お嬢様と箱入り王子様
「殿下、大丈夫ですか?疲れていませんか」
「ああ、大丈夫だ。楽しいな、街は色々あって」
水曜日、開校記念日で学校が休みになった。この日、アシュレイが今日は舞台に出ると言ったので、朝から合流して少し街を回ったりしながら一緒に劇場に行くことになったのだ。ロイズたちも来たがったが、皆今日は用事があるのだそうで。相手が男装したアシュレイでなければデートみたいだな、なんて私は思う。アルドヘルムも今日は騎士団の用事で居ないようだし。
街を色々回って楽しんだ後、劇場に着くと、私はアシュレイと裏口の前で少し話していた。しばらく話していると、向こうからこちらを見ている子供がいる。歳は7歳くらいだろうか。とにかくかなり小さい子供だった。アシュレイのほうを見ているので、なにか用事があるのかもしれないと私は少し会話を中断した。アシュレイは気づいているだろうに子供には言及せず、会話をやめた私を不思議そうに見ていた。
すると子供が走ってきてアシュレイの前に止まった。アシュレイは子供を見下ろして、子供が何か言い出すのを待っていた。
「お兄さん、アッシュフォード、でしょ?」
「……そうだよ。君はお客さんかな」
あ、これ、仕事用の笑顔なのかな、と私は思う。にっこり、なんだか感情を読み取れないような、「ただ顔が笑っている」という感じの笑顔。私はそれを見て、アシュレイは今仕事だから、邪魔しちゃダメだなと一歩下がって見ていた。
「ぼ、ぼく……おかねはないけど、どうしても劇が見たくて……だから……」
もじもじしながら子供がアシュレイに言う。私はアシュレイはきっと、こっそり一席用意してやるんだろうと思った。今日は午前の公演だし、空席もいくつかはあるはずだからだ。でもアシュレイは笑顔から真顔になった。
「そう。それで?だからタダで劇を見せろって言うのか?」
「……」
少年はばつが悪そうにうつむいた。
「おい、そんな言い方……」
アシュレイは優しいやつだと思っていたのに、私はこのアシュレイの目の冷たさに胸が苦しくなった。だって、こんな子供にこんな風に冷たくするなんて。貧乏で金が無くて、それでもどうしてもこの少年はアシュレイの劇が見たいのだと懇願しているのに。いいじゃないか、前にアルドヘルムのことだって、タダで見せていたじゃないか。
「金が無ければ劇は見られない。劇を見たければおもちゃや遊びを我慢して、働いて、金を手に入れなければならない。この街は栄えているからそれができるし、働く場所も探せばいくらでもある。いいかい、君が着ている服、親御さんが買ってくれただろう?綺麗にちゃんと洗濯されていて、新しい。お客さんの中にはね、服を買う金すら切り詰めてまでこの劇を見に来てくれている人が居る。それを子供だから、お金を持ってないからって君だけを特別扱いするわけにはいかないんだ。
……もちろん、お金を払って見に来てくれれば、君も大事なお客さんだ。頑張ってチケットを買って見に来てよかった、と思えるような劇を、私は毎回、精一杯、一所懸命に演じるよ。いいかい?」
なんだ、そんなことをこんな子供に言ったって分からないだろうと私は少しムッとする。いいじゃないか、ちょっとくらい、バレなきゃ見せてあげれば。私もこの劇場で何度もワクワクしながら舞台を見たから、貧しく生まれたというだけで舞台が見られないなんてかわいそうだと思った。でも子供は、なんだか納得したような顔をして頷いた。
「……うん、お兄ちゃん。お金を貯めて、ちゃんと見に来る。来るから……」
「うん?」
「僕が来られるまで、役者さんやめないで、ここでやっててくれる?」
「いいよ、続けるよ。君が来られるまでは少なくとも、やめたりしない」
「あ……ありがとう、舞台、頑張ってください」
「ありがとう、お坊っちゃん」
またにっこり笑顔に戻ったアシュレイは、少ししゃがんで子供の頭をポンポンと軽く叩いた。子供は照れたように少し笑顔になり、駆け足で街のほうに走って行った。
「私がチケット代を出すからあの子に……」
私が言いかけると、アシュレイは口元に人差し指を立てて私を黙らせた。
「殿下。あの子以外にも貧乏で劇場になかなか来られない人はたくさんいます。今あの子に施しをすれば一瞬の満足感は得られるでしょうが、他の子供たちはあの子を羨むでしょう。子供は何でも言いふらす生き物ですからね。一人助けるなら、全員助けなければならなくなります。殿下は豊かに育って心優しい人ですから、つい手を出したくなってしまうのでしょうが、最終的に、全体として見て何をすることが最良なのか、自分はどこまでなら責任を持てるのか、よくお考えになってください」
「……」
アシュレイは言うだけ言うと、私に背を向けて控室に入って行った。もうすぐ舞台だから準備をするのだろう。私はアシュレイが私に説教したのに驚いて、ぽかんとしてそれを見送った。いつも私には優しくて、ニコニコしていたのにさっきのアシュレイはなんの感情もないような真顔で話していた。呆然と立っていると、すぐにマイリが走ってきて私の前に回って慌てる。
