お嬢様は考える
「アシュレイ、俺に用って?」
洞窟から帰った翌日、アシュレイは月曜日だが学校を休んでいた。アシュレイ=エインズワースが誘拐されたということは結構な騒ぎになっていたので、騒ぎが静まるまで学校は休むことにしたのである。
ということで、アシュレイはさっそく昨日はうやむやで会えなかったソヘイルに、少し話をしようと思って劇団に来た。ちなみにアルドヘルムは何時間も湖に潜っていたせいか、風邪気味だそうで部屋で寝ている。
「ああ。ソヘイル、前にさ、なんて言ったかよく覚えてないけど……あなたが洞窟に連れて行った娘さんのこと、一生背負って生きろ見たいなこと言いましたが……」
その話か、とソヘイルが笑う。
「……ああ。いいんだ、俺も覚悟は決めたよ」
アシュレイは罪悪感にうっと少し唸る。なぜなら神の世界で、幸せに暮らす生贄たちを見てしまっているのである。
「そうじゃなくて、言いにくいんですけどね、湖に沈められたじゃないですか、私。」
「はあ……そうだったな」
なんの話だ、とソヘイルは首を傾げる。最近のソヘイルは獣耳を隠さずに生活している。珍しがられはするが、みんなに何事もなく受け入れられて暮らしている。
「そこでさ、会ったんだよ。メヴァリー=ライナーに。あなたが誘拐した人ですが」
「会った?……死んでるだろう、とっくに……」
「信じるかどうかはあなたの自由ですけど、死後の世界だとかそういう話ではなくて……なんていうか、大真面目に言うんですけど……」
「……三時間水中で死ななかったお前の言うことだ。多少現実離れしてても聞いてやる」
ソヘイルはそう言うと、真面目な顔でアシュレイに向き合った。
「……山の神の支配する世界ってのがあって、そこが湖と繋がってて、その場所で過去の生贄がみーんな一緒に暮らしてるんです。結構幸せに各自生活を営んでましたよ。彼女も幸せだって言ってました。だから……あなたも気に病むことないと思いますよ。彼女の家族は悲しいでしょうけど、元々病で先のない人たちだったそうですし……」
「山の神の世界……ゾルヒム民族が信仰している神か?」
「はい。別に頭がおかしくなったわけではないですからね。信者でもないですから」
「どんな場所だった?」
ソヘイルは、信じる信じないは言わずにそう聞き返してきた。アシュレイは少しうつむいてから、ソヘイルの顔を見る。
「うーん……田舎でしたね。畑と掘っ立て小屋ばっかりみたいな、ほら、丁度この劇場を北に行ったはずれみたいなところでしたよ。男も女も、老人も赤ちゃんもいる普通の場所でした。神様自体は臆病でガリガリに痩せたいけ好かない陰湿そうな感じでしたが、慕われてるようでしたからいい神様なんでしょう」
アシュレイが困ったような顔で言うと、ソヘイルは微笑した。
「そうか……俺はな、アシュレイ。お前の言うことならなんでも信じるよ。都合がいいからってわけじゃないけど、お前が見たって言うなら、あの娘が幸せだって信じられる。ありがとう」
ソヘイルの言葉に、アシュレイが驚いた顔をして後ずさる。お前の言うことならなんでも信じる、という言葉はアシュレイには理解できないことだった。どうしてそんなことをそんな顔で言えるんだろうと思う。自分には、その人の言うことならなんでも信じられる、なんて相手は居ない気がした。だからこそ驚いた。
「は、な、なんですか、変なの」
「嘘じゃないんだろう?」
「はい。嘘じゃないですけど……こんな突拍子もない話、ほいほい信じられるんもんなんですか」
「言っただろ、お前の言うことならなんでも信じるって。じゃあ、俺は団長の手伝いあるから」
「あ、はい」
なんとなく腑に落ちない、という顔でアシュレイはソヘイルを見送った。ソヘイルは無知だからよくわからずに信じたのだろうか?と。そしてそのまま、トボトボと屋敷に戻る道を歩き出す。
