裟なもんじゃ…」
「ちょっとですよ、ちょっ……」
アシュレイが驚く前に、ヒースは両腕フルスイングで、右腕と左腕それぞれのパンチで2人を吹き飛ばした。2人は階段をゴロゴロと転がり落ちていく。本当に、おもちゃみたいに吹き飛んでいった。アシュレイの周りには化け物みたいな人間が多すぎではないだろうか?アシュレイもこれにはかなりドン引きである。
「ちょ、ちょっと……死んだんじゃないんですか」
「死んでも自業自得だ!お前ら!!俺はな、女に手ェ出す奴が1番許せねえんだ!!そんなやつは男失格なんだよ!ガッついてるからモテねえんだテメーらは!!」
「ひ、ひぃーっ!ヒースさん、俺、う、うう!!」
「す、すみませんでしたぁっ!!」
かっこいいようなこと言ってるけどお前もナンパしに来たんだから似たようなもんなんじゃないのか、とアシュレイは思う。強引でないだけマシだが。残りの3人は大人しめのナンパをしていたようで驚いた顔をしている。ちなみにナンパには失敗したようだ。
「あの、ヒース。ともかく、ここはナンパするところではないですから。酒場にでも行ったらどうです」
「……いや。待てアッシュ。お前はなんでそんな格好してんだ?似合ってるがよ、こんな場所で、こんな格好で……」
「さっきあなたも私に嬢ちゃん、と言ったでしょう。女だからですよ。ああ、これは他の客には言わないでくださいね、夢が壊れますから。」
「な、なんっ……ハァ?!お、女?!お前、女だったのか?!」
エミリアたちにはなんのこっちゃ、という状況だ。ちなみにマリアとマイリは、端っこの方で訓練を見学している。マリアはちらちらと心配そうにアシュレイを見ているが、今のところは腕を掴まれたりという様子はないので安心している。
衝撃の事実を知ってショックを受けているヒースには悪いが、アシュレイは今は邪魔だからさっさと立ち去って欲しいと願うばかりである。というか、ヒース自身もナンパに失敗しているじゃないか。
「お、おい……でも、女だと思ったら急にめちゃくちゃかわいく見えてきたぞ!アッシュ、いやアシュレイ!俺と付き合ってくれ!」
そう言ってヒースがアシュレイの手をガシッと握ったあたりで、ガシャンガシャンと鎧がうるさい音を立てて走ってくる音が聞こえてくる。
「はぁ?!あなた、日差しで頭をやられてるんじゃないですか?!」
ガシャンガシャン、ガシャンガシャン。
階段には行かず、見学場の下の掃除用具小屋に飛び乗り、さらにその屋根からアシュレイたちの居る見学場の上まで一気に飛び乗って来たその鎧の主は、ものすごい形相でヒースに襲いかかった。大慌てでヒースがアシュレイから離れる。見学者も大騒ぎだし、訓練している兵士たちも大騒ぎ、掃除用具小屋の金属の屋根には、アルドヘルムの足跡がクッキリである。なんなら見学場の岩の足場も少し崩れた。
「うげっ?!」
「アシュレイ様から離れろ」
「ア、アルドヘルム!」
そんな重そうな格好で何メートルもジャンプして数十秒でここまでやってくるなんて、やっぱりこいつは人間じゃない……というか今練習中だろ?!ということは置いておいて、ともかくここに、アルドヘルムはやってきたのであった。実を言うとアルドヘルムにはセドリックの相手はつまらなすぎて、ずっとアシュレイのほうをよそ見していた。するとどうしたことか、途中からアシュレイは他のゴタゴタで自分のことをちっとも見ていないではないか。
よそ見している相手に悪戦苦闘していた挙句、前触れもなく突然ほっぽり出されたセドリックは、実にかわいそうである。
本当ははじめのナンパ男がアシュレイの手首を掴んだ時点で走り出しそうだったが、なんとか堪えていた。顔がそこそこいい男がアシュレイの手を掴んだことで我慢ができなくなったのである。見学場からアルドヘルムのいたところまで50メートルは距離があったのに、目が良すぎる。
「ア、アッシュ〜こ、このイケメンは?」
「私の……えっと……私の男です」
「は?!」
