学校は大騒ぎ①
朝。相変わらず寒いが、空は青く澄み渡り鳥の声が聞こえる。
アシュレイは制服の襟を正し、スカートの裾をまっすぐに叩く。それから姿勢良く階段を降りると、アルドヘルムが待っていた。
「アルドヘルム、毎朝ありがとうございます」
「いえ。役得ですよ」
そう言ってにっこり笑うアルドヘルムを後ろにつけて、また歩いて玄関に向かう。
「あっ、行ってきます。お父さん」
久々の学校に行くアシュレイは、偶然通りかかったアラステアに挨拶をして頭を下げた。手には本を持っているので、仕事中なのかもしれない。
「ああ。気を付けていってくるんだよ。体調が悪くなったらすぐ帰って来なさい」
「はい!」
うん。これがあるべき温かい家庭というものだ、とアシュレイは感慨深く思う。
大体、自分がクリフォードと〝神の間の子〟だなんて進言したところで病院に連れていかれるだけなのだから、もう開き直ってアラステアの子供として生きていこうとアシュレイは思う。
それが誰にとっても多分、一番いいことなのだ。この家にとって重要なのは、エインズワース家の血が流れているかどうかだけなのだから。気にせず何事もなく、しばらくは生きていこう。困ったらその時考えれば良いのだ。
「……あの、アルドヘルム、あなた近くないですか?落ち着かないのでちょっと離れてくださいよ」
玄関から出て歩きながら、アシュレイが背後にぴったりと歩いているアルドヘルムを振り返って苦笑いする。アルドヘルムは大まじめな顔で首を横に振った。いや、離れろよと言う感じだが。
「そんなことはありません、学校に着くまでにあなたが居なくならないようによく見ていないと」
そんなことあるから文句を言ったのに……とアシュレイは呆れるが、まあ学校につくまでの辛抱だ。アシュレイは気にせず歩くことにした。
「重罪人並みの監視下に置かれている……」
「馬鹿な事言ってないで、ほらほら、進んでください」
「はあ」
アルドヘルムに背中を押され、腑に落ちないながらもアシュレイは馬車に乗り込む。冬に三時間潜水という離れ業を繰り広げながら、アルドヘルムは風邪一つひかずに健康体である。自分なんかよりこいつのほうが余程人間離れしているじゃないか、とアシュレイは思う。
今日は月曜日。約一週間ぶりの登校である。学校には何と言って休みになっているのか不明だが、大騒ぎにならないと良いが……とアシュレイは心配に思う。学校という若者の集いにおいては、ほんの少しの噂話が肥大化していろいろな方向に憶測が飛び交いがちだ。
いや、それはアシュレイの勝手なイメージに過ぎないのだが。
校門について馬車から降り、校内に入っていくとアシュレイはものすごい数の視線を感じた。周囲の生徒たちは何やらコソコソと話しながらアシュレイのほうを見ている。何やら嫌な感じだな、とアシュレイは苦い顔をした。自分の教室に入ると、まだ朝早いのに友人四人が集まっており、アシュレイを見て駆け寄ってきた。
「おはようございます。一週間ぶりですね」
「おはようございますって……アシュレイ!」
四人は慌てたような少し怒ったような顔をして詰め寄ってきた。まず、ミアがアシュレイの肩を掴む。アシュレイが驚いて表情を引きつらせた。
「えぇ?!なんですか!な、何怒ってるんですか?!」
「アシュレイ!!闇の組織の暗殺者に狙われて殺されかけたって聞いたけど、大丈夫なの?!」
「闇の組織?!何の話ですか!!」
やはり噂というものは鵜呑みにすべきでない。この世間知らずのお坊ちゃんお嬢ちゃんたちはそのピュアな心が災いして、アシュレイに不必要な心配を向けているのだ。アシュレイはミアの泣きそうな顔を見て、反応に困るやら呆れるやら、ともかく慌てていた。
ミアに違うと言って肩を叩いて落ち着かせると、今度はコーネリアスが聞いて聞いて!と言うように質問し始めた。
「アシュレイ!山の神を祀る湖に沈められるも3時間以上無呼吸で、なんの怪我も体調不良もなく生還したというのは本当か?!」
3時間無呼吸で生還できる生物など魚か半魚人くらいのものである。いや、魚はエラから空気を取り入れてるんだったか……?なんてアシュレイはどうでもいいことを思う。
「嘘ですよ!私をなんだと思ってるんですか!」
以前からだがコーネリアスは天然というか、ひょっとすると夢見がちなのかもしれない。
それは置いておいて、みんな一貫して「心配したんだからな」というような威圧感がある。
この数少ない親しい友人たちには説明しておくべきだったかとアシュレイは反省したが、と言っても、あんなことどう説明しろというのか。
「違いますよ殿下、アシュレイは鎧が重くて溺れてしまったアルドヘルム卿を助けようと冬の湖に飛び込んで溺れて風邪を引いたんです」
ロイズが真面目な顔でやはりどこから仕入れたのか嘘の情報を話す。
「ア、アルドヘルムはそこまでマヌケじゃないですよ……私が助けられたんですって!」
「じゃあ、謎の部族に生贄として連れ去られ、火あぶりにされているところを保護されたという話が正解だったのかしら?」
「え?!それも……いや、断片的には合ってますけど、火あぶりにはされてないですよ!死ぬでしょ!!」
ロイズもアニタも真面目な顔してとんでもない勘違いをしているようだ。
