お嬢様と二人だけの夜会
気づくとそこは、エインズワース邸の自室ではなかった。アシュレイはあんなことがあった翌日だったためそう驚きもせずに目の前の相手に話しかける。
「私は家のベッドで寝ていたはずなんですが、これは一体何ですか?」
アシュレイは寝間着で目をこすりながら、自分が座らされている正面に座っているクライアを睨みつけて言った。寝起きは良い方なのだが、まだ2時間しか寝ていないのに起こされたので機嫌が悪いのだ。それに昨日は色々と悩み、考えて疲れていたので尚更睡眠を妨害されて苛立っていた。
「これか?これはビーフシチューだ。私の今日の晩飯だ」
クライアが爽やかな笑顔で答える。アシュレイは自分の前とクライアの前にそれぞれ置かれた皿を眺めた。見たことの無い、野菜の入った茶色い謎のスープのような料理。美味しそうな匂いがするな……とアシュレイは興味を持った。どこかの民族料理なのかもしれない。
「いや、聞いてるのはそんなことじゃないんですけど……というか、こんな時間に晩飯ですか?太りますよ……」
「夕飯時にお前を連れ出すとお前の執事が大慌てするだろうが?あと私は本来食事は必要ないし、美味いものを食いたいと思うのは趣味みたいなものだ。体型なんか変わるものか。お前もだぞ?」
まあ確かに昼間にアシュレイが消えたらアルドヘルムが大慌て、いや発狂寸前になってしまうかもしれない。アシュレイは仕方ないか、とため息をつくとクライアが満足するまでここで大人しくしていることにした。
できれば早く帰って寝たいのだが。もう時刻は深夜2時を回っているのだから。
「いや、それでも私はもう今日は夕飯を食べましたんで」
「夜食ということでいいじゃないか、美味いぞ?お前が普段食っているフランス料理の偽物よりずっと美味い」
クライアがそう言って自分の分のビーフシチューを口に運んだ。
アシュレイは、自分が普段食っているものも昔の人類の何かの料理が元となっているのかな……なんて思う。5千年生きてるんだから、そりゃ美味しい料理も色々知っているんだろう。が、自分が普段食っているものを何かの偽物と言われるのはなんだか微妙だ。
「なんですかその、フランス料理って……というか、本当にお腹すいてないんですって」
「なんだ、せっかく作ったのに」
「えぇ……アンタが作ったんですか……」
拗ねた様子のクライアを見たアシュレイは、一口位食ってやるかとスプーンでビーフシチューを口に運んだ。一口食べて、驚いた顔をする。美味しかったのである。
「美味いか?」
「はあ、美味いですけど……でも最高神様が料理ですか」
アシュレイは大人しくビーフシチューを食べ始める。クライアは満足げに笑った。
「お前はそうやって私を最高神様、最高神様言うが、馬鹿にしてないか?」
「馬鹿にしてませんよ。他の神に最高神クライア様って呼ばれてたじゃないですか。クライアって、人間の時からの本名ですか?」
一瞬にして食べ終わったアシュレイはクライアにそう聞くと、横に置かれた緑色の飲み物に目をやる。上には白い何かの塊が乗っていて、その上にはさくらんぼが乗っていた。グラスの底からは細かく泡のようなものが沸いている、綺麗だけど飲めるのか?という見た目のものだった。
「いや、神たちは昔、半神半人の総称をクライアドと呼んでいた。私の父親だった太陽神がそこからクライアと私に名付けて、そのまま定着した」
へ~、そうなんだとアシュレイは感心したように聞いていたが、クライアが自分の緑色の飲み物を飲みだしたので同じようにして飲んだ。長いスプーンがついているので、先に上の白いものを食べるようだ。食べてみると、これってアイスじゃないか?と気づく。アシュレイの世界ではアイスも結構珍しい。
「じゃあ私で言うところの“アキル”みたいな呼び名ですか?本名は?」
「何を本名とするかは個人の認識次第だとは思うが、元の名前は……何だったかな……当分呼ばれていないから忘れてしまったな」
アシュレイは元の名前を忘れたと言われて驚き、アイスを食べていた手を止める。
「え?!そんな!大体、あなた神は嫌いだって言ってましたよね?!そんな奴らに勝手につけられた名前を自分の本名として使うんですか?!」
「使うと言っても神はクライアとしか呼んでこないし、私は人間界に降りないから元の名前を呼んでくる相手がいなかっただけのことだ」
「で、でもそんな……何千年も生きてたらそうなっちゃうのかもですけど……」
アシュレイが、自分の立場だったらと考えてクライアに文句を言う。拗ねたようにクリームソーダを飲み干したアシュレイは、ガン、と机にグラスを置いた。
クライアはビーフシチューもクリームソーダも完食してしまったアシュレイを見てまた、微笑ましげににっこりと笑う。
「おかわりするか?」
「します!名前の手がかりとか記録は無いんですか?」
「ああ、多分記録に……まあいいじゃないか、どうでも」
