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お嬢様は神様です!  作者: 明日葉充
神来襲編
55/135

執事さんは全力


走って走って、息が切れても足だけは止めずに走り続けて。アルドヘルムが洞窟につくのに、そう時間はかからなかった。


あとほんのわずか数十分アシュレイが気を失ったフリをしていれば間に合っただろう、というくらいにすぐ、アルドヘルムは洞窟まで馬を走らせた。ソヘイルも、アルドヘルムの気迫に押されて大急ぎだった。


「アシュレイはどこだ!さっさと言え!!」


普段落ち着いて取り乱すことの少ないアルドヘルムが、怒りに満ちた表情で洞窟の民たちをなぎ倒していく様は異様なものだった。ソヘイルはアルドヘルムを洞窟の入り口まで案内し終わると、すぐに増援を案内しに元来た道を戻って走っていく。


「話せ、教えないと、殺す……!」


アルドヘルムは、若い男の胸ぐらを掴んで怒鳴った。貧弱な体、洞窟で育って陽も浴びていない不健康な民族の者たちは震え上がり、怯える。ガタガタと震えながら、ここに沈めたのだ、と湖にアルドヘルムを案内した。


アルドヘルムは、話も聞かず一瞬で湖に飛び込む。奥底、奥底へと潜っていく。相当に深い湖で、底は暗くて見えない。水中だから声を出して呼ぶこともできない。アルドヘルムは息が切れそうになると上に上がり、息継ぎをするとまたすぐに湖に潜った。何度も、何度もだ。


その間アシュレイは、神の世界を転々と連れまわされていたわけだが……


アルドヘルムが最初に湖にたび飛んで、アシュレイが湖に戻ってくるまで、実に3時間。その間、何度も何度もアルドヘルムは絶え間なく湖に潜ってアシュレイを探し続けた。増援でやってきたダレンが止めても、決してやめなかった。3時間。沈んでいれば、確実に死んでいると誰にでもわかる。それなのに、アルドヘルムはやめなかった。


やめたらその瞬間に、アシュレイが死んでしまう気がしたのだ。


潜れる距離はどんどん伸びていき、終わりにはアルドヘルムは、湖の底にまで手が届くようになっていた。


(おかしい……)


(ここに何人もの死体が沈んでいるはずなのに、この湖の底、何も沈んでいない!岩一つ、骨一つ沈んでいない!)


目が慣れてくるにつれ、アルドヘルムはそれに気がついた。そんな時だった。


ドブン!


ここは湖の底なのに、すぐ近くで水に飛び込むような音がして、さらには手が伸びてきた。


「!?」


その手は白く、見下ろす髪は黒く、目は上からの光が走り回って光って……


アルドヘルムは目の前に突如として出現したアシュレイに驚きながらも、あまりのことに耐えられず、水中でアシュレイを、これでもかというくらいに強く抱きしめた。3時間水中にいたとは思えないような人間らしい温度を感じて、確かに生きているんだとアルドヘルムは喜びに体を震わせる。アシュレイは驚いて暴れたが、息がつらくなる前にと足をばたつかせて泳ぐ。


そして、そのまま上へ上へと昇っていった。


「っぐ、ぶはッ!!!」


アシュレイとアルドヘルムが同時に水面から顔を出すと、ダレンや周りの兵たちが驚きの声をあげた。


「うわっ!!そんな、馬鹿な!!」


「3時間以上だぞ?!生きてるわけない!!」


捕縛された民族の一員も叫ぶ。神に捧げるとは言っていながら、殺すことは前提であるらしい。化け物を見るような目で見ていた。


「……」


はあ、はあとアシュレイは息を吸ったり吐いたりして、しばらく黙っていた。ずいぶん深い湖だったので、息が苦しかったのだ。そしてその間、自分を固く抱きしめているアルドヘルムを突き放そうとはしなかった。アルドヘルムの肩が震えていたからだ。だから、アシュレイも今ばかりはアルドヘルムの背中に手を回して、抱きしめ返した。そのまま背中をポンポンと優しく叩く。


何時間もこの冷たい湖の中で、自分を探しつづけた馬鹿な男。いいや、馬鹿なんて言葉では済まされない。なんて無茶苦茶な男なんだろう。アシュレイは、アルドヘルムがどうして自分のためにそこまでするのか理解できなかった。出来ないのに、なぜか泣きたくなった。自分はカミラとクリフォードの幸せを奪い取って生まれてきた化け物だと知ってしまった。誰にも愛される資格なんてない人間なのだと知ってしまった。