自分のために集まってくれる人がいる。自分のために泣いてくれる人がいる。自分の言うことを何でも信じてくれる馬鹿な人が居る。それは、本の物語で読んだよりも、きっと何より幸せなことだ。なのに腑に落ちない。何もかもが自分に都合がよすぎる気がして、それが神の子としての権能のおかげなんじゃないかと思ってしまう。
本当に自分がカミラとクリフォードの間に出来た子供だったとしたら、家族仲良く幸せに過ごしていただろうか。下町に暮らすこともなく、劇団に入ることもなく、カミラも長生きをして、笑って何も考えずに幸せに生きて行けただろうか。
……いや、何も考えない人生なんて考えられない。アシュレイは頭を振って頭の中のごちゃごちゃを取り除こうとした。幸せを幸せと素直に思えないひねくれ具合が自分の悪いところなのだとアシュレイは思う。
(アルドヘルムの所に行こう)
アシュレイは、そう思って走り出した。何かを考えて悩むと、何か行動していなければ落ち着かないことに気が付いてしまう。
アシュレイは走って走って、自分の足が異常に早いことに気が付いた。周りの人たちが驚いた顔でこちらを見ている。走った後に風が起こって地面の砂が吹き飛ばされている。こんなに足が速かった記憶は無かった。天界でクライアに言われたことを思い出す。そのうち、他の人間と差が出てくるとかなんとかいう言葉だ。
(……考えすぎだ、まだ、4年もある)
考え出すとすべてそのせいではないかと思えてくるのが嫌な所だ。
アシュレイは屋敷につくと階段を駆け上り、自分の二つ隣のアルドヘルムの部屋のドアを勢いよく開けた。
「うわ?!!!」
「失礼します」
とか言っているがもうすでに失礼している。アルドヘルムは入ってきたのがアシュレイだと気づいてベッドから体を起こした。
「アシュレイ?」
「……風邪。大丈夫ですか?」
アシュレイが聞くと、アルドヘルムはいつもの笑顔で返事をした。
「ええ。少し怠いだけで風邪というほどのことでもありません。寝ていろと言われたので寝ているだけで」
「あんな冷たい水に何時間も潜っていたのにしぶとい人ですね」
アシュレイの声が少し震えていることに気づいて、アルドヘルムは困ったように笑いながら返す。
「そんなこと言うことないじゃないですか」
「……」
アシュレイは少し黙ってうつむいたかと思うと、顔を上げてアルドヘルムの寝ているベッドに向かって走り、水に飛び込むときのような姿勢でベッドにダイブした。体の上にアシュレイがのしかかってきたアルドヘルムは驚いて、また寝る姿勢に倒れてしまった。
「うわっ!ど、どうしたんですか」
アシュレイは首だけアルドヘルムのほうを向き、真顔で言った。
「貴方が女で、私が男だったら良かったのに」
「なんでですか?!」
突然の謎の発言に、アルドヘルムが顔を強張らせて困惑する。アシュレイは別に重たくないので乗られてもさしたる苦しみは無いが、嫁入り前の女性が、ベッドの上の執事にのしかかっているのは倫理的にどうなのか。
「私が女で、弱いからあなたは助けようと無茶をするんですよ。私が男ならあなたがこんなことにならないように守れました。多分……」
「あなたは、守られるより守りたいんですね」
「……あなたが完璧に私を守った上で自分も無傷ならそれがベストです」
「アハハ、気をつけますよ。でも、危険なことはなるべくしないでくださいね」
「私は気をつけません。あなたが気をつけてください」
「えぇ?!なんですかその横暴な発言は……」
「……」
アシュレイはアルドヘルムの上から起き上がると、無言で背を向けて歩き出した。
(嫌われたかな?)
アシュレイは思う。すると、後ろからアルドヘルムが立ちあがる音がした。起きなくていい、と言おうと振り返ると、既に真後ろにアルドヘルムが立っていた。
「愛していますよ、アシュレイ。あなたをきっと守ります」
「……」
「……顔が赤いですよ?」
そう言われたアシュレイは無言でまた背を向けると、自分の部屋に戻って行った。