「どうでもよくないですよ。私におかわりを用意したらちゃんと自分の本名を調べてくださいよ。本名以外では最高神様としか呼びませんからね」
「お前急に態度がデカくなってないか?……仕方ないな」
態度がデカくなったと言われても、こちらも深夜に同意もなく拉致されているのだから仕方ないだろうが、とアシュレイは思う。
しかしともかく、こんな時間にあんな肉がゴロゴロ入った料理を食べたんだから明日はトレーニングを普段の二倍やらなければ。……なんて思いつつ、ちゃっかりおかわりはするのだが。クライアはアシュレイの前につぎ足したビーフシチューを置くと、書庫のほうに戻って行った。
「……」
ビーフシチューを食べながら、アシュレイは新たに置かれたまたもや見慣れない飲み物を見て考え込む。赤い……これはワインなのだろうか?とアシュレイは臭いを嗅いでみたが、酒の匂いは無い。一口飲んでみると、ぶどうジュースだと気が付いた。なーんだ、普通のものもあるんだなと呑気に思う。
考えてみればクライアは、女神を片手で吹き飛ばせるくらいの力の持ち主。アシュレイを殺すことなんて今なら簡単だろう。だがアシュレイは不思議とクライアに恐怖心はわかなくて、というか、「この人が自分を殺すことは無いだろう」という、謎の確信があったのである。
まあ、相手が自分と結婚して子供を設けてみたいと希望しているのだから前提からして殺される道理はないのだが。
それから、そう時間もかからずにクライアは戻ってきた。見つかったようだ、とアシュレイはクライアのほうを見る。
「見つかったぞ。私の最初の名前は……秋月 三咲だ。女みたいな名前だとからかわれたことがあって、昔は嫌っていたんだったな」
アシュレイは、聞いたことも無い独特の名前に不思議そうな顔をする。女みたいな名前と言われても、女でも男でも聞き覚えのない名前だ。クライアは元の椅子に座ると、記録本らしきものを手に取ってパラパラとめくっている。
「アキツキ ミサキ?アキツキですか、名前は」
「ミサキが名前だな。アキツキはファミリーネームだ」
「変わった名前ですね。じゃあ今後はあなたのことはミサキと呼びますね」
クライア改め〝ミサキ〟は、アシュレイの言葉に特に反対もせず本を開いたまま、また机を挟んでアシュレイの正面の椅子に座った。
「好きにしろ。変わった名前かどうかは国によるだろうがな。まあ……私の居た時代の国はすべてなくなったが」
「全部ですか?!」
「戦争の爪痕で地形も変わったし、沈んだ国もあったからな。一番大きかった国も国境がめちゃくちゃになった」
「へ~……」
アシュレイは感心したように話をよく聞く。眠気は冷めてしまっていた。ついでに、夜中に起こされて勝手に連れてこられたことへの怒りも忘れてしまっている。
「国がめちゃくちゃになったのに便乗し、雑多な神々が好き勝手やり出した地域もあった。その最たるものが、獣人国家、ミラゾワだ。」
「あ!ソヘイルを連れて行きたかった国ですが、実在するんですね」
アシュレイが興味ありげに聞くと、クライア改めミサキは説明を続ける。
「獣の神が、気まぐれに人間の男に恋して子供を産んだ。今、その子どもである獣人が納めているその国は、獣の神の権能だか呪いで勝手に国内に獣人が生まれはじめた」
そんなことってあるのか、神って結局どんな存在なんだ、概念ではないのか?とアシュレイは色々考えるが、それはあまりにファンタジーじゃないかと思ってしまう。しかし、実際ソヘイルのような獣人が存在しているわけだから、ただの空想とは片づけられまい。
「じゃあ、初めは一人だったのに、神が来てそこから国が成り立つレベルまで獣人が増えたんですか?」
「増えたというか、普通の人間同士の子どももその国内で生まれれば獣人に生まれてくるというだけだな。人口はそう変わらない」
「……ていうか、待ってくださいよ。神が子供を産んだって、それ、半神じゃないですか?あなた私たち以外の半神知ってるじゃないですか!」
「おっと……今日はもうここまでにしておこう。お前は帰って寝るんだ」
「は?!なん……」
アシュレイが話を追求しようとしたところで、視界が急に真っ暗になり、どこかで扉が開く音がした。
「アシュレイ様、おはようございます!今日は早起きじゃないんですね!珍しいです!」
「シェリー……」
アシュレイは、自分がベッドの毛布の中にいることに気が付いた。そして起き上がり、笑顔で扉の前に立っているメイドのシェリーを見て呻いた。
「寝れなかった……」
今日が学校に行く日でなくて良かった、とアシュレイは思う。料理はおいしかったが、あまり頻繁に夜の呼び出しを食らうと睡眠時間が削られてしまうな……とアシュレイは思う。
いや、それはそうと料理はおいしかった。たまには呼び出されてもいいかとも思った。それはそうと、なにか大事な話を中断してしまったような気もするのだが……