「ご、ごめんなさい王子様、聞いちゃったんですけど、アッシュ、悪気はないんです!それにあいつ、仕事前は結構言い方キツいから……」
私は一国の王子だ。アシュレイでない相手にああ言われれば微妙な気持ちになっただろうし、怒ったかもしれない。でも私はアシュレイに言われると、なんでも、なんとなく説得力があるような気がしてしまうのだ。多分間違ったことを言われてもアシュレイに言われれば私は「そうなのかな」と納得してしまうだろう。それにさっき言われたことも、確かに私は目の前の子供を見過ごすのが心苦しかっただけで深くは考えていなかったし。
「……いや、それはいいんだ。ただ、アシュレイは子供に優しいイメージがあったから、あんな私の執事のような頭の固いことを言うのが珍しくて」
「アッシュが子供に優しい~?!そ、そんなことは無いと思いますけど……アッシュ、子供って大っ嫌いですから……団員内では有名ですよ。さっきのもかなーり優しく言った方です。子供はうるさいから不愉快だそうで」
「そ、そうなのか?!で、でもアシュレイは子供を助けに馬車の前に飛び出すほどだと聞いたぞ?!」
「別にそれは相手が子供だからじゃないですよ。馬車に轢かれそうなのが老人だろうが青年だろうが王子様だろうが乞食だろうが私だろうが関係なく助けますよ、アッシュはそういう人間です。自分より他人の命のほうが大事なんですかね、不思議ですよね、俺には理解できないです」
俺って言っちゃってるぞマイリ。……というか、どんな人間だ。子供が嫌いなのに命がけで助ける意味とはなんなんだ?嫌いな相手のために死んだらどうするんだ?時折現実的な説教をしてくるが、本人との行動には合理性がない。自己犠牲に浸っている人間にも見えないし、でも、考えればアシュレイの行動にはいつも一貫性がなかった。妙に冷めていて目立ちたがらない時もあれば、目立ちたがりを装って堂々と人前で騒動を起こしたり。
考えてみれば、私はアシュレイのことを何も知らないんだなあと思う。好きな食べ物、好きな場所、苦手な事や得意な事。友人とは言っていても結局アシュレイは私にとって憧れの劇団員であって、同級生の普通の女の子としては見ていなかったのかもしれない。だって、そもそもアシュレイは私にとって女ではなかったからだ。でもアシュレイは女だ。私がアシュレイと居るから縁談相手だと思われたこともあったが、あまりにも「恋愛対象外」だったから何も気にしなかった。
……アシュレイは迷惑に思っていたのだろうか。アシュレイは金を稼ぐこと自体には興味がないようだった。私は王子だから結婚したい令嬢も多いだろうが、王子だからというだけの理由でアシュレイは私と結婚したいとは思わないだろう。だったら、やっぱり私がただ無神経に友人として一緒に居たいと思うのは、私がまだまだ子供だからだろうか。本当に友達だとは思っていないから、私には自分のことを話してくれないのだろうか?
考え出すと延々とそんなことを考えてしまう。
「あ、でもアッシュ、子供は入場料を安くしようと団長と相談してましたよ。あんなこと言ってても、子供もアッシュにとってはちゃーんとお客さんにカウントされてるんです。子供だから冷たくしたんじゃないし、アルドヘルム卿なんて将来結婚する相手だとか聞きましたけど、見に来るたびにきっちりチケット代取ってますし。」
そうだったのか。私はなんだかびっくりする。確かに私に対してチケットとっておきましたよ、はい金。と言ってきたし。しかし、チケット代なんて公爵令嬢になったアシュレイにとっては微々たるものだろうに、なんだろうかその、妙な真面目さは。紙は端と端を揃えてきっちり折るタイプだ、とは前から思っていたが。
「アッシュ、お客さんに応じた金額を設定しようと頑張ってるんですよ。だから……アッシュのこと、嫌いにならないでくださいね」
「え?そんな、あいつを嫌いになんてなるわけないだろう!」
私は慌てて否定する。そう、アシュレイが私を嫌いになることこそあれ、私がアシュレイを嫌いになることなんて、ないのだ。だから私は不安になってしまう。私がアシュレイを友人と思いたくてもただの友人としては見られなくて、アシュレイのほうも私を友人と言っていても本当はただの王子で世間知らずのお坊ちゃんとしか思ってないのかもしれない。それはなんだか、すごく寂しい気がして、あいつが遠く遠く感じる。
私がそんなことを考えてモヤモヤしていると、控室のドアが開いて、すっかり舞台用衣装と化粧をしたアシュレイが立っていた。凛としていて、やっぱり憧れの舞台役者で、アシュレイは見惚れてしまうほどかっこいい。かっこいいのだ、やっぱり、他の友人とは感覚が違うのだ。その気持ちが何であるのかは分からないけれども、眩しくて憧れてしまう。
「殿下、あと5分で開演だ。タダじゃ見れない最高の舞台を見せてやるから、さっさと席につきなよ」
同時に、私たちはやっぱり住む世界が違うのかな、と思ってしまうのだ。