なんだか色々と誤解を生みそうな、でもあながち誤解でもないような。アルドヘルムは相変わらず顔面で威嚇しながらヒースに剣先を突きつけている。
「と、ともかく出て行ってください!ここはナンパ場所じゃないですし、人の迷惑ですから!」
「アルドヘルム貴様ーッ!!俺を無視するなーッ!!」
「お前は恋人なら恋人と言うはずだ!ナンパは退散してもいいが今後お前をロックオンするからな!!」
「女だとわかった途端口説くなんて気持ち悪い!本気で見損なったので今後は会ってもシカトします!!」
「アルドヘルム降りてこーいっ!!」
「何騒いでるんだお前ら!!」
まさに阿鼻叫喚、地獄である。アルドヘルムはヒースの軽口にガチギレ、アシュレイは迷惑でしかないので迷惑そうにしている。他のナンパ男たちはヒースの下っ端らしいので、どうしたらいいかオドオドしていた。さっきまで女の手首を掴んで強引に連れ出そうとしていたくせに、情けないものである。
「大体ヒース、あなたこの人に勝てると思うんですか?身の程を知った方が良いですよ、この人めちゃくちゃ強いんですからね!」
「もちろんです」
「愛と戦闘力は関係ねえだろ!!」
そんなことを言って騒いでいたヒースだが、見学場の周りを兵たちが囲み出すとさっさと走って逃げていった。アシュレイは呆れた目で見送る。
「アルドヘルム、すみませんお手数おかけして」
「いいえ。……アシュレイ様、あなたの知り合いですか?」
「ああ、劇場のファンで……昔、護身術を教えてもらったんです。男だと思って接されてた時は良い人だと思ったんですけど、駄目ですね。駄目な人だ」
「……私の知らないあなたを知っていることが妬ましい。あなたに身を守る術を教えてくれた恩人だとしても。」
「……は、はぁ?」
アシュレイが困惑していると、アルドヘルムは剣をしまい、アシュレイの顎に手をかけて上に向かせた。ピタッとアルドヘルムと目が合い、アシュレイは「な、なんだ?!」と驚く。
次の瞬間、観客からは悲鳴が、訓練兵たちからは歓声が上がった。
アルドヘルムがアシュレイに口付けをしたのである。3秒くらい、そのままであった。アシュレイは呆然としてアルドヘルムを見た。キスする時は目を閉じるものなんじゃないかと思うのだが。
「あ、あの……な、なんで今キスしたんですか?ファーストキスだったんですけど……こんな人前で、恥ずかしくないんですか?私は恥ずかしいです」
それが本当に恥ずかしがってる人間の台詞か?周囲の会話の聞こえる見学者たちはそう思ったが、周りの人間たちはそうは思わない。「なんだかよく分からないが、アルドヘルムが女の子を助けに行って劇的なラブシーンを演じた」くらいにしか思っていない。いや、そのほうが遥かに派手なことだが。
「ファーストキス、ですか……なんだか照れますね」
「なんだか照れますねじゃないんだよ」
「駄目でしたか……?」
「駄目でしたか……?じゃないんだよ。駄目でしょ」
「つい…」
「つい…じゃないよ。」
「おーい!!セドリック様が気絶してるぞ!!」
なんでだ。アシュレイとアルドヘルムが見学場から下を見ると、セドリックが言葉のままに気絶していた。
「なんで気絶してるんだ?!」
「オーガルガン卿は極度にウブなんだ!カップルがハグしてるのを見ただけで真っ赤になってフラつく程なんだぞ!」
「で、ではキスしているのを見て……?!」
「そんなことある?」
そんなことあった。結局アルドヘルムが建物を壊すし、セドリックが倒れるしで練習はめちゃくちゃ、気合を立て直すために1時間の休憩時間が持たれることとなったのであった。
「これって私のせいですかね?」
「そんなことありませんとも」
アシュレイは、結局アルドヘルムにキスについて言及することはできなかった。だが、人前でキスなんかしてしまったので、もういよいよ後に引けなくなってきてしまった気がする。どうなるアシュレイ、どうなるアルドヘルム、そしてどうなる、恋に目覚めてしまったヒース。
若い時は恋もしたよね、と言って、団長たちが怒っていなかったのが唯一の救いであった。




