お嬢様は女性に弱い
今日は学校が開校記念日で休みなので、アシュレイはまた劇場のほうに足を運んでいた。無論、アッシュとして男装してだ。
午前でまだ人が少ない中、街で見慣れない老婆が力無い歩き方でゆっくり、ふらふらと歩いているのが見える。アシュレイはそれにすぐに駆け寄って、目線を合わせるように屈んで笑顔で手を差し出した。
「マダム、手を貸しますよ。どこまでいらっしゃるんです?」
マダムなんて言って全く嫌味がないあたりが、普段からキザなアシュレイのなせる技である。アシュレイは女が相手なら、幼児だろうが老婆だろうが全員親切にする。基本は。
花なんかを届けに来る女性客に対してもそうである。習慣となっているので、ビジネスの一環でもある。
「おお、おお、なんて優しい娘さん……私は、あちらの路地を渡って向こうの建物に、用事があるのよ。手を貸してくれるの?」
フードを頭まで被っているので顔は分かりにくいが、老婆は大層喜んだ声色で、嬉しそうに返事した。その様子に、よほど心細かったのだろう、とアシュレイは気の毒に思った。
「ええ、私でよろしければ」
アシュレイはにこやかにサッと老婆の荷物を持ち、横に並んで歩いた。キザである。
それにしても、今は劇場に向かうために男の格好をしているのにこの老婆はよく自分が「娘さん」だと分かったな、とアシュレイは内心で感心する。
長く生きているとそういう勘が強くなるのかな、なんて呑気に思っていた。
しかし、路地裏に入ると老婆が突然立ち止まる。
「どうしました?疲れたなら、背負って……」
アシュレイが心配して老婆の顔を覗き込むと、老婆は再び嬉しそうに言った。
「本当に優しい娘さん。これなら神も喜んでくださるわ」
「え?」
顔を上げた老婆の目と狂った笑顔を見て、アシュレイはようやくこの老婆が普通じゃないことに気がつく。気づくのが遅すぎた、という事にもその時気づいた。
「う゛ッ!」
背後から誰かに何か硬いもので思いきり頭を殴られ、アシュレイは喉から変な声が漏れる。不意を突かれたアシュレイは、一瞬で意識を失ってしまう。アシュレイは殴られたまま地面にバッタリと倒れた。
アシュレイの後頭部を鉄の棒で殴った大男は、はぁはぁと息を切らしながら凶器を投げ捨てる。カランカランと地面にそれが転がった。
すると路地裏に隠れていたマントを被った数人がすぐに出てきてアシュレイを大きな麻袋に入れ、用意していた馬車に積み込んでしまう。考える暇も抵抗する暇もなくアシュレイは、そう、〝洞窟の民族〟たちに捕まってしまったのである。アシュレイを積んだ馬車は、そのまま洞窟に向かって走って行った。
……それから数分後。
アシュレイを先に行かせて、少しの時間残った仕事を片付けていたアルドヘルムが劇場に到着した。アルドヘルムは急いで仕事を済ませたのでそう時間差はないはずだったのだが、劇場に入ってもアシュレイの姿が見当たらないのを不思議に思う。すぐにアルドヘルムを見つけた団長が声をかけてきた。
「おう、アルドヘルムさん!今日はどうしたんで?アッシュは?」
「アシュレイ様は今日は、劇場に真っ直ぐに行くと言って私より先にここに向かったんです。後からすぐに来たんですが、来てませんでしたか?」
アルドヘルムが団長に聞くと、団長は首を傾げた。
「ああ、今日は確かに見かけてないよ。なあマイリ、お前は?」
「私も見かけてないし、町の人たちも別に何も言ってなかったよ?でも来てないならまた誰かの手伝いでもしてるのかなあ」
アシュレイは街では結構有名人だ。ここらをうろつけば見ている人がいくらかは居るはず。それに加え、今日は公演の日で、アルドヘルムに対して劇場に行くと嘘をつくメリットも感じられない。
となるとアシュレイはどこへ行ったのか?確かにこの時間は人通りが少ないが、目撃者が全く居ないというのは少しばかり不自然に感じる。
「……妙ですね。少し探してきます。」
「え?そのうち来るだろ、待ってたらどうだ?」
アルドヘルムは団長の言葉も聞かずに劇場を飛び出すと、すごい勢いで走り回って町中を見て回った。アシュレイが居そうなところを片っ端からすべて見て回る。
どこだ、どこだ、どこだ?