「寒かったでしょう、馬鹿ですね……」


「死体だろうが、生きていようが、あなたをこんなところに1人、置いていけませんから……」


「……ありがとう……そろそろ離してもらえますか。お互いにずぶ濡れですから」


「……はい」


アルドヘルムが、名残惜しそうに手を離す。すぐにダレンが走ってきた。アシュレイが、よろつきながらダレンの肩にバシッと手を置く。


「なんて目で見てるんです。生命力が害虫並みだと言いたいんですか?」


にっこり笑ってそんな嫌味を言ったアシュレイに、ダレンは少し安心した顔をする。


しかし髪からはボタボタと水が垂れ、服もずぶぬれだ。アシュレイに捕まれたのでダレンの肩もびっちゃり濡れてしまう。すぐにダレンが驚いて声をあげた。


「うわっやめてくださいよ、服濡れたじゃないですか!ていうかお嬢様、どんな手品を使ったんです?!ずっと湖の中に居たんですよね?!」


「湖の中といえば中、外といえば外……ちょっと、教えられないところに居ました。」


「なんですか、それっ!」


アシュレイが笑って誤魔化す。アルドヘルムはなぜか、アシュレイに何も聞きはしなかった。青ざめていて、体が氷のように冷たい。この気温の湖を、服を着たまま泳ぎ回っていたのだから仕方ないが。


「あれ?洞窟の民族は……」


洞窟の中を移動して道を戻りながら、アシュレイが聞く。洞窟の民らしき人間が、人っ子一人いないのだ。


「皆、捕らえました。でも驚きましたよ……みんな、同じような顔してるんです。俺、なんか気味悪くって」


「捕まえた……そうか……」


結果として、生贄にされた者たちは幸せに暮らしていた。そうなると、洞窟の民族が悪い者たちだと一概に言えることでもないように思えた。彼らが居なくなれば、寿命目前であの世界に行って助かる者も減るのかもしれないし、あの世界の彼らは困るのかもしれない。


……しかし彼らはそんなことは知らずにやっていたわけだし、血が濃くなりすぎると体が弱る、どんどん弱くなっていくのだから洞窟の民自体はここでそうやって世代を繋いでいくよりも、ここで捕まって離散したほうが幸せだろう。


……そう思うのは、アシュレイのエゴかもしれないが。


そう考えれば、彼らの凝り固まった考えを直すのに、王都での懲役は良い機会なのかもしれない。太陽の光に当たることも重要だ。若い者たちにはまだ、未来があるのだから。


どちらにせよ、湖の底が神の世界につながっていて、そこにみんな暮らしている……なんて話をしたってアシュレイは頭がおかしくなったと病院送りになるだけだ。彼女らの家族は心配しているかもしれないが、それはアシュレイには関係のないことで、踏み入っていい領分ではない気がした。


「寒くないですか?服の替えとテントは用意してありますが、髪がびちゃびちゃですね」


「水も滴るいい女ですよ」


「馬鹿なこと言ってる場合ですか!また風邪ひいちゃいますよ、まったく……アルドヘルム、お前もだぞ!無茶苦茶な奴だな、ていうか普通に怖いわ!」


「……」


「アルドヘルム、大丈夫ですか?」


「……え?え、ええ。大丈夫です。」


アシュレイがアルドヘルムを心配そうに見る。アルドヘルムは我に返って、にっこりと笑った。洞窟内にも数メートルおきに兵が居て、洞窟を出るとまた、数人の兵が焚火を焚いて、テントを張っていた。洞窟から三人が出てくると、立ち上がって囲まれる。


「アシュレイ様!ご無事とは……流石です!」


「噂には聞いていましたが、聞きしに勝るそのタフさ!さすがアルドヘルムさんが見込んだだけのことはありますね!」


「え?は、はは……どうも……」


多分騎士団の人たちなのだろう、アシュレイは尊敬の目で見られて困ったように笑った。結局は死にかけたのはアルドヘルムであって、アシュレイは何もしていなかったからだ。アシュレイが張られたテントの一つ、アシュレイ用に用意されたものだと言われたテントの中に入ると、驚いてのけぞった。


「アシュレイ様!!」


なんと、中にはメイド長のマリアが居たのだ。そして、アシュレイを見た途端に泣きながら抱きしめてきた。アシュレイは呆気にとられながらも、抱きしめられたままにした。


「マ、マリア!!なんでこんなところに?!ていうか、濡れちゃいますよ」


「アシュレイ様が危ないと聞いて、ずっとここで待っていたんですよ……!ああ、本当に、本当に良かった……!私は、心臓が止まるかと思いました!」


「……心配をかけましたね。ありがとうマリア。私を心配してくれて」


「当たり前です!」


どうしてこんなに、自分なんかを本気で心配してくれるんだろうかとアシュレイはぼんやり思う。それで、どうしたらいいか分からなくなった。なんだかわからないが、申し訳なくも思った。用意された服に着替えると、アシュレイはタオルで頭を拭きながらテントの外に出る。焚火の前で、アルドヘルムが座っていた。アシュレイはそのすぐ隣に座る。


「アルドヘルム」


「……」


「……今度、いつかは……私があなたを助けますから。待っていてくださいね」


そう言うと、アルドヘルムがぐるっとアシュレイのほうを向いて、またぎゅっと抱きしめてきた。骨が折れたり関節が曲がるんじゃないかなあとアシュレイは心配になったが、とりあえず、この心が不安定な大人を落ち着かせてやらなくては。


焚火の前の二人に配慮して、みんなテントに戻ってしまう。


もう夜だ。少し休んだら、早く屋敷に戻らなきゃな、とアシュレイは思った。




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