アシュレイは、ともかく山の民族に拉致されてアルドヘルムたちに保護された、とだけ説明した。もっと詳しく説明しろという視線をみんな送ってきたが、説明している途中で予鈴が鳴ったので、各自しぶしぶ自分たちの教室に戻って行った。
隣の席のコーネリアスがまだ心配そうな顔で何か聞きたそうにしているので、アシュレイはにっこりと笑って話しかける。
「殿下、心配してくれたのは嬉しいですが、私は本当になんの怪我もなく無事で健康なんですよ。無傷で生還しましたし、騒ぎになるとまずいから日を置いただけで」
「それは何よりなんだが……アシュレイは無理しやすいからな、あんまり無茶なことはするなよ」
「ええ。無茶しない程度に頑張りますよ」
「何を?」
コーネリアスはやはり腑に落ちない様子だが、アシュレイは心配されて悪い気はしない。もう一度鐘がなると、教室のドアが開けられて担任が入ってきた。
「ああ、エインズワース。風邪は大丈夫なのか?」
「はい!すっかり治りました」
隣のコーネリアスが「風邪じゃないって言ってたじゃん?!」という顔で見てくるが、それはそれ。アシュレイは基本的には平気で嘘をつく人間なのだ。
「ところで、今日は新任の教師を紹介しようと思う。しばらくはこのクラスの副担任を務めてもらう。担当科目は世界史、社会……入ってください、アルフレッド先生」
ドアを開けて入ってきた新任教師の顔を見たアシュレイは、反射的にガタッと立ち上がった。
珍しい黒い髪、黒い目、整った顔立ち。服装は学校教師らしく完全に擬態しているが、それは明らかに、つい先日の太陽の神、最高神だった。
「エインズワース、どうしたんだ?」
アシュレイの珍しい奇行に、担任が少しぎょっとする。
「風邪がぶり返したので、保健室に行ってきます」
「えぇ?!すっかり治ったんじゃなかったのか?!」
「ぶり返したんです」
「そ、そうか。まあ長く休んでいたからな……」
生徒に対する教師は、公爵令嬢相手でも男爵令嬢相手でも変わらない。そこは教育者としてあるべき形だよな、とアシュレイは思うが休みたいときに即休めて、授業にさえ遅れをとらなければお咎めなしなのは公爵家の人間だからなのかも……と思ったりもする。
アシュレイはすぐにこの教室から出て視界からミサキを遠ざけ、現実逃避をしようと思っていた。でも実際はそうはいかず、ミサキ、改め「アルフレッド先生」は軽く手を挙げてにっこりと担任に言葉を投げた。
「じゃあ、私が付き添いましょう。」
「おお、そうですかアルフレッド先生。頼みますね」
「え?や、やっぱりいいです」
「遠慮せず、さあさあ」
アシュレイはそうして新任教師アルフレッド……と名乗る知り合いに瓜二つの人物に引きずられて、保健室へと向かって歩き出したのだった。
「ミサキ!!な、なんであなたが学校に……戸籍は?住所は?!」
「なに、人間などいくらでも洗脳できるんだ。紛れることだって容易なんだぞ?」
何も否定しないあたり、最高神本人で間違いないようだ。アシュレイは右手を掴まれているので距離も置けずにじたばたする。
「そんな馬鹿な……洗脳って、なんでもありじゃないですか!」
「ハハハ、吠えるな吠えるな。お前の知り合いにだって、人間に混じって神がいるじゃないか」
ミサキは涼し気な顔でさらっととんでもないことを言う。アシュレイはその言葉に数秒硬直していたが、すぐにミサキの襟首をつかんで詰め寄った。
「……はぁ?!は?!はああああ?!誰のこと言ってるんですか?!そんな人いませんよ!!」
そんな人いませんよ、というより思い当たる節がないから信じたくないというのが本音である。知り合いに人間に化けた神様がいるなんて、人間不信になりそうだ。
「本人も忘れているんだ、私が洗脳しているからな。本人は神のくせに、生まれてからずっと人間として生きてきたと思い込んでいるんだ」
「なんのためにそんなことしたんですか?意味が分からない、理解不能!誰ですかそれ!!」
自分を人間だと思い込んでいる神が知り合いに紛れ込んでいる?なんのためにそんなことをするんだ?アシュレイは不安感と不信感のこもった目でミサキを睨みつけた。
「……なんのためと言われても、本人がそれを望んだからとしか言いようがないな。余計なことを話した、それでどうしたんだ?風邪がぶり返したんだろう?私と保健室に行かないとな」
「歩けますから離してくださいよ!」
本人が望んだからと言われても、なぜそんなことを望むのかを教えてもらわなければ信じられない。アシュレイはともかく、色々と重大なことをポロッと喋る最高神に対しかなりの憤りを感じていた。
ムカついたので振り払おうと手を振りかぶろうとしたが、ピクリとも手が動かせなくて、そんなことある?!とアシュレイはギョッとする。
「うわっ!!この馬鹿力!」
「保健室に行くんだろう?いい子だから大人しくしてるんだ」
犯罪者のような口ぶりだが本当に保健室に連れて行くだけである。
「体調は治りましたから!!」
「あと、学校ではアルフレッド先生と呼ぶんだぞ?いいな?」
「うう!!この野郎……」
アシュレイは歯を噛み締めてミサキを睨みつけるが、本人は子犬に吠えられた程度の涼しい顔をしていた。
これから私の学校生活どうなっちゃうの~?!という定番少女漫画ようなことを考えながら、体調も悪くないのに保健室のベッドに寝かされたアシュレイは、色々考えながら天井を睨みつけるのであった。