なんだか分からないが、虫の知らせというやつだろうか、アルドヘルムは何か、すごく嫌な予感がしていた。
店も一軒一軒窓ガラス越しに見て回り、狭い路地も全て見て回る。その間、アルドヘルムの鬼のような形相を見て街の人々は恐ろしがっていたが、とうとうアルドヘルムはアシュレイが殴られた路地にまでたどり着いた。
その間、ほんの10分ほどである。
アルドヘルムは鉄の棒が転がっているのを見つけ、妙に思ってそれを手に取った。よく見ると、先は曲がっていて、血のような黒く変色したものがこびりついていた。その中央あたりはまだべったりと乾いていない部分があり、指でこするとその液体が血であることが明確に分かった。
アルドヘルムは、町中見てもアシュレイが居なかったこととこの凶器が無関係とはとても思えず、確かな情報ではないと思っていても、怒りに腕が震えた。
心当たりはなくはない。アシュレイの実の父親のクリフォードが狂ってアシュレイを殴ったのかもしれない。学校で恨みを買ったジェニが報復に何かを雇ったのかもしれない。でも、最近のアシュレイの話で最も関連性がありそうだったのは……
「……あの、少しソヘイルをお借りしても?」
劇場に息せき切って戻ったアルドヘルムは、団長にそう言った。あまりの気迫に、団長も少し硬直したがすぐに何か訳ありだと察してソヘイルを呼んでくれた。
「……良いぞ、ソヘイル!アルドヘルム卿がご指名だぞ〜」
「えっ?はい」
梯子からカンカンと降りて来たソヘイルを連れてすぐに外に出たアルドヘルムは、ソヘイルに話を聞きはじめた。
「アシュレイ様が居ない。ここらは見て回ったが、劇場にも来ていないし屋敷にも居ない。そうなると、私は洞窟の民族たちに捕まったとしか思えない。可能性はあると思うか?」
アルドヘルムの言葉に、ソヘイルが答えにくそうにうつむいた。自分がずっと暮らしてきた民族の話だ。いくら牢屋に居ても、洞窟内は声が良く響く。どんな人間たちなのかはよくよく知っていた。
「……十分に、あると思う。やつらは神への捧げものは、多分どんな手を使っても……俺には何も言って来なかったが、来ていてもおかしくない」
「洞窟の場所を教えてくれ」
「……1人で行くのは危険だ、他にも何人か……」
「いいから、教えてくれ!早く、早くしないと……生贄ってのは、殺されるんだろう?!すぐに助けに行かないと……」
「落ち着け、さらわれたと決まったわけではないだろう?それに連れ去ってすぐに殺すかどうかなんてわからないぞ。前の娘の時は1週間ほどは生かしていた。
何人か強い兵を連れて行った方がいい、洞窟にだって100人くらいは人手があるし、一斉に襲いかかられたら……お前が強いとしても……」
「……すぐに人手を集める。お前は、案内を頼む。何か、すごく……今日は嫌な胸騒ぎがするんだ。アシュレイ様が危ない気がする」
「……わかった。団長に抜けることを伝えてくる」
「ああ。私もすぐに戻る!」
アルドヘルムが全速力で走って行く。ソヘイルも大慌てで劇場に戻った。嫌な予感、それだけだ。それだけがアルドヘルムを行動させていた。もしかしたらアシュレイは単により道をしていて、どこかの建物の中、奥のほうに居るから見つからなかっただけなのかもしれない。もしかしたら忘れ物でもして屋敷に戻ったのかもしれない。でもどうしても、なぜだかアルドヘルムにはそうとは思えなかった。
「アシュレイ……!」
最近、見てなくたってアシュレイに危害が加えられたことなんて無かったから油断していた。アシュレイは不覚を取られるほど鈍くさい人間ではないと。ほんの数分遅れだから大丈夫だろう、そんな油断のせいで、もしアシュレイに何かあったら……きっと自分は一生、自分を許せないだろうとアルドヘルムは感じていた。
「分かった。騎士団に行って人手を探してくるから、お前はソヘイルとかいう奴と先に行っててくれ。東の山方面だったな?俺たちはそこに行くから、ソヘイルに、そこに戻って誘導するように頼んでおいてくれ」
「ああ、助かる。頼んだぞ」
「言っとくがアルドヘルム、これが勘違いでアシュレイ様がさらわれてなかったら……」
「分かってる。俺が全部責任を取る。今は一刻も、急いでくれ」
「ああ」
ダレンが走って行き、アルドヘルムも街に戻る。
早く、早く、早く……ともかくアルドヘルムは焦っていた。今にもアシュレイが殺されるんじゃないかと不安だった。そして、アシュレイが居なくなった時に自分がどうなってしまうのか怖かった。自分がどれだけアシュレイに入れ込んでいたのか、惚れているのか、依存しているのか……
自分の足がすごく遅く感じる。一分一秒がもったいない。アシュレイの居場所が分からないことがもどかしい。……何より、この妙に胸のあたりがざわめくような違和感がアルドヘルムを急き立てている。
「アシュレイ……」
体が震えている自分が情けない。
アシュレイは一人で何でも出来てしまうから、用心を怠った自分の愚かさが情けない。アルドヘルムは、馬に乗って急いで劇場へと向かった。
空が紅く灰色に、不吉な色に染まっていた。




